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邪竜ゲドゥルフの屍体が安置されているのは、地下一〇階の中心部。すり鉢状の皿の底にあたる場所だった。
そこには複雑な呪紋や古代魔法文字などを用いて書かれた封印の魔法陣が設置されており。その上ですでに骨だけとなった邪竜の屍体がどっかりと鎮座ましましている様子が写された写真を、聖は訓練所で見せてもらった覚えがある。
まさかその様子を、実際にこの目で見ることになるとは思わなかったけどねと。聖は内心、苦々しい思いで呟いた。
肉や皮はすでに朽ち果てているとは言え。体長三〇メートルもの巨体は骨だけの姿となっても、圧倒的な存在感を醸し出している。
とは言え、それらは骨格標本のごとく竜の姿を完璧に保っているわけではもちろんなく。あちこち折れたり曲がったり割れたり砕けたり崩れたりしていて、あたかも解体された巨大ビル跡に中途半端に残された鉄筋のような様相を示していた。
先程はその様子を、ジャングルジムのようだと喩えたが。こうして間近まで来て見てみると。ジャングルジムと言うよりはむしろ、本当のジャングルみたいだという印象を聖は受けた。
ただし。若さと活力あふれる木々が幹を伸ばし葉を生やすことで、そこに暮らす多くの生きものを育んでいく生命の苗床としてのジャングルなどではなく。
生きとし生けるもの全てを拒み。一度足を踏み入れたら二度と出ることが出来ないであろうと感じさせる、死と破壊と絶望の象徴としての、魔の密林だ。
「はあ~。噂には聞いてたけど。実際に見てみるとなんて言うか。骨だけになってるくせにものすごい存在感と威圧感だな。さすがに一度人類を滅ぼしかけた、邪悪な竜の屍体だけのことはあるよ」
さすがの賢悟も邪竜の骨を目の当たりにして、その威容に飲みこまれたのか。口を大きく開けながらしばしぽかんとその場に立ち尽くしていた。
だがいつまでもこうしていても仕方がないと思ったのか。賢悟は気合いを入れるように自らの両頬を二、三度叩き。聖に向けて『行くぞ』と声をかけてから、邪竜の屍体で出来た骨ジャングルの中へと一歩、足を踏み出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ砂川くん! まさかこの中に入る気なの?」
そんな賢悟の首根っこを後ろから慌ててつかみ、聖は声をあげた。それに対して彼はなにをいまさらと言うような、呆れた目つきを向けてくる。
「当たり前だろ。なにしにここまで来たと思ってるんだ? 怖いのなら神代はここで待っててもいいぞ。おれ一人で行ってくるから」
「そうじゃなくて! もしかして砂川くんは、芹沼さんや彼女をさらったベリアルとそのマスターとかがいるのは、この骨ジャングルの中だと考えてるの? さすがにそれは違うとあたしは思うよ?」
「? なんでそんなことが分かるんだよ神代?」
「だってベリアルのマスターはゲドゥルフを復活させるために、この迷宮内に張られている結界を破るための儀式をしてるんでしょう?」
「そうだな。で、それが?」
「『それが?』じゃないでしょう! 考えてもみなよ。こんなに沢山の骨が複雑に入り組んでいて足場が悪い上に、大量の瘴気が煙みたくたちこめていて視界もろくに利かないような場所で。そんな複雑な儀式なんかを、執り行なえると思う?」
それに骨ジャングルの内部は邪竜の屍体から発せられる瘴気によって、そのあちこちに魔界へと通じる穴が開けられているはず。
下手に骨ジャングル内部に深く入りこみ、うっかりその穴をくぐって魔界の地を踏むこととなったらもう取り返しがつかないのだ。
生身の人間は、魔界の厳しい環境には耐えることは出来ない。実際に試した人間がいるわけではないが、おそらくほんの数秒たりとも生きていることは出来ないだろうというのが、魔界研究に携わる学者たちの主な意見なのである。
ベリアルを召喚した魔法使いが、そんなリスクを犯すとは到底考えられない。邪竜を復活させる前に、自分が魔界に落ちて死んだらなんにもならないのだから。
遅まきながら賢悟もそのことに気づいたようで。彼は中途半端にうなずきつつ『ああ』とか『うう』といったあいまいな声をあげてきた。
「……言われてみれば、確かに神代の言う通りだな。でもだとすると連中は、どこにいるんだろう?」
「それはさっき砂川くんが、自分で言ってたじゃないの。ベリアルのマスターは結界破りの儀式のために、ゲドゥルフの屍体のすぐ近くにいるだろうって。つまり彼らがいるのはこの骨ジャングルの中じゃなくて……」
「! 中じゃなくて、その周辺のどこかというわけか。ということは、このゲドゥルフの屍体の周囲をぐるりと一回りすれば、そのうちに自然と連中の元にたどり着けるというわけだな。よし! そうと決まれば早速……」
「だから、ちょっと待ちなさいってば!」
どうしてこいつはこういつもいつも、脳ミソを通さず脊椎反射のみで行動しようとするんだと少なからずイラつきながら。聖は再び彼の首根っこをつかんだ。
「なんの策もなく散歩するみたく呑気にその辺をうろついてたら。こっちがベリアルたちを見つける前に、ベリアルたちのほうがこっちを見つけちゃうかもしれないじゃないの! もしそうなったらどうするつもりよ!?」
「決まってる。ベリアルと、ベリアルを召喚した魔法使いと戦って斃して。芹沼さんを助け出してから、三人で一緒に地上に脱出するんだ」
「ああっ! 砂川くんがまた、出来もしないことをーっ!!」
なんの根拠もないくせに自信満々の口調で堂々と宣言する賢悟の言葉に。聖は頭をかかえて、その場にうずくまりたくなった。
それが可能であるならばどんなによかったか。だが残念ながら、いまの賢悟の実力では二人のうち片方だって斃せるとは思えない。
かたや、地下九階レベルの魔物たちすらしのぐであろう力を持つ王種の悪魔、デーモン・ロードで。こなた、その悪魔を魔界から召喚したり、何重にも複雑に重ねてかけられている邪竜封じの結界を解除出来たりするほど高レベルの魔法使いなのだ。
そんな相手とまともに戦って、賢悟に勝ち目などあるわけがない。『どりゃあ!』と気合いの声をあげて斬りかかって行った三秒後にはあっさり殺されて、地下一〇階の大地に無残な死体が転がることになるのがオチだ。
そこに聖が加わっても、死体の数が一つ増える以外に変化はないだろう。
戦うことは避けられないにせよ。その前に作戦を考えておくべきである。
と言っても、勝つための作戦ではない。聖と賢悟の二人だけでは、そもそもそんなことは不可能なのだから。
なんとかして連中を出し抜いて小夢を助け出し。彼女の持つ転位の宝石を手に入れた上で、三人そろって地上に脱出するための作戦を練るのだ。
竜の因子を持つ小夢がいなければ、たとえ邪竜封じの結界解除の儀式が終わったとしても、ゲドゥルフを復活させることは出来ないのだから。とりあえずはそれで万々歳とするべきだろう。
無事に地上に戻れたなら、その後は地下迷宮探検ギルドを通じて、政府なり王室なり軍なりに事情を説明し。後は彼らに任せるのが筋と言うものだ。少なくとも、一介の週末冒険者ごときがどうこう出来るような問題ではない。
などといったことを聖が話すと。賢悟は明らかに不満げな表情を浮かべたものの、最終的には納得してくれた。さすがに彼もそろそろ頭が冷えてきて、自分たちだけではベリアルやそのマスターを斃すことは無理だと気づいたのかもしれない。
「……分かった。神代の言うことも確かに一理ある。でも敵がいまどこにいてどういう状況なのかということが分からないと、作戦の立てようもないぜ。まず敵の様子と芹沼さんがどういう風に囚われてるのかを確認しないと」
「あ。それなら任せて」
聖は胸の前で聖印を組み、口の中で素早く呪文を唱え始めた。
「貴女に捧ぐはまほろばの、白き手鏡。彼らの遺せし、静かな水面よ。そこに映りし夢。失われし過去に。いま蘇らせよ。あの日の真実を……『映像』!」
聖が呪文を唱え終えると同時に、その胸の前に水晶玉を思わせるシャボン玉のようなものが、ふわりと浮かび上がってきた。
そのシャボン玉を、聖が両手のひらでそっと包みこむように触れると。シャボン玉の表面が一瞬波打つようにうねり。その内側に、テレビ画面を思わせる映像が映し出される。
「……? なんだ、このシャボン玉は?」
「僧侶系レベル二の呪文、『映像』よ。遠く離れた場所の様子を見ることが出来る千里眼タイプの呪文ね。これで骨ジャングルの周囲を探って、芹沼さんやベリアルたちがどこにいるか探ってみるわ」
「へえ。お前、そんな呪文も使えたのか」
珍しげにシャボン玉水晶の中を覗きこみながら、賢悟は感心したように呟いた。
「待ち伏せを狙って、迷宮内の壁の陰に隠れてる魔物とかを見つけるのに便利そうだな。そんな呪文を持ってるくせに、なんでいままで一度も使わなかったんだよ?」
「使わなかったんじゃなくて、使えなかったの。この呪文、のぞきとかの犯罪に使われることがないように、前後左右上下の六方向のうち、四方向が閉じられている場所は視ることが出来ないっていう制約がつけられてるから」
「はあ? それじゃあ迷宮内じゃ使えないじゃないか」
「そうよ。だから、使えなかったって言ったでしょ」
呆れたような声をあげる賢悟に、聖はひょいと肩をすくめて応える。
邪竜の迷宮は地下にあるため、上下の二か所は最初から閉じられているし。前後左右の至る所に壁があるという構造なので、大抵の場所は制限に引っかかってしまい。この呪文では視ることが出来ないのだ。
「……意味ねーな」
「一般的に呪文っていうと、ものすごく便利なものばかりみたいに思う人が多いけどね。魔法使いや僧侶の使う呪文の中には、意外とこういう役立たずと言うか、使いどころの難しいものも結構存在するのよ」
「このシャボン玉もそんな、使いでのない呪文の一つだったってわけか」
「まあね。だけどたとえ地下迷宮内でもこの一〇階みたく、ある程度開けた場所でなら使えるわけだからね。念のために、一応覚えておいて正解だったわ」
実はレベルが上がって、覚えることの出来る呪文の数が増えていっても。こういう使いどころを選ぶような呪文はあえて覚えようとしない僧侶や魔法使いは、決して少なくない。
多くの例に漏れず聖も、レベル二に上がった際に『映像』の呪文を覚えるかどうかかなり迷った口なのだが。覚えられる呪文を覚えないのはもったいないという貧乏性な性格が出て、結局覚えることにしたのだ。
いまとなっては、横着せずに覚えておいて本当によかったと思う。まこと人生、なにが役に立つことになるか分からないものである。
そんなことを考えながら、聖は呪文をコントロールして。シャボン玉に映し出される映像の位置を、少しずつ移動していく。
そうして五分ほど集中し続けた後。
「見つけた!」
聖は小さく叫び声をあげた。その言葉に賢悟も『本当か?』とやや興奮したような声を出し。脇からシャボン玉の映像をひょいと覗きこんでくる。
そこに映し出されているのは木と石を組み合わせてこしらえられた……おそらく急造のものだろうが、それにしては結構本格的に作られた感じの祭壇とかがり火。そしてその前に設置された石のベッドのようなものだった。
「フン。いかにも邪悪な儀式を行なうためのものっていった感じの祭壇だな」
賢悟が鼻を鳴らし、つまらなそうな口ぶりで言う。
「近くになんか、人影みたいなものも二つか三つ見えないこともないけど。小さ過ぎて顔がよく確認出来ないな。もう少しアップに出来ないのか?」
「やってみるけど、あんまり期待しないでよ。下手に近づきすぎると視線を察知されて、こっちが覗き見してることを気づかれちゃう危険があるから」
そのように応えながらも聖は精神を集中させていき、祭壇の周辺に見える人影らしきものにと映像の焦点をあわせていった。
祭壇の近くで確認出来た人影は全部で三つ。
一人は、顔も含めた全身を白フードとローブですっぽり覆っているため、人相や年齢は分からないが。体格などからして多分五〇代か六〇代くらいの男だろう。
職業はおそらく魔法使い。というのも彼は祭壇の前で右手に持ったねじれた杖を右に左にと忙しく振り回しながら、なにやら懸命に複雑な呪文のようなものを唱え続けているようだったからだ。
この白ずくめの魔法使いがゲドゥルフ復活を目論み、ベリアルを魔界から召喚したという諸悪の根源で。彼が唱えている呪文が、この迷宮内に敷かれているゲドゥルフ封印の結界を解除するためのものなのだろうと聖は見当をつけた。
魔法使いから少し離れた場所では、年齢二四、五歳くらいの金髪碧眼でスラリと背の高い、タキシードを身に着けた男が立っている姿が見える。
言うまでもなく、デーモン・ロードのベリアルだ。なにが楽しいのか。彼はニヤニヤと嗤い顔を浮かべながら、儀式の様子を見守り続けていた。お陰で聖たちの視線にはいまのところ、気づいていないようだが。
最後の一人は石のベッドの上で、手足をだらんと投げ出すように仰向けで寝かされている、一六、七歳くらいの少女だった。
「芹沼さん!?」
そんな彼女の姿を目にして賢悟は息を飲みこみ、悲痛な声をあげる。
少女……芹沼小夢は石のベッドの上にただ寝かされているのではなくて。その胸の真ん中には魔法銀製と思われるナイフか短刀のようなものが、深々と刺しこまれていたからだ……。
そこには複雑な呪紋や古代魔法文字などを用いて書かれた封印の魔法陣が設置されており。その上ですでに骨だけとなった邪竜の屍体がどっかりと鎮座ましましている様子が写された写真を、聖は訓練所で見せてもらった覚えがある。
まさかその様子を、実際にこの目で見ることになるとは思わなかったけどねと。聖は内心、苦々しい思いで呟いた。
肉や皮はすでに朽ち果てているとは言え。体長三〇メートルもの巨体は骨だけの姿となっても、圧倒的な存在感を醸し出している。
とは言え、それらは骨格標本のごとく竜の姿を完璧に保っているわけではもちろんなく。あちこち折れたり曲がったり割れたり砕けたり崩れたりしていて、あたかも解体された巨大ビル跡に中途半端に残された鉄筋のような様相を示していた。
先程はその様子を、ジャングルジムのようだと喩えたが。こうして間近まで来て見てみると。ジャングルジムと言うよりはむしろ、本当のジャングルみたいだという印象を聖は受けた。
ただし。若さと活力あふれる木々が幹を伸ばし葉を生やすことで、そこに暮らす多くの生きものを育んでいく生命の苗床としてのジャングルなどではなく。
生きとし生けるもの全てを拒み。一度足を踏み入れたら二度と出ることが出来ないであろうと感じさせる、死と破壊と絶望の象徴としての、魔の密林だ。
「はあ~。噂には聞いてたけど。実際に見てみるとなんて言うか。骨だけになってるくせにものすごい存在感と威圧感だな。さすがに一度人類を滅ぼしかけた、邪悪な竜の屍体だけのことはあるよ」
さすがの賢悟も邪竜の骨を目の当たりにして、その威容に飲みこまれたのか。口を大きく開けながらしばしぽかんとその場に立ち尽くしていた。
だがいつまでもこうしていても仕方がないと思ったのか。賢悟は気合いを入れるように自らの両頬を二、三度叩き。聖に向けて『行くぞ』と声をかけてから、邪竜の屍体で出来た骨ジャングルの中へと一歩、足を踏み出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ砂川くん! まさかこの中に入る気なの?」
そんな賢悟の首根っこを後ろから慌ててつかみ、聖は声をあげた。それに対して彼はなにをいまさらと言うような、呆れた目つきを向けてくる。
「当たり前だろ。なにしにここまで来たと思ってるんだ? 怖いのなら神代はここで待っててもいいぞ。おれ一人で行ってくるから」
「そうじゃなくて! もしかして砂川くんは、芹沼さんや彼女をさらったベリアルとそのマスターとかがいるのは、この骨ジャングルの中だと考えてるの? さすがにそれは違うとあたしは思うよ?」
「? なんでそんなことが分かるんだよ神代?」
「だってベリアルのマスターはゲドゥルフを復活させるために、この迷宮内に張られている結界を破るための儀式をしてるんでしょう?」
「そうだな。で、それが?」
「『それが?』じゃないでしょう! 考えてもみなよ。こんなに沢山の骨が複雑に入り組んでいて足場が悪い上に、大量の瘴気が煙みたくたちこめていて視界もろくに利かないような場所で。そんな複雑な儀式なんかを、執り行なえると思う?」
それに骨ジャングルの内部は邪竜の屍体から発せられる瘴気によって、そのあちこちに魔界へと通じる穴が開けられているはず。
下手に骨ジャングル内部に深く入りこみ、うっかりその穴をくぐって魔界の地を踏むこととなったらもう取り返しがつかないのだ。
生身の人間は、魔界の厳しい環境には耐えることは出来ない。実際に試した人間がいるわけではないが、おそらくほんの数秒たりとも生きていることは出来ないだろうというのが、魔界研究に携わる学者たちの主な意見なのである。
ベリアルを召喚した魔法使いが、そんなリスクを犯すとは到底考えられない。邪竜を復活させる前に、自分が魔界に落ちて死んだらなんにもならないのだから。
遅まきながら賢悟もそのことに気づいたようで。彼は中途半端にうなずきつつ『ああ』とか『うう』といったあいまいな声をあげてきた。
「……言われてみれば、確かに神代の言う通りだな。でもだとすると連中は、どこにいるんだろう?」
「それはさっき砂川くんが、自分で言ってたじゃないの。ベリアルのマスターは結界破りの儀式のために、ゲドゥルフの屍体のすぐ近くにいるだろうって。つまり彼らがいるのはこの骨ジャングルの中じゃなくて……」
「! 中じゃなくて、その周辺のどこかというわけか。ということは、このゲドゥルフの屍体の周囲をぐるりと一回りすれば、そのうちに自然と連中の元にたどり着けるというわけだな。よし! そうと決まれば早速……」
「だから、ちょっと待ちなさいってば!」
どうしてこいつはこういつもいつも、脳ミソを通さず脊椎反射のみで行動しようとするんだと少なからずイラつきながら。聖は再び彼の首根っこをつかんだ。
「なんの策もなく散歩するみたく呑気にその辺をうろついてたら。こっちがベリアルたちを見つける前に、ベリアルたちのほうがこっちを見つけちゃうかもしれないじゃないの! もしそうなったらどうするつもりよ!?」
「決まってる。ベリアルと、ベリアルを召喚した魔法使いと戦って斃して。芹沼さんを助け出してから、三人で一緒に地上に脱出するんだ」
「ああっ! 砂川くんがまた、出来もしないことをーっ!!」
なんの根拠もないくせに自信満々の口調で堂々と宣言する賢悟の言葉に。聖は頭をかかえて、その場にうずくまりたくなった。
それが可能であるならばどんなによかったか。だが残念ながら、いまの賢悟の実力では二人のうち片方だって斃せるとは思えない。
かたや、地下九階レベルの魔物たちすらしのぐであろう力を持つ王種の悪魔、デーモン・ロードで。こなた、その悪魔を魔界から召喚したり、何重にも複雑に重ねてかけられている邪竜封じの結界を解除出来たりするほど高レベルの魔法使いなのだ。
そんな相手とまともに戦って、賢悟に勝ち目などあるわけがない。『どりゃあ!』と気合いの声をあげて斬りかかって行った三秒後にはあっさり殺されて、地下一〇階の大地に無残な死体が転がることになるのがオチだ。
そこに聖が加わっても、死体の数が一つ増える以外に変化はないだろう。
戦うことは避けられないにせよ。その前に作戦を考えておくべきである。
と言っても、勝つための作戦ではない。聖と賢悟の二人だけでは、そもそもそんなことは不可能なのだから。
なんとかして連中を出し抜いて小夢を助け出し。彼女の持つ転位の宝石を手に入れた上で、三人そろって地上に脱出するための作戦を練るのだ。
竜の因子を持つ小夢がいなければ、たとえ邪竜封じの結界解除の儀式が終わったとしても、ゲドゥルフを復活させることは出来ないのだから。とりあえずはそれで万々歳とするべきだろう。
無事に地上に戻れたなら、その後は地下迷宮探検ギルドを通じて、政府なり王室なり軍なりに事情を説明し。後は彼らに任せるのが筋と言うものだ。少なくとも、一介の週末冒険者ごときがどうこう出来るような問題ではない。
などといったことを聖が話すと。賢悟は明らかに不満げな表情を浮かべたものの、最終的には納得してくれた。さすがに彼もそろそろ頭が冷えてきて、自分たちだけではベリアルやそのマスターを斃すことは無理だと気づいたのかもしれない。
「……分かった。神代の言うことも確かに一理ある。でも敵がいまどこにいてどういう状況なのかということが分からないと、作戦の立てようもないぜ。まず敵の様子と芹沼さんがどういう風に囚われてるのかを確認しないと」
「あ。それなら任せて」
聖は胸の前で聖印を組み、口の中で素早く呪文を唱え始めた。
「貴女に捧ぐはまほろばの、白き手鏡。彼らの遺せし、静かな水面よ。そこに映りし夢。失われし過去に。いま蘇らせよ。あの日の真実を……『映像』!」
聖が呪文を唱え終えると同時に、その胸の前に水晶玉を思わせるシャボン玉のようなものが、ふわりと浮かび上がってきた。
そのシャボン玉を、聖が両手のひらでそっと包みこむように触れると。シャボン玉の表面が一瞬波打つようにうねり。その内側に、テレビ画面を思わせる映像が映し出される。
「……? なんだ、このシャボン玉は?」
「僧侶系レベル二の呪文、『映像』よ。遠く離れた場所の様子を見ることが出来る千里眼タイプの呪文ね。これで骨ジャングルの周囲を探って、芹沼さんやベリアルたちがどこにいるか探ってみるわ」
「へえ。お前、そんな呪文も使えたのか」
珍しげにシャボン玉水晶の中を覗きこみながら、賢悟は感心したように呟いた。
「待ち伏せを狙って、迷宮内の壁の陰に隠れてる魔物とかを見つけるのに便利そうだな。そんな呪文を持ってるくせに、なんでいままで一度も使わなかったんだよ?」
「使わなかったんじゃなくて、使えなかったの。この呪文、のぞきとかの犯罪に使われることがないように、前後左右上下の六方向のうち、四方向が閉じられている場所は視ることが出来ないっていう制約がつけられてるから」
「はあ? それじゃあ迷宮内じゃ使えないじゃないか」
「そうよ。だから、使えなかったって言ったでしょ」
呆れたような声をあげる賢悟に、聖はひょいと肩をすくめて応える。
邪竜の迷宮は地下にあるため、上下の二か所は最初から閉じられているし。前後左右の至る所に壁があるという構造なので、大抵の場所は制限に引っかかってしまい。この呪文では視ることが出来ないのだ。
「……意味ねーな」
「一般的に呪文っていうと、ものすごく便利なものばかりみたいに思う人が多いけどね。魔法使いや僧侶の使う呪文の中には、意外とこういう役立たずと言うか、使いどころの難しいものも結構存在するのよ」
「このシャボン玉もそんな、使いでのない呪文の一つだったってわけか」
「まあね。だけどたとえ地下迷宮内でもこの一〇階みたく、ある程度開けた場所でなら使えるわけだからね。念のために、一応覚えておいて正解だったわ」
実はレベルが上がって、覚えることの出来る呪文の数が増えていっても。こういう使いどころを選ぶような呪文はあえて覚えようとしない僧侶や魔法使いは、決して少なくない。
多くの例に漏れず聖も、レベル二に上がった際に『映像』の呪文を覚えるかどうかかなり迷った口なのだが。覚えられる呪文を覚えないのはもったいないという貧乏性な性格が出て、結局覚えることにしたのだ。
いまとなっては、横着せずに覚えておいて本当によかったと思う。まこと人生、なにが役に立つことになるか分からないものである。
そんなことを考えながら、聖は呪文をコントロールして。シャボン玉に映し出される映像の位置を、少しずつ移動していく。
そうして五分ほど集中し続けた後。
「見つけた!」
聖は小さく叫び声をあげた。その言葉に賢悟も『本当か?』とやや興奮したような声を出し。脇からシャボン玉の映像をひょいと覗きこんでくる。
そこに映し出されているのは木と石を組み合わせてこしらえられた……おそらく急造のものだろうが、それにしては結構本格的に作られた感じの祭壇とかがり火。そしてその前に設置された石のベッドのようなものだった。
「フン。いかにも邪悪な儀式を行なうためのものっていった感じの祭壇だな」
賢悟が鼻を鳴らし、つまらなそうな口ぶりで言う。
「近くになんか、人影みたいなものも二つか三つ見えないこともないけど。小さ過ぎて顔がよく確認出来ないな。もう少しアップに出来ないのか?」
「やってみるけど、あんまり期待しないでよ。下手に近づきすぎると視線を察知されて、こっちが覗き見してることを気づかれちゃう危険があるから」
そのように応えながらも聖は精神を集中させていき、祭壇の周辺に見える人影らしきものにと映像の焦点をあわせていった。
祭壇の近くで確認出来た人影は全部で三つ。
一人は、顔も含めた全身を白フードとローブですっぽり覆っているため、人相や年齢は分からないが。体格などからして多分五〇代か六〇代くらいの男だろう。
職業はおそらく魔法使い。というのも彼は祭壇の前で右手に持ったねじれた杖を右に左にと忙しく振り回しながら、なにやら懸命に複雑な呪文のようなものを唱え続けているようだったからだ。
この白ずくめの魔法使いがゲドゥルフ復活を目論み、ベリアルを魔界から召喚したという諸悪の根源で。彼が唱えている呪文が、この迷宮内に敷かれているゲドゥルフ封印の結界を解除するためのものなのだろうと聖は見当をつけた。
魔法使いから少し離れた場所では、年齢二四、五歳くらいの金髪碧眼でスラリと背の高い、タキシードを身に着けた男が立っている姿が見える。
言うまでもなく、デーモン・ロードのベリアルだ。なにが楽しいのか。彼はニヤニヤと嗤い顔を浮かべながら、儀式の様子を見守り続けていた。お陰で聖たちの視線にはいまのところ、気づいていないようだが。
最後の一人は石のベッドの上で、手足をだらんと投げ出すように仰向けで寝かされている、一六、七歳くらいの少女だった。
「芹沼さん!?」
そんな彼女の姿を目にして賢悟は息を飲みこみ、悲痛な声をあげる。
少女……芹沼小夢は石のベッドの上にただ寝かされているのではなくて。その胸の真ん中には魔法銀製と思われるナイフか短刀のようなものが、深々と刺しこまれていたからだ……。
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