離宮の愛人

眠りん

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二章

三話

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 早速フリードは町に宿を取り、そこを拠点として調査をする事にした。
 まずは司法局へ向かい、拘束されているサーシュ侯爵夫人に面会した。

 会話は牢屋の鉄格子越しだ。人一人が眠る石のベッドと、奥に便器があるだけで他には何も無い石畳の狭い部屋だ。

「初めまして、サーシュ侯爵夫人」

 夫人はベッドの上で膝を抱えて座り込んだまま身動き一つしない。ブロンドの長い髪は傷んでボサボサだ。

「……」

「少しお話をしませんか。俺は記者でもないですし、警察でもないですよ」

「……」

 一切返事がない。スパイとして育てられたフリードもいかに無言を貫くかを求められて訓練をしてきたが、そういう無言とは違うように思えた。

「侯爵夫人?」

 急に夫人の身体がブルブルと震えだした。寒いのか? と様子を伺おうと顔を近付けようとした瞬間。
 夫人は両手で頭を抱えて、天井に顔を向けて叫びだした。

「きぃああああああっ!! あああああっ! ああああああっ!」

 ベッドから転げ落ち、床にうずくまって痛みに耐えるように自分の身体を抱き締めていた。

「夫人! 夫人! 大丈夫ですか!?」

「うううううっ! いだい、いだいの、助けて、助けてぇ」

 泣き叫ぶ夫人。だが鉄格子が救いの手を拒む。警備兵を呼ぼうと思った時ちょうどよく目当ての人物がやってきた。

「すみません、夫人が苦しそうです。医者を……」

「毎日なんだよ。数時間おきに叫ぶからうるさくてかなわん。
 医者に見せたが、どうやら麻薬中毒らしい。麻薬に溺れて殺人を犯すとは救えぬ女だ」

「麻薬……」

 ヘイリア帝国では麻薬の所持、売買、使用は違法だが、大罪ではない為か常用して逮捕される者は少なくない。
 その多くは平民だ。貴族が手を出す事は稀である。

(まるで長い間麻薬に犯されていたみたいだな)

 まずは麻薬の密売ルートを探った。裏社会に潜り込むのは容易だ。いくつかの闇組織の末端と知り合いになった。

 そこで分かったのは、サーシュ侯爵夫人の事は誰も知らないが、代わりに侯爵家の使用人が定期的に購入している事が分かった。
 何故そこまで分かったのかというと、フリードが金をちらつかせたら薬の売人は楽しげに語ったのだ。

「本人は侯爵家の者って隠してるけど、購入者の背景くらい調査してるよ。身元が分かってる奴にしか売らないもん。
 じゃないと間違えて警察の罠にかかるかもしれないしな。
 そだ、フリードもどうだ? この薬はあんまり副作用強くねぇぜ」

(俺の身元分かってない筈なのに勧めてくるのかよ。言ってる事メチャクチャだな)

「いらねぇよ。けど情報は助かった。何かあったらまたよろしく」

 薬代の倍額の金を売人に渡した。

(昔稼いだ金をこっちに移しておいて良かった)

 フリードはクレイル公国のスパイだった時、ヘイリア帝国での任務が長引くと聞いて、先に偽名でヘイリア帝国の銀行に預けておいたのだ。
 それと共に、金庫に様々な種類の身分証も預けてあった。
 中には偽造の身分証もあり、大抵の業界ならどこでも入り込んでスパイ活動が出来る。

 帝国での任務中に得た給金は全て没収されているので、手元にあるのは過去の貯金のみだ。使う機会があまりなかった為、数年働かなくても生活出来る額を持っている。
 だからこそ「この任務が終わったら旅行に行こう」と思っていたのだが、人生上手くいかないものである。

 その後、フリードはサーシュ侯爵家に赴いた。
 弁護士を名乗ると、すぐに屋敷内に案内してもらえた。
 今後のスパイ活動に影響を出さないように、ウィッグで髪を肩より下の長さにし、眼鏡や付け髭などで印象を変えた。化粧品を塗って肌の色も変えている。
 これが弁護士の時の変装である。

 クレイル公国にいた時に必要だと言われて取った弁護士資格だが、ヘイリア帝国の資格よりレベルが遥かに劣るものだ。
 それでも弁護士一人一人にナンバーが付いているので偽造出来ず、必死で取得したのである。

 一人一人に話を聞くと、使用人全員が協力的で、侯爵夫人について知りうる情報の殆どを教えてくれた。
 一人、証言に答えながらもフリードの顔を何度も見る者もいたが、フリードはそのような態度を取られる事に慣れていた。
 その後も彼女は隠れるようにしてフリードの様子を窺っていた。

 使用人達の話は大体聞き終えた。もっと侯爵夫人に近しい者の話を聞きたいと頼むと、夫人専属の侍女がやって来た。
 屋敷の中で侯爵の次に一番夫人に近い存在だ。今は実家に帰る為、荷物をまとめていたようで忙しそうにしていた。

「夫人が麻薬を使っていたのはご存知でしたか?」

「いいえ、使っているところは見た事もありませんし、私や使用人に買いに行かせた事もありませんわ」

「夫人の様子がおかしくなった時期はいつ頃ですか?」

「三ヶ月前……でしょうか。手が震えると言って、医者を呼んだのですよ。
 ですが、更年期の為身体に何かしら反応が起きるのはよくある事だと。
 それからどんどん体調が悪くなっていきました」

「三ヶ月前……」

「弁護士様! 奥様は絶対に麻薬なんてものを使う方ではありません!
 とても真面目で、いつも領地の為、旦那様やルベルト様の為、休まず仕事をしておられました。
 お願いです。奥様を助けて下さい」

「……はい」

 助けますとは言えなかった。侯爵夫人の弁護人になったわけでもないし、侯爵が帝国の弁護士を雇うだろう。

(助けるとしたら俺じゃない)

 サーシュ侯爵本人にも会う事が出来た。使用人達が急いで呼びに行き、慌てて玄関まで駆けつけた様子だ。

「初めまして、私は弁護士のゴードンと申します」

 ゴードンという名はクレイル公国で弁護士資格を取得した際の偽名である。
 侯爵は少し驚いた顔をしていた。弁護士がわざわざ屋敷まで足を運んで情報収集をする事はなかなかないからだ。
 ここ一年の侯爵夫人の行動を聞き、夫人に使えるお金が何に使われていたかを調べた。

(やっぱり……侯爵は何も知らないみたいだし、収支計算もおかしくはない。夫人が購入した金額もきっちり帳簿に整理してある。ズレは誤差の範囲だ。
 侯爵夫人が使用人に麻薬を買わせたんだろうとも思ったけど、それはなさそうだ。
 じゃあ誰が? 侯爵家の使用人が個人的に麻薬を買い、定期的に摂取させたのか?)

 侯爵はやつれた顔でフリードに懇願した。

「妻の弁護を願えないだろうか。帝国の弁護士は皆、負けると分かっているから弁護を引き受けてくれぬのだ」

「金で動く弁護士も多いと思いますが」

「……今、私達に金はないんだ。三年前の天災により大きな被害を受け、私達は多額の借金をして領地民達の生活をどうにか保護したのだが、その金がまだ返せていないのだよ。
 金はあまり出せない、負ける事は決まっている。お陰で誰も引き受けないのだ」

「分かりました。報酬は出せる範囲で良いです。俺が弁護をしましょう」

 フリードはそう約束した。その方が多くの情報を得られると思ったからだ。

(侯爵夫人を守る事は、サマエルの任務に繋がる事になるのか?)

 そうだと言われたわけではないが、そう予想して動く事にした。任務の期限はまだまだ先だ。
 その間は好きに動いて良いだろう。
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