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61 平壌城の戦い・その6
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だが次に来護児の耳に届いたのは自らの身体が両断される音ではなく、固い金属同士がぶつかったような冷たく澄んだ音だった。なにが起きたのかと訝しく思い、恐る恐る目を開いた来護児が見たものは二つ。一つは彼女に向かい思いきり剣を振り下ろしている高建武の姿。もう一つは逆に彼女を守ろうとするかのようにその前に立ち塞がり、先端の尖った細い鉄の棒を両手に一本ずつ持ってそれを十字に重ねることで高建武の剣戟を受けとめた割烹着姿の少女の姿だった。
「……小猫ちゃん? なんで貴女がここに?」
「だから、その呼びかたはやめて下さいってば」
来護児の問いかけに、秦瓊は高建武から目を離さないまま苦笑いを浮かべ応えた。
「総管が出陣なさってからも、あたしの嫌な予感はいっこうに収まらなかったもんですからどうにも心配になって。差し出たこととは思いましたけど様子を見に来たんです。そうしたら案の定でした。来て良かったですよ」
「どこのどなたかは存じませんが、邪魔はなさらないでくださりませんかねえ? いまはあたしと来将軍が一対一の真剣勝負をしているところなんですけど」
高建武は不機嫌そうに眉をひそめると、一旦引いた剣を今度は秦瓊の胸先に向けながら、冷ややかな調子で突き刺すように言葉を紡いだ。それを聞いて秦瓊もすっと目つきを鋭く細める。
「それはどうも申し訳ありませんでした。あたしは秦瓊。字を叔宝と言います。今回の遠征では隋水軍の副総管を任されている者です」
「まあ、貴女があの有名な金装鐗使いの女傑、秦叔宝どのですか。では手加減の必要はなさそうですね」
「ええ。お互いにね」
同じ栗色の髪を持つ二人の少女らは静かな口ぶりで言い合いながら、表面的には穏やかで友好的とさえ言える笑みをこぼした。だが次の瞬間。二人は裂帛の気合いと共に剣と鐗を振るい、澄んだ金属音を再び平壌城の街に響き渡らせる。
馬上から勢いよく振り放たれる高建武の一撃を、秦瓊はかろうじて受け止めた。だがその勢いを完全に殺すことは出来ず、衝撃によって一〇メートルほど後方にと吹っ飛び転がされた上に、武器である鐗もその両手から離れ落ちてしまう。
「小猫ちゃん!?」
来護児は慌てて彼女を助け起こしに向かうが、倒れた彼女にとどめを刺そうと迫っていく高建武のほうが断然に早い。なにしろあちらは馬に乗っているのだから当然だが。
(駄目だ、殺られる……)
絶望の思いと共に内心で叫び声をあげる来護児。だが秦瓊は慌てた様子もなく立ち上がると、割烹着の懐に手を入れ、そこから短剣を数本取り出し、うち一本を高建武に向けて素早く投擲した。
「なっ……!?」
高建武はかろうじてそれを剣で弾き飛ばしたが、そのためにバランスは大きく崩れてしまった。主人の落馬を防がんと、絶妙なタイミングで馬が姿勢を変えてフォローに回ろうとするが、それを見計らったかのごとく秦瓊が時間差をつけて放った二本目の短剣が、馬の顔の真正面に向かっていく。もしも馬がこの攻撃を避けようと首をひねったなら、高建武は崩したバランスを回復させることが出来ず、落馬を余儀なくされてしまうだろう。
そうなれば、三本目の短剣が易々と高建武の心臓深くに突き刺さるはずだ。しかし馬は短剣を避けることなく自ら飛んでくる短剣のほうにと顔を向け、あろうことかその歯で受けとめてしまった。さらに馬は巧みに動いて高建武のバランスを回復させ落馬を防ぐと、くわえていた短剣を秦瓊の元に投げ返した。秦瓊は、高建武に向けて投げるはずだった三本目の短剣でかろうじてそれを弾く。
「怪物三号か、あの馬は……」
その様子を目の当たりにした来護児は、驚くよりもむしろ呆れ果てた口調で声をこぼした。一方の秦瓊はちっと一つ舌打ちをした後、跳ねるように立ち上がると落ちた鐗を素早く拾い上げ、疾風のごとき動きで二度三度と高建武と刃を合わせる。
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