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第2章「愛別離苦」

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憶えのある覚醒。
俺はまるで海から引き揚げられた魚のようにパクパクと口を開いて閉じて、呆然と見慣れた天井を見つめていた。

「はぁっ…はぁっ…はぁっ…っ…ぐっ…げほっ」

恐る恐る自身のお腹に手を当てて、そこに何もない事を確認してようやく安堵の息を吐きだした。
大丈夫だ。傷もなければ血だって出ていない。そこには乾いた肌の感触があるだけ。

でも………。

俺は確かにお腹を刺された。あのお面の男に。
あの瞬間の痛みと衝撃、そして命が消えゆく恐怖を今でも鮮明に思い出せる。その前にトラックに撥ねられた時の衝撃だって今でも嫌というほどに思い出せるけれど、あれはおそらく即死だったから痛みや恐怖はそれほどでもなかった。

でも今回は違う。死ぬまでの痛みと恐怖。あの段々身体が冷えて、真夏だというのに凍えてしまいそうな、着実に死に向かう感覚を嫌と言うほどに感じながら、じわりじわりとまるで遅効性の毒に犯されたような恐ろしさだった。

あの男は一体何者なんだ?どうして俺を殺そうとする?どうして…どうしてだ?
考えても考えてもわからない。その事にむしゃくしゃとして、髪をかき乱しながら俺はゆっくりと起き上がる。
いつもの見慣れた自分の自室をぐちゃぐちゃな思考のまま見回して、次に枕元にあるケータイを手に取る。

7月20日 AM9:30

前回と全く同じ日付と時刻だった。
やっぱり、また時間が巻き戻っている。という事は考えていた通り俺が死ぬと時間が巻き戻るのか?

この比較的平和な日本でそうそう死ぬような目に合う訳がないと高を括っていたけれど、この短期間で俺は2度も死んだ。しかも全てが他人の悪意によってだ。

しかし過去を振り返ってみるけれど、殺されるほど恨まれている覚えがない。それとも俺自身が気付かないうちに誰かに対して、殺意が生まれるほどの酷い事をしてしまったんだろうか。
無意識の悪意ほど性質の悪いものはない。本人に自覚がないのだから、改善しようにもその悪い部分を指摘してくれる誰かがいなければいつまでも直らない。

いや、よく考えてみよう。殺される前、俺は毎回何をしていた?自殺した最初の死に戻りは抜きにして、トラックに撥ねられた時と、刺された時、この二つの出来事に何か共通点はあっただろうか。
確か、どちらも家に帰る途中で起きた事だった。ならそもそも外出しなければいいのか?そうすれば死を免れる?いやでもずっと家に引きこもるなんて出来るわけがない。夏休み中なら出来ないこともないけれど、学校が始まれば無理だ。

あと共通点があるとすれば……………………夕陽さん?
そういえばどちらも時も直前まで一緒にいたのは夕陽さんだった。でも直前に一緒にいたからってそれが何だというんだ。夕陽さんの事はただの偶然…のはず。

それに睦月先生だって夕陽さんに会う前に必ず会っている。
夕陽さんと睦月先生。この二人が俺の死に関わっているなんてあるわけないし、そんな事1ミリたりとも考えたくない。

他…他に共通点は………くそっ、何も思い浮かばない。自分の頭の悪さがこれほど憎いと思ったのは初めてだ。

一旦落ち着こう。
とりあえず今日外に出かけるのは止めた方がいい。いや夏休み中は極力外に出ない方がいいかもしれない。

朝陽には夏祭りに行けないと連絡して、先生は………、
先生の顔を思い出すのと同時、文月さんの事も思い出す。
もしこのまましばらく家に閉じこもったとしたら、文月さんとは二度と会えなくなる。おそらく数日後には文月さんは死んでしまうはずで、先生は一人ぼっちになってしまう。
だからこそ先生を支えようと決意したのに、家に引き籠ったままならそれは出来なくなる。

いや、でも死ぬ危険を冒してまで先生の傍に居るべきなのか?そもそも死んだら支えるどころではない。今は自分の命を優先するべきだ。

でも…文月さんにはもう一度会いたいし、先生にだって会いたい。新学期が始まるまで家族を亡くして悲しんでいる先生をほっておくなんて………そんなことはしたくなかった。

どうしよう…どうすれば…





それからしばらく部屋で一人頭を悩ませたけれど、最適解など浮かんでは来なかった。
考えることに疲れて、お腹も空いたし一息入れようと階下に降りると、家には誰もいなかった。
居間の時計を見ると時刻は12時過ぎで、2時間以上部屋で一人悶々と考え込んでいたのかと気付く。

それだけ考えても何もいい案は浮かんでこないとは…。
居間のテーブルにメモ帳が置かれていることに気付いて手に取ると、そこには母さんの丸っぽい可愛い字で出掛けてくると書かれていた。
帰りは夜になるらしい。父さんは仕事だし、弟妹も出かけている。という事は今、家に一人という状況だが、少し前に殺されたことを思い出すと一人という状況に少し怖くなる。

いや、さすがに家にいる間は大丈夫…なはずだ。
そう自分に言い聞かせて、母さんが作っておいてくれた昼食を食べようと台所へ向かおうとしたら、ポケットに入れていたケータイが着信を知らせる為にバイブ音を鳴らす。
確認するとそれは知らない番号で、少し警戒しながら電話に出る。

「はい…もしもし?」
『あっ…秋月、君?』
「え…先生?」

電話相手はまさかの睦月先生だった。
あれ、俺先生にケータイの番号を教えたことってあったっけ?文月さんには教えていたけれど…という事は文月さんに聞いたのだろうか。

『はい、突然電話してすいません。今、家ですか?』
「は、はい。家にいます」
『そうですか………よかった』
「え?」

電話越しの先生が安堵したように息を深く吐き出した。
しかし俺は何に安堵しているのか全然分からなくて困惑する。一体これは何のための電話なんだ?

『あの、突然で申し訳ないんですが…今から君の家に行ってもいいですか?』
「え!?今からって…俺んちにですか?!」
『はい』
「急にどうして…」
『……………君の顔を見て安心したくて…』

先生がぼそりと何か呟いた。
でも声が小さすぎてよく聞こえない。

「え、今なんて?」
『いえ…何か用事があるわけではないんですが…駄目、でしょうか?』
「えっと…駄目じゃ…ないです」

そんな懇願するような声で言われて、NOと言えるわけがない。ましてや惚れている相手だ。YES以外の返事などあるわけがなかった。

『よかった!ありがとうございます。今からそちらへ向かいますね』
「は、はい。待ってます」

通話が切れる。でも俺はしばらく電話を耳に当てたまま動くことが出来ない。
理由は分からないけれど先生が家に来る。それは嬉しくもあり、困惑もあり、緊張とそして少しの不可解さを残す、複雑な感情が俺の心を荒らしていた。

でも先生の声を聞いた途端、殺された時の恐怖とかが全て吹き飛んで、安心している自分もいて、なんて単純なんだと自分で呆れてしまう。いや、この場合声だけで俺を安心させてしまう先生が凄いのかもしれない。

とにかく先生が来るなら少しでもよく見せるために身支度を整えて、部屋は…居間に通せばいいか。幸い母さんは綺麗好きだから家族共有の場所は常に綺麗だ。俺の部屋は絶対に見せられないけど…。
とりあえず起き抜けの顔を洗って、髪も寝癖だらけだから整えて…あとは………、



ピンポーン―――。



え、嘘だろ!?もう来たのか!?
だってついさっき電話で話したばかりで…もしかして電話した時点でうちの近くまで来ていたのか?こんな事なら時間を指定しておけばよかった。

俺は焦る気持ちをなんとか抑えて、手櫛で髪だけ直すと玄関へ向かう。
そしてドキドキと高鳴る胸を抑えながら、玄関のドアを開けて………開ける前にちゃんと相手を確認すればよかったと、深く後悔した。

「……………………え、なん、で?」
「…………………」

ドアを開けた先、そこにいたのは、


手にナイフを持った、お面の男だった。




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