離宮の愛人

眠りん

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一章

十話

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「知りたいのか? どうせ死ぬのに?」

 フリードの目は今から人を殺そうという顔ではない。公爵を軽蔑しているのは確かだが、殺す事に関して、何の感情もないように見える。

「こっ、殺さないで下さい! 今、見逃してくれたら私は生涯皇帝陛下の味方になると誓います!
 今までの無礼も詫びましょう。貴君にも忠誠を誓うと約束しますから!
 る、ルベルト君! 君にも謝罪します。サーシュ侯爵家の名誉挽回は私からさせていただきます! だから、命だけは……」

 急に取り繕う公爵。今更そんな事を言われて、今までの事を許せるわけがない。ルベルトも公爵に軽蔑の眼差しを向けた。
 そんなルベルトを代弁するかのように、フリードが拒否をする。

「無理だよ。
 あなたは皇族の血を引いているから死刑にはならない。皇族は司法に関われないという原則は、皇族を罰する法律がない事を意味するからな。
 けど、陛下を狙ったのはまずかったな。皇族に関する犯罪は、陛下自ら判断を下す。
 陛下はあなたを死刑にすると仰っていた」

「では、私が全てを証言致します。大人しく牢獄にも入りましょう。ですから……」

 公爵は必死だ。それはそうだろう。フリードは包丁の先を向けたままなのだ。
 皇帝に死刑と言われる前に殺されそうな雰囲気を醸している。

「あなたが本当にするかどうか分からない証言をしてもらうより、こっちで集めた証拠を提示した方が早い。
 そうでなくとも俺は皇帝陛下に仇なす者は全て排除すると決めているがな」

 公爵は顔を真っ青にして口を開いたままだ。恐怖に支配されているのだろう、強ばった表情をしている。

「あぁ、あともう一つ。あなた不倫もしてるよな」

「しっ、してな……」

「ここまで来て嘘を重ねるなよ。ほら、大商家の娘の、マルガルタさん。ほとぼりが冷めたら彼女と再婚するつもりだったんだろ? 姦通罪はあなたの方だろって話だよ。
 やっぱりあなたの証言なんかアテにならない事が証明されたな」

「何故……何故それを……お前、何者なんだ!?
 クレイル公国のスパイにもかかわらず、任務に失敗した出来損ないだろう!?
 卑怯にも死刑を逃れ、皇帝の愛人になったお前が何故そこまで知っている!?」

「さぁな」

 一瞬だった。その行為がなんていう事のない日常の一部であるかのように、フリードはその包丁を公爵の心臓に突き刺したのだ。

「ぎゃあああぁぁぁっ!」

「うるさいな」

 フリードの手刀が公爵の首裏を強打する。それだけで公爵は気絶して倒れた。
 流れていく血。助かる見込みはもうないだろうと分かる量が床に広がっていく。

 急に、フリードが扉の方へ歩き出した。その血を踏まないよう避難したらしい。それに気付いた時にはルベルトの靴底が血に濡れてしまっていた。
 そのままの足でフリードの元へと退散する。

「このままほっときゃ数分後には死んでるさ。
 さて、ターバイン君……って、君、何してるの?」

 ルベルトは片膝をついて敬礼した。フリードは皇帝の愛人だと知ってしまった。もう今まで通り話す事など出来はしない。
 知らなかったとはいえ、今までの無礼な態度を恥ずかしく感じた。

 学院生の頃、学院内で出回っていた噂を思い出した。皆その愛人の事を良く思っておらず、皇帝に対しても「男に狂った」と好奇心や嫌悪感を示していた。
 本当は、今回の事件を重大な事だと判断し、ここまで動いてくれていたのに、何も知らなかった。

 皇帝の愛人は皇族に属する。男だろうが、元は卑しい身分だろうが、皇帝が愛人であると公表した以上、彼に敬意を表するのは当然の事だ。

「今までの無礼な振舞いをお許し下さい」

「君は始終丁寧な態度だった。侯爵家の跡取りである君が傲慢になる事もなく、使用人の仕事すら真面目にしていて寧ろ心配に思った。
 侯爵令息がここまで気弱で大丈夫か? とね。
 もう、長年皇族に仕えてきた侯爵家としての誇りを忘れてはならないよ」

「はい」

「俺には今まで通りで構わない。公式の場では別だが、ここじゃただの使用人なんだから」

 フリードは優しくルベルトの肩を掴み、ゆっくりと立たせた。
 目の前の男は美しい顔をしている。皇帝が男に狂った等という不名誉な噂が真実味を帯びる。

(こんなに綺麗なら、誰だって傍におきたいと思うかも)

「これからの話をしよう。良い話と悪い話、どっちから先に聞きたい?」

「えっと……じゃあ良い方で」

 悪い話は聞き飽きた。今は少しでも良い話が聞きたい。

「今、皇帝陛下直属の裏警察が今回の事件の捜査をやり直している。近い未来、ターバイン君のお母様も治療が終わり次第、裁判のやり直しがされる。
 お父様も爵位を回復される事だろう」

「良かった……。ルベルトさん、本当に感謝しかありません」

 ルベルトは安堵からか目に涙を浮かべた。真実を知ってから、一番懸念していたのは両親の事だ。
 終身刑となった母、平民となって路頭に迷っているであろう父。二人の名誉が回復される事を一番に望んでいた。

「次に悪い話だ。本当は公爵を少しずつ弱らせて病死させるつもりが、君のお陰で今殺さざるを得なくなった。
 今日、俺は公爵とここで会う約束をしていた。状況的に俺が犯人となるだろう」

「え、でも皇族は帝国法で処罰する法律がないと、さっき……」

「俺は厳密には皇族ではない。準皇族? みたいな。とにかく、俺に関しては帝国法が適用されるんだ。
 どんな理由があるにせよ公爵を殺したら俺は死刑だ」

「どうして!? 皇帝陛下から殺すよう命じられたのではないんですか!?」

「いや? 確かに俺は陛下直属のとある組織から暗殺指示を受けた。
 けどまぁ、俺も厄介者だからさ。公爵殺して俺も逮捕されればその組織はラッキーってわけだ」

「分かりました。それなら俺が罪を被ります」

 ルベルトはそうはっきりと告げた。フリードは命の恩人だ。それくらいの事はして当然だ。
 フリードは理解出来ないものを見る顔でルベルトを見つめている。

「何をバカな事を。君は侯爵を継ぐ身だ。いずれは侯爵家は復活するんだぞ?」

「ですが! 元々俺が公爵を殺して逃げる予定だったんです。今、公爵が殺された事実は変わりないですから。
 俺はこのまま逃げます。他国まで逃げればどうにかなるでしょう。フリードさんは俺が犯人だと証言して下さい。
 きっとお父様も許してくださる筈です。受けた恩は必ず返せと仰っていましたから」

「君が生活するのに必要な金は?」

「どこかで働きながら貯めますよ」

「逃げ切る自信はあるのか?」

「正直ないです。でも、やれる事はなんでもします。今の俺に怖いものなんてないですから」

 どんな扱いも受け入れてきた。これ以上酷い目には遭わないだろうという自信がある。
 そういう点において、公爵家でされた仕打ちには感謝している。

「よし、ターバイン君の提案に乗るよ。その方が俺も助かる。
 けど、一人で逃げるのは無理がある。そこで一つ提案だ。俺についてこないか?」

「えっ!?」

「俺のツテで顔と名前を変えてやろう。侯爵家が復活したら養子にでもしてもらえばいい。
 なんなら、スパイにでもなるか? ……ってのは冗談だが」

「なります。俺も両親の潔白を証明したいです! フリードさんの手伝いをさせてください!」

「分かった。……ほら、おいで」

 フリードは血塗れの手を差し出した。まるで死神の手だ。この手を取れば、後戻りは出来ない。

(ここまで助けてくれたフリードさんを黙って見殺しになんか出来るわけない)

 ルベルトを隠れ蓑にしてでもフリードが助かればなんだっていい。受けた恩は必ず返すのがサーシュ侯爵家の信条だ。
 自分の手が血に塗れようと、後悔はしないと心に誓ってその手を掴んだ。
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