上 下
10 / 34
第二話 おしどり夫婦のハニークロワッサン

6

しおりを挟む
 声に出したのは光恵だった。
 少女のように頬を染めて、うっとりと目を輝かせている。

「お弟子さんのクロワッサンも、安岐さんと同じくらい美味しくなったわ。これならお店に出しても安心ね。今度は一緒に買いにきましょうよ、康三さん」

「そうだな。今度は寒くない日を選んで来ような」

 店内のスツールに戻ってハニークロワッサンを完食した二人は、おしどり夫婦らしく手を繋いで夜道を帰っていった。

「いいな……。ああいう夫婦」

 四葉もお年頃だ。
 いくつになっても変わらず愛してくれる人との結婚は、単純に憧れである。
 隣に立った由岐を盗み見ると、彼も神妙な顔でこちらを見ていた。

「なっ、なに?」

「別に。暖気が逃げる。さっさと中に入れ」

 素っ気なく言った由岐は、店内に戻って、残る三つのクロワッサンにも蜂蜜糖をかけてペーパーで包んでいく。

「助と賀来にも味見させてくれ。助はジジイの味を知ってるし、賀来は知らないなりに料理上手だろ。意見が欲しい」

「わかった。あとで報告するね」

 それきり会話が途絶えてしまった。
 パンを紙袋に詰めている間の沈黙が痛くて、四葉は適当に会話をしぼりだす。

「康三さんと光恵さん、仲良くて可愛かったね。えっと、由岐くんはフランスで彼女とか出来た? ファビュラスな美女と、お近づきになっちゃったりした?」

「はぁ?」

 由岐の額に血管が浮いた。
 光恵にクロワッサンの感想を言われたときは平然としていたのに。四葉は地雷を踏み抜いたらしい。

「だ、だって! フランスって高貴なお姫様のイメージなんだもん。由岐くんも黙っていれば王子様みたいだから、そういうチャンスはあったんじゃないのって、鈴ちゃんが言ってた!」

「たかが海の向こうにどんな理想を掲げてんだ。こっちは、朝から晩まで修行してたんだぞ。朝なんか三時起き。昼間に少しの仮眠をとって夜の十時まで働くんだ。こんな生活のどこに美女が入ってくんだよ」

「それは……。美女もいなさそうだけど、睡眠時間も行方不明だね?」

「初めのうちは死ぬかと思った。泣いて日本に帰ったら天国のジジイに笑われると思ったら、自分に腹が立って続けられた。生活スケジュールに慣れたから今はもう平気だ。それに、」

 アジア人はモテないんだぞ、と由岐は付け加えて腕を組んだ。

「今度は俺が尋ねる番だ。鈴って誰だ?」

「私のお友達。高校で出会ったの。由岐くんのことを話したら、ベーカリー白鳥のパンを買って登校したいって言ってたよ」

「女子だろうな」

「女子だよ? 極道の娘って噂を真に受けずに、私に話しかけてくれたんだ」

 由岐が店をオープンしたら、真っ先に鈴を連れてくるつもりだ。
 わくわくする四葉を見て、由岐はふっと息を吐いた。

「当分は心配ねえか……。お前には面倒くせえ舎弟もいるしな」

「舎弟なんていないけど」

「迎えに来てるぞ」

 言われて格子戸を見ると、目を血走らせた賀来が張り付いていた。

「賀来さんっ!? 何してるの?」

「迎えに来たんですよ! この不良め、お嬢の門限は夜八時だぞ。いつまで突き合わせとんじゃ、こら!」

「門限なんざ知らねえよ。てめえんとこの組長はてめえで守れや」

 負けず劣らずの口の悪さを披露した由岐は、四葉に紙袋を持たせて背を押した。

「明日は来るのか?」

「もちろんだよ。康三さんの手伝いしにくる。ばいばい、由岐くん」

 それから屋敷に帰るまで、四葉は賀来に何があったのか質問攻めにされた。
 うるさい口を塞ぐために押し込んだハニークロワッサンが好評だったので、由岐への手土産はできたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 令和のはじめ。  めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。  同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。  酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。  休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。  職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。  おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。  庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。

付喪神、子どもを拾う。

真鳥カノ
キャラ文芸
旧題:あやかし父さんのおいしい日和 3/13 書籍1巻刊行しました! 8/18 書籍2巻刊行しました!  【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞】頂きました!皆様のおかげです!ありがとうございます! おいしいは、嬉しい。 おいしいは、温かい。 おいしいは、いとおしい。 料理人であり”あやかし”の「剣」は、ある日痩せこけて瀕死の人間の少女を拾う。 少女にとって、剣の作るご飯はすべてが宝物のようだった。 剣は、そんな少女にもっとご飯を作ってあげたいと思うようになる。 人間に「おいしい」を届けたいと思うあやかし。 あやかしに「おいしい」を教わる人間。 これは、そんな二人が織りなす、心温まるふれあいの物語。 ※この作品はエブリスタにも掲載しております。

着ぐるみ先輩、ちょっといいですか?

こう7
キャラ文芸
丘信濃高校には一つ上の学年に有名な先輩がいる。 その名も通称 着ぐるみ先輩。スカートだからおそらく女性。 動物の顔を模した被り物を装着した先輩。 格好は変でも文武両道の完璧超人。 そんな彼女の所属する写真部は多くの生徒から一癖二癖もある変人共の巣窟と評されている。 一般生徒な俺、芦田 涼も写真部に入っている事でその愉快な仲間の1人にされている。 でも、俺はただ純粋に写真を撮るのが好きなだけの至って普通の男の子。 そんな変人達に絡まれる普通の男の子の日常物語。ではなく、異常に個性の強い人達が無茶苦茶するお話です。

九重波留は、電波にモテる。

渚乃雫
キャラ文芸
電波。 それは電磁波のうち光より周波数が低い、波長の長いものを指す。 はるか昔から、電波は世界に存在し、人類の文明とともに、解析、利用されることが多くなった。 だが、この「電波」には姿形があることを、知っているだろうか。 「電波」を使う時、本当は電波たちの力を借りているのだが、皆は気がついているだろうか。 保護官と呼ばれる彼らの胸元には、1つのピンバッジがある。 そこに刻まれる文字は、【IUCSIG】 国際電波保護連合、International Union for Conservation of SIGNALは通称、IUCSIGと呼ばれ、違法電波の取締や、電波の不正利用、不正搾取、電波帯の不正売買など、人間の手によって正しく扱われずにいる電波達を守るための国際機関である。 彼らの組織の知名度こそは低いものの、日々、起こる事件に保護官達は奔走し、時には激しい攻防戦も繰り広げている。 このお話は、電波の姿形が視えることをきっかけに、保護官となった主人公、九重波留の話。 (※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称・事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません。予めご理解、ご了承ください)

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

処理中です...