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旧友
謁見
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歩けば遠くに見える城もアバンチュール号でならひとっ飛びで着くことが出来た。
どこに降りるか上空で少し旋回して下を確認する。表門を入ったところに広い庭園があり、何人かの守衛がいるのが見えたのでそこへ降りることにした。ゆっくりと降下する私に気付いた守衛はぽかんとこちらを見上げていたが、すぐに駆け寄ってきた。
私がアバンチュール号から降りるとすぐに声をかけてきた。
「もしかしてトーリア様でしょうか、迅雷の乙女と呼ばれている」
この齢で乙女と呼ばれるのはちょっと気恥ずかしいのだけれど……
「ええ、領主様から至急にとの伝言をいただきました」
質素な槍を持った若い男の守衛は嬉しそうに敬礼をした。
「それでは私がご案内いたします、こちらへどうぞ」
私はアバンチュール号の鼻先をぽんぽんと叩いた。ぐんぐんと昇っていくアバンチュール号を守衛は見上げる。
「すげえ……あのホウキはどこへいくのですか?」
「ずっと上、高いところに待機させておくの」
「へえ……うわ、もう見えなくなった」
ずっと上を見ていた守衛は黙って待つ私に気付くと慌てて敬礼をする。
「すっ……すみません、こちらです」
早足に歩く守衛に付いていくと大きな木製の扉の前に着いた。若い守衛は扉の前に立つ老練な守衛に駆け寄った。
「来られました! 迅雷の乙女様ですっ」
老練な守衛は私を見た。
「ト……トーリアですっ」
私は苦笑いしながら名乗った。老練な守衛は目で頷いた。
「こちらです。ニコ、お前は持ち場に戻りなさい」
老練な守衛が裏拳で扉を一回叩くと扉はゆっくりと開いた。
私は扉の中へと進み、閉じる扉の向こうから聞こえる声を聞いた。
『見ましたかアドルフォさん、すっげえ美人! あんな綺麗な人が調教師を全員ぶった切ったなんて信じられませんよ』
『声が大きいぞ馬鹿者、持ち場へ戻れ』
『帰りにも声かけていいっすか、俺も……いてっ!』
まあ悪い気はしないけどね……苦笑いするしかなかった。
「トーリア様ですね、旦那様がお待ちです」
声をかけてきたのは綺麗な礼装を纏った……執事? だろうか……礼装ではあるが何かしらの得物の手練れであるような雰囲気がある。以前に訪れた時には見なかった顔だ。
「初めまして、トーリアと申します。領主様より至急にとの召喚の伝言を聞いて参りました」
執事は頷き奥の扉を見た。
「この奥の部屋で旦那様がお待ちです、どうぞ中へ」
私は執事が示した扉を開けて中へと入る、後から執事も続き、そっと扉を閉めた。
部屋の中央に置かれた長いテーブルの奥に領主は座っていた。私の姿を認めると立ち上がり頭を下げた。
「よくぞ参られた、トーリア殿」
私は礼をして執事の引いた椅子まで歩く……がその椅子は領主のすぐ斜め前の席だった。少々驚いたが腰の剣を外し席の右側、机に立てかけてから席に着いた。
「まずは礼を言わせて頂きたい。この度の依頼の遂行、真にありがたくここに御礼申し上げる」
深々と頭を下げる領主だったが、ここまでは人を便利な殺し屋扱いした張本人という認識だったので私も半ば辟易していた。
「どうぞ頭をお上げ下さい、あの調教師一味……それほどの者だったのですか? 正直なところそれほどでも無かったような……?」
私は嫌味を込めて質問してみた。すると領主は驚きの表情で再び頭を垂れた。
「あの者達を討伐するために三度、討伐隊を組織して送り込みました。魔法使い達は魔法使い殺しに魔法を封じられことごとく殺されました。剣や槍に強い傭兵も雇いましたが今度はやつらの魔獣によってことごとく……我々は三度の討伐すべてを失敗したのです。今度手出しをすれば私の命はないとの脅迫まで受けていたのです。彼らの力であれば私を殺すことなど容易だったでしょう、そこに迅雷の乙女と呼ばれる魔法使いが現われたのです、貴女が光の魔法についての資料を探しているとは噂に聞いていました。貴女ほどの魔法使いならば奴らを……これが最後の機会となるだろうと思いながら依頼させていただいた次第です」
この時、私は自分の勘違いに気が付いた。この領主は光の魔法の情報を私に高値で売ろうとしたのではなく、光の魔法についての情報を求めたことで私が迅雷の乙女と呼ばれる魔法使いに間違いないと確信したのだ。確信してすがるような思いで私に奴らの討伐を依頼したのだ。
なんということだろう……光の魔法を追い求めるあまりに盲目になってしまっていたようだ。光の魔法についての資料は少ない、これだけ探し求めていても得られる情報は古い伝承程度のものがほとんど、詠唱の一部だけでもと思って探しているがまるで見つからない。
よくよく考えてみれば光の魔法に関する伝承を隠したりすることに一般の民衆や領主にとって利益はない。私はどうしてこんなに必死に私に救いを求めた人を疑ってしまったのだろう。己の浅はかさと愚かさを後悔するばかりだ。
「申し訳ありません、私は……勘違いをしていたようです。どうか失礼をお許し下さい」
領主は首を振った。
「貴女がどうであれ私も、そして領民も貴女に救われたのです。私たちには感謝の想いがあるだけです」
「寛大なお言葉です……私自身恥じるばかりです……」
自然に口から出た本心だった。私は本当に自分が恥ずかしい。これ以上何を喋ってよいか分からず、ただ机の上を凝視するだけだった。
二人の間にしばらく沈黙の時間が流れた。領主は領主で話す言葉が見つからないようだ。
「お食事になさりますか」
口を開いたのは執事だ。領主は頷き手を打った。
「そうだな……食事を用意させよう。トーリア様、昼食を召し上がっていってください」
「は……はあ、ありがとうございます……」
申し出そのものは嬉しいのだけれど、昼にはまだ少し早いし、今日は朝食が遅かった上にしっかりと食べてしまったのでまだあまりお腹も空いていない、曖昧に返事を濁らせるのも失礼だし…………
「旦那様、トーリア様はまだ空腹ではないご様子、食事の用意が出来るまでの間、私に剣術の稽古をつけていただいてもよろしゅうございますか」
「私は構わぬが……トーリア様、いかがでしょう」
「え……け、稽古……ですか?」
私は執事を見た、見た感じだけでもかなりの使い手であろうことが窺える。
「でも執事さんもかなりの手練れのように見えますが、私の方が稽古をつけてもらうのでは……?」
「ほっほっほ……貴女のような方にそう言って貰えるとは光栄でありますな。しかし貴女の所作、ちょっとした身のこなし、佇まい、それだけ見れば分かりまする。貴女は私よりも強い。……どうですかな、食事の前の軽い運動なぞ、ちょうど木剣も防具も用意してありますゆえ」
見ると確かに入ってきた扉の横の壁にいくつもの木剣が立てかけてあった。そうだな……少し体動かした方が気分が変わっていいかもしれない。
「そうですね、では……軽くお願いします」
私がそう言うと執事さんは壁の木剣を選び始めた。
「貴女の剣に近いものというと……この、あたりですかな」
柄が両手で握れる片刃の剣を模した木剣を二つ渡してくれた。私は受取り、少し刀身の長い方を選んだ。執事は片手持ちの細剣を手に取った。本来は鋭利な刀身だろうが訓練用に怪我防止のために先が丸くなっている。
「私はこれです、防具はどうされますか?」
執事の示した棚には防具がずらりと並んでいる。執事の剣を見る限りその剣技は斬撃ではなく刺突を目的としたものに違いない。そういう剣技を使う者はたいてい心臓や首を狙ってくるので襟まで保護出来る形の革製の胸当てを選ぶことにした。
「では、その胸当てを」
「こちらですね」
執事は私に胸当てを渡してくれた。
「私は同じく胸当てと手甲を付けさせて頂きます」
執事は私が手首を狙ってくると思ったのだろう、刺突を避けて手首を討つのは定石だもんね。気を使わなくて済むから私にもありがたい。
防具を着けてから私は木剣を何度か振ってみた。反りのない刀身は少しクセが違うし何より木製なので軽すぎる。感じが掴めるまで振り回してみた。
「そろそろ……よろしいですかな?」
「あっ、はい、よろしくお願いします」
奥のテーブルからは領主がこちらをずっと凝視している。そのテーブルから少し離れた広間の中央で私と執事は相対した。
「名乗らせて頂いてもよろしいですかな」
そういえばまだ名を聞いていなかった。
「はい……是非」
執事は胸に木剣を掲げて名乗りを挙げた。
「我が名はジークモンド、岩穿つ雨の名で戦場を駆けたこともございます」
私も名乗りを返させてもらう。
「我が名は魔法使いトーリア、迅雷の……お……おと……おとめ」
動揺のせいか、一番名乗りたくない名がつい口をついて出てしまった。
ジークモンドは剣を突き出して構える。勝負の始まりは互いの切っ先を交わすのが合図、というのがこのあたりの流儀なので私も中段に構えジークモンドの切っ先に交え、『カン』と鈍い音を鳴らした。すかさず私は切っ先を左へずらし出方を探るがジークモンドは退いて間合いを取ったので私も一歩退いて剣を収めた。
ジークモンドは怪訝な顔で尋ねる。
「それは……剣を収めたのでしょうか……?」
「はい、ですがこれも私の構え……お気使いなく」
「ふむ……今打ち込んでも卑怯者ではないということですな」
「もちろんです」
私は右足を大きく踏み出し、深く前傾して抜刀の構えを取る。刀身を相手に見せないこの構えは牽制するにもとても効果が高いしヒノモト流の剣術でいうイアイは今や私の得意技でもあった。
「……なるほど、相手の出方を覗いそれに応じた剣技……というわけですな」
私は返事をせずにやりと笑って見せるだけにした。
ジークモンドは剣を胸に掲げ素早く下へと振ってから構える。……何これ? 瞬時にして伝わる物凄い気迫、滅茶苦茶に本気なのだと分かる。
じりじりと間合いを詰めてくる、ものすごい圧迫感が伝わる。その刺突の瞬間を見逃すまいと私も緊張を高める。
ジークモンドの気迫に満ちた構えも実に優雅であり隙がない、やはりこの男、相当な手練れであることに間違いはない。
気迫に満ちた切っ先が迫る、私は機会を合わせ抜刀に移る。
……あれ? 速い! すかさず体を捻り、なんとか切っ先をかわすと鼻先を掠めていった。
あっぶなっ……今抜いてたらアレを頭に食らってた。
どうにか体勢を立て直し飛び退き間合いを取った。
「様子見は……もうよろしいですかな?」
ジークモンドは構え直した、やはり美しく優雅な構えだ。
なるほど……岩穿つ雨とはよく言ったものだわ、あの刺突をまともに食らってはただでは済まない。今度はこちらからいこう、私はまた深く前傾して構える。
ジークモンドはトーリアの構えに違和感を感じた、しかし己の恐怖がそう感じさせるのだと振り払い少しずつ間合いを詰めていく。
もう一歩……いや半歩、間合いを詰めたら討ちこむべし、そう思った時にトーリアの左足が前にあることに気付いた。先ほどは右足が前にあったと思い返す。
「不覚!」
思った時にはすでに遅かった。応じて放ったジークモンドの突きをくぐり抜け、トーリアはさらに一歩踏み込み横一文字の斬撃が伸びてくる。トーリアの剣はジークモンドの胸を打ち、返し刀で肩から胸を斬り伏せた。
ジークモンドの体は床に叩きつけられる。トーリアはくるりと刀身をひるがえし、納刀する。
奥のテーブルから見ていた領主はトーリアのその一連の動作の美しさに目を奪われ呆然と見ていた。
何とか勝てた、私はそんな思いから大きく息を吐くと転がったまま動かないジークモンドを見た。
「ああっ、ジークモンドさん大丈夫ですかっ? 私、思わず本気になってしまって……」
「はははは、大丈夫です。私でも貴女に本気を出させる程度には戦えたということですかな……光栄なことです」
「そんなこと……ほんとにごめんなさい、立てますか?」
私はジークモンドの手を取った。体を起こすがすぐには立ち上がることは出来なさそうだった。
「少し……このまま休ませてください、しかし変わった剣術ですな。それをいったいどこで?」
「はい……この剣術はヒノモトという遠い東の果てにある国のものです」
「ヒノモトまで修行に行かれたので……?」
「いえ、私はコリーンの魔法学校に行っていました。その時に……」
「なんと、魔法学校で剣術を教えておるのですか」
私は慌てて否定した、これを説明するのは複雑だな……
「いえいえ……ええと、そうですね……あれは十年ほど前になりますか……」
あの頃の記憶をゆっくりと呼び覚ます。
「校長の親友だという魔法使いが学校を訪ねてきたんです、名をローテアウゼンといいしばらくの間私たちに魔法を教えてくれるようになりました。その魔法使いの護衛をしていたのがヒノモトの剣士でした」
ジークモンドは深く頷いた。
「……ほう、ではその剣士が貴女に剣術を……?」
私は頷いた。
どこに降りるか上空で少し旋回して下を確認する。表門を入ったところに広い庭園があり、何人かの守衛がいるのが見えたのでそこへ降りることにした。ゆっくりと降下する私に気付いた守衛はぽかんとこちらを見上げていたが、すぐに駆け寄ってきた。
私がアバンチュール号から降りるとすぐに声をかけてきた。
「もしかしてトーリア様でしょうか、迅雷の乙女と呼ばれている」
この齢で乙女と呼ばれるのはちょっと気恥ずかしいのだけれど……
「ええ、領主様から至急にとの伝言をいただきました」
質素な槍を持った若い男の守衛は嬉しそうに敬礼をした。
「それでは私がご案内いたします、こちらへどうぞ」
私はアバンチュール号の鼻先をぽんぽんと叩いた。ぐんぐんと昇っていくアバンチュール号を守衛は見上げる。
「すげえ……あのホウキはどこへいくのですか?」
「ずっと上、高いところに待機させておくの」
「へえ……うわ、もう見えなくなった」
ずっと上を見ていた守衛は黙って待つ私に気付くと慌てて敬礼をする。
「すっ……すみません、こちらです」
早足に歩く守衛に付いていくと大きな木製の扉の前に着いた。若い守衛は扉の前に立つ老練な守衛に駆け寄った。
「来られました! 迅雷の乙女様ですっ」
老練な守衛は私を見た。
「ト……トーリアですっ」
私は苦笑いしながら名乗った。老練な守衛は目で頷いた。
「こちらです。ニコ、お前は持ち場に戻りなさい」
老練な守衛が裏拳で扉を一回叩くと扉はゆっくりと開いた。
私は扉の中へと進み、閉じる扉の向こうから聞こえる声を聞いた。
『見ましたかアドルフォさん、すっげえ美人! あんな綺麗な人が調教師を全員ぶった切ったなんて信じられませんよ』
『声が大きいぞ馬鹿者、持ち場へ戻れ』
『帰りにも声かけていいっすか、俺も……いてっ!』
まあ悪い気はしないけどね……苦笑いするしかなかった。
「トーリア様ですね、旦那様がお待ちです」
声をかけてきたのは綺麗な礼装を纏った……執事? だろうか……礼装ではあるが何かしらの得物の手練れであるような雰囲気がある。以前に訪れた時には見なかった顔だ。
「初めまして、トーリアと申します。領主様より至急にとの召喚の伝言を聞いて参りました」
執事は頷き奥の扉を見た。
「この奥の部屋で旦那様がお待ちです、どうぞ中へ」
私は執事が示した扉を開けて中へと入る、後から執事も続き、そっと扉を閉めた。
部屋の中央に置かれた長いテーブルの奥に領主は座っていた。私の姿を認めると立ち上がり頭を下げた。
「よくぞ参られた、トーリア殿」
私は礼をして執事の引いた椅子まで歩く……がその椅子は領主のすぐ斜め前の席だった。少々驚いたが腰の剣を外し席の右側、机に立てかけてから席に着いた。
「まずは礼を言わせて頂きたい。この度の依頼の遂行、真にありがたくここに御礼申し上げる」
深々と頭を下げる領主だったが、ここまでは人を便利な殺し屋扱いした張本人という認識だったので私も半ば辟易していた。
「どうぞ頭をお上げ下さい、あの調教師一味……それほどの者だったのですか? 正直なところそれほどでも無かったような……?」
私は嫌味を込めて質問してみた。すると領主は驚きの表情で再び頭を垂れた。
「あの者達を討伐するために三度、討伐隊を組織して送り込みました。魔法使い達は魔法使い殺しに魔法を封じられことごとく殺されました。剣や槍に強い傭兵も雇いましたが今度はやつらの魔獣によってことごとく……我々は三度の討伐すべてを失敗したのです。今度手出しをすれば私の命はないとの脅迫まで受けていたのです。彼らの力であれば私を殺すことなど容易だったでしょう、そこに迅雷の乙女と呼ばれる魔法使いが現われたのです、貴女が光の魔法についての資料を探しているとは噂に聞いていました。貴女ほどの魔法使いならば奴らを……これが最後の機会となるだろうと思いながら依頼させていただいた次第です」
この時、私は自分の勘違いに気が付いた。この領主は光の魔法の情報を私に高値で売ろうとしたのではなく、光の魔法についての情報を求めたことで私が迅雷の乙女と呼ばれる魔法使いに間違いないと確信したのだ。確信してすがるような思いで私に奴らの討伐を依頼したのだ。
なんということだろう……光の魔法を追い求めるあまりに盲目になってしまっていたようだ。光の魔法についての資料は少ない、これだけ探し求めていても得られる情報は古い伝承程度のものがほとんど、詠唱の一部だけでもと思って探しているがまるで見つからない。
よくよく考えてみれば光の魔法に関する伝承を隠したりすることに一般の民衆や領主にとって利益はない。私はどうしてこんなに必死に私に救いを求めた人を疑ってしまったのだろう。己の浅はかさと愚かさを後悔するばかりだ。
「申し訳ありません、私は……勘違いをしていたようです。どうか失礼をお許し下さい」
領主は首を振った。
「貴女がどうであれ私も、そして領民も貴女に救われたのです。私たちには感謝の想いがあるだけです」
「寛大なお言葉です……私自身恥じるばかりです……」
自然に口から出た本心だった。私は本当に自分が恥ずかしい。これ以上何を喋ってよいか分からず、ただ机の上を凝視するだけだった。
二人の間にしばらく沈黙の時間が流れた。領主は領主で話す言葉が見つからないようだ。
「お食事になさりますか」
口を開いたのは執事だ。領主は頷き手を打った。
「そうだな……食事を用意させよう。トーリア様、昼食を召し上がっていってください」
「は……はあ、ありがとうございます……」
申し出そのものは嬉しいのだけれど、昼にはまだ少し早いし、今日は朝食が遅かった上にしっかりと食べてしまったのでまだあまりお腹も空いていない、曖昧に返事を濁らせるのも失礼だし…………
「旦那様、トーリア様はまだ空腹ではないご様子、食事の用意が出来るまでの間、私に剣術の稽古をつけていただいてもよろしゅうございますか」
「私は構わぬが……トーリア様、いかがでしょう」
「え……け、稽古……ですか?」
私は執事を見た、見た感じだけでもかなりの使い手であろうことが窺える。
「でも執事さんもかなりの手練れのように見えますが、私の方が稽古をつけてもらうのでは……?」
「ほっほっほ……貴女のような方にそう言って貰えるとは光栄でありますな。しかし貴女の所作、ちょっとした身のこなし、佇まい、それだけ見れば分かりまする。貴女は私よりも強い。……どうですかな、食事の前の軽い運動なぞ、ちょうど木剣も防具も用意してありますゆえ」
見ると確かに入ってきた扉の横の壁にいくつもの木剣が立てかけてあった。そうだな……少し体動かした方が気分が変わっていいかもしれない。
「そうですね、では……軽くお願いします」
私がそう言うと執事さんは壁の木剣を選び始めた。
「貴女の剣に近いものというと……この、あたりですかな」
柄が両手で握れる片刃の剣を模した木剣を二つ渡してくれた。私は受取り、少し刀身の長い方を選んだ。執事は片手持ちの細剣を手に取った。本来は鋭利な刀身だろうが訓練用に怪我防止のために先が丸くなっている。
「私はこれです、防具はどうされますか?」
執事の示した棚には防具がずらりと並んでいる。執事の剣を見る限りその剣技は斬撃ではなく刺突を目的としたものに違いない。そういう剣技を使う者はたいてい心臓や首を狙ってくるので襟まで保護出来る形の革製の胸当てを選ぶことにした。
「では、その胸当てを」
「こちらですね」
執事は私に胸当てを渡してくれた。
「私は同じく胸当てと手甲を付けさせて頂きます」
執事は私が手首を狙ってくると思ったのだろう、刺突を避けて手首を討つのは定石だもんね。気を使わなくて済むから私にもありがたい。
防具を着けてから私は木剣を何度か振ってみた。反りのない刀身は少しクセが違うし何より木製なので軽すぎる。感じが掴めるまで振り回してみた。
「そろそろ……よろしいですかな?」
「あっ、はい、よろしくお願いします」
奥のテーブルからは領主がこちらをずっと凝視している。そのテーブルから少し離れた広間の中央で私と執事は相対した。
「名乗らせて頂いてもよろしいですかな」
そういえばまだ名を聞いていなかった。
「はい……是非」
執事は胸に木剣を掲げて名乗りを挙げた。
「我が名はジークモンド、岩穿つ雨の名で戦場を駆けたこともございます」
私も名乗りを返させてもらう。
「我が名は魔法使いトーリア、迅雷の……お……おと……おとめ」
動揺のせいか、一番名乗りたくない名がつい口をついて出てしまった。
ジークモンドは剣を突き出して構える。勝負の始まりは互いの切っ先を交わすのが合図、というのがこのあたりの流儀なので私も中段に構えジークモンドの切っ先に交え、『カン』と鈍い音を鳴らした。すかさず私は切っ先を左へずらし出方を探るがジークモンドは退いて間合いを取ったので私も一歩退いて剣を収めた。
ジークモンドは怪訝な顔で尋ねる。
「それは……剣を収めたのでしょうか……?」
「はい、ですがこれも私の構え……お気使いなく」
「ふむ……今打ち込んでも卑怯者ではないということですな」
「もちろんです」
私は右足を大きく踏み出し、深く前傾して抜刀の構えを取る。刀身を相手に見せないこの構えは牽制するにもとても効果が高いしヒノモト流の剣術でいうイアイは今や私の得意技でもあった。
「……なるほど、相手の出方を覗いそれに応じた剣技……というわけですな」
私は返事をせずにやりと笑って見せるだけにした。
ジークモンドは剣を胸に掲げ素早く下へと振ってから構える。……何これ? 瞬時にして伝わる物凄い気迫、滅茶苦茶に本気なのだと分かる。
じりじりと間合いを詰めてくる、ものすごい圧迫感が伝わる。その刺突の瞬間を見逃すまいと私も緊張を高める。
ジークモンドの気迫に満ちた構えも実に優雅であり隙がない、やはりこの男、相当な手練れであることに間違いはない。
気迫に満ちた切っ先が迫る、私は機会を合わせ抜刀に移る。
……あれ? 速い! すかさず体を捻り、なんとか切っ先をかわすと鼻先を掠めていった。
あっぶなっ……今抜いてたらアレを頭に食らってた。
どうにか体勢を立て直し飛び退き間合いを取った。
「様子見は……もうよろしいですかな?」
ジークモンドは構え直した、やはり美しく優雅な構えだ。
なるほど……岩穿つ雨とはよく言ったものだわ、あの刺突をまともに食らってはただでは済まない。今度はこちらからいこう、私はまた深く前傾して構える。
ジークモンドはトーリアの構えに違和感を感じた、しかし己の恐怖がそう感じさせるのだと振り払い少しずつ間合いを詰めていく。
もう一歩……いや半歩、間合いを詰めたら討ちこむべし、そう思った時にトーリアの左足が前にあることに気付いた。先ほどは右足が前にあったと思い返す。
「不覚!」
思った時にはすでに遅かった。応じて放ったジークモンドの突きをくぐり抜け、トーリアはさらに一歩踏み込み横一文字の斬撃が伸びてくる。トーリアの剣はジークモンドの胸を打ち、返し刀で肩から胸を斬り伏せた。
ジークモンドの体は床に叩きつけられる。トーリアはくるりと刀身をひるがえし、納刀する。
奥のテーブルから見ていた領主はトーリアのその一連の動作の美しさに目を奪われ呆然と見ていた。
何とか勝てた、私はそんな思いから大きく息を吐くと転がったまま動かないジークモンドを見た。
「ああっ、ジークモンドさん大丈夫ですかっ? 私、思わず本気になってしまって……」
「はははは、大丈夫です。私でも貴女に本気を出させる程度には戦えたということですかな……光栄なことです」
「そんなこと……ほんとにごめんなさい、立てますか?」
私はジークモンドの手を取った。体を起こすがすぐには立ち上がることは出来なさそうだった。
「少し……このまま休ませてください、しかし変わった剣術ですな。それをいったいどこで?」
「はい……この剣術はヒノモトという遠い東の果てにある国のものです」
「ヒノモトまで修行に行かれたので……?」
「いえ、私はコリーンの魔法学校に行っていました。その時に……」
「なんと、魔法学校で剣術を教えておるのですか」
私は慌てて否定した、これを説明するのは複雑だな……
「いえいえ……ええと、そうですね……あれは十年ほど前になりますか……」
あの頃の記憶をゆっくりと呼び覚ます。
「校長の親友だという魔法使いが学校を訪ねてきたんです、名をローテアウゼンといいしばらくの間私たちに魔法を教えてくれるようになりました。その魔法使いの護衛をしていたのがヒノモトの剣士でした」
ジークモンドは深く頷いた。
「……ほう、ではその剣士が貴女に剣術を……?」
私は頷いた。
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