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2章 森の中の生活

2-6.きっかけ(2)

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 家を出たルークは道をしばらく下ったところにある家に立ち寄った。家の外のかまどではパチパチと火が燃えていて、食べ物の匂いが漂って来る。その横では、ルークと同じ灰色の毛の人狼が丸太の椅子に座り火の様子を見ていた。叔父のブルーノだ。

 10歳年上のこの叔父は、ルークにとっては兄のような存在だった。ルークには妹が1人いたが、3年前に違う里に番を見つけて出て行った。残った親族では、この叔父が一番年が近いのもあり、番のいないルークは叔父一家と食卓を共にすることが多かった。

「ルーク! おはよー」

 ブルーノの陰からひょっこりと小さな少女が顔を出し、ルークに向かって手を振って駆けてきた。「おはよう」と言って姪を抱き上げると、肩車をする。

「あら、ルーク。朝食がちょうどできるところよ」

 赤茶の毛並みの子犬のような息子を背負った、赤毛の女――ブルーノの番のリーシャが窓から顔を出して微笑んだ。ルークは手を上げて彼女に挨拶すると、叔父の横に腰を下ろした。

「聞きたいことがあるんだけど、」
 
 耳を引っ張る姪っ子を肩から降ろし、父親に手渡しながら神妙な顔で彼に聞く。

「リーシャと出会った時はどんな感じだった?」

 何だ急に、とブルーノは面食らった顔をした。

「いやさ、番って一目見たらわかるものか?」

 ルークと同じ、銀色の毛の狼の姿をしている叔父は、人間の姿に戻ると目を細めた。狼の姿は人間の姿よりはっきりと言葉を発することが難しい。そのため、ルークたちは大事なことを話すときは、人間の姿で話すことが多かった。

「そりゃあ、ざわつくような気持ちで草をかき分けて……そこにリーシャの姿を見つけたときは、周りの全てが輝いて見えるような感じがしたよ。前にも言ったか、血が沸騰するようになって、一瞬頭が真っ白になって何も言葉が出なかった」

「おとーさん、何のはなし?」

 いきなり人間の姿に戻った父親にびっくりしたのか、娘は膝から飛び降りて聞いた。

「お母さんと会った時の話だよ」

「お母さんは森の外から来たのよね」

「そうだ」

「あたしの番も外にいるのかなあ」

「どうだろうなあ」

 ブルーノは娘の母親譲りの赤毛の頭を撫でながら笑った。

「だけど、何で急にそんなことを聞くんだ」

「いや――、なんでもないよ」

 ルークは考えるように俯いた。

(彼女は番?)

 叔父が言うような劇的な何かを感じる気配はない。

(でも人によって、感覚は違うものかもしれない)

 ルークはクロエの笑顔と、居心地のいい感じがしたことを思い出した。 
この里には、番以外の外の人間は立ち入ることはない。もし番でもないのに、連れてきたことがわかればややこしいことになるだろう。

(わからないけど、彼女のことはまだ言わない方が良い)

 うん、と頷いて立ち上がる。

「お前もそのうち出会うよ。森の民なら、必ず、どこかに番がいるものだから」

 ブルーノは笑うとルークの背中を叩いた。
 リーシャがふかした芋と、肉の塊を持ってきた。ブルーノとルークは肉の塊を手で掴むと齧った。ルークは家から持ってきた鍋にスープを注ぐ。

「スープ持って帰ってもいいか?」

「珍しいわね」

 リーシャが不思議そうに首を傾げた。ふだんは肉しか食べないからだ。

「たまには、野菜も食べようと思って」

「ここで食べて行けばいいのに」

「ちょっと――家でゆっくり食べようと思って。あとさ、食べ物いくらかもらってってもいいか?」

「遠慮なく持って行って。お肉は貴方が獲ってくれたものだし。干し肉と燻製にしてあるから。野菜は奥に積んであるわ」

「ありがとう、リーシャ」

 食料と鍋を小脇に抱え家に戻ると囲炉裏に火をおこした。

「待たせてごめん、食べ物持ってきた。叔父の番のリーシャは、君と同じ森の外の人間だから――、俺が作るより、彼女の作ったものの方が口に合うと思って、もらってきたんだけど」

「つがい」

 聞き慣れない言葉をクロエは繰り返す。ああ、とルークは頷いた。外には番というものはなく、夫と妻がそれにあたる、とリーシャが言っていたことを思い出す。

「――妻のこと」

 そう、と頷くクロエにルークは碗に注いだスープを差し出した。色鮮やかな野菜と、肉が煮込まれている。狼の手でスプーンがうまく持てずに、手がすべる。

「――人の姿でもいいか」

 クロエは仕方なく頷いた。ルークは銀髪の青年の姿に戻ると、すくったスープに息を吹きかけ、冷ましてクロエの口元に運んだ。ずっと温かいそれを吸い込んで、クロエは顔を輝かせた。塩気はほとんどなかったが、肉と野菜の旨味と、何より水が美味しいのか、うっすらとした甘さを感じた。

美味うまい?」

 ルークはクロエの反応に満足そうに笑うと、ふと肩にかかる栗色の髪に目を留めた。

「結んだ方がいいな」

 食べ物に入りそうだと思ったので、手を伸ばすと、指で梳くと左右で緩く三つ編みに編んだ。姪の髪を結んでやることがあるので、動きはスムーズだった。紐で毛先を結び、これで良しと頷いてから、顔を赤らめ俯くクロエに気付く。

「――どうしたんだ。口に合わなかった?」

 クロエは顔の目の前の、がっしりした肌色の胸板から目を逸らす。狼の姿だと、コディが二足歩行をしているように思うが、人間の姿になられると、どうしても相手が男性だという意識が湧いてくる。

「上着を、着て。あと、私にも服をください」

 ルークは困り顔で自分の上半身を見た。狼の姿で過ごすことが多いので、上着は着ないことのほうが多い。でも、彼女の様子がおかしいのは、それが外の感覚なのだろう。

「わかった。ちょっと待ってろ」

 部屋の隅の棚に積まれた荷物から、長袖の上衣を掘り出し被る。もう一枚も掘り出しクロエに着せた。細かい作業のためか、人間の姿のルークに人形のように服を着せられ、クロエは恥ずかしさに俯いた。

(野人っていうから、もっと)

 野蛮な存在を想像していた。本宅にいる時は、ほとんど野人の話は聞いたことがなかったが、幼いころ、森に隣接した国境付近の別宅にいた時に聞いた話は、獣の様な姿の怪物は出くわすと襲って来るというものだった。

 このルークと名乗った野人の男は、裸の自分に何もする気がなさそうな上、傷を手当した上、食事をあたえ、髪まで結って面倒を見てくる。

(何なのかしら)

「これでいいか」

「いいです」

「何で口調を変えるんだ」

「だって」

 スープの匂いが鼻先に漂い、またクロエの腹が鳴った。急に空腹感に襲われる。

「――食べさせて、もらえますか」

 おずおずと言うと、ルークは顔をしかめた。森の中では、一族は皆対等で、お互いに丁寧な口調で話すことはない。

「その口調は気持ち悪い」

 クロエはう、と唸ってから言い直した。
 
「――食べさせて」

 よし、とルークは笑うとまたスープを口元に運んだ。
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