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03 仲良い夫婦だと思っていたのに。
しおりを挟む※ギド視点回
「はぁ……? 今なんと?」
ちょうど時計の針が天辺を回ったころ、我が愛妻ミエーレが私の部屋にやってきた。相談があるというので部屋にいれたら、椅子に座ったと同時に開口一番でこう言われたのだ。
──離縁してください、と。
執務が忙しすぎて幻聴まで聞こえるようになったか……と思いたかったが、ミエーレの顔は真剣そのもので、彼女の腕の中には家令のスタンレーが作成した証書や、契約金に関する書類までもがあった。
そう、離縁準備万端だったのだ。
絶望のあまり床に四つんばいになりたい気持ちを何とか押しとどめて、私は恐る恐る聞いてみた。離縁したいと思った経緯を。
ざんねんながら身に覚えは山ほどあった。むしろ身に覚えしかなかった。彼女には父の世話を押し付けた上に家令の仕事も手伝わせていたからだ。
手当てはもちろん弾んだし、欲しいものがあったらどんどん買ってもいいとは伝えたが、彼女が不満をおぼえるのも仕方がないと思う。こんなの貴族の妻じゃねえと罵られても殴られても仕方がない。
それぐらいこの二年間、ものすごく苦労をかけてきた。
これは完全にいいわけになるが、ミエーレと一緒になった時、私は父の仕事を継いだばかりで本当に余裕がなかった。この二年間、なんとか潰れずに済んだのも、ミエーレのおかげだといっても過言ではない。元男爵令嬢で、父親の家令をやっていたという彼女がうちの執務を手伝ってくれたお陰で、家はなんとか体裁を保っていた。
父を黄泉の世界へ送ってはや二月。伯爵家を継いで二年、やっと余裕が出来てきた。今度はミエーレと子どもを……と考えていた矢先の出来事だった。
「ミエーレはどうして、私と離縁したいと思ったんだ?」
「最初から、お義父様を看取るまでだという約束だったでしょう? この婚姻は」
たしかに余命いくばくもない父を安心させるために結婚したいと言ったし、父を看取った際には世話になった礼に金を渡すとは言ったが、『離縁する』とは言っていないはずだ。
もちろん、彼女が途中で離縁したいと思った時のために、その後彼女が路頭に迷わない程度の金は渡すと最初に約束したが。
私はミエーレと出会った時から、彼女のことがいいなと強く想っていた。少なくとも外見はものすごく好みだったし、ぐうの音も出ないほど可愛いと思っている。自分の理想を具現化させたような彼女と、毎朝挨拶を交わすたびに恋に落ちていた。
ミエーレさえよければ、添い遂げようと結婚当初から本気で考えていたのに。
「私は、いつ契約満了が言い渡されるかずっと待っていたのに。ギドがいつまでもたっても言い出さないから……」
しかし彼女ははなっから父を看取ったら出て行くつもりでいたらしい。いつまで待っても私の口から『離縁』のことばが出てこないので、不安だったと唇を尖らせた。
額を押さえ、天を仰いだ。この二年間、夫婦としてそれはそれは仲良くやってきたつもりだったのに。
視界が暗転しそうになるぐらい、私はショックを受けているというのに、ミエーレの方は『とうとう言ってやったわ』と言わんばかりにいそいそと書類を見せつけてきた。
「スタンレーさんにね、契約妻の退職金の概算をとって貰ったのよ。良かったらこれにサインしてくれないかしら? 離縁届も、私はもう書いたから」
いつもの通りの、優しい口調だった。彼女のおっとりとした穏やかな声が好きだった。彼女の小さくて細い指が、私の記すべき箇所にそっと当てられる。
たまらなくなり、次の瞬間、私は彼女の手首を力いっぱい握りしめていた。
「えっ、何……? おかしなところでもあった?」
「認められない……」
「はい?」
「離縁だなんて、そんなの……いきなり認められるわけないだろ」
自分の声とは思えないほど、低く沈んだ声だった。ミエーレは恐ろしく思ったのだろう、さっと青ざめ、眉尻を下げた。
「でも、約束ですし」
「そんな約束はしていない」
きっぱりと言い放つと、ミエーレは意を決したように琥珀の瞳をキッと向けてきた。
「してますよ! 私はたしかに契約妻です! もうとっくに契約満了してます! だから、だから、私と離縁……してください!」
ところどころつっかえながらも、ミエーレは自分の要求をまっすぐに伝えてきた。……いつもは使わない敬語で。
私を見上げる顔は残酷なまでにいじらしく可愛らしいが、内容は死の宣告に等しかった。
「嫌だ」
「えっ、そんなこと言われても……。そ、それにギドだって、私と離縁出来なかったら困るでしょう?」
ミエーレと離縁して困ることは山ほどあるが、婚姻を続けて困ることなど何一つなかった。何故彼女がそんなことを言い出すのか本気で分からなかった。
「ギドはまだ若いし、いくらでも再婚できるよ? 十代でお金持ちの、きれいなお嬢様と再婚できるのに……」
人を振る常套句のようなセリフをミエーレは口にする。十代の少女には興味がないし、野心をいだく前に自領の統治さえおぼつかない自分は、政略結婚をするつもりも無かった。
ただミエーレと共にいたかった。彼女と幸せな家庭を築きたかった。
ミエーレの腕をそのまま強く引き、無理やり立ち上がらせた。
「ギド!」
私は答えない。ミエーレは私の拘束から逃れようとしたが、許さなかった。一瞬つんのめった彼女の隙をつき、膝裏を抱えて横抱きにした。
ミエーレの悲鳴が聞こえたが、無視した。視線の先には寝台がある。
「何するの……?」
抱き抱えたミエーレの身体が強張る。ふるふると震えた声を出しながら、彼女は私の夜着を掴んだ。
──もういい。今すぐにでも、ものにしよう。
ミエーレの身体をゆっくり寝台に下ろし、覆い被さった。二年間、求めるのを遠慮し続けた肢体。父を看取り、子どもを作る余裕ができるまではと、手出しするのを辛抱し続けたその身体。
彼女の上着の下は、薄い夜着一枚で下着ひとつ着けていなかった。ツンと勃った胸の頂きが二つ、布の上からはっきりとみて取れた。
──こんな格好で深夜、ひとりで男の部屋を訪ねるミエーレが悪い。
震える妻の肩を掴み、はじめてその唇を奪った。
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