10 / 74
9. 募る想いと苦悩(※sideアルバート)
しおりを挟む
だがそんな俺にも、物心つく前からの婚約者がいた。友好関係継続のために決められた、隣国の王女の一人だった。
以前はそのことを、何とも思っていなかった。王族の定めとして、このリデール王国にとって最も有利となる縁を結ぶ。皆そうしてきたわけだし、俺自身も、それを自分の当然の責務として受け入れていた。
けれどティファナへの恋心を強く自覚するにつれ、徐々に憂鬱な思いを抱えるようになってきていた。ティファナは王太子との婚約が叶わなかったとしても、誰か別の、おそらくは国内の有力な高位貴族の子息の元に嫁いでいくのだろう。そして俺は、ティファナではない女性を妻にする。
どんなに想いを募らせようとも、俺がティファナを得ることができる日など、決して来ないのだ。
その揺るがぬ事実が、俺の心に重くのしかかっていた。
24の歳になる頃から、俺は自身の見聞を広めることと国内の治安維持を名目として、王国内を飛び回るようになった。もちろん各地で真面目に仕事に取り組みはしていたが、本音を言えば、これ以上美しく成長していくティファナの姿を間近で見ていることが辛かったのだ。
蹴りをつけねば。この思いを早く断ち切り、自分の責務にのみ集中せねば。そんな焦りが、俺を突き動かしていた。
けれど、離れて会わなくなればあっさり忘れられるほど、この想いは軽いものではなかったらしい。
毎日毎夜、俺の心の中にはティファナの愛らしい笑顔があった。消えてくれる日など、一日たりともなかった。
ならばもう、それでいい。俺は彼女への狂おしいほどの恋心をうちに秘めたまま、この長い人生を生きていこう。
いつしか俺は、そう達観するまでになっていた。
そんな日々が二年ほど続いた頃だったろうか。俺の元に、オールディス侯爵夫人の訃報が飛び込んできたのは。
知らせを聞いた瞬間、何を考える間もなく、俺は馬車に飛び乗っていた。頭の中にあったのはティファナの顔だけ。可哀相に。敬愛する母上を失い、どれほど気落ちしていることだろうか。
そばに付いていてやりたい。俺の存在が、ほんのわずかでも彼女の気を紛らわせることができるのなら、俺は何でもする。
そう願い、彼女の元に駆けつけた。
オールディス侯爵夫人の葬儀に間に合い、俺はそこでティファナと再会した。
漆黒の衣装に身を包み、凛とした佇まいでいたティファナの瞳は充血し、心なしか頬は痩けていた。
「……アルバート王弟殿下、本日は母の葬儀にわざわざ足をお運びいただきましたこと、感謝いたしますわ」
16歳になった彼女は、息を呑むほどに大人びていた。窶れていてもなお、より一層美しさを増し、そんな彼女を目の前にして俺は一瞬めまいさえ覚えたほどだ。
(……ああ、やはり俺はティファナのことが好きだ。どうしようもなく)
およそ二年ぶりの再会は俺の心を思う存分掻き乱し、己の恋心を嫌というほど痛感させられたのだった。
気丈に振る舞い笑顔を見せる目の前のティファナを、衝動のままに抱きしめることができたらどんなによかったか。
「……お悔やみ申し上げるよ。大変だったね、ティファナ」
自分の激情をどうにか堪え、俺は静かに言葉を紡いだ。
葬儀が終わった後、しばらく二人きりで話をした。主にティファナから、オールディス侯爵夫人の思い出話を聞いていた。
時折言葉を詰まらせ、震える指先でハンカチを取り出し瞳をそっと抑えるティファナの肩に、俺は無意識に手を伸ばし、抱き寄せていた。
これくらいは許されるだろう。今日だけ。たったひとときだけのことだ。許してほしい。
誰にともなく、俺は心の中で言い訳がましい謝罪を繰り返していた。
オレの腕の中で小刻みに震える彼女の柔らかな髪から、野に咲く花々のような優しい香りがした。
それからまた月日は経った。俺は相変わらず国内を飛び回り、あの日以来ティファナにも会うことはなかった。再会してますます、彼女のそばにいるのが自分にとってどれほどマズいことかを再認識したのだ。そばにいれば、いつか箍が外れてしまう。そんな予感がした。
しかしそんな折、俺の耳に王太子の婚約者がエーメリー公爵令嬢に決定したという情報が届いた。
(……そうか。やはりカトリーナ嬢に決まったか。まぁ、そうだろうな。エーメリー公爵家の令嬢が優秀であるならば、順当に決まるのは何も不自然ではない)
ティファナは王太子とは結婚しない。
喜んでもよさそうなものなのに、俺の心は深くどんよりと沈んでいった。
幼い頃から、誰よりも努力していたのに。
数年前、王宮図書館の前で会った時に、あまりにも根を詰めすぎじゃないかと俺が心配したら、「私が王太子殿下の婚約者になることは、両親の悲願ですから!」と、明るい笑顔を見せてくれたな。
報われなかった今、どれほど落胆し、自分を責めているだろうか。
ティファナの胸の内を思うと、呑気に喜ぶ気になど到底なれなかった。
そして、その知らせからほんの数ヶ月後のことだった。
俺と隣国の王女殿下の婚約が、解消されたのは。
以前はそのことを、何とも思っていなかった。王族の定めとして、このリデール王国にとって最も有利となる縁を結ぶ。皆そうしてきたわけだし、俺自身も、それを自分の当然の責務として受け入れていた。
けれどティファナへの恋心を強く自覚するにつれ、徐々に憂鬱な思いを抱えるようになってきていた。ティファナは王太子との婚約が叶わなかったとしても、誰か別の、おそらくは国内の有力な高位貴族の子息の元に嫁いでいくのだろう。そして俺は、ティファナではない女性を妻にする。
どんなに想いを募らせようとも、俺がティファナを得ることができる日など、決して来ないのだ。
その揺るがぬ事実が、俺の心に重くのしかかっていた。
24の歳になる頃から、俺は自身の見聞を広めることと国内の治安維持を名目として、王国内を飛び回るようになった。もちろん各地で真面目に仕事に取り組みはしていたが、本音を言えば、これ以上美しく成長していくティファナの姿を間近で見ていることが辛かったのだ。
蹴りをつけねば。この思いを早く断ち切り、自分の責務にのみ集中せねば。そんな焦りが、俺を突き動かしていた。
けれど、離れて会わなくなればあっさり忘れられるほど、この想いは軽いものではなかったらしい。
毎日毎夜、俺の心の中にはティファナの愛らしい笑顔があった。消えてくれる日など、一日たりともなかった。
ならばもう、それでいい。俺は彼女への狂おしいほどの恋心をうちに秘めたまま、この長い人生を生きていこう。
いつしか俺は、そう達観するまでになっていた。
そんな日々が二年ほど続いた頃だったろうか。俺の元に、オールディス侯爵夫人の訃報が飛び込んできたのは。
知らせを聞いた瞬間、何を考える間もなく、俺は馬車に飛び乗っていた。頭の中にあったのはティファナの顔だけ。可哀相に。敬愛する母上を失い、どれほど気落ちしていることだろうか。
そばに付いていてやりたい。俺の存在が、ほんのわずかでも彼女の気を紛らわせることができるのなら、俺は何でもする。
そう願い、彼女の元に駆けつけた。
オールディス侯爵夫人の葬儀に間に合い、俺はそこでティファナと再会した。
漆黒の衣装に身を包み、凛とした佇まいでいたティファナの瞳は充血し、心なしか頬は痩けていた。
「……アルバート王弟殿下、本日は母の葬儀にわざわざ足をお運びいただきましたこと、感謝いたしますわ」
16歳になった彼女は、息を呑むほどに大人びていた。窶れていてもなお、より一層美しさを増し、そんな彼女を目の前にして俺は一瞬めまいさえ覚えたほどだ。
(……ああ、やはり俺はティファナのことが好きだ。どうしようもなく)
およそ二年ぶりの再会は俺の心を思う存分掻き乱し、己の恋心を嫌というほど痛感させられたのだった。
気丈に振る舞い笑顔を見せる目の前のティファナを、衝動のままに抱きしめることができたらどんなによかったか。
「……お悔やみ申し上げるよ。大変だったね、ティファナ」
自分の激情をどうにか堪え、俺は静かに言葉を紡いだ。
葬儀が終わった後、しばらく二人きりで話をした。主にティファナから、オールディス侯爵夫人の思い出話を聞いていた。
時折言葉を詰まらせ、震える指先でハンカチを取り出し瞳をそっと抑えるティファナの肩に、俺は無意識に手を伸ばし、抱き寄せていた。
これくらいは許されるだろう。今日だけ。たったひとときだけのことだ。許してほしい。
誰にともなく、俺は心の中で言い訳がましい謝罪を繰り返していた。
オレの腕の中で小刻みに震える彼女の柔らかな髪から、野に咲く花々のような優しい香りがした。
それからまた月日は経った。俺は相変わらず国内を飛び回り、あの日以来ティファナにも会うことはなかった。再会してますます、彼女のそばにいるのが自分にとってどれほどマズいことかを再認識したのだ。そばにいれば、いつか箍が外れてしまう。そんな予感がした。
しかしそんな折、俺の耳に王太子の婚約者がエーメリー公爵令嬢に決定したという情報が届いた。
(……そうか。やはりカトリーナ嬢に決まったか。まぁ、そうだろうな。エーメリー公爵家の令嬢が優秀であるならば、順当に決まるのは何も不自然ではない)
ティファナは王太子とは結婚しない。
喜んでもよさそうなものなのに、俺の心は深くどんよりと沈んでいった。
幼い頃から、誰よりも努力していたのに。
数年前、王宮図書館の前で会った時に、あまりにも根を詰めすぎじゃないかと俺が心配したら、「私が王太子殿下の婚約者になることは、両親の悲願ですから!」と、明るい笑顔を見せてくれたな。
報われなかった今、どれほど落胆し、自分を責めているだろうか。
ティファナの胸の内を思うと、呑気に喜ぶ気になど到底なれなかった。
そして、その知らせからほんの数ヶ月後のことだった。
俺と隣国の王女殿下の婚約が、解消されたのは。
472
お気に入りに追加
1,896
あなたにおすすめの小説
さよなら、英雄になった旦那様~ただ祈るだけの役立たずの妻のはずでしたが…~
遠雷
恋愛
【本編完結】戦地から戻り、聖剣を得て聖騎士として英雄になった夫エリオットから、帰還早々に妻であるフローラに突き付けられた離縁状。
戦場で傍に寄り添い、その活躍により周囲から聖女と呼ばれるようになった女性エミリーを、彼は愛してしまったのだと告げる。安全な王都に暮らし日々祈るばかりだったフローラは、居場所を失くしてしまった。
反論も無く粛々と離縁を受け入れ、フローラは王都から姿を消した。
その日を境に、エリオットの周囲では異変が起こり始める。
一方でフローラは旅路で一風変わった人々と出会い、祝福を知る。
――――――――――――――――――――
※2025.1.5追記 11月に本編完結した際に、完結の設定をし忘れておりまして、
今ごろなのですが完結に変更しました。すみません…!
近々後日談の更新を開始予定なので、その際にはまた解除となりますが、
本日付けで一端完結で登録させていただいております
※ファンタジー要素強め、やや群像劇寄り
たくさんの感想をありがとうございます。全てに返信は出来ておりませんが、大切に読ませていただいております!
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです
gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。
貴方に私は相応しくない【完結】
迷い人
恋愛
私との将来を求める公爵令息エドウィン・フォスター。
彼は初恋の人で学園入学をきっかけに再会を果たした。
天使のような無邪気な笑みで愛を語り。
彼は私の心を踏みにじる。
私は貴方の都合の良い子にはなれません。
私は貴方に相応しい女にはなれません。
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる