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1章 ことのはじまり
1-8.主人
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クロエはその日以来、コディのいる裏庭にも行かず、黙々と仕事をこなした。
あの時のヴィクトリアの反応で、自分の立場を思い知った。
(私は、使用人で、お姉さまとは違うんだから)
この家の女主人であるヴィクトリアの機嫌を損ねると、どういうことになるかわかららない。母親が死んだとき、いくら呼んでも医者が来なかったこと、ヴィクトリアが死後いつの間にか別宅にやってきて、母親の遺体をどこかに埋めてしまったことを思い出した。
(一緒に行かなきゃ良かったわ……)
それでも、と思う。あの森でのひと時は人生で一番というくらい楽しかった。
一方で、ヴィクトリアは息を潜めていた。彼女は、クロエは自分に恩を仇で返した報いを受けるべきだと考えていた。ただ、イアンとチャールズの目が気になった。
イアンはクロエについては時折ヴィクトリアに「クロエはどうだ」と聞くくらいで、その度にヴィクトリアは「問題ありません」と答えると、「そうか」と頷いて満足するくらいの関心しか抱いていなかったが、イアンが屋敷にいる間に何かをする気になれなかった。
チャールズについては、ヴィクトリアはこの少年を非常に気に入っていた。最初彼がアメリアの婚約者に決まったと聞いた時、彼女は正直残念に思った。幼少期のチャールズは兄弟に比べて小柄で、よく泣きまるで女の子のようだったからだ。しかし、10代に入ると彼はぐんと背が伸び、頼りがいが出てきた。アメリアの婚約者は兄の方が相応しいのではという話が出た時に、兄に決闘を申込み、倒したという話はヴィクトリアを感動させた。娘には自分のように夫の女癖で嫌な思いをさせたくなかったので、彼ならそんなことはないだろうと考えた。息子は生まれなかったが、彼がアメリアと結婚しこの土地に来てくれるという将来にヴィクトリアは希望を持っていた。
娘の婚約者は、あの時以来、自分のことを何やら注意深く見ているようだとヴィクトリアは感じていた。彼に自分の歪んだ部分を見られるのが恥ずかしい気持ちがした。娘のアメリアは純真な少女だ。だから異母姉妹のクロエと単純に親しくなりたいのだと思う。ヴィクトリアはチャールズにそんな娘と自分の汚さを比べられているような気がした。
(それもこれも、あの娘が、自分の分をわきまえないから)
ヴィクトリアは、壁にかけられた乗馬用の鞭に目をつけた。
(主人が誰か、きちんと覚えさせないと)
***
アメリアの誕生日パーティーは滞りなく終わり、チャールズはしばらく滞在してから王都に戻っていった。
一方、イアンは国境付近で『野人』と領民の間で争いがあったということで、領地の北へ向かうことになった。
ヘクセン辺境伯領は北部を深い山林に接しており、その山には野人と呼ばれる人々が集落を作り暮らしている。彼らの一部は獣のような姿をしており、縄張り意識と家族意識が強く、うかつに近づくと襲われるという。ただ森には何か不思議な力がかかっているのか、普通の人間は彼らの集落に近づくことができないので、問題になることは少ない。ただ、稀にこの地域では昔から、年頃の娘が吸い込まれるようにその森の中へ消えていくことがあった。そのことを『森に呼ばれる』と表現し、消えてしまった娘が戻ってくることはないので、人々は『あの子は呼ばれてしまったから』と諦めるしかなかった。ただ、最近森に消えた少女の親は諦めきれずに、集団で彼女の後を追い、野人と接触し、複数名が彼らに殺されたという。
その問題の解決のためイアンは現地へ向かった。またかつてクロエの母親のエマを囲っていた北の別宅には、別の妾を住まわせていたので、息苦しいヴィクトリアとの寝室を抜けてそちらに行きたい気持ちもあったイアンは、出発の挨拶もそこそこに出て行ってしまった。そのことも、ヴィクトリアを不機嫌にさせたが、彼女はまあいいわ、と口元を歪めた。
あの時のヴィクトリアの反応で、自分の立場を思い知った。
(私は、使用人で、お姉さまとは違うんだから)
この家の女主人であるヴィクトリアの機嫌を損ねると、どういうことになるかわかららない。母親が死んだとき、いくら呼んでも医者が来なかったこと、ヴィクトリアが死後いつの間にか別宅にやってきて、母親の遺体をどこかに埋めてしまったことを思い出した。
(一緒に行かなきゃ良かったわ……)
それでも、と思う。あの森でのひと時は人生で一番というくらい楽しかった。
一方で、ヴィクトリアは息を潜めていた。彼女は、クロエは自分に恩を仇で返した報いを受けるべきだと考えていた。ただ、イアンとチャールズの目が気になった。
イアンはクロエについては時折ヴィクトリアに「クロエはどうだ」と聞くくらいで、その度にヴィクトリアは「問題ありません」と答えると、「そうか」と頷いて満足するくらいの関心しか抱いていなかったが、イアンが屋敷にいる間に何かをする気になれなかった。
チャールズについては、ヴィクトリアはこの少年を非常に気に入っていた。最初彼がアメリアの婚約者に決まったと聞いた時、彼女は正直残念に思った。幼少期のチャールズは兄弟に比べて小柄で、よく泣きまるで女の子のようだったからだ。しかし、10代に入ると彼はぐんと背が伸び、頼りがいが出てきた。アメリアの婚約者は兄の方が相応しいのではという話が出た時に、兄に決闘を申込み、倒したという話はヴィクトリアを感動させた。娘には自分のように夫の女癖で嫌な思いをさせたくなかったので、彼ならそんなことはないだろうと考えた。息子は生まれなかったが、彼がアメリアと結婚しこの土地に来てくれるという将来にヴィクトリアは希望を持っていた。
娘の婚約者は、あの時以来、自分のことを何やら注意深く見ているようだとヴィクトリアは感じていた。彼に自分の歪んだ部分を見られるのが恥ずかしい気持ちがした。娘のアメリアは純真な少女だ。だから異母姉妹のクロエと単純に親しくなりたいのだと思う。ヴィクトリアはチャールズにそんな娘と自分の汚さを比べられているような気がした。
(それもこれも、あの娘が、自分の分をわきまえないから)
ヴィクトリアは、壁にかけられた乗馬用の鞭に目をつけた。
(主人が誰か、きちんと覚えさせないと)
***
アメリアの誕生日パーティーは滞りなく終わり、チャールズはしばらく滞在してから王都に戻っていった。
一方、イアンは国境付近で『野人』と領民の間で争いがあったということで、領地の北へ向かうことになった。
ヘクセン辺境伯領は北部を深い山林に接しており、その山には野人と呼ばれる人々が集落を作り暮らしている。彼らの一部は獣のような姿をしており、縄張り意識と家族意識が強く、うかつに近づくと襲われるという。ただ森には何か不思議な力がかかっているのか、普通の人間は彼らの集落に近づくことができないので、問題になることは少ない。ただ、稀にこの地域では昔から、年頃の娘が吸い込まれるようにその森の中へ消えていくことがあった。そのことを『森に呼ばれる』と表現し、消えてしまった娘が戻ってくることはないので、人々は『あの子は呼ばれてしまったから』と諦めるしかなかった。ただ、最近森に消えた少女の親は諦めきれずに、集団で彼女の後を追い、野人と接触し、複数名が彼らに殺されたという。
その問題の解決のためイアンは現地へ向かった。またかつてクロエの母親のエマを囲っていた北の別宅には、別の妾を住まわせていたので、息苦しいヴィクトリアとの寝室を抜けてそちらに行きたい気持ちもあったイアンは、出発の挨拶もそこそこに出て行ってしまった。そのことも、ヴィクトリアを不機嫌にさせたが、彼女はまあいいわ、と口元を歪めた。
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