契約妻と無言の朝食

野地マルテ

文字の大きさ
上 下
3 / 34

もうこんな生活は嫌

しおりを挟む



「俺が伯爵でなくなってしまうのが嫌なのか? 今まで通りの生活は保証するから、ずっとここにいてくれないだろうか?」

 私が今すぐ離縁して実家へ帰りたいと言うと、エリオンは眉間に皺を寄せ、長いまつ毛を瞬かせた。

 ──今まで通りの生活?

 何が悲しくて、若いうちからこんな熟年仮面夫婦のような生活をこれからも続けなくてはいけないのか。
 下唇をぎゅっと噛み、私は叫んだ。

「嫌です! 嫌ですよ! こんな、子どもが巣立ったあとの夫婦みたいな生活をこれからも送るだなんて……!」
「子どもが巣立ったあとの夫婦? 落ち着いていて、とても良いと思うが……」
「よくありません!」

 私は友人とも手紙のやりとりをしているが、どの友人も社交界で出会ったご主人とラブラブのようだ。夜の生活は当然のように毎晩あり、ご主人が出かける時にはキスをするとか。うらやましい。最近では赤ちゃんが産まれた友人も少なくない。

 私はここにいるかぎり、自分の子どもを腕に抱くことも出来ないのだ。

 一度本音を出すと止まらなくなる。
 私は久しぶりにお腹から声を出した。

「後生ですから、私と今すぐ離縁してください!」
「……それは困る」
「なぜ? あなたは伯爵でなくなるのでしょう? 妻の存在はいらないじゃないですか」
「君がいなくなってしまうのは困る」
「どうしてですか?」

 エリオンは眉間に深く皺を刻む。
 押し問答はしばらく続くも、エリオンは頑なに私と離縁しないと言い張った。

「君の欲しいものは出来るかぎり与えるから、お願いだから出て行かないでくれ」
「出て行ってほしくない理由を教えてください。理由次第では残ってあげますよ」

 ツンと顎をあげ、胸の前で腕を組む。
 自分でも偉そうだなと思うけど、契約満了金が貰えなくなったのだ。これぐらいの悪態をつくぐらい別にいいだろう。
 私の偉そうな態度に、エリオンはまた俯いた。
 小さく唸ったのち、彼は非常に言いづらそうに、私に出て行ってもらいたくない理由を話し始めた。


「……嬉しかったから」
「嬉しかった?」
「君と毎朝、朝食を一緒にとれて嬉しかった。俺は結婚するまで朝はずっと一人だったんだ。挨拶を誰かと交わすこともなく、黙々と別邸でパンを齧っていた。それが君が来てからは、一人じゃなくなった。誰かと食べる朝食はこんなにも楽しくて美味しいのかと……。君のおかげで朝が好きになった」
「旦那様……」
「毎朝、今日の君はどんな格好ドレスで現れるのかと、考えては浮かれていた。自分の好きな髪型やドレスだと嬉しかった」

 ──私はつまらなかったけど……。

 世の中こんなにもつまらない朝食があるのかと、愕然とするぐらい私は毎日毎日退屈な朝を過ごしていた。
 せめて髪型や服装ぐらいはテンションが上がるものにしようと頑張っていたおかげで、エリオンはこっそり喜んでいてくれていたようだけど。
 ちなみに私のドレスはほとんど、彼の裕福な義姉から頂いたものだ。

 ──ていうか、口に出して褒めてくださいよ……。

 心の中で妻への褒め言葉を完結させてしまうなんて最悪すぎる。『この髪型かわいいね』とか『その色似合うね』なんて言われていたら、私はこの半年間を一億倍は楽しく過ごせていただろうに。
 この旦那様、いくらなんでも口下手すぎる。

「でも、私は子どもが欲しいので、離縁して欲しいです……」

 ここまで口下手で淡白だと、エリオンは子作りをしてくれないかもしれない。
 やっぱり離縁するしかないと思ってしまう。

「……子ども?」
「旦那様は作る気がなさそうなので、離縁して、私は他の方と再婚して子どもを作りたいです」

 あけすけすぎる。しかしここで遠慮してはダメだ。ここで私の要望を受け入れて貰えなければ、私は子なし確定だろう。
 エリオンはあきらかに焦っていた。
 彼は私の腕をむんずと掴んだ。

「だ、駄目だ!」
「なぜです? 私の友人はみんな母親になっているのですよ? 私ばかりときめきも喜びも、何もない……! もうこんな生活、嫌です!」

 ガタンと音をたて、椅子から立ち上がる。
 半年分の我慢、堪忍袋の緒は完全に千切れた。
 私はエリオンに腕を掴まれたまま、わあわあ騒いだ。私だって若い女性らしく、閨事がしたい、子どもがほしいと叫んだのだ。
 はしたないことこの上ないが、私とて人間なのだ。性的な欲求は当然ある。愛のある生活を送りたかった。

 椅子から立ち上がり、泣きわめく私の顔を、エリオンは大きな両手でぎゅむっと挟みこんだ。
 そして、いきなりこう言った。

「──君は俺のことが好きなのか?」

 ──分からない。

 きゅっと下唇を噛む。
 エリオンの顔は好きだ。すらっと背が高いスタイルも。さらさらの黒い髪も神秘的な翡翠色の瞳も。
 でも、彼本人が好きかどうかは分からない。だって、私はエリオンのことを何もしらないのだ。だって彼は私に何も話してくれないから。

「わっ、わかりません……」
「分からないのに閨事はしたいのか?」
「し、したら、好きになるかも、しれません……」
「本当か?」

 ──分からない、でも。

 何もない関係でいるよりも、好きになれるような気がする。
 私はエリオンに顔を掴まれたまま、こくりと頷いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本を返すため婚約者の部屋へ向かったところ、女性を連れ込んでよく分からないことをしているところを目撃してしまいました。

四季
恋愛
本を返すため婚約者の部屋へ向かったところ、女性を連れ込んでよく分からないことをしているところを目撃してしまいました。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

メイドから家庭教師にジョブチェンジ~特殊能力持ち貧乏伯爵令嬢の話~

Na20
恋愛
ローガン公爵家でメイドとして働いているイリア。今日も洗濯物を干しに行こうと歩いていると茂みからこどもの泣き声が聞こえてきた。なんだかんだでほっとけないイリアによる秘密の特訓が始まるのだった。そしてそれが公爵様にバレてメイドをクビになりそうになったが… ※恋愛要素ほぼないです。続きが書ければ恋愛要素があるはずなので恋愛ジャンルになっています。 ※設定はふんわり、ご都合主義です 小説家になろう様でも掲載しています

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

おしどり夫婦を演じていたら、いつの間にか本当に溺愛されていました。

木山楽斗
恋愛
ラフィティアは夫であるアルフェルグとおしどり夫婦を演じていた。 あくまで割り切った関係である二人は、自分達の評価を上げるためにも、対外的にはいい夫婦として過ごしていたのである。 実際の二人は、仲が悪いという訳ではないが、いい夫婦というものではなかった。 食事も別なくらいだったし、話すことと言えば口裏を合わせる時くらいだ。 しかしともに過ごしていく内に、二人の心境も徐々に変化していっていた。 二人はお互いのことを、少なからず意識していたのである。 そんな二人に、転機が訪れる。 ラフィティアがとある友人と出掛けることになったのだ。 アルフェルグは、その友人とラフィティアが特別な関係にあるのではないかと考えた。 そこから二人の関係は、一気に変わっていくのだった。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...