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10 征虜大将軍・その2
しおりを挟む「東アジアの中で、いまだ隋が手を伸ばしていないのは東夷にあたる四か国のみです」
一言一言区切るように、大陽はゆっくり丁寧に言葉を続けていった。
「具体的には我が高句麗と新羅、百済の朝鮮三国と、倭国のみですが。この中で隋が最も恐れ、警戒しているのは高句麗だと見て間違いないと思います」
「そうだな。新羅は最近売り出し中と言ってもやっぱりまだ力不足だし、百済や倭ははっきり言ってアウト・オブ・眼中だろう」
乙支文徳は半ば独り言を呟くように、小さく頷いた。
「その点、高句麗は四国の中で唯一隋と国境を接しているし、東アジア第二の強国として名を馳せている。隋が警戒するのも当然か。この様子だと、あのバカ息子が大軍を高句麗に送りこんでくるのも時間の問題だな……」
「その件についてだが実はつい先日、細作が素敵な情報を持ってきてくれた」
乙支文徳の発言をいい機会と捉えたのか、嬰陽王が口を挟んできた。
「煬帝は高句麗に対して全面侵攻を行なうべく、大量の兵や食料、武器兵器などを琢郡(北京)に集結させつつあるとのことだ。司令官には猛将とされ煬帝の腹心でもある宇文述将軍が、副司令官には知将とも謀将とも言われる于仲文将軍が就くらしい。さらに宇文述将軍の配下には隋軍十二将軍と呼ばれる、隋国きっての勇将名将たちがずらりと集まっているそうだ」
「おお……」
他の重臣や将軍たちもこれは初耳だったらしく、顔を見合わせながら困惑とざわめきの声を出した。
そんな彼らに静かにするよう合図をしてから、嬰陽王は言葉を続ける。
「ちなみに総大将は煬帝本人だ。煬帝自身はさほど軍事的才能が優れているというわけではないから、そのこと自体は別段恐くない。だけど皇帝の親征ということは、煬帝が本気で高句麗を制圧するという決意の現れであると見なされる。そのため隋の国意は高揚するし、兵たちの士気も上がるだろう。しかももっと厄介なことに……」
この上どんな厄介ごとがあるのかと言わんばかりの重臣たちに向けて、嬰陽王は苦い表情を浮かべながら言いにくそうに小声で先を続けた。
「煬帝は今回の戦いを、神の意志と文帝の遺志を受けて行なわれる、隋の国運を懸けた聖戦だと言っている。そのため隋としても全力でこの戦いに挑むとして、全国から二〇〇万もの大軍を集めてきたらしい」
「に、にひゃくまんーっ!?」
嬰陽王のその言葉に、大成や大陽や乙支文徳、他の大臣や将軍たちが一斉に、先程に数倍する驚きの声をあげた。
さしもの超大国、中国と言えども、一度の戦いに一〇〇万以上の兵を動員したことは過去たった二度しかない。
一度目はいまから二二〇年ほど前の西暦三八三年、俗に言う五胡十六国時代に前秦の三代目である宣昭皇帝苻堅が中国全土を統一するために、自ら軍を率いて南西の東晋を攻めたという、いわゆる淝水の戦いの時。
二度目は中国が二つに分裂していた南北朝時代の西暦五〇〇?(天監五)年。北魏の七代皇帝宣武帝元格が、南朝の梁を併呑すべく兵を送った時のことだ。
だが実際のところ前者は一〇〇万の兵と公称していたものの、その実数は五〇万だったと言われているし、後者も八〇万ほどだったとされる。
つまり二〇〇万の兵と言うのが話半分だったとしても、煬帝による今回の高句麗侵攻は、過去最大級の軍事行動ということになる。
十四年前、煬帝の父親である文帝が高句麗を攻めた第一次高句麗遠征の時でさえ、その兵力は水陸軍合わせて三〇万だった。それを撃退したのだって、数々の幸運に恵まれてようやくといったところだったのだ。
煬帝が近いうちに高句麗に大軍を派遣するであろうことは充分予想出来たが、それにしても二〇〇万というのは想定の範囲外もいいところである。
高句麗にとってはまさに、絶望的としか言いようのない話なのだ。たった一つ希望があるとすれば、中国による過去二度の大規模侵攻はいずれも、大軍を繰り出したほうが結果的に敗れているという史実か。
だがもちろんそんなものは、単なるジンクスでしかないわけで。二度あることが三度あるとは限らない。むしろ三度目の正直となってしまう可能性のほうが高いというのは子供にでも分かることであり、大して慰めにもならないのであるのだけれど。
「煬帝は東アジア全体を支配し統括する巨大な統一国家を建設する野望を抱いているという噂が流れていたけど、いよいよ我が高句麗もその栄えある東アジア帝国の末席に名前を連ねさせてもらえることになりそうだ。ありがたくて涙が出てくるような話だよ」
「思い上がりおって! 煬帝め!!」
将軍の一人が吐き捨てるように叫び声をあげた。だが彼自身、自分の言葉が負け犬の遠吠えに等しいことを嫌と言うほど理解しているのだろう。その言葉には覇気も鋭気も勢いも感じられない。
「まんざら思い上がりでもない。さっき大陽も言っていたけど、東夷四か国の中で隋と戦うだけの力を持っているのは高句麗だけだろう。逆に言えば、もし高句麗が滅んだなら煬帝の野望は九割がた達成したも同じだ」
嬰陽王のその意見に乙支文徳も賛成だった。だからこそ煬帝も、二〇〇万などという常識外れなまでの大兵力を以て、一気に高句麗を殲滅するつもりなのだ。もちろん高句麗を滅ぼした後はその勢いをかって、残りの朝鮮二国と倭をも制圧する気だろう。
「なんたることだ。一体なんたる……」
大臣の一人はぽつりと呟き、さらになにか言葉を続けようとするかのように口を開きかけた。だが結局次の言葉を見つけることは出来ず、重く湿った息をこぼすだけだった。
その他の重臣たちもみな、そろいもそろって顔を真っ青にしていた。わずかながら身体を震わせている者もいる始末だ。落ち着いているのは嬰陽王くらいのものである。
「……はぁ~。しかし水陸合わせて二〇〇万もの大軍とはね」
乙支文徳はそんな重臣たちをチラリと横目で見やってから、お手上げと言うように両手を上げて見せ、おどけた声を出した。
「ぶっちゃけ、ありえな~い」
「ふざけている場合かっ!!」
将軍の一人が拳を勢いよくテーブルに叩きつけてそう声をあげたので、乙支文徳は小さく肩をすくめてから、口をつぐむ。暗く沈み切った雰囲気を少しでも明るくしようと思って叩いた軽口だったのだが、残念ながら誰も理解してくれなかったようである。
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