31 / 80
第5章 三姉妹の気持ち
31 情動 side:千夜
しおりを挟むあの子は、考えが読めない。
他人のことなんて、そう簡単には理解できない。
自分のことだって、人はよく理解できていないものだから。
それは分かっているつもりだけれど。
でも、あの子はその中でも際立っていると、そう思っている。
「なに、こんな時間に」
時刻は夜の九時を迎えようとしている頃、ノックする音が聞こえて扉を開けると、そこには花野明莉の姿があった。
「えっと、その……教えてほしいことがありまして」
腕の中に抱えているのは教科書とノート。
どうやら冷やかしにきたわけではなく、勉強を教えてもらいに来たらしい。
なぜか体を小さくして、私の顔色を窺っているのかはよく分からなかったけれど。
「いいわ、入りなさい」
私は扉を開けて、彼女を招き入れる。
小さく背を丸めて部屋の中に入ってくる姿は、どこか怯えているようにも見える。
「どうしたの、貴女が教えて欲しいと言ったのでしょう」
「いえ、まだ千夜さんの空間に入ってしまうと、緊張してしまいまして……」
自分から来ておいて、勝手に緊張するとはどういうことか……。
とは思わなくはないけれど、それよりも、緊張してでも勉学の方を優先させたと捉えた方がいいのだろうか。
どっちにしても釈然としない気持ちを抱えてしまうのは、私自身よく理解できないでいた。
「それで、どこが分からないの」
私は簡易的な椅子を用意して、勉強机の前に座るよう促す。
彼女はそれに従い、教科書とノートを開いた。
「えっと、ここの問題をどうしたらいいのか……」
「それはね――」
勉強を教えることは別に嫌いではない。
かと言って、好きかと問われればそれもまた違う。
私は“成績”というものを自分が存在する証明として必要としているだけで、その他の感情はあまりに乏しい。
出来るから教えるだけ。
ただ、学生という身分において成績が優秀であって困ることは何一つない。
だから、私は家族に対してだけ、なるべく良い成績を修めるよう促している。
他人のことは好きにしたらいいと思うけれど、家族にだけはその思いを分け与えたい。
けれど、今にして思えば。
彼女のことをまだ認めていなかった頃から、彼女に赤点をとらないよう求めていたのは矛盾していたのかもしれない。
本当に他人と思っているのなら、そんなことに口出しする必要もなかったのだから。
「なるほど。よくわかりましたっ、ありがとうございますっ」
一通り説明し終えると、彼女はさっきまで深い皺を刻んでいた表情を一変させ、明るいものに変わっていた。
「でも、貴女もちゃんと努力をしているのね」
「え、そ、そうでしょうか……?」
「ええ。以前よりも短い説明で理解できるようになっているし。何より教えるべき箇所も減っているわ、継続的に勉強している証拠でしょう」
素直に、彼女の努力の跡が伺えた。
だから、私はそれを評価する。
何てことはない、当たり前のことだった。
「え、えへへへ……」
だというのに、彼女は過分に顔をほころばせる。
そんな表情を浮かべるようなものではないはずなのに。
だって貴女がしてきたことを、ただそのまま評価しただけ。
足されることも、引かれることもない、ありのままの貴女を見ただけだ。
「随分とだらしのない顔になるのね」
それを見て、どういうわけか私はそんな表現をしてしまう。
これは、正当な評価ではない。
彼女は少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべたに過ぎないのだから。
今の私の表現は、本来の彼女から明らかに引きすぎていた。
「うへへっ……」
「どうして更に嬉しそうになるのかしら……」
普通、笑顔をだらしないと言われて喜ぶ人間はいないはず。
なのに彼女はそう言われて、勉強を評価した時よりも表情を崩す。
「いえ、千夜さんに厳しいことを言ってもらえると身が引き締まりますし。それに褒めてもらえて嬉しいんですっ」
そうだ。
彼女は私の全てを受け入れてしまう。
評価をすれば過分に喜び、貶めても喜んでしまう。
情動が全てプラスにしか働かないなんて、本来は有り得ない。
なのに、それを当たり前のようにする彼女の心が私には読めない。
「本当に明け透けに、思ったまま話すのね……貴女」
「聡明な千夜さんに隠し事なんて出来るわけないですからねっ」
そんなことはない。
私が理解できていることなんて、ほんのわずか。
ただ、生徒会の活動と、努力している分の勉強を理解しているだけ。
人の気持ちなんて、全然分かっていない。
そして、それは結果として確かに私に跳ね返ってきた。
私は母親を否定する生き方を選び、その主義を無言で貫くようになった。
その結果が、家族の仲を引き裂くものだとは疑いもせずに。
家族を苦しめたあの女のようにならないために、私は努力していたはずなのに。
それが姉妹の形を歪めるものになってしまっていた。
こんなに本末転倒なことはない。
それを教えてくれたのも、他ならぬ彼女だった。
「そんなことないわ。私なんかより貴女の方がずっと聡明よ」
生き方として、私は良くない道を選んでいたように思う。
こんな難しいことを、彼女は義妹になってすぐに教えてくれたのだ。
とても、私に出来るようなことではない。
「お、恐れ多すぎる……千夜さん、それ人前で言わないでくださいね。多分、わたし刺されます」
だと言うのに。
多分、彼女は私の言葉の意味なんて全然理解せずに、意味の分からない怯え方をし始める。
本当に良く分からない。
「私は思ったことを口にしただけ。そんなこと有り得ないわ」
「そ、そうでしょうか……」
そうして、自分の感じたことを伝えるようになったのは貴女の影響。
壊れかけていた家族関係はそれによって本来の形を取り戻しつつあるのだから、私は感謝しなければならない。
「と、とにかく今日はご指導ありがとうございます。本当に助かりました、それでは……」
いそいそ、と。
彼女は腰を低くして部屋を後にしようとする。
その背中を見て――
「また困ったことがあったら、いつでも聞きに来なさい」
勉強を教えることは好きでも嫌いでもない。
けれど、彼女に教えるのは好ましく感じている。
それが、どうしてなのか。
その答えもきっと単純で。
「い、いいんですか……?」
「ええ、困っている貴女を放っておいて赤点をとられる方が迷惑よ」
そんな自分でも嫌になるような遠回しな表現。
もっと適切な言葉はいくらでもあるはずなのに。
「ありがとうございますっ。千夜さんに教えて頂けると、まだまだ頑張れますっ」
でも、彼女は笑顔でそれを受け入れる。
扉は閉められ、残されたものは私の心の中に吹く涼やかな風だけ。
「……困ったわね」
自分の想いを共有する、そう教わったはずなのに。
貴女が連れてきたこの感情を、私はまだ打ち明けられそうにない。
だって、この感情はあまりに熱くて、とめどなく溢れ出しそうになっているから。
自分でも扱いきれないものは、その手放し方もまた分からない。
でも、そんな矛盾を抱えて貴女と過ごすのも悪くはない。
貴女が教えてくれたこの想いを知ることで、私は貴女を知りたいと、そう思っているから。
0
お気に入りに追加
94
あなたにおすすめの小説
貞操観念逆転世界におけるニートの日常
猫丸
恋愛
男女比1:100。
女性の価値が著しく低下した世界へやってきた【大鳥奏】という一人の少年。
夢のような世界で彼が望んだのは、ラブコメでも、ハーレムでもなく、男の希少性を利用した引き籠り生活だった。
ネトゲは楽しいし、一人は気楽だし、学校行かなくてもいいとか最高だし。
しかし、男女の比率が大きく偏った逆転世界は、そんな彼を放っておくはずもなく……
『カナデさんってもしかして男なんじゃ……?』
『ないでしょw』
『ないと思うけど……え、マジ?』
これは貞操観念逆転世界にやってきた大鳥奏という少年が世界との関わりを断ち自宅からほとんど出ない物語。
貞操観念逆転世界のハーレム主人公を拒んだ一人のネットゲーマーの引き籠り譚である。
百合ゲーの悪女に転生したので破滅エンドを回避していたら、なぜかヒロインとのラブコメになっている。
白藍まこと
恋愛
百合ゲー【Fleur de lis】
舞台は令嬢の集うヴェリテ女学院、そこは正しく男子禁制 乙女の花園。
まだ何者でもない主人公が、葛藤を抱く可憐なヒロイン達に寄り添っていく物語。
少女はかくあるべし、あたしの理想の世界がそこにはあった。
ただの一人を除いて。
――楪柚稀(ゆずりは ゆずき)
彼女は、主人公とヒロインの間を切り裂くために登場する“悪女”だった。
あまりに登場回数が頻回で、セリフは辛辣そのもの。
最終的にはどのルートでも学院を追放されてしまうのだが、どうしても彼女だけは好きになれなかった。
そんなあたしが目を覚ますと、楪柚稀に転生していたのである。
うん、学院追放だけはマジで無理。
これは破滅エンドを回避しつつ、百合を見守るあたしの奮闘の物語……のはず。
※他サイトでも掲載中です。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
身体だけの関係です‐三崎早月について‐
みのりすい
恋愛
「ボディタッチくらいするよね。女の子同士だもん」
三崎早月、15歳。小佐田未沙、14歳。
クラスメイトの二人は、お互いにタイプが違ったこともあり、ほとんど交流がなかった。
中学三年生の春、そんな二人の関係が、少しだけ、動き出す。
※百合作品として執筆しましたが、男性キャラクターも多数おり、BL要素、NL要素もございます。悪しからずご了承ください。また、軽度ですが性描写を含みます。
12/11 ”原田巴について”投稿開始。→12/13 別作品として投稿しました。ご迷惑をおかけします。
身体だけの関係です 原田巴について
https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/734700789
作者ツイッター: twitter/minori_sui
わけあって美少女達の恋を手伝うことになった隠キャボッチの僕、知らぬ間にヒロイン全員オトしてた件
果 一
恋愛
僕こと、境楓は陰の者だ。
クラスの誰もがお付き合いを夢見る美少女達を遠巻きに眺め、しかし決して僕のような者とは交わらないことを知っている。
それが証拠に、クラスカーストトップの美少女、朝比奈梨子には思い人がいる。サッカー部でイケメンでとにかくイケメンな飯島海人だ。
しかし、ひょんなことから僕は朝比奈と関わりを持つようになり、その場でとんでもないお願いをされる。
「私と、海人くんの恋のキューピッドになってください!」
彼女いない歴=年齢の恋愛マスター(大爆笑)は、美少女の恋を応援するようになって――ってちょっと待て。恋愛の矢印が向く方向おかしい。なんか僕とフラグ立ってない?
――これは、学校の美少女達の恋を応援していたら、なぜか僕がモテていたお話。
※本作はカクヨムでも公開しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる