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26 遼河の戦い・その2

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 時間は少しだけさかのぼり、所は遼河リョハ西岸のずい軍第一陣の駐屯地ちゅうとんち

 辛世雄しん せいゆう苛立いらだっていた。その原因はもちろん宇文述うぶん じゅつである。自分の失敗を他人に押しつけ、戦いで疲れ果てた兵士たちにさらなる重労働を課しておきながら、自分は一人で天幕テントで休むなどと言う。更に頭にくるのが、戦死した兵士たちのことを役立たずとののしったことだ。あれには辛世雄も相当かちんときたが、兵士たちの怒りはそれ以上だったろう。あれで兵士たちの軍上層部に対する反感ゲージは格段に上がったことは間違いない。

 それでも上官の命令だから兵たちは浮き橋の改修と点検などはきちんと行なった。しかしただでさえくたびれている上に、宇文述に対する反感が後を引いているため、それはお世辞せじにも完璧だったとは言えず、見落としがあったとしても全くおかしくない。

「浮き橋の修復も終わったことだし、日が沈むと同時に武麗邏ブレイラへの攻撃を再開する!」

 そろそろ日が暮れようかという頃になってようやく天幕から顔を出してきた宇文述は、兵たちを集めてそう演説をぶった。将軍である辛世雄は衛玄えいげんと共に、最前列でその演説を聞かされ……もとい、拝聴はいちょうしていたが、正直うんざりした気分は隠しきれない。手前てめえは充分休息をとったからいいが、兵士たちは前の戦いの後も不眠不休で浮き橋の修理に努めていたのだ。少しは気を使って休ませてやろうとか思わないのか……。

(……思わないんでござろうな)

 辛世雄ははあと湿しめった息を吐く。

 そういう細かいところに気がつくような男なら、そもそも兵士たちにブラック企業もかくやと言うほどの過重労働をいたりはしないだろう。

「先程我々隋軍が浮き橋を引っこめたことで高句麗コグリョ軍は、今日はもう襲撃しゅうげきはないはずと油断しきっているに違いない」

 そんな辛世雄の内心や、兵士たちのうんざり感などには当然気づかず——気づいたところでどうもしないだろうが——宇文述は一人気炎きえんを吐いた。

「そのスキをつき一気に敵軍を殲滅せんめつするべく、六万の兵を投入しようと思う。それで、その指揮官を誰にするかだが……」

「その任務はボクたちにっ……」

「お任せですわぁ」

 宇文述の言葉を途中でさえぎるように、うららかな春の陽射ひざしを思わせる清くみきった声が二つ、頭上から響き渡った。

 辛世雄や兵士たちが何事かとざわめきながら辺りを見回すと、いつの間に現れたのだろうか。川辺のひときわ高い場所で赤く燃える夕陽をバックに、二人の少女のシルエットが浮かび上がるのを見て取れた。

「だ……誰だ、貴様らはっ!?」

 突然の闖入者ちんにゅうしゃに宇文述は腰を浮かせながら、誰何すいかの声をあげた。それに応えてか少女らは同時に勢いよく大地をり、くるくると回転しながら宇文述の前に降り立つと、二人して『シャキーン!』とでも効果音が入りそうなほど見事にポーズを決めて見せる。

 少女らは二人とも年齢十四、五歳くらい。いずれもとても愛らしい顔立ちをしているのだが、そのベクトルは見事なまでに正反対のほうを向いていた。

 一人は小柄だが少年のように引きまった小麦色の肌と短く切りそろえた茶髪の持ち主で、全体的にどこかやんちゃと言う、いたずら大好きの小犬を思わせる元気系少女。身に着けているものは胸元に大きなリボンと肩口にヒラヒラがついた、黒いシルクのノースリーブのツーピース。すそが短いため、時折おへそがチラとのぞくところがデンジャラス。手の甲からひじまでをおおう手袋とブーツにはハートのワンポイントがあしらわれていた。

 もう一人は雪を連想させるほど白い肌に黒檀こくたんのごときつややかな黒髪を長く伸ばして頭の上で結んだ、血統書つきの猫を思わせるいやし系少女。身に着けているのはウェディングドレスを普段着に縫い直したような白いシルクのノースリーブのワンピース。短めのスカートが風でふんわりはためくと、太股のかなり上の部分まで露出ろしゅつされるところがバイオレンス。胸元のリボンと肩口のヒラヒラ、手袋にブーツなどは先の少女とおそろいだ。

「隋軍十二将軍の一人。趙孝才ちょう こうさい、見参っ!」

 ボーイッシュな少女が白い歯をきらめかせながら声をあげると、

「同じく、隋軍十二将軍の一人。崔弘昇さい こうしょう推参すいさんですぅ!」

 令嬢れいじょう風の少女もふんわりとした笑顔を浮かべて、言葉を放つ。

 一瞬、なにが起こったか分からないと言うようにぽかんと口を空けて沈黙した兵士たちだったが、少女たちが名乗りをあげた次の瞬間には鼓膜こまくが耳から飛び出すのではないかと思うほどの大歓声が響き渡った。男だらけの軍隊社会の殺伐さつばつとした空気と雰囲気の中で、数少ない女性である彼女ら二人は、兵士たちのすさんだ心をなぐさめるマスコットのような存在として、隋軍の中では絶大な人気をほこっているのである。

 兵士たちの声援せいえんを受けて二人は左右対称シンメトリーで素早く体操するような動きをとると、かたや直立して持ってもいない剣を構えるように、こなた片ひざをついて持ってもいない弓を引くような態勢をとって、どこかコケティッシュで意味あり気な微笑を浮かべた。どうやら決めポーズを取ったらしい。続いて兵士たちに向けて可愛らしくウィンクして見せる。

 その姿は、たとえるならばむくつけき男どもの筋肉のそのに咲いた可憐かれんなる二輪の花。兵士たちはたちまちのうちに興奮の絶頂ぜっちょうに達して、ある者は勢いよく腕を振り回し、ある者は意味の分からない雄叫おたけびのようなかけ声をあげ、またある者は、その程度のことではこのほとばしらんばかりの情熱を表現するには到底足りないとばかりに、おもちゃをねだる幼児のように地面にひっくり返って、手足をバタバタ振り回し始める。

 もし兵士たちの興奮度を計るパラメーターのようなものがこの場にあればとっくのむかしに針が振り切れて壊れていたことだろう。まるでアイドル歌手のコンサートである。彼女たちの頭上からスポットライトの光が降りそそいでこないのが不思議なくらいだ。

 ただし、中にはその興奮に乗りきれずにいる不幸な者たちも、少数ながら存在する。その一人である辛世雄は熱狂して騒ぎ立てる観客……もとい、異様なまでに興奮している兵士たちのテンションの高さについていくことが出来ず、げんなりと息を吐いた。

「……あのコスプレコンビ。しばらく姿を見ないと思ったら、宿営しゅくえいに閉じこもってあんな衣装を作っていたでござるか。仕事もサボって。仕様しょうのない連中でござるな」

 そう言って辛世雄は同意を求めるように衛玄のほうを見たが、つい先程まですぐ隣にいたはずの彼の姿はいつのまにかなくなっている。どこに行ったのかと辺りを見回してみると、いい年こいて兵士たちと一緒になって拳を振り回しながら少女たちに激しくエールを送っている彼の姿を見つけて、がっくり肩を落としたのだった。






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