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35 出発

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 巡幸の用意は着々と進められ、一ヶ月が経った。
 
 ついに城を出発する日となり、わたしはアレックス王と共に特製の馬車に乗り込む。

 一体どれくらいの期間になるのか。詳しい話は聞かせてもらえず、もしかしたら何ヶ月も戻ってこれないかもしれない。

 不安を拭うように客車の窓から外を覗くと、騎乗したジェシカがこちらに手を振っている。
 その側にはウィリアムやフロストの姿も見えた。
 
 馬車の近くには彼らがいることで少しはほっとした。

「久しぶりに城を離れることが出来るのだ。楽しみではないのか?」

 わたしの落ち着かない様子を見てアレックス王がそう聞いてきた。

「楽しみよりもやはり心配事のほうが多いです。特に陛下になにかあったら……」
「城にいたとて寿命が延びるわけではない。それなら外に出て気晴らしをしたほうが良かろう。余だけでなく、お前もな」
「お気遣いありがとうございます。ですが長い間陛下が不在となる王都も気がかりです」
「政務については今まで通り廷臣どもがうまくやってくれるだろう。王都の守りもグレイソンに任せておけば問題ない」
「あの騎士団長ですか。あのような軽薄な人物に任せて大丈夫なのでしょうか」
「女グセは悪いが、ああ見えて忠誠心には厚い男だ。余が生きているうちはよからぬ野心など抱かんだろう」
「随分と信頼されているのですね」
「余が幼き頃は年の離れた兄のような存在だったからな。身体の弱い余を何かと助けてくれた」

 馬車が動き出した。客車の座席で揺られながら、アレックス王は昔のことを思い出すように語った。

 多くは両親や兄弟についてのことだった。
 身体はアレックス王と同じく病弱であったが、性格については皆、温厚だったという。

「余だけが狩りや戦に興味を持っていたからな。無理をして熱を出し、叱られることも多かった」
「お優しいのはあなたも同じでしょう。それに戦だけでなく、学問や文化にも興味を持っておられる」

 アレックス王の部屋にあるたくさんの書物。
 軍記物や兵法書はたしかに多いが、歴史書や各国の文化、風習に関わる物もあった。

「そうだな……病にかからず、王族でもなければ大陸中や海を越えた土地を旅してみたかったというのはある」
「ならば今回の巡幸でダラムのあちこちは回れますね。病さえ克服すれば、大陸中や海の向こうの国にだって行けます」
「ふ、それは楽しみだな。お前といるとそれも出来そうな気がするから不思議だ」

 アレックス王は穏やかな顔で笑った。
 家臣や兵たちの前では見せない顔。
 
 いつかハノーヴァーからの脅威も無くなり、真の平和が訪れたら──わたし以外の人々の前でもこういう顔をしてくれるのだろうか。



 馬車の中で雑談しながら過ごす。
 少し前なら考えられない状況だ。以前のように険悪な仲なら、この巡幸も無かったかもしれない。

「城下の民たちだ。手を振って応えてやれ」

 馬車はまずゆっくりと王都を回っている。
 大きく作られた馬車の窓から民たちの顔までがはっきりと見えた。

 以前の出陣式のように道の脇に並び、盛大にわたしたちに拍手や歓声を送ってくれている。

「みんな良い笑顔ですね。恐ろしい噂のあるあなたですが、王都の民たちはあなたを慕っているように見えます」
「いや、それはお前に向けているものだろう。咎人の儀以降、庶民からの人気がかなりあるらしいぞ」
「いえ、民たちはあなたの治世には満足していると思います。軍拡を押し進めているのに無理な徴兵や増税は行っていません。他国のように奴隷を使った使役や貿易も禁止している」
「……長い目で見れば国を統治するにはそれが最善だと判断しただけだ。余がやっている事はお前の言う仁愛などではないぞ」

 アレックス王はそう言っているが、民からの歓声の中には彼を讃える声もたしかに聞こえた。
 
 わたしのように窓から手を振ることはなくムスッとした顔で座っていたけれど、満更でもない様子だった。

 王都の主だった場所をまわり、そこから郊外、そして王都の外へ。

 ここからの日程は知らされていないが、おそらくはダラムの主要都市を回るのだろう。
 わたしはアレックス王の体調だけでなく、心配なことは他にもあった。

「陛下、護衛の兵が少なすぎではありませんか? いくらダラム国内でもこの数は」

 過去の例をよく知っているわけではないが、王の巡幸ともなれば数千から万単位の兵を引き連れて移動するはず。
 各地の様子を見るだけでなく、大陸の覇者としての威光を見せつける目的もあるはずだった。

 だけど馬車を囲む兵の数は多くて五百程。
 ロージアン残党の襲撃があったことも考えれば、これは少なすぎる気がした。
 
「これで十分だ。騎士団の中でも精鋭を揃えてある。たとえ十倍の数が相手でも引けを取るまいよ」

 アレックス王は一笑に付し、それ以上護衛については触れなかった。
 わたしも気ががりではあったけれど、もしかしたら別働隊が離れた位置から付いてくるのてはないかとそれ以上は聞かなかった。
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