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第3章「咫尺天涯」
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しおりを挟む翌週の土曜日。
一週間で少しは頭が冷えて冷静に考えられるようになった俺は、とりあえず朝陽ときちんと話し合うべきだと考えて、いつもとは違う憂鬱な気持ちで笹本家を訪れていた。
あれからきっと朝陽のお母さんにも心配をかけてしまっていただろう。まずは先週の事を朝陽のお母さんにも謝って、それから………、
「あら、結生君?」
「え、あ、うわっ!」
ドアの前で考え込んでインターホンすら押すのと躊躇っていたのに、鳴らす前にドアが唐突に開いて、俺はテンパった。
「こ、ここ、こんにち、は…えっと、あの…」
事前に考えていた挨拶はボロボロで、次に何を言うかも頭から吹き飛んだ俺に、朝陽のお母さんは優しい、けれど少し困ったような笑みを浮かべた。
「いらっしゃい、結生君。朝陽に会いに来てくれたの?」
「は、はい。あの…この前は…その、すいませんでした」
「ふふ、いいのよ。喧嘩するほど仲が良いっていうものね。それにあんなに感情を出してくれる朝陽も久しぶりに見たし…私は気にしてないわ」
「は、はい。あの…今日朝陽は、」
「でも、ごめんなさいね結生君。今日は朝陽に会わせられないの」
「え、どうしてですか?」
やっぱり朝陽はまだ俺の事を怒っているんだろうか。それで会いたくないとか…そこまで嫌われてしまったんだろうか。
そんな俺の不安に気付いたのか、朝陽のお母さんは俺を慰めるようにそっと頭を撫でてくれた。
「あのね、結生君………今日は朝陽の体調があまりよくなくて、熱も出ているの、だから安静にしてないといけなくて、結生君が悪いというわけじゃないから気にしないで」
「え、朝陽、大丈夫なんですか?」
「えぇ…。熱はあるけど食欲はあるし、大丈夫よ。わざわざ来てくれたのにごめんなさいね」
「いえ………あの、お大事にと伝えておいてください」
「ええ。必ず伝えておくわね」
そう言って微笑んだ朝陽のお母さんの表情は、先週見た時よりも少しやつれて疲れているように見えて、それが更に俺の不安を煽る。
でも朝陽に会えないのならばこれ以上ここに留まるわけにも行かなくて、俺は渋々家に帰ることにする。
「それじゃ、また」
「えぇ………じゃあね、結生君」
「…………?」
少しの違和感。
そうだ、朝陽のお母さんは「また」という俺の言葉に同じように返してはくれなかった。いつもは「また来てね」と笑顔で送り出してくれていたのに、何故だろうともう一度振り返ってみるけれど、もう家の中に入ってしまったのか、朝陽のお母さんの姿はすでにそこにはなかった。
そして翌週の土曜日。俺は再度笹本家を訪れたのだが、朝陽と会えることは出来なかった。
「え、今日も駄目…なんですか?」
「ごめんなさいね。まだ体調が戻ってなくて。時々あるのよ、しばらく体調不良が続いてしまう時が。でも少しすればよくなると思うから、気にしないでちょうだい」
「で、でも…一週間経ったのに…本当に大丈夫、なんですか?」
「うん。大丈夫よ」
そう言って微笑む朝陽のお母さんはどこか強がっているような、今にも崩れてしまいそうな何かを必死に守っているような、そんな悲壮感が漂っていて、大丈夫と言われても俺の不安は消えなかった。
「あの…一目会うだけでも駄目ですか?」
「…………ごめんなさい」
「そう…ですか」
そう言われてしまえばそれ以上粘ることは出来ない。
友達と言っても所詮は他人だし、人様の家庭に土足で踏み込むような真似はさすがに出来なかった。
でもただ一言、直接会って謝りたかった。目を見て謝って、これからの事をちゃんと二人で話し合いたかった。
ケータイにもメールは送っているけれど、未だに返事は来ていないし、朝陽はまだあの時の事を怒っているのかな。
俺はもう怒ってないよ。だから、ちゃんと会って話がしたい。それだけなのに、それだけの事がこんなにも難しいなんて、喧嘩なんてしなければよかった。
「それじゃあ、あの…また来ます」
「………ええ」
朝陽のお母さんはやっぱり、「また来てね」とは言ってくれなかった。
また朝陽に会えなかった。
もしかしたらもう一生会えないのではないか。そんなマイナス思考に囚われて、肩を落としながら帰り道を歩く俺の目の前に見知った人の姿が映って、俺は思わず足を止めていた。
その人も俺の存在に気付くと、嬉しそうに手を振って近寄ってきた。
「あれ?結生君じゃん!久しぶりだね、元気してた?」
俺に近付いて笑顔で顔を覗き込んできたのは琴音さんだった。
この人とは不思議と縁があるな、なんて思いながら何とか笑みを作って「お久しぶりです」とあいさつを返すと、琴音さんはそんな俺を見て心配そうに眉を顰めた。
「あれ…結生君、元気ない?何かあった?」
「いえ、別に…何も」
「う~ん………?」
俺はまた無理やり笑みを作ったけれど、正直頬が引きつっている気がして、傍から見たら全然何ともなくない、ひどい顔をしているんだろうなと思った。
そして予想通り俺の顔を見て琴音さんは更に心配げな表情になって、何を思ったのかグイッと俺の腕を引っ張った。
「こ、琴音さん?」
「結生君、ちょっとお姉さんとお話しようか」
「え、えぇ…」
有無を言わせない雰囲気に、俺は腕を引っ張られるまま、というか抵抗する気力すらなくて、大人しく琴音さんに連行された。
連れられてきたのは、琴音さんの行きつけだという喫茶店だった。
昔ながらの喫茶店という感じで、コーヒーのいい香りが漂う落ち着く場所だ。
琴音さんは適当に俺の分まで注文して注文したコーヒーが二人分運ばれてくると、「さて」と一拍置いて俺に改めて向き直った。
「それで?そんな死にそうな顔してどうしたのさ?」
「俺、死にそうな顔してますか?」
「うん。まさにこの世の終わりって感じの顔してる」
「はは…そうですか」
「うわ、完全にまいっちゃってるねこりゃ。一体何があればそんな悲壮感漂う顔になるのさ」
「……………」
「私には言いたくない?あまり関係ない他人だから話せることもあるかなって思ったんだけど、無理して聞き出そうとは思ってないからさ。言いたくないならそれでいいよ」
「いえ…その………朝陽と、喧嘩…したんです」
「………へぇ、あんなに仲良さそうだったのに。いや、仲が良いからこそなのかな?それで仲直りできなくて落ち込んでるの?」
「仲直り以前の問題で…、喧嘩した日から2週間は経つんですけど、一度も会えてないんです」
「朝陽君が会いたくないってこと?」
「いや、わかんないんですけど…朝陽のお母さんが言うにはずっと体調を崩してるみたいで、会わせられないって」
「ふ~ん?」
「もしそれが本当なら2週間も体調が悪いままなのは心配だし、でもそれ以前にもう俺の事嫌いになって会いたくないんだったらどうしようと…」
「なるほど…ね。というかそもそもの喧嘩の原因はなんなの?」
「それは…俺が…」
それから喧嘩になった原因を琴音さんに一から説明した。俺の話を聞いている間、琴音さんは相槌を打つだけでそれ以外は口を挟むことなく真剣に聞いていてくれた。
俺はそれが何だか不思議で、どうしてこの人は俺の話をこんなに真剣に聞いて考えてくれるんだろうと、内心首を傾げていた。元来お節介な気質なのだろうか。
そして全てを聞き終えた後、琴音さんは考え込むように瞳を閉じて、でもすぐに顔を上げて俺に視線を向けた。
「う~ん。中々に難しい問題だね。というかどっちの気持ちもわかるというか…う~ん。結生君の朝陽君を想う気持ちは本物だと思うし、間違ってないよ。でも朝陽君の主張だって間違ってない。自分の為に結生君の人生を無駄にしてるような気持ちなんだろうね」
「そんな、無駄だなんてことはっ」
「はいストップ。結生君の主張もわかるよ。朝陽君の為に介護士になるという決断は、結生君にとって無駄じゃないんだよね。でもさ、結生君。一度でいいから朝陽君の立場になって考えてみたらどうかな」
「朝陽の立場に?」
「そう。立場がもし逆だったらどうかな?身体が不自由な結生君の為に、朝陽君が介護士になると言った。それ自体は嬉しい事だろう。でもさ、大切な友達の貴重な時間を、自分の為だけに使わせていいのだろうか…って考えないかな。その友達を本当に大事に想っているなら、その考えに行き着くのは自然だと思うな。それに私ならこうも思うな。こんな面倒くさい自分に、いつか嫌気が差してしまうんじゃないか。いつか自分から離れて行ってしまうんじゃないか。だったら最初から求めない方が、傍に居てくれない方が楽だ…ってね」
「あ………」
「お姉さんからのアドバイスだ。もし大切な誰かと喧嘩してしまって、自分の主張を曲げられない、それでも相手と仲直りをしたい時は、一度相手の立場になって考えてみなよ。そうすれば自分の立場からでは見えなかったことが見えて、少しでも解決の糸口が掴めるかもしれないよ」
「………はい」
変人だ、変人だと思っていたけれど、この人もやっぱり頼りになる大人の女性なんだなと実感した。
いや、精神年齢的には俺の方が年上なんだろうけど、何となく琴音さんには一生敵わない様な、そんな気がした。
「う~ん、でも一番の問題は、話し合いたくても会えないって事だよねぇ…う~ん、う~ん……………よし!」
「琴音さん?」
「結生君、もう一回、朝陽君のお家に行こう!」
「え!?」
琴音さんはそう言うと目の前のコーヒーを一気に飲み干して、俺の腕を再び掴みながら立ち上がる。
腕を掴まれているから俺もつられて立ち上がって、そのまま琴音さんに引っ張られるがまま、会計を済ませてお店を出た。
というか俺はまだコーヒーを半分くらいしか飲めてないんですけど…。いやそれよりも!
「こ、琴音さん。本当に今から行くんですか?」
「行く!」
「今日はもう会えないって朝陽のお母さんにも言われてますし、明日にしません?」
「結生君!」
日和ったことを言う俺に、琴音さんは歩みを止めて俺を振り返った。
その表情はとても真剣で、茶化していいような雰囲気ではなく、俺も思わず居佇まいを直してしまう。
「明日会える保証なんてどこにもないでしょ」
「え?」
「今日行動しなければ、明日後悔してるかもしれない。ならすぐ動かなくちゃ。大事な人に明日も会えるなんて、そんなの誰にもわからないんだから」
「…………とても、陳腐でありきたりな台詞ですね。小説家とは思えないです」
「ふふ。悪態をつく元気は出てきたんだね。でも、確かにありきたりで陳腐な台詞だけどさ、真理だと思わない?」
「………まぁ、確かに」
「明日後悔しないために、今日頑張ろう」
「………恥ずかしい台詞のオンパレードだ」
「言葉遊びをするのが私の仕事なんでね」
不思議だ。
さっきまであんなに落ち込んで、まさしく世界の終りのような気分だったのに、琴音さんのおかげで前向きな気持ちになっていた。
これが言葉遊びを生業とする小説家の力、なのだろうか。それとも琴音さんの生来の性格故なのか。
彼女の前向きな言葉の数々は、とてもあの悲劇の物語を書いた人と同一人物とは思えないほどで、彼女は光の中に住んでいる住人なのかと、そう錯覚するほどだった。
こんなに明るく前向きに物事を考えられる彼女が内包している闇とは何なのだろうかと、少しだけ興味が湧いてきていた。
まぁこんな事を考えているなんて、調子に乗らせるだけなので絶対に本人には言わないけれど。
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