たった一度の、キセキ。

雨音

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2 茜くんとひとつ屋根の下

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「ええっ、茜くん⁉ やだ、大きくなったわねえ!」
「こんにちはー、おばさん。相変わらずキレーですね!」
「やだ、お世辞も言えるようになっちゃって!」 
きゃー、なんて言いながら、お母さんが茜くんの背中を叩く。
……ど、どうしよ。
つい、家まで連れて来ちゃった。

――あの後、茜くんの前で本格的に号泣してしまって。
ようやく泣き止んで、人の前で泣きわめいた恥ずかしさと自己嫌悪に呆然としていと、見かねた茜くんが家まで送ってくれたのだ。
茜くんはお母さんと話しながら、楽しそうににこにこ笑ってる。
……お母さんと会うのなんて本当に久々のはずなのに、すぐに打ち解けてしまった茜くんは、さすが蒼の従兄だなという感じだ。
少しだけまた胸が痛んで、俯く。
明るくて、誰とでもすぐに仲良くなれるところまで、そっくりだ。
「でも茜くん、どうしてこっちに? 蒼くんちに遊びに来たの?」
「あ、それ……。」
私も気になってた。
茜くんの家は結構遠いところだったはず。引っ越し先もよく知らないし、蒼も連絡を取ってる素振りはなかった。
どうしていきなり、ここに戻って来たんだろ……?
「あー、えっと、それなんだけど、実はさ……。」
すると、茜くんは気まずそうに目をそらした。
「オレ、家出してきたんだよね。」
「えっ!」
「あら……。」
ちょっと親と派手なケンカしてさ、と言って、茜くんが舌を出す。
その仕草が年上らしくなくてかわいく見えて、ちょっとドキッとしてしまう。
「やだ、すぐ親御さんに連絡しないと! ……ああでも、茜くんの親御さんの今の連絡先、わかんないわあ……。」
「いーですよ別に連絡しなくて。十八の男が何日か家を留守にするくらい、大騒ぎしたりしないって。」
「そういう訳にはいかないでしょ、せめて蒼くんちには連絡を……。」
わたわたとスマホを取り出すお母さん。
蒼の名前に、びく、と肩が跳ねた。
「いいって。……蒼んちに連絡したらすぐ親に居場所がバレちゃうだろ? 一、二週間くらいしたら観念して家戻るし!」
「でも……。」
「ね、お願いです! 連絡は今はやめといて!」
ぱちん!
茜くんが、このとおり! と言って手を合わせる。
お母さんはしばらく迷ってたみたいだけど、ややあってから、「仕方ないわねえ。」と肩をすくめた。
「……でも茜くん、蒼くんちがダメならそれまで、どこに泊まるの? 宿の当てはあるの?」
「えっ。」
茜くんがきょとん目を丸くして、それから、苦々しい声で「あー……。」とつぶやく。
……え。もしかして、考えてなかったの?
小さい頃お世話になったお兄さんのおっちょこちょいなところは、なんだか意外に思えた。
お母さんは少し唸ると、「あっ!」と声を上げた。
「そうだ、なら、うちに泊まればいいわ!」
「えっ⁉ お、お母さん⁉」
「ほら、お母さんこれからしばらく忙しくなるから、家を空けなくちゃいけなかったんだけど……。」
でも女の子、家に一人にするのは心配でしょう? とお母さんが言う。
お母さんは小さな弁護士事務所で弁護士をしている。だからたまーに大きな仕事があると、いそがしくて事務所に泊まり込むこともあるのだ。
でも、今はお父さんはちょうど長期の単身赴任中。泊まり込みをしたら、私が家に一人になっちゃうから、今回はやめるべきか悩んでいたらしい。
「でも、茜くんがいてくれるなら安心して家を空けられるわ。ね、どう? 部屋も空いてるし。」
「え、ちょ、お母さん、」
「え、いいんですか?」
「茜くん⁉」
ぱっと顔を明るくさせた茜くんに、ぎょっと目を見開く。
そんな。……茜くんが、うちで過ごすの? 何日も?
 しかも……お母さんがいない、私だけの家で?
「蒼くんの従兄の茜くんなら信用できるし、お願いできたら嬉しいわ。雛子のこと、頼める?」
「お、お母さん……!」
「もちろん。……ひなのことはオレが守ります。」
きっぱり。
言い切った茜くんに、私はぽかんと口を開けた。
ひなはオレが守る。……蒼そっくりなその声で言われたセリフに、じわじわと頬が熱くなる。
「ふふ、じゃあ、お願いね!」
「任せてください。」
胸を軽く叩いた茜くんが、私を見て微笑む。
「じゃあ一週間くらい、よろしくな、ひな。」
その笑顔が、大人っぽくてかっこよくて、ドキーッと胸が高鳴る。
これって……お母さんがいないあいだ、私たち、二人っきりってことだよね?
……ど、どうしよう。まさか、こんなことになるなんて!



 *



お母さんはあのあと、バタバタと家を出ていった。
茜くんを出迎えた時のお母さんは悠長そうだったけど、その実めちゃくちゃ仕事が詰まっていたらしい。
そして、茜くんと私で、ぽつんとリビングに二人きり。
並んでリビングのソファに座って、何もつけてないテレビを見つめて。
……き、気まずい……。
「ひな。」
「は、はいっ!」
不意に、茜くんが勢いよくソファから立ち上がった。
ばっ、と真剣な顔を向けられて、慌てて返事をする。
「夕飯さ。好きなもの頼めって、お金渡されただろ。」
「う、うん、」
「頼むんじゃなくて、つくろ、一緒に!」
「……えっ?」


――トントントントン。
茜くんがたまねぎをみじん切りにしていく。その手際のよさに、頬、と息をついた。
「茜くんて、料理できるんだ……。」
「まあもう俺高校生だし多少はね。ひなだって手際いいだろ?」
「まあ、私はたまに、お母さんが事務所に泊まり込むから……。自分で作る機会、そこそこあるんだよね。」
おみそ汁の味噌を溶かし終え、ぐるりとおたまで鍋をかき混ぜる。
「蒼は多分、料理できないから、なんか、意外かも。」
「……そうなの? なんで知ってんの?」
「前、家庭科で同じ班になって、調理実習したことがあって。苦手そうだったから。」
野菜を切るのが下手くそで、同じ班の他の男子にからかわれてた。
私は昔から、忙しいお母さんの代わりにたまにご飯を作ってたから、家庭科で扱うメニューくらいは作れる。
……それで蒼、「手際いいじゃん、すごいな宮野。」って褒めてくれたんだっけ。それで「今度教えてくれね?」って言ってくれて――冗談だったんだろうけど。
中学生になってから今まであまり話せなていかったから、そう言ってもらえたのがすごく嬉しかったのを覚えてる。
「……茜くんは、料理できるようになるまで、練習したりしたの?」
蒼は少なくとも、練習したことはないと思う。
茜くんが、挽き肉の入ったボウルにたまねぎを投入する。つなぎを入れて、ぐねぐねとこね混ぜていく。
「ん、まあね。今の時代、家事を覚えて悪いこととかないだろうし。」
「まあ、たしかに。」 
「……それに、料理好きな子が彼女だったら、一緒にご飯作ったりできるだろ?」
今みたいにさ。
そう言って、茜くんがやわらかく微笑んだ。
「えっ……。」
どういう、意味……?
そんなことを考えてしまった次の瞬間、右手の指が鍋のフチに当たってしまった。
「あつっ。」
「っバカ、ひな! すぐ冷やせ!」
思わず声を上げると、すぐさま手を取られ、流し台まで連れていかれる。
熱された鍋のフチに当たってちょっと赤くなった右手。その手首を掴んで、流水に私の指を当てさせる。
「火、使ってる最中にぼうっとするなよ。危ないだろ?」
「ご、ごめんなさい。」
……後ろから私の手首を掴んで固定しているから、まるで、後ろから抱きしめられているような体勢になる。
心臓がバクバク、大きく音を立て始める。
――一緒にご飯作ったりできるだろ、今みたいにさ。
さっき言われた言葉が、脳裏によみがえる。
……背中があったかくて、あっつい。
流水の冷たさなんて、忘れてしまうくらいに。



 *



「指大丈夫? ひな。」
「うん、もう平気。すぐ冷やしたからかな……。」
「そっか、ならよかった。」
ふ、と笑った茜くんが、いただきます、と手を合わせるのを見て、私も慌てて手を合わせた。
……夕ご飯のメニューは、じゃがいもとワカメのおみそ汁、ハンバーグ、付け合わせの野菜炒め。
ハンバーグと、しかもデミグラスソースまで、ほとんど茜くんが作ってくれた。ハンバーグの形はきちんと楕円形で、デミグラスソースも心なしかつやつやしてる。
「おいしい……!」
「ほんと? よかった。」
ハンバーグを一切れ口に入れると、じゅわっとしみ出る肉汁。
目を輝かせると、茜くんが嬉しそうに笑う。
「ひなのおみそ汁と、付け合あわせの野菜炒めもおいしいよ。オレ、みそ汁にじゃがいも入れたことないから新鮮かも。」
「そうなの? へえ、おみそ汁にも家の個性が出るんだね……。」
まじまじと自分が作ったおみそ汁を覗き込んでいると、茜くんがふっと笑った気配がした。
顔を上げると、優しい目で私を見る茜くんと目が合う。
「……やっと笑った、ひな。」
「えっ。」
「まあ当然だけど、ずっと元気なかったからさ。……ひなは笑ってた方がかわいいよ。」
――かわいい。
また、正面切って言われたその言葉に、頬がすごい勢いで熱くなる。
恥ずかしくて、バッ! と慌てて下を向いた。
「そ、んなこと……。私、地味でトロいし、さっきだって火傷しそうになって迷惑かけたし……、」
「あは、まーたしかにちょっとトロいかもしんないけど。」
「うっ、」
「……でも、ひなはかわいいよ。」
どくん、と心臓が大きく音を立てた。
それは、心の底までしみ込むような声だった。本気で、真剣に、そう思ってくれてることがわかる声――。
「料理してる時の横顔とか、ご飯おいしそうに食べるとことか。ちゃんとかわいい。オレが保証する。」
「あ、かねくん、」
「どんな酷いやつがひなのこと振ってもさ、オレはひなのこと好きだよ。」
だから元気出して。
……そう言われ、顔が熱くて、のども熱くて、うまく声が出ない。
妹みたいにかわいいとか、幼なじみとして好きだとか、きっとそういうことだ。わかってる。高一の、かっこいいお兄さんが、地味な私を好きだなんてありえないから。
「あ、ありがと……ございます……。」
「なんで今さら敬語?」
茜くんが楽しそうに笑う。
……わかってるはずなのに、心臓はずっとうるさく跳ねるままだった。

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