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2章 森の中の生活

2-13.花の香(2)

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 それからしばらくしたある日、部屋の隅で埃を被った焼き物の丸い形の笛を見つけたクロエは、首を傾げた。

 そういえば、最近ルークがこれを演奏している姿を見ていない。自分が怪我をして寝込んでいる間は頻繁に吹いていたけれど。埃を払うと、ベッドの脇に置いた。
 
「ねえ、ルーク。貴方、最近吹いてないわよね」

 夜、そう聞かれて、ルークは「ああ」と思い出したように呟いた。

「吹いてみてよ」

 手渡されたので、仕方なく人の姿になろうとして変化できないことに気付く。

(そうか。最近、姿を変えられないから、吹いてなかったのか)

 狼の口のまま、それを加えて息を吹きかけると、牙と牙の間から息が漏れて、間が抜けた音しかでなかった。毛のふさふさ生えた指ではうまく穴も塞げない。

「変な音」

 クロエはくすくすと笑うと、背中を撫でた。この前新しいものに入れ替えた、シーツの下の夜香花やこうかの甘い香りが頭の中を支配する。

 「クロエ」と名前を言ったつもりが、喉の奥から響いたのは鼻を抜ける様な高い犬の甘えた様な鳴き声だった。クロエは驚いて狼の青い瞳を見つめた。
 
 ルークはそんなクロエを後ろ向きに押さえつけると、欲求に突き動かされるように服を剥がした。いきり立った獣棒を手でしごくと、それを彼女の中へ埋めた。

「んっ……」

 クロエはいきなり身体に突き付けられた衝撃に喘いだ。クロエの反応を顧みる様子もなく、ルークは腰を動かした。ゆさゆさと身体がゆれる。はっはっと獣の息が漏れた。

 ぴちゃり、という自分の手に落ちた水滴でルークははっと自我を取り戻した。手の甲についた水滴を拭い、口元に手をやる。だらだらと牙と牙の間から涎が垂れていた。

 視線を下すと、目の前に突き出されたクロエの尻が見えた。その丸い膨らみには、爪がささったような跡が残り赤くなっていた。自分の手を見ると、爪の尖端に血のようなものがついている。ずるりの彼女の中から先端を引き抜くと、床にどさりと腰を落とした。自分が何をしたのか記憶があやふやだった。

「――ごめん」

 彼女に服を着せ、抱きしめる。

「――どうしたの」

「今日は、あっちで寝るよ」

 ふらふらと部屋の隅に行くと、そのまま地面に丸まった。
 頭痛がした。気づくと、爪を尖らせていた。

(そうだ、何か、狩れば落ち着くんじゃ)

 気分がくすぶって目が冴えた。結局、眠れずに、まだ日が明けないうちに起き上がった。家を出ようとすると、扉が開く音で目が覚めたクロエが眠たそうに布団から身を起こす。ルークは慌てて戻ると、彼女に布団をかけ直した。

「狩りに行く。新鮮なの、獲ってきてやる」

 そう言うと彼女は半分閉じていたまぶたをぱっと開いた。

「お肉、まだあるわよ」

「足りなそうだから。ゆっくり寝てろよ」

 強い口調で言うと、クロエはいぶかし気な表情のまま呟いた。

「……行ってらっしゃい」

 ***

 森に入ろうとすると、後ろから声がして、驚いて振り返ると、ブルーノがいた。

「どこに行くんだ?」

「森に、狩りに」

「この前行ったばかりじゃないか。――そんなに獲ったって食べきれないだろう」

「狩りに行きたい気分なんだ」

 ルークはぐる、と唸った。やりたいことを止められたのが何故か異様に腹立たしく感じる。ブルーノはそんな甥の様子に眉をひそめると、言った。

「……俺も一緒に行くよ」

 叔父と連れ立って森に入る。ルークの鼻は獲物の匂いをすぐにとらえた。
 ぎり、と牙を剥き、その匂いの方へ駆け出す。

「ルーク!」

 後ろから止める様な声が追いかけてくる。それを振り払うように、森を抜け、駆ける。
 
(俺の、獲物だ)

 自分が獲るんだ、という思いが頭を支配した。前のめりになり、地面に手をつく。そのまま足で地面を蹴って、また手をつく。この方が早い。ルークはそのまま、手足で地面を蹴って走った。やがて、目の前に、目当ての獲物が現れる。立派な角の男鹿おじかだった。その鹿は茂みの奥から急に現れたルークに驚いて、逃げようと跳ねる。

 足で地面を蹴ると、その角にしがみついて、首筋に噛みついた。そのまま一気に喉を噛みちぎる。顔に血しぶきがかかった。それはどさりと音を立てて、土の上に倒れた。まだ温かいその物体から発せられる匂いに耐え切れず、ルークはそのまま。首元の肉を噛みちぎると、咀嚼そしゃくして飲み込んだ。

「――――ルーク」

 ブルーノの声に我に返ると、目の前にはぐちゃぐちゃに食い荒らされた鹿が転がっていた。口元を拭うと、銀色の毛が赤黒くなった。叔父は呆然とした顔でこちらを見つめている。

「腹が、減ってて」

 苦し紛れに言った。そうでないことは自分でよくわかっていた。
 今までに感じたことのない強い欲求を感じた。獲物を追いかけて、噛みついて、喰いたい。クロエを押さえつけて、後ろから何度でも突きたい。

 閉ざされた蓋の奥にある、どろどろした感情が溢れ出してくるのを感じた。

「ルーク」

 ブルーノは甥の両肩を掴むと揺さぶった。

「川に行って口をゆすごう。戻るのはそれからだ」

 森の中を進む叔父の跡を無言でついて行く。自分の理性が溶けていくような感覚に吐き気を覚えた。

 連れて行かれた川で、手をついて水面を見つめる。そこに映っているのは顔を血だらけにした狼だった。

 ルークは冷たい水の中へ頭を突っ込んだ。

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