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83 帰還・その1
しおりを挟む平壌城に戻ってきた乙支文徳たちを出迎えたのは、祖国を守るため死力を尽くして隋の侵略軍と戦った英雄を讃える暖かい拍手とねぎらいの言葉……ではなく。隋軍をおめおめと平壌城近郊まで連れて来てしまったことに対する怒りと叱責の声だった。
「どうしてくれるんだ!?」
平壌城山城内に設けられた国王の謁見室。乙支文徳、高建武、大陽の三人は、これまでの戦いの経緯を報告するために、玉座に腰掛けた嬰陽王とその脇に控える皇太子である大成の御前で拝跪していたところだった。だが乙支文徳が口を開く前に、部屋の両側に立っていた文武百官たちが苛立たしげに口汚い言葉を投げつけてくる。
「乙支文徳! 貴様が隋軍を撃退する自信があると言うから(乙支文徳『言ってねーよ!』)、陛下は貴様に高句麗軍の全権を委譲して、全軍の指揮権を任せたのだぞ! それがなんだこのザマは?」
「そうだ! 隋軍はこの平壌城の街をすっかり取り囲んでしまっているではないか!」
「遼河や遼東城では少しはマシな戦いをしていたと聞いたが、鴨緑江からこっち、隋軍と七回戦って全敗したそうだな? 貴様本当にやる気があるのか!? よもやと思うが、油断して手を抜いているのではあるまいな!!」
「もしも万が一、このまま隋軍によって平壌城が占拠され、安鶴宮が落とされるような事態になったら貴様、一体全体どう責任をとるつもりだ? 言っておくがその小汚い首の一つや二つ差し出すくらいではすまないぞ!!」
「我らはこんな醜態を招くために、貴様を征虜大将軍に推薦したのではない! ああ、もう、どうしてくれるのだ? 乙支文徳のせいで伝統と歴史ある平壌城の大地が隋兵どもの薄汚い軍靴によって汚されていくのを、我々はただ黙って見ているしかないのかっ!?」
大臣や軍人たちはみな、ある者は怒りに顔を真っ赤に染めて唾を大量に飛ばしながら、乙支文徳の顔を憎々しげに睨みつけ、怒鳴り声をあげていた。そうかと思えば、ある者は顔面を雪か蝋のように真っ白にして、恐怖のため身体中をぶるぶる震わせながら泣き言か恨み言としか聞こえないような喚き声をあげていた。
その反応は様々なれど、彼らの言いたいことは要するに一つだ。乙支文徳がだらしないから、隋軍にここまでの侵攻をむざむざ許してしまった。どうしてくれる、なんとかしろという訳である。
乙支文徳や兵士たちがこれまでどれだけ苦労して戦ってきたかを知っている高建武や大陽はそれらの野次を聞いてムッとしたような表情を浮かべたが、言われている当人の乙支文徳は白けた思いでいた。
迫り来る隋軍の足音におびえるあまり、乙支文徳に全ての責任を押しつけて、怒鳴り声をあげることで自分の恐怖をごまかしているような輩の戯言など、乙支文徳の知ったことではなかった。それよりこの先の隋軍との最終決戦をいかに戦うかということで、すでに頭がいっぱいだったのである。
だが乙支文徳が黙っているのを見て返す言葉もなく恐れ入っているのだとでも勘違いしたのだろうか。大臣や将軍たちは調子に乗って、さらに口汚く罵り声をあげる。
「全く! 期待外れもいいところだ。こんなことなら乙支文徳なんぞに征虜大将軍を任せたりするのではなかったわい!!」
「同感だな。やはり変な遠慮などせずに、わしが征虜大将軍を引き受けるべきだった」
「どだい、乙支文徳のような苦労知らずの若造に、そんな大任など荷が重すぎたのだ」
「それに兵どももだらしがない! 最近の若い兵士連中は何事も自分中心で、尊い自己犠牲の精神と言うものを知らなすぎるのだ。お国を守るためなら、自分のちっぽけな生命など喜んで国に捧げてしかるべきなのに。なにかと言うと身を惜しみ労を厭い、楽をすることばかり考えて、国のためになることなどなに一つしない」
「挙げ句は少し怪我をしただけでもう戦えないなどと甘えたことを抜かし、負傷兵として戦線から抜けようとする。ふざけるなと言いたい。ちょっとやそっとの怪我くらい、なにほどのこともあるまいに。そもそも祖国を守ろうという強い意志と根性さえあれば、怪我の痛みや苦しみなど最初から感じることもないはずではないか」
「もしもどうしても怪我をして戦えないというのなら自らの身体で盾となって戦友を守るとか、爆薬を抱えて隋軍の前に飛び込んでいき、見事自爆するとか。それくらいのことをしてやろうという心意気を見せてもらいたいものだ」
「ほんに、ほんに。遼東城での戦いで負傷したなんて言っている奴らのほとんどは、実は大した怪我なんかしとらんのじゃないか? それとも戦うのが嫌で些細な怪我を大げさに報告したとか。おおかたそんなところであろう。第一……」
「黙れっっっ!!」
嘲るような嗤い声をあげながら、なおもなにか言い募ろうとしたようだった大臣たちだったが、不意に、近くに雷が落ちたかと思うほど大きな声が響き渡ったため、謁見室の中は一瞬で、水を打ったように静まり返ってしまった。
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