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28. 来訪者

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 福祉施設の視察に同行してから数週間、ハリントン公爵邸での毎日は順調に過ぎていった。
 これまで通りアマンダさんや他の使用人の方々とともに、屋敷の掃除や調度品のお手入れをすることが私の仕事なのだが、あの日以来、時折ハリントン公爵から執務室の簡単な掃除を言いつけられるようになった。
 そして言われたとおりに机周りを掃除していたある時、書類の仕分けを少し手伝うよう言われた。それ以降、少しずつ公爵の身の回りのお世話をする機会が増えてきた。それは「すまないが、ついでにあそこの上着をとってきてくれ」だの「ミシェル、悪いがここにある書類の束をあのケースの上に置いてきてくれるか」だの、ほんの些細なことばかりだったけれど、私がここにやって来た当初に比べると随分心を許してくださっているようで、私は嬉しかった。信頼しても大丈夫そうだと判断されたような気がしたから。

 ある時庭の周りを掃除していたら、たまたまやって来たカーティスさんにこう言われた。

「ロイド様はミシェルのこと随分と気に入ってるみたいだな。あの人が執務室や自室に入らせる使用人って、これまでほとんどいなかったんだよ。特に女は絶対に入れなかったんだ。ほら、万が一にも惚れられて、興味本位で勝手にいろいろ漁られたりしたら困るだろ? 女関係では何度もその手の苦労をしてきたみたいだからなー、ロイド様は。でもこないだ言ってたよ。やはり女性の手も多少は必要だな、って。細やかな気遣いをしてくれるから助かるってさ。ま、自分で言うのも何だけど、たしかに俺はがさつだからなー。その分をミシェルがフォローしてくれてるからマジで助かるぜ。ははははっ」

 その言葉にホッとし、お役に立っているのならよかったと思ったのは事実だ。けれど。
 両手を頭の後ろで組んで太陽みたいな明るい笑顔でカラカラ笑っているカーティスさんの向こう側で、箒を持ったままこちらをジッと見ているアマンダさんの表情が、すごく気になった。少し寂しそうで、不安そうで……。
 カーティスさんの肩越しに私と目が合うと、アマンダさんは慌てて視線を逸らし、花壇の周りの掃除を再開した。

(……もしかしてアマンダさん……、ハリントン公爵のことを想っているのではないかしら……)

 もしそうなら、こんな話を聞くと胸が痛むだろう。自分の秘めた想いは、公爵にとってはただの迷惑なものでしかないのかもしれない、なんて……。
 私の前ではいつも優しくて穏やかな笑みを見せてくれるアマンダさんに、「好きなんですか?」なんて無神経に問いただすこともできずに、私は少し悶々としはじめたのだった。



 数日後、朝屋敷を出るハリントン公爵を見かけた。いつものようにカーティスさんも一緒だ。公爵がこちらをチラリと見たので、私はいそいそと歩み寄りご挨拶をした。気になっていることがあるのだ。

「おはようございます、公爵様」
「ああ。おはよう」
「あの、昨夜はお医者様がおいでだったようですが……その……、お怪我の具合はいかがですか」

 そう。昨夜ハリントン公爵が屋敷に戻られてからしばらくして、お医者様の往診があったのだ。公爵が右腕にギプスをつけてから約一月半。少しは良くなってきているのだろうか。なんせ私を庇っての怪我だから、気になってしかたがない。
 私のそんな気持ちに気付いているのか、公爵は小さく笑うと静かな声で答えた。

「大丈夫だ。経過は順調で、あと一、二週間もすればギプスは外せるらしい」
「! そうなんですね……よかったです」
「他にも何ヶ所か骨がヤバかったんだけどさ、もうどこも問題なさそうだってよ。まぁもちろんまだ無理はできねぇけどな」
「カーティス。余計なことはいい」

(ほ、他にも何ヶ所か……。怪我、そんなにひどかったんだ……)

 ここへ来た頃、公爵が時折顔を顰めていたから、きっと痛むのだろうとは思っていたけれど。
 そんなにひどい怪我の原因となった私のことを、全く責めない公爵に対し、申し訳なさと感謝の気持ちがふつふつと湧いてくる。
 私の表情を見た公爵は、いつもよりさらに優しい笑みを浮かべる。

「今夜も遅くなる。無理せず一日頑張ってくれ」
「……はいっ。いってらっしゃいませ、公爵様」

 意識して元気よくそう答える私に、カーティスさんがケロッとした顔で言った。

「前から思ってたんだけどさ、お前もうここの使用人なんだから、“公爵様”じゃなくて“旦那様”でいいんじゃねぇの?」
「……あ、そうですよね。……はい。いってらっしゃいませ、旦那様」
 
 なるほど、それもそうだと思い、私はすぐさま言い直した。
 はそんな私をほんの少しの間見つめると、

「……ああ」

と小さく言って屋敷を後にした。



「……そう。よかったわねミシェルさん。安心したんじゃない? 旦那様の腕の経過が順調で」

 午後。従業員用の食堂で昼食をとり少し休憩している時に、アマンダさんに今朝のことを報告すると、彼女も喜んでくれた。

「はい! 本当に……。もしも旦那様の腕が元通りに動かなくなったりしたら、私生涯旦那様の右腕代わりとなって働くぐらいのつもりでいました……から……」

(あ……)

 ついそんな言葉を漏らしてしまい、すぐさま口をつぐむ。ずっと旦那様のおそばにいたい、みたいな意味に聞こえてしまったら、アマンダさんを嫌な気持ちにさせてしまうかも……。
 などと深読みしている私の隣で、当のアマンダさんは楽しそうにクスクス笑っている。

「ふふふ。ミシェルさんったら。右腕となって働くって、まるで敏腕の側近みたい」
「あ、あは。本当ですね。や、文字通りの意味だったんですけどね」

(よかった……別に気にしていないみたい)

 アマンダさんの本心が読めないなぁ。などと思いながら、私たちは食堂を出て仕事に戻ろうとした。
 玄関ホールの前を通りかかった時、ちょうどお客様がお見えになったところだった。若い女性だ。家令がその方と、何やら話している。

(わぁ……。なんて華やかな方かしら……)
 
 真紅の薔薇のようにあでやかなドレスをまとったその女性は、ドレスと同じ色の真っ赤な口紅をつけ、燃えるような赤い瞳をしていた。腰まである優雅な金髪は目が覚めるほど輝いており、絵に描いたようにきっちりと縦にクルクル巻かれている。ツンと尖った高い鼻と、口角の下がった真っ赤な唇には、たじろいでしまうほどの威圧感があった。









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