契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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会話はやっぱり続かない

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「君はほんとうに美味そうに食べるな」

 ベッドの脇にある丸椅子に腰掛けて、エリオンは私をみる目を細める。

「ここの食べ物は何でも美味しいですから」
「そうか」

 会話はやっぱり続かない。私は無言でリンゴを食べ進める。でも沈黙は慣れている。会話がなくても気まずくならない、エリオンは不思議な人だ。
 私がリンゴを食べ終えると、エリオンは空になった器を私の手からそっと取り上げて、ベッドサイドに置いてくれた。

 エリオンはひとつ息を吐くと、ぽつりぽつりと話し始めた。


「今朝の話の続きなんだが……」
「はい……」

 エリオンの兄マクシミリアンが植民地の総領主の任期を満了出来なかったことで、国からの報奨金が出なくなった。だから報奨金から出す予定だった私の契約妻の契約満了金も出せなくなった。二年間の婚姻の約束だったが、契約満了金が払えないから添い遂げてほしい──そういう、かなり無理のある話だった。
 私が『契約満了金が貰えないならすぐにでも実家に帰りたい』と喚いたせいで、今朝は肝心な話が出来なかった。
 エリオンは神妙な面持ちで、言葉を紡ぐ。

「兄がここへ戻ってくる話だが……。実は兄は植民地でヘマをやらかして、総領主の座からおろされたんだ。兄は報奨金を国から貰えないどころか、多額の罰金を支払うことになってな……」

 植民地で大規模な武力蜂起が起こり、彼の兄マクシミリアンはそれをうまく抑えることが出来なかったらしい。本国の王都から王立騎士団が出兵する事態に陥り、マクシミリアンはその責任をとる形で総領主を退任する事となった。
 王立騎士団の莫大な出兵費はまるまるエヴニール家が被ることになってしまい、一年半後にウチに支払う予定だった契約妻の契約満了金でさえも、今は支払いの目処が立っていないらしい。

「それは大変でしたね……」

 武力蜂起が起きただなんて聞いていない。『お義兄様達は無事なのですか?』と私が聞くと、エリオン曰く義兄一家は現在王立騎士団に匿われているらしい。

 ──そんな大変なことになっていただなんて。

 それなら尚のこと、私をこのまま実家に帰したほうが良いのではないか。私は極力自分のことは自分でやるし、貴族の妻にしては金のかからない存在ではあると思うが、それでもエヴニール家から見れば穀潰しには違いあるまい。
 なにせ、エリオンは彼の兄が戻ってくることで、伯爵ではなくなる。いるだけで費用のかかる契約妻は必要ない。
 しかしエリオンは私を手放すような発言はしない。

「ああ、君への契約満了金は払えなくなったが、今までどおりの生活は保証しよう。あと、契約満了金のようなまとまった金額ではないが、これからは少しずつ君の家へ仕送りをするようにするよ。ここで採れた食べ物と一緒にな」

 エリオンは「なにも心配するな」と言う。
 私が今朝、お金のことをぎゃあぎゃあ言っていたせいで、なんか私の実家へ仕送りをする話になっていて申し訳ない。
 彼の兄が国へ莫大な罰金を支払うことになっていた事実を知らなかったとはいえ、私は自分のことしか考えていなかった事を恥じた。罰金のことは最初に言ってほしかったが、そもそも今朝は私が喚いたせいで説明できなかったのだろう。

「私と離縁したほうがいいんじゃ……。私がここにいるだけで、エヴニール家の負担になりますよね?」

 家が大変なのに、半年間もろくに口をきかなかった妻を養い続けるとは。エリオンの考えが分からなかった。
 彼のお兄さんが戻ってくることで、彼は伯爵ではなくなる。彼にはもう、形式だけのお飾りの妻は必要ないのだ。

「たいした負担じゃない。それに君がここに来てくれたおかげで随分屋敷の中が明るくなった。家令も使用人たちも君に好感を抱いている。君を契約妻ではなく、正式な妻にしてほしいとの意見も、意見箱にたくさん貰っている。植民地から戻ってくる兄も義姉も、甥や姪も君に好意を持っているんだ。……どうかこれからもここで上手くやっていって貰いたい」

 たしかに、私はこの家にきて半年間。それなりに周囲と上手くやってきたという自負はある。
 エリオンの兄マクシミリアンは弟とは違い、たいへん社交的な人物で、明るく快活で、私のことをまるで本当の妹のように接してくれた。その奥方様も同様で、私がろくにドレスを持っていないと言うと、なんとクローゼット三つ分もの衣装をくださったのだ。お子さんたちも私のことをお姉ちゃんなんて親しげに呼んでくれて、思わず実家の弟たちの事を思い出して涙したものだ。
 新婚当初は、私はエリオンの兄夫婦とも一緒に暮らしていた。わずか一ヶ月弱の間だったがとても楽しかった。特にお義姉様と午後のお茶を毎日のように共にした日々は忘れられない。私には姉がいないので、姉が出来たようで嬉しかったのだ。彼らが西国の植民地に旅立つ日は寂しくて本気で泣いたし『私も連れていって欲しい、朴念仁のエリオンと二人きりにしないで』と本気で思ったものだ。

 思えばエヴニールにお嫁にきて、上手くいかなかった相手は夫のエリオンだけだ。他とは順調すぎるぐらい上手くいっていたのに。

 ──私は旦那様エリオンと仲良くしたいのに。

 肝心かなめの夫と上手くいかなければ、良い結婚生活とは言えないだろう。私は両親のような、思い思われ愛し合える夫婦に憧れている。

 先ほどからエリオンは私の衣食住の話と、兄夫婦とここで働く人たちと私との関係についての話しかしていない。

 私が今、一番気になっているのは、『いったい貴方エリオンは私の事をどう思っているの?』ってことだ。

 エリオンの本心が聞きたかったが、たぶん、いやぜったい、『君は俺のことが好きなのか?』って聞き返される。
 
 ──私は旦那様のこと、好きなのかしら……。

 エリオンの外見はとっても好みだ。閨の行為も最初は辛かったけど、最終的にはまたしたいなと思う程度には良かったと思う。しかし、外見と肉体が好き=その人のことを愛していると言って良いものか、迷いはある。

 おそらく心に引っかかりを感じるのは、半年間、ほぼエリオンから無視されているような生活だったからだ。だから私は彼と添い遂げたいとまでは思わないのかもしれない。

「旦那様は、これからは私の相手をしてくださいますか?」
「ああ、夫の責務を果たすと誓おう」


 エリオンは『そうじゃないんだよなぁ』と言いたくなるような返事を淡々とした。
 たとえ嘘でも、本気で私と添い遂げたいなら、もっとスパッと『愛してる』とか『好き』とか言えないものかと思うが、たぶん彼も私と似たような事を考えているのかもしれない。

 食事を共にするのはかまわないし、普通に抱けるけど、彼は私のことを愛してはいないのだろう。自分の家族や周囲とうまくやってるから、この屋敷に私を残したいだけなのかもしれない。

 とりあえずこの婚姻を続けるかどうか、返事は保留にしてもらった。エリオンは即答しなかった私にかなりムッとしていたみたいだけど、これは一生のことだ。慎重に決めたかった。

 何せ有期契約の婚姻は、期限が来れば勝手に離縁が成立するが、無期限の婚姻関係を結んでしまうと離縁には両者の合意が必要になる。

 この国は戦争でどんどん領土を広げている都合で、契約妻という制度が出来た。嫡男が植民地を治めている間、次男三男が嫡男の代わりに自領を管理している間だけ貴族の妻を娶りたいという要望があり、このような制度が出来たのだ。
 エリオンも代理の領主だ。
 だから私を二年間の契約で娶ったのだ。

 しかし今、エリオンは私と添い遂げることを望んでいる。私が後からどれだけ離縁を望んでも、彼が首を縦に振らなければ別れられなくなるのだ。
 それはとてもまずいことではないか。

 ──愛のない生活はもう嫌。

 この半年間の結婚生活を思い出し、身震いした。新婚夫婦だというのに、もうあんな会話一つない生活はこりごりだ。
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