157 / 205
天神・桜木④
しおりを挟む――新選組の幹部の方たちがな、会津のお侍さんと一緒にお酒飲まはるんやて。
宴会の内容を尋ねたさくらに、明里はそう答えたのだった。
わかってはいたが、いざこの場に立つと、まだ何もしていないのに「もう帰りたい」という思いがよぎる。だが、明里に倣って体だけは動かし、正座で頭を下げる。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるが、反面、お辞儀をしたまま二度と顔を上げたくないとも思った。
「明里でございます。本日はどうぞよろしゅう」
「桜木でございます。ゆっくりしていっておくれやす」
最低限、ということで覚えた台詞を言うと、さくらはいよいよ顔を上げざるを得なかった。ゆっくりと正面を見ると、歳三と早くも目が合った。歳三は切れ長の目をこれでもかと開けて、口をぱくぱくとさせている。その様子を見て、さくらは笑いそうになった。おかげで、少し緊張が解けた。
さくらは不自然にならない程度にさっと部屋の隅から隅まで見渡した。勇、歳三、山南の他に、源三郎、谷、武田もいる。それに、上座にはさくらの知らない男が二人いた。身なりがいい。あれが、件の会津藩士だろう。勇たちはいいとして、会津の人間にさくらの正体が知れるわけにはいかない。だが幸い、さくらが顔を知らないということは向こうも島崎朔太郎の顔は知らないに違いなかった。
「おお、これはこれは。近藤どの、よいおなごを選んでくださりましたな」一番奥に座っていた五十がらみの男が言った。すでにいくらかできあがっているようである。
「え、ええ、まあ、この店で最近評判のおなごだということで」勇は苦笑いしていた。当然、「桜木天神」が自分の義姉だと気づいての苦笑いである。
そんな様子をよそに、明里が三味線を構えるとゆったりとした音楽が奏でられはじめた。
さくらはゆっくりと立ち上がるとしなやかな足取り、もとい、転ばないようにと慎重な足取りで、踊り場に歩き出した。たった数歩の距離が、ひどく遠くに感じられた。
踊り場に立つと、音楽は単調な前奏から、情緒的な主旋律に変わった。頭の中では必死に覚えた振り付けの記憶を呼び起こし、しかしそうとは悟られぬような表情で、しなやかに扇を振り、体をくねらせ、くるりと回転し、音楽に合わせ、舞った。途中、振り付けを忘れたら音楽に合わせてなんとなく剣術の型稽古を崩したような動きをして乗り切った。
曲が終わり、さくらは正座して深々と頭を下げた。ひとまず、終わった。
「桜木といったか、独特な舞であったな。いやはや、楽しませてもらった」先ほどの男の声が聞こえてきた。どうやら、さくらの舞を斬新なものとして受け止めてくれたようだった。
ほっとしたのもつかの間、”桜木”と明里は出席者一人ひとりに酌をして回らなければいけなかった。明里が会津藩士の方に率先していってくれたので、さくらは廓言葉で会話するという危険を冒さずに済んだが、この格好で仲間に酌をして回るという羽目になりこれはこれで地獄だった。さくらは、すぐ傍に座っていた源三郎のところに行きたかったが、立場的には歳三の隣に座る勇のところに行かざるを得ず、銚子を持ってすすす、と移動した。
おひとつどうぞ、としとやかな声色で声をかけ、勇と歳三の間に腰を下ろしたさくらに、二人は同時に
「なんでお前が」
とごくごく小さな声で言った。
「事情は後で説明する。事故だ事故」さくらは小声で返した。
「はあ、万に一つ違っていればと思ったが」
「サクか、やっぱりそうなのか」
「ああもうとにかく、あの方々はどちらがどちらだ」
「奥にいるのが最近ご上洛された会津藩の神保様だ。手前が同じく山浦様」勇の説明を受けてさくらは改めて二人を見た。先ほどさくらに声をかけた男・神保は、明里の酌を受けて上機嫌そうである。隣に座る山浦という藩士は総司や平助とそう変わらない年ごろの青年で、ぼんやりと明里に見とれているようだ。
やがて、明里がさくらにちらりと目配せした。その目が「こっちへ」と言っていた。おそらく、神保たちに桜木を呼べと言われたのだろう。困ったことになった。練習してきたとはいえ、遊女に化けきれるほど廓言葉を使いこなしてるわけではない。どう乗り切ろうかと思っているうちに、明里はすっと場所を空けて、向かい側に座っている山南のもとへ酌をしに行った。
つい、さくらは二人を凝視してしまった。見なければよかった、と後悔した。胸の中でなにかがぐにゃりと音もなく崩れていくような心地がする。明里も山南も、互いを見るその表情はさくらが今まで一度も見たことのないものだった。
――私は、どうしてこんな格好で、こんなところにいるのだ。何をしているのだ。
「サク」
歳三が小さく名を呼び、さくらの着物の袖をわずかに引っ張った。
「立ち上がったら、ふらつけ」
さくらは意味がわからなかったが、歳三に言われるまでもなく狭いところで立ち上がったら着慣れない打掛に足を取られて転びそうになった。
「おっと」歳三はすかさず立ち上がると、よろめいたさくらの肩をがしっと掴んだ。
「いけない、顔色がよろしくありませんな。立派な舞を見せてくださったのですから、もう十分です。そこの禿殿、桜木殿をどこか別室で休ませてやってほしい」
さくらは目を丸くして歳三を見た。長居すればするほど諸士調役として使い物にならなくなってしまうのだから、唯一さくらの事情を知る者として機転を利かせたに違いなかった。どちらにせよ、一刻も早くこの宴会が終わればいいと願っていたさくらには渡りに船だった。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝
糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。
播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。
しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。
人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。
だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。
時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
沖田氏縁者異聞
春羅
歴史・時代
わたしは、狡い。
土方さまと居るときは総司さんを想い、総司さんと居るときは土方さまに会いたくなる。
この優しい手に触れる今でさえ、潤む瞳の奥では・・・・・・。
僕の想いなんか蓋をして、錠を掛けて捨ててしまおう。
この胸に蔓延る、嫉妬と焦燥と、独占を夢みる欲望を。
どうして俺は必死なんだ。
弟のように大切な総司が、惹かれているであろう最初で最後の女を取り上げようと。
置屋で育てられた少女・月野が初めて芸妓としてお座敷に出る日の二つの出逢い。
不思議な縁を感じる青年・総司と、客として訪れた新選組副長・土方歳三。
それぞれに惹かれ、揺れる心。
新選組史に三様の想いが絡むオリジナル小説です。
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる