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第三部【前編】
18 取り戻した記憶
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季節は巡り、クリスマスシーズンになっていた。
街はイルミネーションで飾られ、どこを観ても緑と赤と白のクリスマスカラーで彩られている。それは企業オフィスや官公庁庁舎が立ち並ぶビジネス街も例外ではない。駅構内やホテルのラウンジ、普段は無機質なビルの窓や街灯の片隅にはクリスマスを待ち焦がれるような装飾が施されていた。
学校が終わり、厚労省庁舎に向かう途中で咲は小さな時計店に立ち寄っていた。その手には紺色のシンプルなデザインと機能を有す目覚まし時計が握られている。
彼女が目覚まし時計をレジに置くと若い女性店員がニコリと優しく微笑んだ。
「包装はいかがなさいますか?」
咲はそれが〝クリスマスプレゼント用の包装をするか否か〟を訊かれていることに気付いて戸惑ってしまう。
「え、あ、う、えっと……、その……」
クリスマスプレゼントという訳では決してない。だが、この時期に渡せばそういう意味になってしまうかもしれない。ただ単にあの男があまりにも寝坊が多いから目覚まし時計を買って与えるだけの話なのだ。
そんな風に彼女は自分に言い聞かせる。視線を泳がす彼女を見かねた店員が、「とりあえずクリスマスプレゼント用の包装にしておきますね」と促した後、カウンターの下から緑地に雪の結晶模様が散りばめられた包装用紙と赤いリボンを取り出した。
支払いを終え、綺麗に包装された目覚まし時計を手に持って店を出た咲はマフラーを首に巻き付ける。
なにも考えずに渡そう。そう、これは断じてクリスマスプレゼントなどではない。私は決して自分からこの包装を頼んだ訳ではない。相手がどう思うかは相手の勝手なのだ。
自分に暗示を掛けるように咲はそう言い聞かせた。
しかし、平静を装う表層とは裏腹に彼女の深部は〝早く渡したい〟という想いが小さく跳ねていた。これを渡したとき彼はどんな顔をするだろうか、そんなことをただ想像するだけで楽しくて、嬉しくて、心がポカポカと温まっていくような幸せな気持ちになっていく。
そして、彼女にはもう一つ済ませておきたいことがあった。年の瀬を迎えてやっとその覚悟が決まった。
それは自身の〝失われた三か月間〟についてだ。
彼と同じ時を過ごすことで何らかのきっかけが掴めるのではと思っていたが、その兆候は一向に表れていない。
結局、彼は私の〝失われた三か月間〟とは無関係だったのか……。
〝失われた三か月間〟は、もう自分には必要のないことのようにも思えた。思い出せないのなら仕方ない。私は今とても充実した日々を過ごしている。これ以上なにを望むのだろうか、そう思った。
だが、やはりハッキリさせておきたいとも思った。
年を越す前にこの靄が掛かる気持ちと決別し、気持ちよく年を越して新たなスタートを切り、そして改めて彼と向き合い、このあやふやな想いを確かめてみよう。
―――例え、どんな記憶だろうと私は受け入れる。
だから、咲は室長室のドアをノックした。
「失礼します。室長、メールでお伝えした件ですが……」
沈み始めた太陽の光が注ぐ室長室は少し薄暗い。マークの机にはいつものように分厚いファイルや書類の束が山積みになっている。
窓を背にして執務椅子に座っていたマークは立ち上がり、
「うむ、君がそれを望むなら力になろう。さっそく始めようか。ここに座りたまえ」
事前に用意しておいた椅子に座るように促し、咲と対面するようにキャスターの付いた執務椅子を移動させて再び腰を掛けた。
元から椅子の高さが調整されていたのか、それとも偶然か、二人の視線の高さが同じになる。
マークはやや前かがみになり咲の深層に語り掛ける。
「瞳を閉じてリラックスして、頭の中を一度空っぽにするんだ。そして目を開いて真っ直ぐ私の眼の奥を見つめて……―――」
咲はマークの黒鉄色の虹彩を見つめた。すると目の前がボヤけ始め、自身の視界が新雪のような真白で覆われていく。今度は逆に視界の周囲が黒くなっていき、やがて何も見えなくなった―――次の刹那、記憶の奔流とも言うべき圧縮された時間が激流となり、三か月という時がコンマ数秒に凝縮されて彼女の脳細胞を駆け巡った。
沸き上がるように忘却されていた記憶が溢れていく。
―――八重山照と初めて逢った公園、港の倉庫での出来事、アブソリュート・エンペラー、異能に侵されていく自らの姿、彼と暮らした三か月間、先輩と過ごした部室、先輩と歩いた河川敷―――。
視界を取り戻した咲の瞳からボロボロと涙が溢れていた。大粒の涙がとめどなく彼女の瞳からこぼれ落ちていく。
怒り、悲しみ、喜び、慕い、想い、憎しみ、憂い、そして嘆き―――。
様々な感情が同時に押し寄せてくる。
叫び声を上げそうになった咲は奥歯をギリッと軋ませて抑え込み、肘掛を握り締めて椅子から立ち上がると室長室を飛び出していた。
そして、自席に置かれたトンファーを拾い上げてそのまま庁舎を駆け抜ける。
街はイルミネーションで飾られ、どこを観ても緑と赤と白のクリスマスカラーで彩られている。それは企業オフィスや官公庁庁舎が立ち並ぶビジネス街も例外ではない。駅構内やホテルのラウンジ、普段は無機質なビルの窓や街灯の片隅にはクリスマスを待ち焦がれるような装飾が施されていた。
学校が終わり、厚労省庁舎に向かう途中で咲は小さな時計店に立ち寄っていた。その手には紺色のシンプルなデザインと機能を有す目覚まし時計が握られている。
彼女が目覚まし時計をレジに置くと若い女性店員がニコリと優しく微笑んだ。
「包装はいかがなさいますか?」
咲はそれが〝クリスマスプレゼント用の包装をするか否か〟を訊かれていることに気付いて戸惑ってしまう。
「え、あ、う、えっと……、その……」
クリスマスプレゼントという訳では決してない。だが、この時期に渡せばそういう意味になってしまうかもしれない。ただ単にあの男があまりにも寝坊が多いから目覚まし時計を買って与えるだけの話なのだ。
そんな風に彼女は自分に言い聞かせる。視線を泳がす彼女を見かねた店員が、「とりあえずクリスマスプレゼント用の包装にしておきますね」と促した後、カウンターの下から緑地に雪の結晶模様が散りばめられた包装用紙と赤いリボンを取り出した。
支払いを終え、綺麗に包装された目覚まし時計を手に持って店を出た咲はマフラーを首に巻き付ける。
なにも考えずに渡そう。そう、これは断じてクリスマスプレゼントなどではない。私は決して自分からこの包装を頼んだ訳ではない。相手がどう思うかは相手の勝手なのだ。
自分に暗示を掛けるように咲はそう言い聞かせた。
しかし、平静を装う表層とは裏腹に彼女の深部は〝早く渡したい〟という想いが小さく跳ねていた。これを渡したとき彼はどんな顔をするだろうか、そんなことをただ想像するだけで楽しくて、嬉しくて、心がポカポカと温まっていくような幸せな気持ちになっていく。
そして、彼女にはもう一つ済ませておきたいことがあった。年の瀬を迎えてやっとその覚悟が決まった。
それは自身の〝失われた三か月間〟についてだ。
彼と同じ時を過ごすことで何らかのきっかけが掴めるのではと思っていたが、その兆候は一向に表れていない。
結局、彼は私の〝失われた三か月間〟とは無関係だったのか……。
〝失われた三か月間〟は、もう自分には必要のないことのようにも思えた。思い出せないのなら仕方ない。私は今とても充実した日々を過ごしている。これ以上なにを望むのだろうか、そう思った。
だが、やはりハッキリさせておきたいとも思った。
年を越す前にこの靄が掛かる気持ちと決別し、気持ちよく年を越して新たなスタートを切り、そして改めて彼と向き合い、このあやふやな想いを確かめてみよう。
―――例え、どんな記憶だろうと私は受け入れる。
だから、咲は室長室のドアをノックした。
「失礼します。室長、メールでお伝えした件ですが……」
沈み始めた太陽の光が注ぐ室長室は少し薄暗い。マークの机にはいつものように分厚いファイルや書類の束が山積みになっている。
窓を背にして執務椅子に座っていたマークは立ち上がり、
「うむ、君がそれを望むなら力になろう。さっそく始めようか。ここに座りたまえ」
事前に用意しておいた椅子に座るように促し、咲と対面するようにキャスターの付いた執務椅子を移動させて再び腰を掛けた。
元から椅子の高さが調整されていたのか、それとも偶然か、二人の視線の高さが同じになる。
マークはやや前かがみになり咲の深層に語り掛ける。
「瞳を閉じてリラックスして、頭の中を一度空っぽにするんだ。そして目を開いて真っ直ぐ私の眼の奥を見つめて……―――」
咲はマークの黒鉄色の虹彩を見つめた。すると目の前がボヤけ始め、自身の視界が新雪のような真白で覆われていく。今度は逆に視界の周囲が黒くなっていき、やがて何も見えなくなった―――次の刹那、記憶の奔流とも言うべき圧縮された時間が激流となり、三か月という時がコンマ数秒に凝縮されて彼女の脳細胞を駆け巡った。
沸き上がるように忘却されていた記憶が溢れていく。
―――八重山照と初めて逢った公園、港の倉庫での出来事、アブソリュート・エンペラー、異能に侵されていく自らの姿、彼と暮らした三か月間、先輩と過ごした部室、先輩と歩いた河川敷―――。
視界を取り戻した咲の瞳からボロボロと涙が溢れていた。大粒の涙がとめどなく彼女の瞳からこぼれ落ちていく。
怒り、悲しみ、喜び、慕い、想い、憎しみ、憂い、そして嘆き―――。
様々な感情が同時に押し寄せてくる。
叫び声を上げそうになった咲は奥歯をギリッと軋ませて抑え込み、肘掛を握り締めて椅子から立ち上がると室長室を飛び出していた。
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