可愛い悪魔の飼いならし方

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第一章

正しい悪魔の可愛がり方

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 ザーザーと水音のし始めたバスルームの扉をしばらく凝視して、レイはふうとため息をついた。
 何かあったんだなということは簡単に予想がついたし、ユーゴがそれを隠そうとしているのもわかって、何だろう? と首を傾げる。
 くるりと部屋を見回して、それからチケットを手に持ったままだったのに気づいて備え付けの机の上にそれを置くと、見覚えのない眼鏡がそこにあるのに気づいた。今日買ったのかな? と何気なく手に取って、あっ。と思わず声が出る。

「エリヤさんが作ったやつじゃん…」

 中に込められた魔力と内側に彫られた呪文。間違いないなと確認してそれをそっと元に戻すと、その下の引き出しがほんの少しだけ開いているのに気づいて中を確かめた。

「あーあ……。知らんくて良かったのに」

 中に入っていたのはユーゴの手配書だった。もちろん、こういうものが出回っているのはレイも知っていた。もっと言えば、彼を拾って家に連れ帰ったときに調べて、手配されている人物だということはわかっていた。けれど彼の仕業ではなさそうなことは最初に会話してわかったし、その後上層部にも根回しをして教団や警察にストックされていた手配書は処分させたので、レイの中ではもう済んだこと。だったのだ。
 もちろん、すでに出回ってしまったものもあるから、一緒のときはそういったものがユーゴの目に付かないように、それなりに気は配っていたけれど。
 だからこんなものがまだあったんだ。というのが、正直な感想だ。エリヤに会ったということは、その辺が心配して知らせてくれたのかもしれない。
 やっぱり今日一緒に出発できなかったのは痛かったなぁと、改めて反省する。きっとユーゴのことだから、いらない心配をたくさんしているに違いない。けど。

「このこと内緒にするつもりやったんかな。ゆーちゃん」

 悪い子やなぁと呟きながらレイは脱いだ上着をポイとベッドの上に放ると、シャツも脱いでその上に重ねた。
 それからぐっと全身に力を入れる。
 バサッ! と音を立てて、その肩甲骨から漆黒の翼が生えた。それと同時にプラチナブロンドだった髪も闇の色に染まり、耳の上からは黒曜石に似た角が現れ、瞳も柘榴の色に変わっていく。

「ああー…。もうっ。せっかく今日話そうと思ったのになぁ」

 言いながら自分の黒い羽根を撫でて、レイはまたひとつため息をついた。



 正直レイが話す間でもなく、ユーゴはそのうち気付くだろうと思っていたのだ。
 最初にユーゴを拾ったときにはかなり怯えていたし、もしかしたらそれも演技で何処からか送られた刺客の可能性も捨てきれなかったから、黙っていた。
 それからしばらく調べてみて、本当にただの普通の悪魔だということはわかったけれど、何度となく出て行こうとする素振りを見せていたから、もしそうならユーゴの素性など知らない方が安全だと思って、やっぱり黙っていることにしのだ。
 さすがに深い仲になれば気付くと思っていたのだけれど、角を失っているせいなのか他人との交流がなさすぎたせいか、やっぱりユーゴは気付かなくて。
 それでも普通に考えたら、短時間で魔法陣を敷けたり屍鬼と戦えたり魔物と交わって何の支障もないとか、人間ではあり得ないことばかりなのだけれど。
 ユーゴは賢くて慎重で用心深いくせに、やっぱり何処か抜けている。

「そんなとこが可愛いんやけど」

 ふふっと笑って、それからレイは自分のトランクをパカと開けると、中から箱を取り出した。それをそっと開くと、赤い天鵞絨の生地の上に手のひらほどの、細長い黒い石のようなものが乗っている。

 ユーゴの失くした、角の片方、だ。

 魔物の身体の一部は闇のオークションでよく売買されている。万病に効くと思っている馬鹿な人間がたくさんいるせいだ。その中でも悪魔の角はかなり珍しい。それが最近売りに出されていると聞いたから、四方に手を尽くして手に入れたのだ。
 実際に手にしてみるまでは他人のものかもしれないと思っていた。でも、大丈夫。ちゃんとユーゴの気配がする。これを取りに行っていたせいで、今日はユーゴをひとりにしてしまったのだけれど。

「びっくりするかなぁ」

 角はまだ片方しか見つかっていないけれど、片方だけでも戻ればユーゴはかなり強くなる。ユーゴは非力なことを卑下しているけれど、逆だ。両の角を失って尚、あれだけのことができるのだ。両方揃えば、もしかしたらレイより強いかもしれない。
 そんな想像ができることがもう、楽しくて仕方がなかった。

「早くみんなに紹介したいなぁ」

 みんなの驚く顔を思い浮かべて、レイはふふっと笑った。
 実は、明日レイとユーゴが乗る船も仲間の魔物が経営している。もっと言えば、教団本部の上層部も半数が魔物だ。
 魔物は人間の精気を糧として生きている。そのことわりはどうやっても変えられない。なら、摂取方法を変えたらいいのではないか? 無理に命を奪わなくても、大勢の人間から少しずつ集めればいい。魔物自体、人間と比較すれば個体数は比較にならないほど少ないのだ。だから、例えば教会に集まる人々から少しずつ、船で移動する人々から少しずつ。それと知らせずに集めれば、人間と魔物は敵対せず共存できる。
 そう言ってそんなシステムを考えたのはレイの友人の天使で、今は教団のナンバー2だ。そう遠くない未来に、彼がトップになる。その椅子をレイにという話もあったけれど、派閥争いには向かないからとレイは早々に辞退した。
 その代わり、友人の政敵を排除するためにレイは動いている。彼の重大な秘密を知っていると噂を撒き、その餌に食いついた連中から逆に情報を聞き出す。それがレイのもうひとつの仕事だ。この前の屍鬼たちもそう。聖職者を狙った誘拐犯なんかではない。友人の政敵が寄越した刺客だ。
 正直、今のところこれといった収穫はない。
 誰が送って来ているのかの目星はついているけれど、確実な証拠がないのだ。
 先日の『先生』の件でも思ったことだが、レイは頭に血が上ると途端に自分の感情のコントロールが難しくなる。
 人間は脆い。屍鬼なんてもっと脆い。力加減をちょっと間違っただけで、すぐ、壊してしまう。
 だからユーゴに隣にいて欲しいのだ。ユーゴならきっと自分を上手く制御してくれる。そんな気がする。
 だからユーゴにも祭司になって欲しい。そう思っている。
 でもレイは物事を理路整然と相手に伝えるのが下手だ。なのにユーゴは基本的にマイナス思考で、ふたりで話しても上手く伝わる気がしない。
 なので、教団本部にいる彼に説明を頼んだのだ。そのために本部に行く。

 でも、その前に。

「もうちょっとちゃんと、おれがユーゴのこと好きなの、わかってもらわんと駄目やなぁ」

 だってレイはもう、ユーゴを手放すつもりなんてサラサラないのだ。
 嫌だって言われたってもう離せない。魂に刻まれた名前だって教えてもらってある。それを教えることの意味を、ユーゴは理解していなかったようだけれど。

「まあ、時間はいっぱいあるから」

 レイもユーゴも魔物で悪魔。永劫に近い生を生きる者。レイの愛を伝える時間はありすぎる程にある。長い長い時間をかけて、ゆっくりと教えていけばいい。

 また、ふふっと笑ってレイは手にしていた角入りの箱を元に戻すと、トランクの蓋を閉めた。それからすくっと立ち上がると、角と羽根をしまって元の姿に戻り、スタスタとバスルームに向かうとその扉を開く。
 いきなり開いた扉にビクッと身体を震わせたユーゴに、また口元が緩んだ。

「ねぇ、ゆーちゃん。おれも一緒に入っていい?」
「ええっ!」

 驚いたようにユーゴは抗議の声をあげたけど、当たり前のようにそれを無視してレイはさっさと服を脱ぐと、バスルームの扉をパタンと閉める。
 だって今日一日、ユーゴをひとりにしていたのだ。ちゃんと抱きしめて、褒めて、キスをしてあげないといけない。意図的にではなかったにしろ、そうしないと寂しくなるようにしてしまったのは他でもない、レイなのだから。



 そうしてその夜、夜更かしをすることになったふたりが、翌朝ちゃんと船に乗れたのかは、また、別のお話。
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