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2章 森の中の生活

2-12.花の香(1)

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 それからクロエと一緒に布団に入るようになった。眠る時に横に温かい存在がいることは、心が安らぐ気がした。クロエは肌を寄せてくると、手でふにふにと柔らかなままのルークの陰部を触った。こそばしさを感じて、ふ、と息を吐く。この前のように、手の甲の毛並で、クロエの身体をゆっくりと撫でた。だんだんと、彼女の身体が汗ばみ、身体を撫でる毛が湿り、束になるのがわかった。その度に、あの時感じた昂ぶりをもう一度感じたいと思った。

 納屋の壺に入れてある、乾燥した夜香花やこうかの花びらをベッドのシーツ下の枯草の中に散らす。ほのかな花の甘い香りが漂った。煙を吸い込んだときのような熱につき動かされるような感覚はなかったが、ゆったりとした高揚感があった。

(これなら)

 その感覚のまま、夜、クロエに背中の毛を撫でられたとき、いつもと違ったぞわぞわする感覚を感じた。だんだんと身体が熱を帯びていく。その熱は足の間に集まり、そこが勃ち上がる。湿った中に入っていき、締めつけを感じる。この前のように、急かされる気持ちがなかったので、動かさず、そのまま彼女の髪をなでた。

(番じゃなくても、この感覚はきっと、ブルーノやみんなが番に感じるものと一緒だ)

 確信があった。こういうとき、番同士はなんて言うんだろうと、言葉を捜した。

(そうだ)

 狼の口は「愛してる」と唸り声のような言葉を発した。クロエは瞳を潤ませると、頷いた。
 ゆっくりと腰を動かす。激しさではなく、穏やかな昂ぶりのなかで、それは小刻みに震えて精を吐いた。

 それは1人で出すのとは全く違った快感だった。

 そうした日が続いた。全ては穏やかに過ぎていくように感じた。クロエの首筋についたルークの歯形は、リーシャや他の番のように痣にならずに治っていた。

「痣には、ならないのね」

 首を傾げるクロエの首筋にルークはもう一度噛みついた。この前のように、血が出る様な勢いに任せた噛み方ではなく、優しくゆっくりと歯形をつけた。

「――そういうこともあるから」

 そう言って、クロエの首元にイタチの毛皮で作った襟巻を渡す。

「まだ朝とか肌寒いし巻いとけよ」

 ブルーノの家の小さな畑を手伝いに行く。首元が暑く感じたので、襟巻を外した。
 新しく、赤くついた噛み跡を見て、リーシャが訝し気な顔をする。それに気づいたクロエは、毛皮を巻き直した。彼女の視線に何だか嫌な感覚を感じたからだ。

「――暑くない?」

「大丈夫です」

 何事もないように微笑むと、リーシャは考えるように「そう」と頷いた。

 一方、ルークはベッドの下に敷いた夜香花の香りが日に日に薄くなるので、入れ替えようと納屋に行き、壺の中の残量が少なくなっていることに気付いた。

 家の裏の茂みで、群生している夜香花のピンクの花を籠に摘む。この花は春から夏の間にしか咲かない。今のうちに摘んでおかなければと思った。

「何を摘んでいるの?」

 戻ってきたクロエがその様子を覗き込む。

「かわいいわね」

 彼女は籠一杯のピンクの花とルークを見比べると、ふふっと笑って、一凛とって彼の耳元に挿すと、微笑んだ。ルークは気恥ずかしくなってぶんぶん頭を振った。花がぽとりと地面に落ちる。

「似合うのに。――これは夜香花よね」

 クロエは落ちた鼻を拾ってしげしげと眺めた。

「名前を知ってるのか」

「ええ。ここでも同じ呼び方をするの?」

 ルークは頷いては黙った。彼女は使い道も知っているだろうか。

「これは、いろいろ薬の元にもなるんだ。乾かした夜光花を燃やした灰と、他の草なんかを混ぜると、効果がある。クロエが怪我をしたときに使った痺れ薬もそうやって作るし――夜香花は、神経に効く。特に俺たちの」

「そうなの」とクロエは感心したふうに頷いている。

「香りが、強いだろう」

 「そう?」と彼女は手に持った一輪を鼻先に寄せると首を傾げた。ふんわりと微かに甘い匂いを感じたが、そんなに強い香りは感じない。ふと、押し花にして渡したこの花を鼻先に寄せるアメリアの姿が記憶から蘇った。

「――お姉さまも、いい匂いだって言っていたわね」

 遠くを見て呟く。彼女は元気にしているだろうか。――何の問題もなく過ごしているに違いない。優しい婚約者が傍にいて、あとは結婚を待つばかりなのだから。

「姉がいるのか?」

「ええ、母親は違うけれど」

 ルークは「そうか」とだけ言うと、それ以上は喋らなかった。彼のこういうところが好きだとクロエは思う。彼の横に腰掛けた。

「ルークは妹がいるのよね」

 父親、母親には紹介された時に、そんな話を聞いた気がする。

「妹がいる。でも、3年前に番を見つけて出て行った」

「会わないの?」

「番と家族を持ったら、そこから出る必要はないから」

 クロエは不思議な気持ちになった。この里は不思議だ。子どもたちは、それぞれ連れ立ってどこかで遊んだりしているけれど、大人は、番同士で常に一緒に行動し、いつも一緒にいる。もっと、みんなで一緒に出かけたり、騒いだりすれば楽しいだろうにと考えて、ふと幼いころに、アメリアとその婚約者のチャールズと猟犬のコディと湖のほとりで遊んだことを思い出した。コディの姿がルークと重なる。何となく4人で出かけたような気になって、クロエは笑みをもらした。

 ルークが不思議そうな顔で覗き込んでくる。

「昔、お姉さまとね、その婚約者の王子様と、コディと館の裏の森にお散歩に行ったの。湖に行って、野苺が生えてて、それを一緒に食べて楽しかったわ」

 銀色の狼はしばらく考えた後、呟いた。

「野苺、食べたいか」

(そういうわけじゃないけれど)

 クロエはきょとんとした顔をしてから微笑んだ。

「ええ」

「よし、ちょっと待っててくれ」

 ルークはそう言うと、獲った夜香花を軒下の平たい籠の間に挟み、天日干しにした。それからクロエを担いで歩き出した。

「ちょっと、どこに行くの」

「野苺生えてるとこ」

 そのまま茂みの中に入っていく。道を進んでいって、出たのはなだらかな登り道だった。クロエはそこに見覚えがあった。ルークが前に連れてきてくれた、森が見回せる岩場へと登る道だ。周囲を見回すと、あの時はなかった赤いの苺が藪の中に実をつけているのが見えた。ルークはそれをぷちぷちと取った。
 
 そのまま岩場へと登って行く。

「これ、結構甘いんだ」

「お肉以外の食べるのね」

「口直しには食べるよ」

 手の中にある野苺のヘタをとろうとして、狼の手ではうまくとれなかったので、人の姿になろうとしてルークは首を傾げた。姿を変化させられなかった。

(……夜香花の香りを嗅いでいるから?)

 確かに、自慰行為のために煙を吸った時はしばらく人の姿になれなくなることがあった。だが、最近は乾いた花をベッドに置いて匂いを嗅いでいるだけだ。

 仕方がないので、そのままヘタを取ろうとすると、野苺はぐしゃっと潰れてしまった。思いのほかイラっとして、地面をどんっと叩く。それからはっとした。何でこれくらいのことに感情的になったのかと、拳の形に凹んだ地面を見てうなだれた。

「――とってあげるわよ」

 その様子を見ていたクロエは笑うと、ルークの手から野苺をとると、ヘタをとって、牙の間に放り込んだ。それから自分の口にも放り込む。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。

 顔を上げると、森の海に夕日が沈もうとしていた。

「貴方がここにいていいって言ってくれて嬉しかったわ」

 クロエはルークの銀の毛皮に身を寄せた。

「貴方は私の王子様ね」

「オウジ……」

 聞き慣れない言葉に、ルークはぐるっと唸り声をあげた。クロエはその背中をさすって笑い声を漏らした。

「――あの頃夢見ていた王子様とは、だいぶ違うけれど」

 ルークは夕日で赤く照らされるクロエの横顔を眺めた。毛がぞわぞわと逆立つ感覚を感じた。花を焼いた煙を吸った時のような興奮を感じ、彼女の肩に回した手に無意識に力が入った。頭を振って頭に絡みつく欲情を追い払った。
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