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13 三兄弟
しおりを挟む「兄者……いえ、陛下。本当によろしかったのですか」
大臣や将軍たちが全員退席して兄弟三人だけになると、大成が不満そうな表情を浮かべて噛みついてきた。
「よろしかったとは一体、なんのことだい。大成」
「決まってるでしょう。乙支文徳のことです。ただでさえ礼儀知らずで傲岸不遜、王族を王族とも思わないような無礼な男なのに。この上、征虜大将軍などという要職に就けたら余計に増長して、果てはこの高句麗を簒奪してしまおうと企むかもしれませんよ?」
「ああ。大丈夫。それはあり得ないから」
大成の心配を一蹴するように、嬰陽王はヘリウムガスよりも軽い口調で応えた。
「あの男は国王の椅子なんてものにはアリンコのハナクソほどの価値も感じていないからね。そんなもののためにいらない苦労をしてまで、わざわざ簒奪なんかしようと考えるほど、勤勉な人間じゃないよ。あれは」
「……陛下。私は真面目に心配しているのですよ?」
「僕も真面目だよ、大成」
鼻息の荒い弟をなだめ、苦笑を浮かべながら嬰陽王は言葉を続ける。
「確かにあいつは口は悪いし性格も悪い。その上根性もひん曲がっている。腹の中は真っ黒だし性根は腐っているし責任感はないし怠け者だし、自分本意のわがままで面倒くさがりのへ理屈こきで、ものぐさでだらしなく、厄介ごとからはすぐに逃げ出そうとするし」
「兄上って、なんか乙支文徳の悪口を言う時はいつも、顔が生き生きとしてますねえ」
小さくくすりと笑いながら、大陽がおかしげに口をはさんできた。それには聞こえないふりをして、嬰陽王は軽く咳払いをしながらさらに言葉を続ける。
「そんな欠点の佃煮のような奴だけど。でもあいつは自分より弱い立場にいる人間を貶めたり傷つけたり、苦しめたりなんていうことは決してはしないし、それをしようとする奴に対しては全身全霊で立ち向かっていくことの出来る勇気と実力の持ち主でもあると、僕は思っている」
「それは買いかぶりだと、私などには思えますがね」
「そうかな?」
「当たり前です! 陛下。いまからでも遅くありませんから、すぐにでも乙支文徳にお与えになった命令を取り消して、他の人間を征虜大将軍になさってください」
「他の人間と言われてもねえ。どいつもこいつも自分が征虜大将軍に任命などされたらたまらないとばかりに、僕と目を合わせようとすらしなかった奴ばかりじゃないか」
「それをおっしゃるなら、乙支文徳とてさほど乗り気であるようには見えませんでしたが。そもそもあの穀潰しで軍人としてどころか一般人としても並み以下の能力しかない乙支文徳が征虜大将軍になったところで、隋軍二〇〇万の兵を退けることが出来ると本気でお思いなのですか?」
唾の飛沫を大量にまき散らしながらがなりたててくる次弟に、嬰陽王はあっさり首を横に振る。
「そんなわけないだろう。むしろ負ける確率のほうがはるかに高いな。僕だって出来ればこんなオッズの高そうなバクチなんか打たず、さっさと降伏してしまいたいよ」
「降伏……ですか。でも、それは」
大成はもごもごと呟いた。
実はその案もいままで全く出なかったわけではない。確かに屈辱的なことではあるが、この際一時の恥は忍び、高句麗の未来と民のため煬帝に臣従することもやむを得ないのではないかと。
だがその意見はすぐに却下された。煬帝のことだ。降伏の条件として最低限、高句麗の王権の移譲と莫大な額の賠償金、さらには嬰陽王の首を要求してくることは疑いないからだ。
「まあ賠償金や僕の首くらいなら煬帝にくれてやるのも仕方ないかもしれない。だけど王権の委譲はまずい。そんなことをしたら高句麗の独立は完全に失われてしまい、この国は隋の属国……いや、一地方に成り下がってしまう。そうなれば高句麗二〇〇万の民たちを待っているのは、地獄のように悲惨で苛烈で残酷な運命だけだ」
煬帝が自分の贅沢な生活を維持するために重税を課したり、城や運河を作るために多くの民を徴発し、ろくに食事や休息も与えずに働かせているというのは有名な話だ。そのため隋では毎日大量の死者や病人が出ていると言う。
隋と戦って敗れた契丹(モンゴル)や流求(台湾)、林邑(南ベトナム)の民も同じような苦役を課された上、巨額の賠償金や奴隷の上納、国王の首を要求されている。戦わずに降伏した突厥(トルコ系遊民族)や吐谷渾(チベット系遊民族)にさえ、煬帝はほとんど容赦しない。どうして高句麗だけは例外であると言えようか。
「つまり高句麗が生き残るためには乙支文徳に賭けてみる以外に方法はないと。そう思っておられるのですか?」
「ああ。乙支文徳なら絶対に勝ってくれるとまでは言えないけど、高句麗の……いや、朝鮮半島にいる他のどの将軍よりもやってくれる可能性が高いと僕は思う。なら賭けてみるのも悪くはないさ」
「しかし先程乙支文徳は征虜大将軍に任命された時、ものすごく嫌がっていたじゃないですか。もしかしたらこのまま戦わず、新羅か百済あたりに逃げ出してしまうかも」
「その心配はないよ」
納得いかない表情を浮かべる大成に、嬰陽王は自信たっぷりの笑みを見せた。
「さっきも言ったろう? 乙支文徳は弱い立場にいる人間を傷つけたり、苦しめたりするような奴を決して許したりしない。それがどんなに強大な相手であってもね」
「そうですかねえ。先程の乙支文徳の態度を見ている限りでは、とてもそんなような義憤にかられているとは思えませんでしたが」
「あはは。そう簡単に他人に本心を見せようとしないのはあいつのクセだからね。ああ見えても内心では煬帝に対して、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えていると思うよ。だから本心では高句麗の民を守るため、自分が煬帝と戦うんだという覚悟はとっくに完了していたはずだ」
「でもそれなら征虜大将軍に任命された時、喜んで引き受けそうなものですが?」
「だから、それがあいつの素直じゃないところなんだってば。すぐに引き受けたら僕や重臣たち、他の将軍らの思うつぼだろう? それだと癪だから、わざとぐずって見せただけだよ。大体本気で戦いたくないと思っていたなら、煬帝が攻めてくると分かり切っているこの時期に、わざわざ平壌城に帰ってくるわけないじゃないか」
本当に性格がひねくれねじ曲がっている奴なんだから。そうつけ加えた嬰陽王を、大陽はおかしそうな表情を浮かべて見ている。
「ん? なにがおかしいんだい、大陽」
「いえ。そっくりだなあと思いまして」
怪訝な表情を浮かべて尋ねる嬰陽王に、大陽はこらえきれないと言うようにくすくす笑いながら言った。
「いま兄上がおっしゃったこと、簡単に本心を見せようとしなかったり素直じゃなかったりというのは全て、兄上にも当てはまることじゃないですか」
「……僕が乙支文徳とそっくりだって?」
末弟の言葉に、嬰陽王は不快感を表明すべく、これ以上は無理と言うくらいにむっつりと顔をしかめた。しかし大陽は笑いをおさめようとはせず、さらに言葉を続ける。
「以前、ぼくは乙支文徳に対しても、兄上とそっくりだと言ったことがあるんですけど。その時の乙支文徳も、いまの兄上と同じような表情を浮かべていました。ぼくに言わせればやっぱり似た者同士ですよ、そのくせお二人とも、ご自分ではそのことを認めたがらないようですけどね」
面白がるようなからかうような口ぶりで言う大陽に、嬰陽王は言い返すために口を開きかけた。だが結局適当な言葉を思いつくことが出来ず、苦笑いを浮かべながら、軽く肩をすくめて見せただけだった。
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