たった一度の、キセキ。

雨音

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13 茜くんの隠し事1

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 ――茜くんがうちにやってきてから、約二週間が経った。
 今週は特にこれといった用事もなく、すべきことといえば一週間後にやってくる期末テストの準備くらいである。……そう、高校一発目の期末テストだ。
ただ、『準備くらい』とはいっても、期末テストの勉強には、スケジューリングから実際の勉強まで、けっこうな労力がいる。通常の五教科に美術・音楽・情報などなどの副教科が追加され、とても直前勉強じゃ間に合わないような強化の量になっているのだ。しかも中学時代と違って、理科は化学基礎・物理基礎・生物基礎に、社会は歴史・地理などなどに分かれる。
……私は、今こそ塾には行ってないけれど、このテストの成績次第では塾を探すとお母さんと約束をしている。ので、期末はけっして知らないふりはできないイベントなのである。
 でも、私には強い味方ができた。――茜くんだ。
 頭脳明晰な高校生である茜くんがいれば、きっとこのテストも乗り切れるはずだ――、


(……なんて、つい数日前までは思ってたんだけどなあ。)
 金曜日の放課後。
図書室でひとり参考書をめくりながら、軽く項垂れる。
――茜くんとは、あの直樹くんとの一件があってから、微妙に気まずい。
お互い表面上はふつうだけど(とはいえ、理子いわく私は顔や態度に出るらしいので、ちゃんとふつうにできているかどうかは微妙なところだ)、なんとなくよそよそしくなってしまっている。
なかなか気軽に「勉強教えて!」と頼める雰囲気じゃなくなってしまった。理子と一緒に勉強するのもいいなと私は思うけど、彼女は勉強は一人で集中したい派だ。
……いや、そもそも他人を当てにするなという話だけど……テストがなくたって、茜くんと気安く話がしにくくなったのはふつうにへこむ。
(茜くん、どうして直樹くんのこと、警戒してたんだろ?)
 彼はいい人だ。優しいし気が遣えるし、穏やかで明るい。
 茜くんに好きな人がいるとわかる前なら、「もしかして嫉妬?」なんて思ったりしたかもしれないけど、彼に限ってそれはないということを、私は知っている。
(でも、あの一件があってから直樹くん、あんまりグイグイ来たりはしなくなったから、心は穏やかでいられるけど……。)
 恋愛初心者の私にとって、イケメン男子のアピールはとっても心臓に悪かったから、ちょっとほっとしたりしている。特段親しいというわけでもないが、割と仲がいい、くらいの距離感が心地よい。
それに、あのあと、久保さんたちから何か言われることもなくなった。彼女たちにとってはこのくらいの親しさなら許容範囲なのかもしれない。……まあ、一緒にいたらちょっと睨まれたりはするんだけど。
(そういえば……。)
 私は手元にあるデジタル時計の、日付の表示を見る。
 ……茜くんとデートをした土曜日から、およそ一週間が経とうとしている。
 つまり、あの新聞の日付になるまで、あと三日ということだ。
 自分とその周りのことでいっぱいいっぱいで忘れかけてたけど、茜くんの好きだった女の子の命日まで、もう少しだ。
(それにしても茜くん、特に何をするってわけでもなさそうだったような……。)
 気まずい雰囲気になっちゃったのもあって、あんまり注意して彼の態度を観察していたわけじゃないけど……あからさまに焦った様子とか、切羽詰まってる様子はなかった気がする。
 命日に合わせて、改めて現場に調べに来たってわけじゃなかったのかな?
 本当にただの家出で、ノートを持ってきたのはあれが大切だったからってだけ?
「うーん……。」
「どうかした?」
「うん、ちょっと……って、うわっ⁉ 直樹くん⁉」
 気がつけばすぐそばに直樹くんの顔があり、私はイスごとその場を飛び退いた。
 素っ頓狂な声が広くない図書室全体に響き、司書さんが眉をしかめたのが見えた。
「そんなに驚かなくてもよくない?」
「ま、まず驚かせないでくれると嬉しいんだけど……。ここ図書室だよ……。」
 顔のすぐ横にイケメンの顔、心臓に悪すぎる。
 一瞬でドッと疲れてそう言うと、直樹くんは苦笑して「ごめんごめん。」と頭をかく。
「でもなんか、悩んでるみたいだったからさ。どうしたのか気になって。」
「あ、あー……。」
 うなり声、声に出てたのか。恥ずかしい。
「な、なんでもないよ! ただ、勉強でわからないところがあって、それで悩んでただけ!」
「ああ、数学の問題?」
 直樹くんが、私の手元を覗き込む。閲覧スペースの机に広げられているのは、数学の参考書とノートだった。
 うなっていたのは別件だけど、数学の問題でもつまづいていたので、私はうなずいた。
「えっと、そうなんだよね。この応用問題がいまだにうまく解けなくて……。」
「ああ、これね。僕もあんまり好きじゃないけど、コツはわかるよ。」
「え、ほんと⁉ あの、聞いたら教えてくれたり……?」
「あはは、もちろん。」
 ほがらかにうなずいた直樹くんが、解説を指さしながらコツを教えてくれる。
 ふむふむ頷きながらメモをして、実際に類似問題を解いてみて、解答と自分の答えを照らし合わせてみる。
 それがきちんと合致していたのを確認して、私は思わず「やった!」と声を上げた。
 うーん、直樹くん、すごい。やっぱり、頭いいんだなあ。
「ありがとう、直樹くん。さすがだね!」
「そんなことないって。成績は蒼の頬がいつもいいしさ。」
 改めて感心してほめると、直樹くんの表情が、ふと暗くなった気がした。
 彼の陰った顔を見るのははじめてで、私は一瞬、息を呑む。
「あれ、そうだっけ? ごめん、二人とも成績がいいのは知ってたんだけど。」
「うん。……僕は塾に行ってて、蒼は行ってない――しかも運動部の中でも活動日が多いサッカー部でバリバリ活躍までしてるのに、蒼の方が勉強までできる。まったく、天は二物を与えないって、絶対嘘だよなあ。」
「ああ……たしかに。蒼、昔から要領いいから……。」
 おどけるように肩をすくめてみせる直樹くんに、苦笑する。そう、蒼はわりと天才肌だ。努力なしでなんでもできそうなイメージは、私にもある。
 彼の言う通り、天は二物でも三物でも与えるものだ――でも、蒼は意地っ張りなところがあるから、陰で努力をしてるのかもしれないけど。
「でも、蒼は天才肌だから、人にものを教えるのってあんまり上手くないと思うよ。デリカシーもあんまりないから、わからないところを質問しても、『なんでわからないのかわからない』って本気で言ったりする。」
「い、言いそう……というか、やけに詳しい想像じゃない?」
「経験談なので……。」
 まだ蒼と距離が開いていなかった、小学校高学年のころのことだ。蒼は解説を聞いても首をひねる私に、『なんでわかんないんだ?』って本気で不思議そうだった。
「あはは、なるほどなあ。それならたしかに詳細なイメージになるわけだ。」
「だから、教え方は断然直樹くんの頬が上手! あと、ふつうに教え方も蒼より優しい。」
「不器用なとこあるし、話し方もわりとぶっきらぼうだもんね、あいつ。」
「そうそう。」
 そっくりな顔立ちなのに、茜くんは勉強の教え方もうまいし、優しいけど。
「……なので、勉強を教わるなら蒼より直樹くんの方がいいかな、なんて――、」
 そこまで言って、私ははっと我に返った。
 あわわ、まずい。こういうの、めちゃくちゃ思わせぶりなんじゃ。また私ってば、いまだに返事を待たせてるくせに――、
「……あのさ、ひなちゃん。」
「え、はいっ!」
反射的に背筋を伸ばして、返事。
……思わず敬語になってしまった。ただ、顔を赤くしたかれど、直樹くんに気にした様子はなかった。
その代わりに、彼はおずおずといった態度で口を開いた。
「次の月曜日、一緒に出かけない?」
「……えっ?」
「ほら、しあさっては創立記念日で学校、休みだろ。だからさ、二人で出かけて、ちょっと遊んだり、勉強会したりしないかって……。」
僕、最近少し離れた場所でいいカフェ見つけたんだよ――と直樹くんが続ける。「勉強とかもOKなところでさ。紅茶と日替わりのケーキが美味しいんだ。」
一緒に出かけて、勉強会。雰囲気のいいカフェで日替わりのケーキを食べながら。
……うわ、正直ちょっと楽しそう。
率直に言って、私はそう思った。
それに、わからないところがあったら直樹くんに聞ける、というのはかなり魅力的だ。……直樹くんを頼る気マンマンでなんとなく心苦しいけれど、教え合うのも勉強会の醍醐味なわけだし――私も得意教科なら教えられることもあるかもだし。
ただ問題は……やっぱり、『二人で』というところだ。
(これって、もしかしなくても、デートのお誘い……だよね?)
そう思うと、一気に気恥ずかしくなる。頬に熱が集まる。
……それに、告白をされて、返事を保留にしておきながらデートの誘いに乗るなんて……それってやっぱり、あんまりよくないよね?
「あ、いやほら、デートとかじゃなくて。ただの勉強会だから!」
私が迷っていることを察したのか、直樹くんがそうつけ加える。
「それに、僕がさっき言ったのは、学校からは少し離れたところのカフェだから……誰かに見られてどうこう言われるようなこともないと思うし。」
「そ、そうなの?」
「たぶん。いろいろウワサされるの、僕だって別にいい気分じゃないからさ、そのあたりは気を使ってるつもり。」
だからどうかな、と、聞かれて。
私は下を向き、ゆっくりとまばたきをした。
……ふと。これは、いい機会かもしれないと、そう思った。
もうわりと長い時間直樹くんを待たせてしまったし……これまで、自分の気持ちについて考える時間はそれなりにあった。
そろそろ、蒼への想いにけじめをつける時が、来たのかもしれない。
「……うん。わかった、勉強会、しよう。」
「え、いいの?」
 私がそう言うと、直樹くんはやや目を丸くした。私は首を縦に振る。
「うん。あ、でも私が聞いてばっかりになっちゃうかもで、それでもいいならだけど……。」
「そんなの全然いいよ! ひなちゃんに頼ってもらえるなら嬉しいしさ。」
OKしてくれてよかった、って嬉しそうに笑う直樹くんに、私も笑顔を返す。
「あ、でも一応、予定確認してからでもいい? 私が忘れてるだけで月曜日、何かあったかもしれないし。今日中に連絡するから。」
「ああ、うん。それはもちろん。」
「あ、でもたぶん大丈夫だと思うから、一応待ち合わせ場所と時間決めておかない?」
「ん~……じゃあ、駅前の時計台に、午前十時は?」
「わかった。時計台に十時だね!」
私がくり返すと、直樹くんがうなずく。そして、「じゃあ、連絡待ってるから。」と言って、手を振りながら図書室を出ていく。
私も手を振って彼を見送り、それから手元に目を落とした。
……別に、月曜日に予定なんかない。しあさっての予定くらい、把握している。
(でも一応、茜くんに聞いてみようかな。)
と――なんでか、ふとそう思ったのだ。
いや、別にそんな必要はないんだけど。なんとなく、茜くんは直樹くんのことを気に入らないみたいだったから――。
「ふう……。」
さて、勉強再開しなきゃ。全っ然、進んでないし。
月曜日に勉強会をするなら、少しくらいはできるようになっておかなければ。テスト目前のこの時期にあんまりにも出来が悪いと、さすがに直樹くんにも呆れられてしまう。
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