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2章 森の中の生活
2-4.森の奥
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クロエは屋敷の横に建っている、石造りの建物を出ると、夜空を見つめた。
そこはしばらく前まで、地内で罪を犯した罪人を刑罰が決まるまで閉じ込めておくために使われていた建物で、今は使われていないものを、ルークを拘束するためにこの2カ月の間に整理した。現在罪人を拘束する牢は屋敷の反対側にあり、いったんそこに運んだルークを、チャールズの指示でこちらに再度運ばせた。
今では、彼が番にしか性的に反応しないという事実に、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
(だって、何度も、したもの)
森の奥の、簡素な木の小屋の中で彼と交わったことを思い出して、クロエは瞳を潤ませた。あの穏やかな昂ぶりという、相反した未知の感覚の波に揺れる気持ちを忘れられない。自分のことを包み込んだ、銀色の毛並みの温かな二つの腕が、誰か他の誰かを包むということを、考えたくはなかった。
それでも、森から外へ戻された時は、夢のようなものだったと諦める気持ちもあった。でも、彼の番がアメリアだと知った時に、「嫌だ」という気持ちが頭を支配した。
鮮明に思い描けたからだ。銀色の毛並みに包まれて、快感の波に身をよがる彼女の姿が。
クロエは唇を噛んだ。最初に、その柔らかな温かさを感じた時を思い出す。
足をナイフで刺されていったん意識を失ったクロエは、目を開けた時、自分の身体が温かい銀色の毛に包まれているのに気づいた。2本の腕が身体を支えている。視線を移すと、支える手は、毛に覆われた獣の腕だったが、掌には5本の指があり、鋭い爪が光っていた。よくよく見てみれば、毛に覆われた上半身は何も着ていないが、下半身には簡素な茶色いズボンを履いて、二足で立っている。足は裸足で、やはり毛に覆われているが、指は5本で、形も人間の足の形をしていた。
頭に靄がかかったようで、手足が重く、動かせなかった。かろうじて動く口から、自分を支えるその何かに、呼び掛けた。
「――コディ?」
(が、来てくれたように思ったのだけど)
ルークは、突き出た鼻先をクロエに近づけた。口からは尖った白い犬歯が暗闇に浮き立つように飛び出ていた。そこからくぐもった、困惑したような声が漏れる。
「それは、誰だ――?」
(そんなことは、ないわよね)
「犬よ。屋敷で飼っていた」
「いぬ」
ルークは唸るように繰り返し、もう一度「犬」と不服そうに呟いた。
「俺は、狼だ」
その様子が滑稽に思えて、クロエはふっと笑った。それから血だらけになっていたコディの姿を思い出して、目を閉じた。涙がこぼれた。あの可哀そうな猟犬は、あそこで死んでしまったのだろう。
「痛むか?」
ルークは狼狽したようにクロエの顔を覗き込んだ。
(ああ、でも目の色がコディと一緒)
見慣れない狼人間に恐怖感は感じなかった。むしろ愛犬に再び会ったような感覚になり、つい親し気な口調で返した。
「――違うの――手と足の感覚がないわ」
「痛み止めに痺れ草を傷口に使った」
狼のようなものと会話が成立することに、クロエはまた可笑しさを感じた。ふっと笑った彼女をルークは怪訝そうにのぞき込む。森には野人が住んでいて、彼らの中には獣の姿をした者がいる。そんな話を思い出した。
「貴方は――野人?」
「――外の人間はそう呼ぶみたいだな。俺は、ルークだ。君は」
「クロエよ」
ルークは思いついたように言った。
「クロエは、怖くないか、この姿で。人の姿にもなれるけど」
狼の姿を人間に戻す。裂けた口は縮まり、前に突き出た獣の鼻は筋が通った鷲鼻に変わる。
肌色に変わった腕は、一瞬ずん、と下に下がった。その状態でも十分がっしりしていたが、狼の姿の方が、腕の筋肉が盛り上がり力強かった。
「――狼の方がいいわ」
「その方が楽だ」
ルークは再び狼の姿に戻る。
「――あそこにいた人たちは」
「みんな、死んだと思う」
マクシムのことを考えた。彼は死んだ先で母親と会えるだろうか。
(でも、私は生きてる)
クロエはルークの銀色の毛に包まれた胸板に頬をすり寄せた。
「ありがとう、助けてくれて」
「いいんだ」
ルークは首を振って、黙々と歩いた。分かれた獣道を迷うことなく曲がって行く。
次第に、周囲に生えている木々の種類が変わっていることにクロエは気づいた。
「どこに行くの」
「里に。傷の手当てをしないと」
草むらを抜けると、眼下に開けた空間が広がっていた。
そこはしばらく前まで、地内で罪を犯した罪人を刑罰が決まるまで閉じ込めておくために使われていた建物で、今は使われていないものを、ルークを拘束するためにこの2カ月の間に整理した。現在罪人を拘束する牢は屋敷の反対側にあり、いったんそこに運んだルークを、チャールズの指示でこちらに再度運ばせた。
今では、彼が番にしか性的に反応しないという事実に、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
(だって、何度も、したもの)
森の奥の、簡素な木の小屋の中で彼と交わったことを思い出して、クロエは瞳を潤ませた。あの穏やかな昂ぶりという、相反した未知の感覚の波に揺れる気持ちを忘れられない。自分のことを包み込んだ、銀色の毛並みの温かな二つの腕が、誰か他の誰かを包むということを、考えたくはなかった。
それでも、森から外へ戻された時は、夢のようなものだったと諦める気持ちもあった。でも、彼の番がアメリアだと知った時に、「嫌だ」という気持ちが頭を支配した。
鮮明に思い描けたからだ。銀色の毛並みに包まれて、快感の波に身をよがる彼女の姿が。
クロエは唇を噛んだ。最初に、その柔らかな温かさを感じた時を思い出す。
足をナイフで刺されていったん意識を失ったクロエは、目を開けた時、自分の身体が温かい銀色の毛に包まれているのに気づいた。2本の腕が身体を支えている。視線を移すと、支える手は、毛に覆われた獣の腕だったが、掌には5本の指があり、鋭い爪が光っていた。よくよく見てみれば、毛に覆われた上半身は何も着ていないが、下半身には簡素な茶色いズボンを履いて、二足で立っている。足は裸足で、やはり毛に覆われているが、指は5本で、形も人間の足の形をしていた。
頭に靄がかかったようで、手足が重く、動かせなかった。かろうじて動く口から、自分を支えるその何かに、呼び掛けた。
「――コディ?」
(が、来てくれたように思ったのだけど)
ルークは、突き出た鼻先をクロエに近づけた。口からは尖った白い犬歯が暗闇に浮き立つように飛び出ていた。そこからくぐもった、困惑したような声が漏れる。
「それは、誰だ――?」
(そんなことは、ないわよね)
「犬よ。屋敷で飼っていた」
「いぬ」
ルークは唸るように繰り返し、もう一度「犬」と不服そうに呟いた。
「俺は、狼だ」
その様子が滑稽に思えて、クロエはふっと笑った。それから血だらけになっていたコディの姿を思い出して、目を閉じた。涙がこぼれた。あの可哀そうな猟犬は、あそこで死んでしまったのだろう。
「痛むか?」
ルークは狼狽したようにクロエの顔を覗き込んだ。
(ああ、でも目の色がコディと一緒)
見慣れない狼人間に恐怖感は感じなかった。むしろ愛犬に再び会ったような感覚になり、つい親し気な口調で返した。
「――違うの――手と足の感覚がないわ」
「痛み止めに痺れ草を傷口に使った」
狼のようなものと会話が成立することに、クロエはまた可笑しさを感じた。ふっと笑った彼女をルークは怪訝そうにのぞき込む。森には野人が住んでいて、彼らの中には獣の姿をした者がいる。そんな話を思い出した。
「貴方は――野人?」
「――外の人間はそう呼ぶみたいだな。俺は、ルークだ。君は」
「クロエよ」
ルークは思いついたように言った。
「クロエは、怖くないか、この姿で。人の姿にもなれるけど」
狼の姿を人間に戻す。裂けた口は縮まり、前に突き出た獣の鼻は筋が通った鷲鼻に変わる。
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「――狼の方がいいわ」
「その方が楽だ」
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「みんな、死んだと思う」
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「ありがとう、助けてくれて」
「いいんだ」
ルークは首を振って、黙々と歩いた。分かれた獣道を迷うことなく曲がって行く。
次第に、周囲に生えている木々の種類が変わっていることにクロエは気づいた。
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「里に。傷の手当てをしないと」
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