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第3部 君は僕を捨てないよね

88.帰ってきた王子様

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「まだ王子様からお返事が来てないんですか?」

 皇太子様が白と黒の鍵盤がついたアイテムを手に入れて、私以外の皆とコミュニケーションが取れるようになったのを見届けた後、エスニョーラ邸の諜報部員の秘密基地に訪れた。

 ヤエリゼ君から伝えられたのは、7日ほど前に私から王子様に出したお手紙の返事が、まだ届いていないという事だった。

 いつもなら簡単な内容のこともあるけど、3日か4日すればすぐ返事が来ていたのに。

 以前、もしかしたら帝国に皇女様を迎えに行けるかもしれない、と書いてあった王子様の手紙を受け取ってから2ヶ月ほど経つ。

「エルラルゴ王子と手紙のやり取りをする前は、10日に1度は報告が入ってきていましたから、何らかの連絡が入るとは思いますが……こちらからも調査を手配しましょう」

 そうヤエリゼ君は言ってくれて、私は邸宅を後にした。

 これまでやり取りした王子様の手紙では、ナディクスの国王様は歩いてお散歩したりできるほどに回復してきたと書かれていた。

 まだ公務をこなすのは不安なため、王子様とユラリスさんが付いてあげなきゃだけど、皇女様を迎えに来れそうな日は、手紙を受け取るごとに近づいていると感じることができた。

 もしかしたら、忙しいのかもしれないし、あんまり考えすぎるのは良くないな、と思って王子様のことは極力気にしないようにして、数日を過ごした。


「もうそろそろ、ナディクス風の生活にも飽きてきたわねー」

 姫の気まぐれは相変わらず炸裂していて、突然こんな事を言ってきた。

「あのキャルン国のロクでもないい物も枯渇したようだし、あの女もいなくなったことだし、せっかく帝国に来たんだから。本場の帝国流ロイヤル生活を満喫することにしようかしら」

 彼女の祖国のロクでもない食べ物とは、もちろん“アレ”すなわち、おイモのことだろう。
 そして、あの女とは……悲劇のプリンセスで彼女の実の妹君のことのようだ。

 最初にこのスパリゾートに来た時は、帝都に滞在中はずっとここにいると言ってたのに。

 そんな事は忘れたと言わんばかりに、ホテルのスタッフさん達も動員して、私たちは姫の荷物とこれまでに買い貯めたファッショングッズをまとめることになった。

「アリスは今からわたくしの専属エステティシャンよ! 一緒に付いてきなさい!」

 すっかり姫のお気に入りとなってしまったスパが職場のアリスは、同僚達との別れを惜しむ間もなく、大量の荷物が積まれた姫のご一行の道連れとなってしまった。

 私がこのスパリゾートに、ある日突然連れてこられて、ほとんどの生活を強いられた時みたいに。

 そうして馬車3台分の荷物を伴って、姫の馬車が皇城へと到着した。

「姫、確認して参りましたが、皇太子様も皇女様も執務でお忙しく、謁見のお時間が取れないそうです。眠っておられる陛下にだけでも、ご挨拶に参りましょう」

 一応、滞在先の権力者にご挨拶が必要だろうという事で、アンバーさんが聞きに行ってくれた回答はこうだった。

 姫はとりあえず、陛下のお見舞いに行くことになった。

 持ってきた荷物は、姫が最初にここに来た時に使っていた部屋へ運び込まれ始めている。

 そういえば、スパで私が夜眠ってたソファベッドは寝心地が良かったけど、この皇城では姫の部屋の横にある狭い騎士部屋の、寝心地最悪のベッドで寝なくてはならない。

 イヤだなーと思いながら、陛下のお部屋まで来ると、隣りの公爵様のお部屋から誰かが出てきた。

 あ! この人はアルフリード!

 皇太子様と皇女様は執務室から出られないほど忙しくされているけど、私のお父様とお兄様が側近に入るようになったことで、アルフリードは時間を見て、公爵様と陛下の様子を見に来るようになっていた。

 彼は姫がカツカツとハイヒールの音を立てて、モデル歩きをしながら陛下のお部屋に入っていくのを遮らないように、脇に立っていた。

 そして、私が姫の後を付いて行こうとすると、ヒュッと腕を出してきて、私の手首を掴んだ。

「エミリア、姫が自ら皇城に来るなんて珍しいな、何があったんだい?」

 そっか、彼は公爵様のお部屋にずっといたみたいだから、状況が把握できていないんだ。

「姫はスパでの生活に飽きちゃったから、皇城で暮らすことにしたんだって」

 私は小声でアルフリードに教えてあげた。

 彼は少しだけ目を見開くと、口元に笑みを作った。
 私が好きな、控えめだけど、清々しくって爽やかなあの笑みだ。

 2人でいる時しか見せないこの表情。
 なんだか、久しぶりに見た気がするな……
 私もスパ生活だったし、皇城に来ても彼は多忙ですれ違ってばかりだったからかな。

「それじゃあ、これまでよりグッと君と会える確率が増えるって訳だね。嬉しいな……もう、こんな思いしないように、早く結婚したいよ」

 彼は私の頬に手を添えて、そう言いながら見つめてきた。

 私も……早くこんな生活から抜け出して、アルフリードと一緒にいたいよ。

 連絡がこなくて心配だけど、王子様さえ戻ってきてくれれば……
 皇女様を連れてナディクスへ旅立って行った後なら、私は何の心残りもなく、あなたのお嫁さんになるよ。

 そんな感情が自然と湧き上がってきた中、ふと横を見ると、皇城の家来さんが陛下の部屋の扉を押さえたまま、待ってくれている。

 中には、姫やアンバーさんが入り終わってしまっていて、完全に私待ちの状態だ……

「じゃあね、アルフリード。お仕事がんばってね」

 私はそう言って、陛下のところへ行った。


「……ナディクスの国王様もこんな風にお倒れになってしまったけど、どうなさっているのかしら」

 姫は、陛下のベッドの脇に置かれた椅子に腰掛けて、珍しく他者のことを気に掛ける言葉を発していた。

 すると、コンコンと扉がノックされた。

「姫、また皇城に戻ってきてくれたそうだな。陛下もお喜びだと思うぞ」

 入ってきたのは、皇女様だ! 

 それに……

「先程は皇女殿下の耳まで姫が来ていることが伝わっていなかったので、改めてお伝えしたところ、会いにいらっしゃったのですよ」

 再び登場、アルフリードだ。

 あんなに気まぐれのワガママ姫なのに、忙しいお仕事を置いて、彼女に会いに来てくれるなんて。

 皇女様は本当にお優しいんだな。


 その時だった。またコンコンとノックの音が聞こえた。

 だけど、その音はさっきより強めで、叩く感覚が短くて早い。

 扉がガチャリと開いて、慌てたように入ってきたのは皇城の家来の人だ。

「失礼いたします! ナディクス国の王子が、皇女殿下にお目通りしたいと、こちらに来ております!」

 王子……王子様!?

 ここで、まさかの人物が出現するとは。

 通信が途絶えてしまってて心配してたけど、ついに国王様が公務に復帰されて、帝国に来てくれたんだ!!

「エルが、ここに……?」

 皇女様はどうやら寝耳に水、といったご様子で、開いている扉の方を目を見開いて見つめている。

 そして、家来の人が下がって、扉の脇から現れたのは……

 久しぶりに見る、白い民族衣装。

 だけれど、いつもならシミもシワも見られない真っ白な布なのに、薄汚れているし、シワくちゃだ。

 それに、所々に赤く滲んでいるものが見える。

 服から見えている顔や、首、腕の至る所に傷ができている華奢な体つきをした人物が、そこにいた。

 片方の腕をもう片方の手で抑えて、扉にもたれるようにして立っているのは、ナディクス国の王子様。

 しかもそれは、私が想定していた方ではなくて……
 ヒビの入った丸メガネに、後ろで三つ編みをした、彼の弟君ユラリスさんだ!!

 なに……? 何がどうなってるの……?

「お兄様が……お兄様が……」

 ユラリスさんは、途切れ途切れの声で何かを言いながら、扉にもたれたまま床の方へズルズルとしゃがみ込んでいった。

「僕を守ろうとして、命を……落としました……」

 ……?

 え……今、何て言った?

 私、よく分からなかったんだけど……

 ユラリスさんは、ありえない言葉を残して、ついに床にひれ伏した。


 そして、それとほぼ同時に、私の横にいた人の体がユラユラと揺れ始めた。

 そちらに顔を向けた時、その体がガクリと崩れ落ちそうになって、聞こえてきたのは、

「ーーソフィアナ!!!」

 切羽詰まった大きな叫び声だった。

 そして、もう1人、私のすぐそばにいた人の気配が瞬時に動いて、倒れかけた人の体を抱きとめた。

 目の前で繰り広げられた光景は、ゆっくり、クッキリと私の脳裏に焼きついていった。

 心臓の鼓動がドックン、ドックンと激しく……激しく鳴り響いている。

「ソフィアナ、しっかりするんだ! ソフィアナ!!」

 その体をしっかりとその腕に抱きとめて、揺すっているのは、ついさっきまで、私が一緒にいたいって思ってた人……早く結婚してお嫁さんになりたいって思ってた人。

 まぶたを閉じて、蒼白な顔をして微動だにしない美女のことを、この世が終わってしまうような絶望のまなざしで見つめている彼。

 ついに……ついに、私がこの世界に来てから思い描いていたシナリオが幕を開けてしまったのだ。

 王子様に何かが起こって、いなくなってしまう。

 そして、アルフリードが皇女様を想い始めてしまう、そのシナリオが。
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