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アズの音が聞こえる。
防音の音楽室ではあるが、時折換気のためか窓が開かれる。そのため、現在練習中と思われる軽やかなメロディが聞こえてくる。
俺たちの高校には吹奏楽部とオーケストラ部がある。俺が留学する前はオーケストラ部の方が有名だったが、現在は吹奏楽部に勢いがあるらしい。
理由はアズだ。
アズが吹奏楽部に入部したことで、吹奏楽部への希望者が殺到。この学校のオーケストラ部に憧れて入学してきたと言っていた奴がアズが吹奏楽部を選んだこと知ると吹奏楽部への入部希望をだしただの、オーケストラ部だったやつが吹奏楽部へ転部希望を出した、なんて話は朔と漣から聞いていた。あまりに入部希望者が多かったため、オーケストラ部でしか行っていなかった入部オーディションを吹奏楽部でも初めて行い、そのためかなりハイレベルな吹奏楽部になったらしい。
確かに漏れ聞こえる音は以前とは比べ物にならない。
その中で、アズの奏でる音は一層心地が良い。新しい曲にワクワクとしている様子がよく分かる。
**
「ねぇねぇ奨くん、この歌知ってる?」
ある日小学校から帰ってきた俺を待ち構えていたかのようにアズはそう言って歌い出した。一生懸命に歌う小さなお口が可愛くて、歌詞は全く頭に入ってこなかったけど、高く甘い歌声は耳から俺の全身に染み渡った。特徴あるフレーズと音階で曲を特定するのは難しくなかった。
「うん、知ってるよ」
自分の歌った歌が俺に分かってもらえたと言う事が嬉しかったのか、アズの笑顔が弾ける。
あぁ、可愛い。その笑顔を見るだけで幸せになれるよ。
「えっとね、それで、怒られるの可哀想だなって思ってたらね、昨日パパがこっそり教えてくれたの。」
あのね、と俺の耳に口を近づけてナイショ話のように声を小さくして囁く。
「あのね、本当は壊れてないんだって。子どもだから上手く吹けなくて壊れたって思っちゃったんだって」
アズが吐息と唇が時折俺の耳に当たり、キスしたい衝動を抑えるのが大変だった。
「だから僕が大きくなって上手に吹いてあげれば、もう怒られないよね!」
そう言って、また太陽のように明るく笑った。
アズは元々少し気管が弱く、喘息も多少あったため小さい頃から水泳をやっていたのだが、あの事故の後プールに入れない時期が長く、また腕が上手く上がらなくなって水泳を習うことは辞めてしまった。そんなアズに新しい楽しみを、とご両親が与えたのがいつかアズが上手に吹いてあげると言っていたクラリネットだった。クラリネットも演奏のために腹式呼吸を使うため、少しでも代わりになると思ったらしい。
「パパがね、僕が前に言っていたこと覚えていてくれたの。最初は難しいみたいだけど早く上手く吹けるようになるといいな」
久々にあの弾けるような笑顔で笑ってくれたときは俺も嬉しくて、部屋に一人戻った時には泣いてしまった。
あの笑顔にまた会えたこと、でもあの笑顔にしたのが俺じゃなかったこと、まだ俺じゃ力不足だってことを痛感したから。
元々ピアノはやっていたが、アズはクラリネットが気に入りどんどん上達していった。それと同時に笑顔も増えていった。
**
「アズ、久々に今日どう?」
「奨くん、もちろんいいよ! でも勉強は大丈夫?」
「あぁ、ちょっと息抜きしたいんだ」
「そう? なら是非」
部活が終わる頃を見計らってアズの元に向かう。
「なに、今の会話」
「うん、何かやらしー感じが特にムカつく」
「お前って頭良いくせに語彙が死んでるよな」
「お前に言われたくない」
朔と漣が仲良くうるさい。
「ってか奨さ、帰りは俺たちに譲れよなー。お前だけ朝アズのこと独り占めしてんだからさ」
朔がつっかかってくる。
「たまにはいいでしょ。ね、アズ?」
「うん、もちろん。皆で一緒に帰れるの嬉しいな」
そう言われると何も言えないよな、朔、漣。分かりやすくむくれているけど、お前らも少しは我慢しろ。
「どっちのお家でする?」
「どちらでも構わないよ。」
並んで帰りながら話を進めていると、朔が割り込んでくる。
「アズ、何すんの?」
「やっぱりヤラシイ……ムカつく」
「え? どこが? 全然やらしくないよっ」
漣の言葉に、アズが真っ赤になって否定する。
「じゃあ何すんのか教えて」
「セッションだよ」
「セッション?」
「そう」
「何それ?」
「音楽を一緒にやることだよ。俺のクラリネットと奨くんのヴァイオリンでね」
「え? 奨ってヴァイオリンできんの?」
「まぁ、趣味程度には」
「うそ、嘘。奨くんは凄いんだよ、何度もコンクールで入賞してるの。俺、奨くんのヴァイオリン大好き」
「俺もアズが好きだよ。アズのクラリネットも大好きだよ」
「あ、ありがとう」
こうやって俺の「好き」に今までにない反応を見せるアズが可愛い。今までも事あるごとに言っていたけど、今はそこだけ切り取って聞こえるらしく、さらに真っ赤になって照れる顔が愛おしい。
「アズ、見ててもいい?」
今まで珍しく口を挟まなかった漣が言う。
「いいよ。もちろん」
「あ、俺も俺も!」
「で、どっちでする?」
「アズの家がいい」
「なんで漣が決めるの?」
「別にいいよー」
「じゃ決まり」
**
奨くんとのセッション久しぶり!
留学しちゃってからはもちろん、戻ってきてからも勉強とかすごく忙しそうだったからなかなか俺からは誘えなかったし、だから嬉しいな。
俺の家のリビングで二人して向かい合う。
俺は座って、奨くんは立って。
漣と朔はソファーに。
今日はまだユズちゃんはいない。
ユズちゃんがいれば、ユズちゃんのピアノもあったのにな……チラッとそんなことを考えながらも、クラリネットを構え、奨くんと視線を合わせる。
奨くんのヴァイオリンは優しく俺のクラリネットをリードしてくれる。メロディ―ラインが吹きたくてオケ部じゃなくて吹奏楽部を選んだけど、奨くんのメロディラインに沿って奏でるのは好きだ。
時に視線を合わせ、時にアドリブも入れながら続けて2曲演奏した。
うん、凄く気持ちがいい。
奨くんと微笑み合って、そのまま3曲目に入ったときだった。
おもむろに漣がピアノの前に座った。
「え……」
俺と奨くんのヴァイオリンに合わせるように漣の指が鍵盤を辿る。あまりに自然にあまりに包み込まれるようなピアノの音が心地よい。
「漣! ピアノ弾けたの?!」
「まぁな」
1曲終わって、俺はたまらず漣に駆け寄ると、漣はまたピアノを弾き出した。今度は激しく力強い。音が洪水になって押し寄せる。
「奨、来いよ」
そう言って奨くんを振り返る。
「ふん」
奨くんは再びヴァイオリンを構えると、漣に負けないくらいの激しさで弾き始めた。2人は初めてのセッションとは思えないくらいの呼吸でスピードを上げていく。
なにこれ、なにこれ、なにこれっ。
クラリネットを吹くのを忘れて2人の奏でる音楽に引き込まれる。
凄い……。
背中がぞくぞくする。
耳が、全身が2人の音に圧倒され喜んでいる。
メロディラインを追うので精一杯だ。まだ俺の技術じゃ2人にはついて行けない。
「お前……」
激しさを増していたセッションが突然終わった。漣のピアノが止まったから。
珍しく額に汗を滲ませて奨くんが漣に向かう。漣はピアノの前から動かない。
パチパチパチパチ。
「お前らすげーな」
朔が拍手をしながら言う。
俺もクラリネットを置いて拍手をする。
「うん、凄かった! 二人とも!」
「ってか、お前ら何なの?」
朔がなんとも不思議な顔で聞く。
うん、奨くんが凄いのは知ってたけど、漣のピアノも引けを取らなかった。俺の周りの誰よりも上手かったと断言出来る。
「漣、ピアノ弾けたんだね!」
漣は自分の手を見つめていたけど、ようやくこちらを見る。
「んー、俺もやらされてたからさ、ピアノ。ちょっと弾ける……まぁ趣味程度には」
「いや、お前、それ趣味程度のレベルじゃないだろ」
珍しく奨くんが驚いている。
「でも……久々に楽しめた。いいストレス発散になったよ」
奨くんが漣を認めた!
なんか……なんか、凄く嬉しい。
「ふっ。俺も」
漣もそう言って、お互いにニヤッと笑った。
「で? お前は何なんだよ、漣」
さっきまで拍手をしていた朔が、今度は思いっきり眉をひそめて漣に詰め寄る。
「何って、まぁ見ての通り」
「分かんね―よ、何? ピアニスト目指してんの? 全然素振りも見せなかったけど」
「いや……もうやってない」
え?
「事故か」
奨くんが聞く。
「まーね。……奨に言ったことあったっけ?」
「アズから聞いてた。遅れてきた新入生のお世話係になったって」
「しっかり連絡は取ってたって訳ね」
「当たり前でしょ」
「あっそ」
「え? いやいや、話が見えね―んだけど」
朔が漣と奨くんの会話に割り込む。
「だからさ、事故って手もやっちゃって、それからピアノはやってないって話」
別に何でもないといった風に漣が言う。
「……そっか。わりぃ」
バツの悪そうな朔に、
「別に好きでやってた訳じゃないし。前にちょっと言ったろ、俺の親のこと。母親が無理やりやらせてたってだけ」
違う。
漣の音は楽しいって言ってた、また弾けて嬉しいって。
最初は興味がなかったのかもしれないけど……漣はきっとピアノが好きだ。
「久々に弾いたけど……やっぱ思うように動かないわ、はは」
そんな寂しそうに笑わないでよ、漣。
「漣のピアノ凄かった。俺、好きだよ。だからまた聞きたい。また一緒に演奏したい。漣のピアノにもついて行けるくらい、俺も練習する。だからまた弾いてよ」
冷たい漣の手を握りなら言うと、漣はやっぱり少し笑って
「何でお前が泣いてんの、アズ……」
と言った。
「だって、漣……」
ちゃんと言葉に出来ない。話そうと思っても嗚咽になってしまう。
手だけギュッと握りしめていたら、隣に奨くんが座ってくれた。
「リハビリすれば、また元のように弾ける可能性はあると思うよ。今だってそれだけ弾けるんだし」
「別にいいんだよ、もう母親の道具になりたくねーし……今だって、アズとお前だけのセッション邪魔してやりたくて弾いただけだし」
漣……。
「俺はお前とのセッション、楽しかったけどね、癪だけど」
「奨くん!」
「同レベルの演者に久々に当たったからかな、全力で当たらないと飲みこまれそうだった」
「俺は音楽はよくわかんね―けど、お前らの演奏は鳥肌が立ったよ」
うん、分かるよ、朔。
「漣がやりたくないなら無理にとは言わない。コンクール出てとかそういうことじゃなくて、俺は漣のピアノが好きになったから、また聞きたい」
「お前とならアズとは違ったセッションが出来そうだ」
「俺も、俺もなんかやる! 一人だけ聞いてるなんてやだ」
「朔、いいね! うん、だからさ、またやろうね、皆で」
漣は何も言わなかったけど、静かにコクンと頷いてくれた。
それから、漣は水野のおじ様の病院に時々リハビリで行っている。
**
セッションからしばらく、部活のない日に俺と朔は音楽室にいた。
「意外だったな、漣があんな特技があるなんてさ。奨は、まぁイメージ通りだったけど。」
どんな相手でもちゃんと凄いって認める朔も凄いって思うよ。
朔は肺活量も多そうだし、トランペットやサックスも朔のイメージかと思ったけど、1時間やってみても音が出なかった。リードとマウスピースは合わなかったみたいだ。
ドラムも勧めてみたけど、
「俺も音が出るものがいい」
と、お気に召さなかった。
ドラムも音出るんだけどな。
良く聞くと、どうやら、メロディが奏でられる楽器が良かったみたい。ちょっと奨くんや漣と張り合っているような雰囲気に、朔には申し訳ないけど可愛いなって思ってしまう。
「俺、楽器は全然触ってこなかったからなぁ。ほんとに今からでも出来るかな?」
ああ、リードもマウスピースにも振られて、朔がちょっと弱気になってしまった。
「大丈夫だよ、音楽は音を楽しむものなんだし、大人になってから楽器始める人だっていっぱいいるんだよ。俺は小さい頃は身体があんまり丈夫じゃなかったから楽器だったけど、広い運動場やプールで思いっきり走ったり、泳いだりできる朔はカッコいいし、どんなスポーツもすごく上手な朔に憧れるよ」
朔の少し日焼けした横顔を見ながら言うと、
「サンキュ」
抱き寄せられて耳元で小さく言われた。
朔の逞しい腕に抱かれ、囁かれたことで俺の心臓は急に心拍数を上げた。
「家にピアノがあったってことは、アズもピアノ弾けるの?」
「うん、少しだけ。ユズちゃんの方が上手だし、漣には全然及ばないよ」
「……じゃあ俺、ピアノにする。ピアノならすぐ音でるし……アズ教えてくれる?」
ピアノを選ぶ理由がいつもの朔らしくなくて、さっきまでシュンとしていたことも関係しているのか、なんだか大きな犬みたい。
「俺でいいの?」
「うん、アズがいい」
「分かった、もちろんいいよ」
「いや、お前には俺が教えてやるよ」
「漣! もう病院終わったの?」
放課後すぐに病院に行っていたはずの漣が音楽室に入ってきた。
「お前には頼んでないし」
朔が口を尖らせる。
「俺も弾けるよ、ピアノ」
「奨にも頼んでない、ってかお前ら用事終わるの早くねぇ」
「早くないよ、もう最終下校時刻だ」
「とにかく、俺はアズに教えてもらいたいのっ、邪魔すんなよ」
「邪魔するに決まってんだろ」
こうして、朔は俺の家にいるときは時々ピアノを触っている。
俺が教えていると、大抵漣か奨くんが来て先生役を交代してしまう。
朔はとっても不満そうだけど、2人の方が技術は俺より上だから、上手い人に教わるのはいいと思う。
朔の力強くて大きな手はピアノには窮屈そうだけど、それでも教わっているときはちゃんと真剣に取り組んでいる。
最近は俺を待ってくれている間に別の音楽室で、漣と2人で練習していることもあるみたい。
「朔、上手くなってるね、すごい!」
練習し始めて1カ月。
たどたどしいながらも1曲弾き切った朔の頭を思わず撫でながら言うと、ちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。
防音の音楽室ではあるが、時折換気のためか窓が開かれる。そのため、現在練習中と思われる軽やかなメロディが聞こえてくる。
俺たちの高校には吹奏楽部とオーケストラ部がある。俺が留学する前はオーケストラ部の方が有名だったが、現在は吹奏楽部に勢いがあるらしい。
理由はアズだ。
アズが吹奏楽部に入部したことで、吹奏楽部への希望者が殺到。この学校のオーケストラ部に憧れて入学してきたと言っていた奴がアズが吹奏楽部を選んだこと知ると吹奏楽部への入部希望をだしただの、オーケストラ部だったやつが吹奏楽部へ転部希望を出した、なんて話は朔と漣から聞いていた。あまりに入部希望者が多かったため、オーケストラ部でしか行っていなかった入部オーディションを吹奏楽部でも初めて行い、そのためかなりハイレベルな吹奏楽部になったらしい。
確かに漏れ聞こえる音は以前とは比べ物にならない。
その中で、アズの奏でる音は一層心地が良い。新しい曲にワクワクとしている様子がよく分かる。
**
「ねぇねぇ奨くん、この歌知ってる?」
ある日小学校から帰ってきた俺を待ち構えていたかのようにアズはそう言って歌い出した。一生懸命に歌う小さなお口が可愛くて、歌詞は全く頭に入ってこなかったけど、高く甘い歌声は耳から俺の全身に染み渡った。特徴あるフレーズと音階で曲を特定するのは難しくなかった。
「うん、知ってるよ」
自分の歌った歌が俺に分かってもらえたと言う事が嬉しかったのか、アズの笑顔が弾ける。
あぁ、可愛い。その笑顔を見るだけで幸せになれるよ。
「えっとね、それで、怒られるの可哀想だなって思ってたらね、昨日パパがこっそり教えてくれたの。」
あのね、と俺の耳に口を近づけてナイショ話のように声を小さくして囁く。
「あのね、本当は壊れてないんだって。子どもだから上手く吹けなくて壊れたって思っちゃったんだって」
アズが吐息と唇が時折俺の耳に当たり、キスしたい衝動を抑えるのが大変だった。
「だから僕が大きくなって上手に吹いてあげれば、もう怒られないよね!」
そう言って、また太陽のように明るく笑った。
アズは元々少し気管が弱く、喘息も多少あったため小さい頃から水泳をやっていたのだが、あの事故の後プールに入れない時期が長く、また腕が上手く上がらなくなって水泳を習うことは辞めてしまった。そんなアズに新しい楽しみを、とご両親が与えたのがいつかアズが上手に吹いてあげると言っていたクラリネットだった。クラリネットも演奏のために腹式呼吸を使うため、少しでも代わりになると思ったらしい。
「パパがね、僕が前に言っていたこと覚えていてくれたの。最初は難しいみたいだけど早く上手く吹けるようになるといいな」
久々にあの弾けるような笑顔で笑ってくれたときは俺も嬉しくて、部屋に一人戻った時には泣いてしまった。
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**
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「奨くん、もちろんいいよ! でも勉強は大丈夫?」
「あぁ、ちょっと息抜きしたいんだ」
「そう? なら是非」
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「なに、今の会話」
「うん、何かやらしー感じが特にムカつく」
「お前って頭良いくせに語彙が死んでるよな」
「お前に言われたくない」
朔と漣が仲良くうるさい。
「ってか奨さ、帰りは俺たちに譲れよなー。お前だけ朝アズのこと独り占めしてんだからさ」
朔がつっかかってくる。
「たまにはいいでしょ。ね、アズ?」
「うん、もちろん。皆で一緒に帰れるの嬉しいな」
そう言われると何も言えないよな、朔、漣。分かりやすくむくれているけど、お前らも少しは我慢しろ。
「どっちのお家でする?」
「どちらでも構わないよ。」
並んで帰りながら話を進めていると、朔が割り込んでくる。
「アズ、何すんの?」
「やっぱりヤラシイ……ムカつく」
「え? どこが? 全然やらしくないよっ」
漣の言葉に、アズが真っ赤になって否定する。
「じゃあ何すんのか教えて」
「セッションだよ」
「セッション?」
「そう」
「何それ?」
「音楽を一緒にやることだよ。俺のクラリネットと奨くんのヴァイオリンでね」
「え? 奨ってヴァイオリンできんの?」
「まぁ、趣味程度には」
「うそ、嘘。奨くんは凄いんだよ、何度もコンクールで入賞してるの。俺、奨くんのヴァイオリン大好き」
「俺もアズが好きだよ。アズのクラリネットも大好きだよ」
「あ、ありがとう」
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「いいよ。もちろん」
「あ、俺も俺も!」
「で、どっちでする?」
「アズの家がいい」
「なんで漣が決めるの?」
「別にいいよー」
「じゃ決まり」
**
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漣と朔はソファーに。
今日はまだユズちゃんはいない。
ユズちゃんがいれば、ユズちゃんのピアノもあったのにな……チラッとそんなことを考えながらも、クラリネットを構え、奨くんと視線を合わせる。
奨くんのヴァイオリンは優しく俺のクラリネットをリードしてくれる。メロディ―ラインが吹きたくてオケ部じゃなくて吹奏楽部を選んだけど、奨くんのメロディラインに沿って奏でるのは好きだ。
時に視線を合わせ、時にアドリブも入れながら続けて2曲演奏した。
うん、凄く気持ちがいい。
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「え……」
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凄い……。
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パチパチパチパチ。
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朔が拍手をしながら言う。
俺もクラリネットを置いて拍手をする。
「うん、凄かった! 二人とも!」
「ってか、お前ら何なの?」
朔がなんとも不思議な顔で聞く。
うん、奨くんが凄いのは知ってたけど、漣のピアノも引けを取らなかった。俺の周りの誰よりも上手かったと断言出来る。
「漣、ピアノ弾けたんだね!」
漣は自分の手を見つめていたけど、ようやくこちらを見る。
「んー、俺もやらされてたからさ、ピアノ。ちょっと弾ける……まぁ趣味程度には」
「いや、お前、それ趣味程度のレベルじゃないだろ」
珍しく奨くんが驚いている。
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漣もそう言って、お互いにニヤッと笑った。
「で? お前は何なんだよ、漣」
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「何って、まぁ見ての通り」
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「いや……もうやってない」
え?
「事故か」
奨くんが聞く。
「まーね。……奨に言ったことあったっけ?」
「アズから聞いてた。遅れてきた新入生のお世話係になったって」
「しっかり連絡は取ってたって訳ね」
「当たり前でしょ」
「あっそ」
「え? いやいや、話が見えね―んだけど」
朔が漣と奨くんの会話に割り込む。
「だからさ、事故って手もやっちゃって、それからピアノはやってないって話」
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「……そっか。わりぃ」
バツの悪そうな朔に、
「別に好きでやってた訳じゃないし。前にちょっと言ったろ、俺の親のこと。母親が無理やりやらせてたってだけ」
違う。
漣の音は楽しいって言ってた、また弾けて嬉しいって。
最初は興味がなかったのかもしれないけど……漣はきっとピアノが好きだ。
「久々に弾いたけど……やっぱ思うように動かないわ、はは」
そんな寂しそうに笑わないでよ、漣。
「漣のピアノ凄かった。俺、好きだよ。だからまた聞きたい。また一緒に演奏したい。漣のピアノにもついて行けるくらい、俺も練習する。だからまた弾いてよ」
冷たい漣の手を握りなら言うと、漣はやっぱり少し笑って
「何でお前が泣いてんの、アズ……」
と言った。
「だって、漣……」
ちゃんと言葉に出来ない。話そうと思っても嗚咽になってしまう。
手だけギュッと握りしめていたら、隣に奨くんが座ってくれた。
「リハビリすれば、また元のように弾ける可能性はあると思うよ。今だってそれだけ弾けるんだし」
「別にいいんだよ、もう母親の道具になりたくねーし……今だって、アズとお前だけのセッション邪魔してやりたくて弾いただけだし」
漣……。
「俺はお前とのセッション、楽しかったけどね、癪だけど」
「奨くん!」
「同レベルの演者に久々に当たったからかな、全力で当たらないと飲みこまれそうだった」
「俺は音楽はよくわかんね―けど、お前らの演奏は鳥肌が立ったよ」
うん、分かるよ、朔。
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ドラムも勧めてみたけど、
「俺も音が出るものがいい」
と、お気に召さなかった。
ドラムも音出るんだけどな。
良く聞くと、どうやら、メロディが奏でられる楽器が良かったみたい。ちょっと奨くんや漣と張り合っているような雰囲気に、朔には申し訳ないけど可愛いなって思ってしまう。
「俺、楽器は全然触ってこなかったからなぁ。ほんとに今からでも出来るかな?」
ああ、リードもマウスピースにも振られて、朔がちょっと弱気になってしまった。
「大丈夫だよ、音楽は音を楽しむものなんだし、大人になってから楽器始める人だっていっぱいいるんだよ。俺は小さい頃は身体があんまり丈夫じゃなかったから楽器だったけど、広い運動場やプールで思いっきり走ったり、泳いだりできる朔はカッコいいし、どんなスポーツもすごく上手な朔に憧れるよ」
朔の少し日焼けした横顔を見ながら言うと、
「サンキュ」
抱き寄せられて耳元で小さく言われた。
朔の逞しい腕に抱かれ、囁かれたことで俺の心臓は急に心拍数を上げた。
「家にピアノがあったってことは、アズもピアノ弾けるの?」
「うん、少しだけ。ユズちゃんの方が上手だし、漣には全然及ばないよ」
「……じゃあ俺、ピアノにする。ピアノならすぐ音でるし……アズ教えてくれる?」
ピアノを選ぶ理由がいつもの朔らしくなくて、さっきまでシュンとしていたことも関係しているのか、なんだか大きな犬みたい。
「俺でいいの?」
「うん、アズがいい」
「分かった、もちろんいいよ」
「いや、お前には俺が教えてやるよ」
「漣! もう病院終わったの?」
放課後すぐに病院に行っていたはずの漣が音楽室に入ってきた。
「お前には頼んでないし」
朔が口を尖らせる。
「俺も弾けるよ、ピアノ」
「奨にも頼んでない、ってかお前ら用事終わるの早くねぇ」
「早くないよ、もう最終下校時刻だ」
「とにかく、俺はアズに教えてもらいたいのっ、邪魔すんなよ」
「邪魔するに決まってんだろ」
こうして、朔は俺の家にいるときは時々ピアノを触っている。
俺が教えていると、大抵漣か奨くんが来て先生役を交代してしまう。
朔はとっても不満そうだけど、2人の方が技術は俺より上だから、上手い人に教わるのはいいと思う。
朔の力強くて大きな手はピアノには窮屈そうだけど、それでも教わっているときはちゃんと真剣に取り組んでいる。
最近は俺を待ってくれている間に別の音楽室で、漣と2人で練習していることもあるみたい。
「朔、上手くなってるね、すごい!」
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音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
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