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第三章「聖女就任式」

47.本物の重責

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 ミスガリア王国の元将軍ローゼルは、兵士達に床に押さえつけられながら流血し倒れたエルグを見て笑っていた。


(ミスガリア王国、万歳!! 国王、それがしはあやつに一矢報いましたぞ!!!)

 国を、国王を、ミスガリアを侮辱した憎きエルグ。
 ローゼルはネガーベルの軍服の下に、エルグに足踏みにされたミスガリアの軍服を着込んででいた。将軍の地位を捨ててまで果たした復讐。もうこれで自分がどうなろうとどうでも良かった。



「お兄様、お兄様……」

 傷口から溢れ出す鮮血。
 もうどう処置しようともその流血を止めることはできなかった。それが致命傷。命を落とす怪我である。


「「ミーセル、ミーセル!!!!」」

 場内からは聖騎士団長エルグを心配する声が声援となってミセルに届く。重要人物の治療。聖女とて回復能力には限界はあるが、このような場合に最も光り輝くのが聖女。父親であるガーヴェルが震えた声で言う。


「ミセル、治療は……」

 その声にミセルは真っ赤な目をして小さく首を横に振って応える。それは『輝石がない』、治療ができないと意味である。ガーヴェルが頭を抱えて嗚咽する。


(私、私、どうすれば、どうすればいいの……)

 普段泣いたことのないミセルの目からぼろぼろと涙が出る。
 握っているエルグの手が徐々に冷たくなり反応が無くなって行く。


「お兄様ああ、お兄様あああああ!!!!!」

 ついに耐え切れなくなったミセルが大声を上げて泣き始める。するとそれまで声援一色だった場内の声に変化が表れ始める。


「おい、ミセル様って聖女だろ? 何で早く治療しないんだよ??」
「まさかまだ聖女として未熟とか??」

 顔が真っ白になり、動かない聖騎士団長の傍に座ったまま何もしないミセル。徐々に場内から焦りと冷たさが混じった言葉が発せられ始める。ミセルが動かなくなった兄の頭を抱きかかえて大声で泣きながら叫ぶ。


「ごめんなさい、ごめんなさい!! 私が悪かったから、もう悪いことはしないから!! 誰か、誰か助けてよおおおお!!!!!」

 周りにいた人達は一体何を言っているのかさっぱり分からなかった。動揺した妹の絶叫。心配と哀れみにも似た視線が彼女に注がれる。



「……嬢ちゃん」

 そんな大声で泣くミセルの正面に、その銀髪の男は片膝をついて声を掛けた。ミセルが気付いて顔を上げる。


「ロレロレ様……」

 もう誰でもいい。
 誰か助けてくれるなら誰でもいい。そして直感した。彼なら何とかしてくれると。


「使いな……」

 ロレンツはミセルの手を握ると、を見えぬよう手渡した。


(これって……!!)

 それは輝石。以前リリー拉致事件の際にレイガルト卿が差し出した品。
 ミセルはすぐにエルグの背中の傷口に手をやり叫ぶ。


強回復ハイキュア!!!!!!」


「おお……」

 騒めいていた会場がその治療魔法を見て静かになる。
 徐々に塞がるエルグの傷口。一命を取り留めたエルグはそのまま眠るように気を失った。ロレンツが立ち上がりながら言う。


「嬢ちゃんが聖女になろうがなるまいが、まあ俺にはどうでもいい。だがな……」

 立ち上がったロレンツが言う。


「正々堂々とやりな。それだったら、やる」

 そう言うとロレンツは背を向けて壇上から降りていった。
 ミセルは手を握ったままの兄エルグを抱きしめて大声で泣く。


「お兄様ぁ、お兄様ああああ!!!!!」

 ミセルの泣き声が再び会場に響いた。





 聖騎士団長エルグはその後数週間にわたり生死を彷徨った。
 輝石により一旦は命が救われたものの、大量出血によるショックで昏睡状態となりいつまた危険な状態になるか分からなかった。だからエルグがその長い眠りから覚めた時は、妹のミセルは兄のベッドの上で大声で泣いて喜んだ。


 ただこの事件を機に、ミセルの思いが180度変わってしまった。

(もうこんな方法で聖女になんかなりたくない。もう嫌……)

 いわば『ニセの聖女』を演じて来たミセル。
 だが本物の聖女が背負う重責を初めてその体で感じ、決してそこが安易な気持ちで踏み入れてはいけない領域だと悟った。

 目の前で死にゆく人、大怪我で動けなくなっている人を救う。
 そんな聖女にとって当たり前のことは自分にはできない。輝石だって無限にあるはずもない。たったひとつの石を巡って国同士が争うほど貴重な鉱石。自分達は聖女になることばかり考え、聖女の使命についてはほとんど考えて来なかった。


(私には無理。こんな辛いこと耐えきれない……、でも……)

 聖女への憧れはあった。
 それはネガーベルの女なら女児でも持つ憧憬。幼き頃見た聖女だったアンナの母親の大きな包容力。


(本物の聖女になりたい。ちゃんと努力して……)

 そしてみんなに認めて貰いたい。
 あの銀髪の男にも認められたい。
 こんな形じゃなくてちゃんと胸を張って。

 その夜、ジャスター家よりミセルの聖女就任について一旦辞退するとの通達がされた。





「でもどうしてミセルは聖女就任を辞退しちゃったんだろうね」

 公務室で書類に印を押しながらアンナがつぶやいた。
 いつも通りの平和な光景。暖かな日差しが窓から入り、食後は眠気を誘う。アンナはテーブルでコーヒーを飲むロレンツに言う。


「ねえ、どうしてだと思う? ロレンツ」

 ロレンツは雑誌を眺めながら面倒臭そうに答える。

「さあな」


(むかっ!!)

 アンナは相変わらず自分に興味を持とうとしないその銀髪の男を見てイラつく。別の椅子に座っていたリリーが言う。


「それでも一時辞退になりましたので、ひとまず安心ですね」

「そうね」

 アンナも頷いて答える。
『聖女』が出ない以上、王家はキャスタール家のままとなり、リリーもこのまま従事できる。無論『護衛職』を替えられる心配もない。ここ最近アンナの機嫌が良いのはそのためである。リリーがロレンツに尋ねる。


「ところであなた。あの時ミセル様のところに言って何か話をしてたでしょ? 何を話したんですか?」

 リリーが青のツインテールを左右に揺らしながら尋ねる。『聖女辞退』でミセルの改心の兆しを感じていたロレンツは、あえて輝石のことは話さずにいた。


「いや、大したことじゃねえ……」

 そんな言葉が更に油を注ぐことになるとは鈍いロレンツには分からない。リリーが言う。


「へえ~、そうですか。じゃあその『大したことない話』を聞かせて貰いましょうか」

 リリーが立ち上がってロレンツの方へと歩き出す。焦ったロレンツがアンナに言う。


「お、おい、嬢ちゃん。ちょっと助けてくれ……」

 しかしそう言葉を発したロレンツは、それが全く無意味であることにすぐ気付いた。


「私も興味あるな~、その『大したことない話』って」

「お、おい、嬢ちゃん……」

 アンナは右手に紅茶のポットを手にしながらロレンツの方へと歩き出す。


様ぁ~、確かお紅茶がお好きでしたよね~、さ、これでも飲みながら『大したことない話』でもしましょうか~」

 アンナが不気味な笑みを浮かべながらロレンツに近寄る。
 この後ロレンツは、甘いだけの飲み物を何杯も飲まされ、『大したことない話』について散々ふたりの令嬢から詰問を受けた。
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