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95 それから……

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 高句麗コグリョ国首都、平壌城ピョンヤンソン

 その山城やまじろのてっぺんに建てられた見張り用展望室の窓の前に立って、嬰陽王ヨンヤンワンは眼下に広がる街の様子を静かに見下ろしていた。

 らい護児ごじひきいるずいの水軍兵士たちによって思うがままに蹂躙じゅうりんされ破壊された街だが、隋軍完全撤退てったいの後には急速に復興ふっこうが進み、いまではもう侵攻しんこう前の八割は回復していた。

 人々が笑いざわめき、互いに助け協力しながら力を合わせて街を立て直している様子を目にしていると、嬰陽王はその口元に自然と笑みが浮かんで来るのが分かった。

 乙支文徳ウルチ ムンドクの策に従い、街の住民たちは兵士たちが攻めてくる前に全員山城の中にと避難させた。そのため街は破壊されたものの、一般住民の中に被害者は出なかったのだ。

  街の住民を山城の中に入れることについては重臣たちの中から反対意見も出なかった訳ではない。平壌城の山城は高句麗政府の中でも最も身分の高い高貴な者たちのためのものであり、一般の平民なんぞを入れてやるいわれはない、という理屈である。

 だが嬰陽王は反対意見を押し切って、住民全員を山城の中にと入れた。当時は国王の横暴だ独断だと非難する重臣たちも数多くいたが、目の前に広がっているこの光景を見ればその決断の正しさは証明されるだろうと嬰陽王は思う。

 市民たちを全員山城に避難させたことで、高句麗の王や政府は市民たちを守るために全力をくすのだという姿勢が広くアピールされた。そのため彼らは不自由な避難生活にも文句一つ言うことなくえ抜き、戦いが終わった後は希望に胸をふくらませながら、復興事業に力を尽くしてくれているのだから。

 そんなことを思っていると、誰かがバタバタと階段を駆け上がってくるような音が聞こえてきて、嬰陽王は首をかしげた。重臣たちが姿の見えない国王を探しにやってきたのだろうか? それにしてはなんともにぎやかでせわしない足音だが……。

「あ、兄上? なぜこのような所に?」

陛下へいか!?」

 やがて勢いよく部屋の扉が開かれると、二つの足音は嬰陽王のよく見知った少年と少女の姿を取って、その前に現れた。二人とも、この展望室に嬰陽王がいるとは思わなかったらしい。しばしぽかんとしたような表情を浮かべ、さらに少女のほうは慌てたようにその場に平伏へいふくした。

「なんだ。騒がしいと思ったら、大陽テ ヤン高建武コ チェンムじゃないか」

 平伏した少女に立つようにうながしながら、嬰陽王は苦笑を浮かべて言った。

「なぜここにいるとは、ぼくのセリフだね。ここは非常時以外立入禁止だぞ。……まあ、現に僕だって来ている訳だから他人ひとのことは言えないんだけどね」

「はっ。申し訳ありません陛下。でも、あのその。もしかしたら乙支文徳閣下かっかがこちらに来ているんじゃないかと思ったので……」

 ゆっくりと立ち上がり、それでも頭だけは深く下げたまま、高建武が恐る恐るといった口ぶりで言った。それを聞いて嬰陽王はピンと片方のまゆね上げる。

「二人とも乙支文徳を探しているのか?」

「はい、兄上。昨晩からずっと姿が見えないので。一体どこに行ったのかなあって、ずっと探していたんです。兄上はもしかしてご存じじゃないですか?」

「え? ああ、うん。ご存じと言えばご存じのような、ご存じじゃないような……」

 大陽の問いに、嬰陽王は視線を宙に泳がせながら、曖昧あいまいな応えを返した。そのもの言いになにか不自然なものを感じたのか。大陽と高建武は互いに顔を見合わせた後、そろって詰問きつもんするように嬰陽王の顔を正面からじっと見つめてきた。嬰陽王はさらにしばらくそっぽを向いて知らんぷりを続けていたが、どうやらごまかせそうもないと察するとふぅとため息をこぼして、観念して口を開いた。

「……しょうがないな。これは実はしばらくの間黙っててくれって言われてたんだけど。乙支文徳は今朝僕の所を訪ねてきて、外国旅行をしてきたいから、当分ヒマをくれって言ってきたんだよ」

「えーーっ!?」×2

 嬰陽王のその言葉に、大陽と高建武は同時にそう驚いたような声をあげた。

「隋軍との戦いで心身共にくたびれ切ってしまったから、休憩きゅうけいとリフレッシュを兼ねてしばらくのんびり旅に出たいんだって、有給休暇の申請しんせい書を出しながら言ってきた」

「そ、それで、どうしたんですか兄上。まさか許可を出したんじゃないですよね?」

「出したよ」

「そんな! 隋軍の脅威きょういは去ったとは言っても、高句麗はこれから色々大変な時じゃないですか。街の復興はもちろん、焼いてしまった田畑や埋めてしまった井戸の掘り直しとかもありますし。今回の戦争で傷ついたり病気になった人のための施療せりょう院も建設しなくちゃいけないし。他にも、やらなくちゃいけないことは山ほどあるって言うのに、軍の最高責任者である乙支文徳が旅に出るって、それは一体どういうことですか!?」

 大陽はつばを大量に飛ばしながら、猛抗議をするようにそう声をあげてくる。その迫力に思わずたじたじとなって、嬰陽王は数歩後ろに下がった。

「それは確かにその通りだし。僕も一応はそう言って断ったんだ。だけど乙支文徳の奴、そうしたらなんて言い返したと思う?」

「? なんて言ったんですか?」

「『今回の戦いでおれは一〇〇年分くらい仕事はしたぞ。この上まだ働かせる気か? 過労死したら毎晩枕元まくらもとに化けて出てやるぞ。呪い殺して地獄送りにしてやる! おきなさい!!』だってさ」

「うわー。乙支文徳らしいセリフ」

「だろう? どこの世界に国王に対してそんな暴言を臣下しんかがいるって言うんだか」

 やれやれと吐息といきをこぼしてから、嬰陽王は言葉を続けた。







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