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0 彼の回顧
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――幼なじみが歩道橋から落ちて亡くなったと聞いたのは、彼女が死んだ翌日のことだった。後頭部を強く打ち付けての即死だったらしい。
最近はあんまり話せてなかったけど、幼稚園のころからずっと好きだった幼なじみだった。その気持ちは、中学に上がっても変わりはなかったけど――年齢が上がるにつれて疎遠になっていって、グループも違って、昔みたいに気軽に話せない空気になってたんだ。
……葬式で、白木の棺の中に入れられた彼女は、まるでただ眠っているだけのように見えた。斎場に響くすすり泣きも、なんだか現実感がなくて。
オレは、葬式がつつがなく終わりあいつが小さな骨になっても、何事も無かったかのように日常が再開しても、ぼんやりと日々を過ごした。もともとあいつとの会話が組み込まれていなかった日々は、変わらず過ぎていった。
「ごめん。僕があのあとも彼女についてあげられてたら……。」
葬式が終わった翌日、佐古は泣くのをこらえるような顔でオレにそう言った。
――あいつのことは好きだったけど、オレはその時すでに失恋していた。そう、あいつはオレの親友といい感じだったんだ。
あいつが死んだ日も、親友……佐古とひなは一緒に出かけていた。勉強会をするために歩道橋の近くにあるカフェに行って、店を出て、そのまま解散したらしい。彼女におかしな様子はなかったから、そのまま解散したんだという。
一緒にいてあげていたら何か違ったのかも、と苦しそうに言う佐古に、お前のせいじゃねーよ、となぐさめた。佐古だってあいつのことが好きだったんだから、きっとつらいだろうと、そう思って。
『蒼。僕、宮野さんのことが好きになってさ。笑顔がかわいいよね。二人、幼なじみだったよね? 宮野さんのこと、教えてくれない?』
『宮野さん、蒼のことが好きなんだ……。そっか、じゃあ僕はあきらめた方がいいのかな……。でも、好きなんだよなあ……。』
佐古は親友だ。
辛そうにそう言われれば、オレもあいつが好きなんだ、とはとても言えなかった。
だからあいつのことをいろいろ教えたし、アドバイスもした。心が傷つく音がしたような気がしたけど、それでも。
……あいつだって、こんな愛想もなくて、グループが違くなったってだけで話しかけることもしなくなったやつよりも、優しくて人当たりがいい佐古の方がいいはずだって、無理やり自分を納得させて。
『ずっと前から好きでした。蒼がもしよければ、私と付き合ってほしいです。』
――でも。
あいつからそんな手紙が来た時には、心底嬉しかった。本当だ。
今どき古風な告白方法は、スマホのメッセージで告白する手軽さを選ばない生真面目なところと、直接言えない内気なところがあるあいつらしかった。やっぱりそんなところも好きで、思わず佐古のことも忘れて返事をしそうになったほど。
……手紙を見つけた時、佐古が一緒にいなかったら、オレはきっとOKの電話をあいつに掛けていただろうと思う。
『それ、宮野さんからの?』
そう、オレに尋ねたときの佐古は、どんな顔をしていたのか、わからない。
――裏切りもの。
声の裏で、そう、オレを冷たくののしる声が聞こえて。頭が真っ白になって、それで、
気がつけば、
『親しくもないやつからこんなんもらったって、気持ち悪いだけじゃん。』
……ああ。
ひな。
あのことについて、謝ってなかったな。
あれは違うんだ。頭が真っ白になってた。酷いこと言ってごめん。オレが臆病だったから、友達を裏切るのが、裏切りものって責められるのが怖くて、お前の気持ちから逃げたんだ。
傷つけたよな。
ごめんな。……ごめん。
(そうか、もう、)
――謝ることすらできないのか。
そのことにようやく気がついたのは、彼女が死んで、通夜と葬式が終わって、二日も経った日のことだった。
……佐古はその一週間後には、クラスメイトの久保と付き合っていた。ただ、あいつが死ぬまで明るくて華やかだったはずの久保は、彼氏のはずの佐古といると、なぜかつねに青い顔をしていた。
*
好きだった子が死んで、心の大切な部分がぽっかり空いたオレのもとに刑事が現れたのは、彼女が死んだということを正しく認識してから間もなくのことだった。
中年くらいの所轄の刑事は、念のため、事故以外の可能性を調べているのだと言った。オレははじめてそこで、彼女の事故死が地方新聞の小さな記事になっていることを知った。
(……あいつの死って、世間ではこんな小さい記事でポツンと知らされるようなもんなんだな。)
そんなことを思って、勝手にむなしくなって。
でも、あいつを傷つけて謝ることもできなかったオレが言うことじゃないって、そう思って。
――でも、そうか。
もしかしたらあいつは、事故死じゃなかったのかもしれないのか。
事故でなければ自殺か、他殺か。デートの直後に自殺は考えにくい。そもそもあいつは佐古とうまくいきそうだったんだ。だったら他殺か。それなら犯人がいるはずだ。誰かなにか、見ていないか――。
……オレはそれから、情報収集に走った。
あいつのためでもあったが、オレ自身のためでもあった。何かに必死になることで、悲しみを吹き飛ばしたかったんだと思う。
それにもし、あいつが殺されたのだとしたら――絶対、犯人を許せないと思った。
……けれど、あいつの『事件』の捜査が終わるのは、案外すぐのことだった。結局、慣れないヒールで階段を下りたから、転んだんだろうと。
それでもオレはあきらめきれなかった。
一年、二年、三年経って、高校生になっても、情報収集はやめなかった。あの日のことを目撃した人がいないか探し続けた。……それはまさしく執念だった。
そして奔走の末、当時の野次馬の男を見つけて、現場から走り去る若い女がいたことを知った。男はその女の容姿こそうろ覚えだったが、その女があまりのおびえ様で、さらに逃げ出すように走っていったので、怪しいと思っていたそうだ。
ノートに記事を貼った。忘れないように。
調査の結果を、書き残した。シャーペンを握る手にはいやに力が入ってしまったけど。
決意表明を書いた。あいつが殺されたなら犯人を見つけ出してやる。
文字列を見ていたら涙が出てきた。零れた涙が、ノートを湿らせた。
こんなことをしても、あいつは戻ってこないのに――。
――そして、その日がやってきた。
その日オレは『走り去った女』を探すために、探偵に依頼をしようと考え、出かけていた。
依頼料が必要だと思ったので、財布には多めの現金を。依頼内容を説明するのに必要だと思ったので、スクラップノートを。そして、あいつに似合いそうだと思ってつい買ってしまった、リップを。……それぞれカバンに突っ込んで、家を出た。
(犯人を見つけて、)
もし、見つかったとして。
(オレは……どうしたいんだろう?)
無意味なんじゃないか、何もかも。
ぼんやりとそんなことを考えていると、いつの間にかあいつが落ちて死んだ歩道橋の階段に差し掛かっていた。
(あいつ、ここから落ちたんだよな……。)
高いところが苦手なわけじゃなかったはずだけど、怖かっただろうな。
――そして、そう考えたその瞬間だった。
ぐわりと、強い風が吹いた。
そして、風にあおられて、身体が傾いた。バランスを崩し、下に向かって、落ちて、
(あれ、オレ……死ぬ?)
そう思って――しかし。
次の瞬間には、オレはなぜか公園にいた。昔、あいつと遊んだ児童公園に、馬鹿みたいに突っ立っていた。
そうして見つけたのだ。
――ベンチで一人で泣いている、記憶のままの彼女を。
なあ、泣かないで。オレがそばにいるから。今度こそ死なせたりしないから。
「そんなにこすると、目ェ赤くなるよ。」
……なあ、ひな。頼むから。
*
――どうやらタイムスリップをしたらしい。
ひなに声をかけておきながら、その実これはなんの冗談なんだと思っていたが、そこは間違いなく三年前だったし、なりゆきでひなの家に居候することになったし、ましてや願望から来る夢でもなかった。そしてオレはちゃっかり、そっくり従兄の『篠崎茜』を名乗ってしまった。変なところ要領いいから、オレ。
いつだったかひなに『料理を教えてほしい』と言ったことをふと思い出して、気まぐれに料理を覚えてみた甲斐があった。
それから中学の頃には言えなかった『可愛い』をいっぱい言って、ひなは律儀に照れてみせた。蒼にそっくりだから、といって、顔を赤くするんだ。……ああ、ほんと可愛い。
なんで昔のオレはとっとと告白して彼女にしなかったんだろ。佐古にエンリョして、ほんとバカみたいだ。……いや、オレがただひよってただけか。
――だが、なんにせよこれはチャンスだ。無論、ひなを助けるための。
何も難しいことはない。彼女を死なせないためにはエックスデーの一日、家から出さなければいい。その日が来るまで、大人しくしていればいい。
……そう思ってたけど、やっぱりビビリの昔のオレにはむかついたし、ろくに謝ることも弁解もできずに嫉妬だけは一人前であることに腹が立ってケンカを売ってしまった。佐古とひなが仲良くするのも、今となっては受け入れられなかった。
……それに、今になって考えてみると、佐古の行動にはいろいろおかしいところが多かった。
ひなのことを好きだという割には、佐古は彼女の立場を考えていない。佐古は頭がいいのに、気を使うべきところを疎かにしているように思えた。なんだか怪しくて、強く牽制をした。
……そうしたら、自分が『篠崎茜』でないことがバレた。
まさか、茜が死んでいたなんて。そんなこと、全然知らなかった。
いやそれよりも、まずい。ひなが出かけてしまった。止められなかった。
このままじゃまた、あいつを死なせてしまう!
――ぶわり。
そう思った瞬間、屋内であるはずなのにどこからか強い風が吹いた。オレがこの時代に来た時に浴びたような、そんな風。
……そして、得体の知れない『何か』に、身体を引っ張られる感覚。
意識に、霞がかかっていく。急激に体力が奪われる。
(まさか、戻れ……ってことか⁉ 元の時代に⁉)
さっ、と血の気が引いた。
ふざけるな。こんなところで、こんなタイミングで、元の時代に戻ってたまるか。オレはまだ何もなせていない。あいつを救えていない。
――だけど、このままひなや佐古を探し回れるような余裕は多分ない。
なら。
オレは弾かれるように家を出た。少し走るだけで息が上がり、目の前が真っ白になりかけたが、それでも足を止めない。
そして、辿りついたのは――『我が家』。
「蒼! ……篠崎蒼! いるか!」
「はあ? 誰だよいきなり……って、『茜』⁉」
かつてのオレは、オレを見るなり険しい顔になった。当然だろう。『茜』が茜でないとはじめに気づいたのは蒼なんだから。
けど、議論している暇はない。
オレには時間がないんだ。早くしないと。
「聞け。いいか、ひなを助けろ。このままじゃあいつの命が危ない!」
「は、意味わかんねーよ、いきなり何言ってんだよお前、」
「……オレには昔からずっと好きなやつがいた。内気だけど笑顔が可愛いやつだ。でもオレのせいで傷つけて……オレはあいつに謝れないまま、あいつを亡くした。」
「っ、だから! さっきから何の話を、」
「――友達に気を使ってひよって、あいつのくれた手紙を無下にして、傷つけて、でもその友達とくっつけば幸せなはずだからって自分に言い訳して! 何も言えないまま、誤解を解けないまま、あいつは死んだ!」
蒼が、顔色を変えた。
はくり、と、息を呑んだのがわかった。
しかしそれを気にしている時間はない。オレは持ってきたノートを、過去のオレに押し付けるようにして渡した。
「全てはこのノートに書いてある。多分夕方だ、『今日の』夕方にあの事件は起きた。」
なあ頼む。もう二度と後悔したくないんだ。
あいつのいない世界で、これからもずっと普通に生きていく自分を想像するだけで吐きそうになった。
あいつがいなくても世界は回る。日常も回る。それでも、オレはあいつに生きていてほしい……いや、一緒に生きていきたい。もう一度あいつの声が聞きたい。笑顔が見たい。
――だから、このノートはそう願い続けたオレの軌跡で、
このタイムスリップは、その願いを叶えるために世界が、そしてひなが与えてくれた、
「たった一度の、奇跡なんだ……!」
視界がいよいよ白くなる。目の前にいる蒼の顔がよく見えない。
立っていられなくて、その場に座り込む。
「お、おい、大丈夫かよ?」
「大丈夫だ、気にしなくていい。」
「なあ、お前、お前ってまさか――」
「っ、行け!」
怒鳴りつける。
もうお前しかいないんだ。お前ならまだ間に合う。
そうだ、お前は間に合わなかったオレとは違う。お前なら!
蒼が走り出す。足音が遠くなる。
それにホッとしたのと同時、意識が一気に遠のいた。
(……頼む、蒼……。)
その場に倒れ込み、そして、
――強い風が、吹く。
最近はあんまり話せてなかったけど、幼稚園のころからずっと好きだった幼なじみだった。その気持ちは、中学に上がっても変わりはなかったけど――年齢が上がるにつれて疎遠になっていって、グループも違って、昔みたいに気軽に話せない空気になってたんだ。
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オレは、葬式がつつがなく終わりあいつが小さな骨になっても、何事も無かったかのように日常が再開しても、ぼんやりと日々を過ごした。もともとあいつとの会話が組み込まれていなかった日々は、変わらず過ぎていった。
「ごめん。僕があのあとも彼女についてあげられてたら……。」
葬式が終わった翌日、佐古は泣くのをこらえるような顔でオレにそう言った。
――あいつのことは好きだったけど、オレはその時すでに失恋していた。そう、あいつはオレの親友といい感じだったんだ。
あいつが死んだ日も、親友……佐古とひなは一緒に出かけていた。勉強会をするために歩道橋の近くにあるカフェに行って、店を出て、そのまま解散したらしい。彼女におかしな様子はなかったから、そのまま解散したんだという。
一緒にいてあげていたら何か違ったのかも、と苦しそうに言う佐古に、お前のせいじゃねーよ、となぐさめた。佐古だってあいつのことが好きだったんだから、きっとつらいだろうと、そう思って。
『蒼。僕、宮野さんのことが好きになってさ。笑顔がかわいいよね。二人、幼なじみだったよね? 宮野さんのこと、教えてくれない?』
『宮野さん、蒼のことが好きなんだ……。そっか、じゃあ僕はあきらめた方がいいのかな……。でも、好きなんだよなあ……。』
佐古は親友だ。
辛そうにそう言われれば、オレもあいつが好きなんだ、とはとても言えなかった。
だからあいつのことをいろいろ教えたし、アドバイスもした。心が傷つく音がしたような気がしたけど、それでも。
……あいつだって、こんな愛想もなくて、グループが違くなったってだけで話しかけることもしなくなったやつよりも、優しくて人当たりがいい佐古の方がいいはずだって、無理やり自分を納得させて。
『ずっと前から好きでした。蒼がもしよければ、私と付き合ってほしいです。』
――でも。
あいつからそんな手紙が来た時には、心底嬉しかった。本当だ。
今どき古風な告白方法は、スマホのメッセージで告白する手軽さを選ばない生真面目なところと、直接言えない内気なところがあるあいつらしかった。やっぱりそんなところも好きで、思わず佐古のことも忘れて返事をしそうになったほど。
……手紙を見つけた時、佐古が一緒にいなかったら、オレはきっとOKの電話をあいつに掛けていただろうと思う。
『それ、宮野さんからの?』
そう、オレに尋ねたときの佐古は、どんな顔をしていたのか、わからない。
――裏切りもの。
声の裏で、そう、オレを冷たくののしる声が聞こえて。頭が真っ白になって、それで、
気がつけば、
『親しくもないやつからこんなんもらったって、気持ち悪いだけじゃん。』
……ああ。
ひな。
あのことについて、謝ってなかったな。
あれは違うんだ。頭が真っ白になってた。酷いこと言ってごめん。オレが臆病だったから、友達を裏切るのが、裏切りものって責められるのが怖くて、お前の気持ちから逃げたんだ。
傷つけたよな。
ごめんな。……ごめん。
(そうか、もう、)
――謝ることすらできないのか。
そのことにようやく気がついたのは、彼女が死んで、通夜と葬式が終わって、二日も経った日のことだった。
……佐古はその一週間後には、クラスメイトの久保と付き合っていた。ただ、あいつが死ぬまで明るくて華やかだったはずの久保は、彼氏のはずの佐古といると、なぜかつねに青い顔をしていた。
*
好きだった子が死んで、心の大切な部分がぽっかり空いたオレのもとに刑事が現れたのは、彼女が死んだということを正しく認識してから間もなくのことだった。
中年くらいの所轄の刑事は、念のため、事故以外の可能性を調べているのだと言った。オレははじめてそこで、彼女の事故死が地方新聞の小さな記事になっていることを知った。
(……あいつの死って、世間ではこんな小さい記事でポツンと知らされるようなもんなんだな。)
そんなことを思って、勝手にむなしくなって。
でも、あいつを傷つけて謝ることもできなかったオレが言うことじゃないって、そう思って。
――でも、そうか。
もしかしたらあいつは、事故死じゃなかったのかもしれないのか。
事故でなければ自殺か、他殺か。デートの直後に自殺は考えにくい。そもそもあいつは佐古とうまくいきそうだったんだ。だったら他殺か。それなら犯人がいるはずだ。誰かなにか、見ていないか――。
……オレはそれから、情報収集に走った。
あいつのためでもあったが、オレ自身のためでもあった。何かに必死になることで、悲しみを吹き飛ばしたかったんだと思う。
それにもし、あいつが殺されたのだとしたら――絶対、犯人を許せないと思った。
……けれど、あいつの『事件』の捜査が終わるのは、案外すぐのことだった。結局、慣れないヒールで階段を下りたから、転んだんだろうと。
それでもオレはあきらめきれなかった。
一年、二年、三年経って、高校生になっても、情報収集はやめなかった。あの日のことを目撃した人がいないか探し続けた。……それはまさしく執念だった。
そして奔走の末、当時の野次馬の男を見つけて、現場から走り去る若い女がいたことを知った。男はその女の容姿こそうろ覚えだったが、その女があまりのおびえ様で、さらに逃げ出すように走っていったので、怪しいと思っていたそうだ。
ノートに記事を貼った。忘れないように。
調査の結果を、書き残した。シャーペンを握る手にはいやに力が入ってしまったけど。
決意表明を書いた。あいつが殺されたなら犯人を見つけ出してやる。
文字列を見ていたら涙が出てきた。零れた涙が、ノートを湿らせた。
こんなことをしても、あいつは戻ってこないのに――。
――そして、その日がやってきた。
その日オレは『走り去った女』を探すために、探偵に依頼をしようと考え、出かけていた。
依頼料が必要だと思ったので、財布には多めの現金を。依頼内容を説明するのに必要だと思ったので、スクラップノートを。そして、あいつに似合いそうだと思ってつい買ってしまった、リップを。……それぞれカバンに突っ込んで、家を出た。
(犯人を見つけて、)
もし、見つかったとして。
(オレは……どうしたいんだろう?)
無意味なんじゃないか、何もかも。
ぼんやりとそんなことを考えていると、いつの間にかあいつが落ちて死んだ歩道橋の階段に差し掛かっていた。
(あいつ、ここから落ちたんだよな……。)
高いところが苦手なわけじゃなかったはずだけど、怖かっただろうな。
――そして、そう考えたその瞬間だった。
ぐわりと、強い風が吹いた。
そして、風にあおられて、身体が傾いた。バランスを崩し、下に向かって、落ちて、
(あれ、オレ……死ぬ?)
そう思って――しかし。
次の瞬間には、オレはなぜか公園にいた。昔、あいつと遊んだ児童公園に、馬鹿みたいに突っ立っていた。
そうして見つけたのだ。
――ベンチで一人で泣いている、記憶のままの彼女を。
なあ、泣かないで。オレがそばにいるから。今度こそ死なせたりしないから。
「そんなにこすると、目ェ赤くなるよ。」
……なあ、ひな。頼むから。
*
――どうやらタイムスリップをしたらしい。
ひなに声をかけておきながら、その実これはなんの冗談なんだと思っていたが、そこは間違いなく三年前だったし、なりゆきでひなの家に居候することになったし、ましてや願望から来る夢でもなかった。そしてオレはちゃっかり、そっくり従兄の『篠崎茜』を名乗ってしまった。変なところ要領いいから、オレ。
いつだったかひなに『料理を教えてほしい』と言ったことをふと思い出して、気まぐれに料理を覚えてみた甲斐があった。
それから中学の頃には言えなかった『可愛い』をいっぱい言って、ひなは律儀に照れてみせた。蒼にそっくりだから、といって、顔を赤くするんだ。……ああ、ほんと可愛い。
なんで昔のオレはとっとと告白して彼女にしなかったんだろ。佐古にエンリョして、ほんとバカみたいだ。……いや、オレがただひよってただけか。
――だが、なんにせよこれはチャンスだ。無論、ひなを助けるための。
何も難しいことはない。彼女を死なせないためにはエックスデーの一日、家から出さなければいい。その日が来るまで、大人しくしていればいい。
……そう思ってたけど、やっぱりビビリの昔のオレにはむかついたし、ろくに謝ることも弁解もできずに嫉妬だけは一人前であることに腹が立ってケンカを売ってしまった。佐古とひなが仲良くするのも、今となっては受け入れられなかった。
……それに、今になって考えてみると、佐古の行動にはいろいろおかしいところが多かった。
ひなのことを好きだという割には、佐古は彼女の立場を考えていない。佐古は頭がいいのに、気を使うべきところを疎かにしているように思えた。なんだか怪しくて、強く牽制をした。
……そうしたら、自分が『篠崎茜』でないことがバレた。
まさか、茜が死んでいたなんて。そんなこと、全然知らなかった。
いやそれよりも、まずい。ひなが出かけてしまった。止められなかった。
このままじゃまた、あいつを死なせてしまう!
――ぶわり。
そう思った瞬間、屋内であるはずなのにどこからか強い風が吹いた。オレがこの時代に来た時に浴びたような、そんな風。
……そして、得体の知れない『何か』に、身体を引っ張られる感覚。
意識に、霞がかかっていく。急激に体力が奪われる。
(まさか、戻れ……ってことか⁉ 元の時代に⁉)
さっ、と血の気が引いた。
ふざけるな。こんなところで、こんなタイミングで、元の時代に戻ってたまるか。オレはまだ何もなせていない。あいつを救えていない。
――だけど、このままひなや佐古を探し回れるような余裕は多分ない。
なら。
オレは弾かれるように家を出た。少し走るだけで息が上がり、目の前が真っ白になりかけたが、それでも足を止めない。
そして、辿りついたのは――『我が家』。
「蒼! ……篠崎蒼! いるか!」
「はあ? 誰だよいきなり……って、『茜』⁉」
かつてのオレは、オレを見るなり険しい顔になった。当然だろう。『茜』が茜でないとはじめに気づいたのは蒼なんだから。
けど、議論している暇はない。
オレには時間がないんだ。早くしないと。
「聞け。いいか、ひなを助けろ。このままじゃあいつの命が危ない!」
「は、意味わかんねーよ、いきなり何言ってんだよお前、」
「……オレには昔からずっと好きなやつがいた。内気だけど笑顔が可愛いやつだ。でもオレのせいで傷つけて……オレはあいつに謝れないまま、あいつを亡くした。」
「っ、だから! さっきから何の話を、」
「――友達に気を使ってひよって、あいつのくれた手紙を無下にして、傷つけて、でもその友達とくっつけば幸せなはずだからって自分に言い訳して! 何も言えないまま、誤解を解けないまま、あいつは死んだ!」
蒼が、顔色を変えた。
はくり、と、息を呑んだのがわかった。
しかしそれを気にしている時間はない。オレは持ってきたノートを、過去のオレに押し付けるようにして渡した。
「全てはこのノートに書いてある。多分夕方だ、『今日の』夕方にあの事件は起きた。」
なあ頼む。もう二度と後悔したくないんだ。
あいつのいない世界で、これからもずっと普通に生きていく自分を想像するだけで吐きそうになった。
あいつがいなくても世界は回る。日常も回る。それでも、オレはあいつに生きていてほしい……いや、一緒に生きていきたい。もう一度あいつの声が聞きたい。笑顔が見たい。
――だから、このノートはそう願い続けたオレの軌跡で、
このタイムスリップは、その願いを叶えるために世界が、そしてひなが与えてくれた、
「たった一度の、奇跡なんだ……!」
視界がいよいよ白くなる。目の前にいる蒼の顔がよく見えない。
立っていられなくて、その場に座り込む。
「お、おい、大丈夫かよ?」
「大丈夫だ、気にしなくていい。」
「なあ、お前、お前ってまさか――」
「っ、行け!」
怒鳴りつける。
もうお前しかいないんだ。お前ならまだ間に合う。
そうだ、お前は間に合わなかったオレとは違う。お前なら!
蒼が走り出す。足音が遠くなる。
それにホッとしたのと同時、意識が一気に遠のいた。
(……頼む、蒼……。)
その場に倒れ込み、そして、
――強い風が、吹く。
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