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9 クイズ大会でアイラブユー(10億年前) 前編
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5億年――。
言葉にしたら、たったの0.5秒。
だが、そんな瞬きするほどの短い時間で言い表せる言葉は、実際にはこの世に生きる誰も経験したことのない、とてつもなく長い年月である。
――5億年あれば、何ができるだろう。
僕は、一人佇む社員食堂のランチプレートを前にしばし手を休め、この前真奈美さんに云い渡された5億年の重みについて想像していた。
人生なら500万回は経験できて、ハレーすい星なら657万8947回見られて、プロ野球なら大体40億回も試合ができて、カップラーメンなら、うーん……、計算できないけど一生かかっても食べきれないだけの数をお湯で戻せるな。
そんな妄想の世界を打ち破ったのは、いつだったか、クレーム客からの電話で代わりに応対をしてあげた、部署の後輩女子社員から投げられた言葉だった。
「あの……榊原先輩、これどうぞ。いつかのお礼です!」
身長は、160センチに少し満たないほど。
会社の制服に身を包み、髪を後ろにポニーテールでまとめた彼女は、記憶では確か4つ程後輩の、三原(みはら)麻子(あさこ)という名の女性だ。
その白く華奢な両手に包まれていたのは、リボン付きのペンケースみたいな箱だった。
「え、これを僕に? ありがとう。でも……どうして?」
「いえ……大したものではありませんから。では、失礼しますッ!」
僕の胸に押し付けるようにしてそれを手渡した、彼女。
他の社員たちの視線を猛烈に浴びながら、食堂へと続々と詰めかける社員たちをなぎ倒すように突き進んで、外へと出て行った。やがて、そのたくさんの視線は、僕の下に集中する。
――ん? どういうこと?
何が起こったのか俄かに理解できなかった僕は、そんな社内の“ふやけた”視線など気にも留めず、リボンを解き包装紙を丁寧に剥がして箱を開けてみた。
中に入っていたのは、煌びやかな包み紙に巻かれた片手の指の数程のチョコレートと、涙の滴のような形をした銀のペンダント。そして、箱の蓋のクッション部分に挟まるようにして添えられていた、ピンク色の便箋がひとつ。
「……」
赤いハートマークのシールで封印されたその便箋は、呪いの手紙などではないことが容易に想像できた。所謂、『恋文』という代物だろう。
――忘れてた。もしかして今日って、バレンタインデー?
スマホで今日の日付を確かめると、確かに2月14日だった。
この前のトンネルでの『告白』の時に受けたショックが長引き、今日の日付すら良く解らなくなっている自分に愕然とする。
――よく考えたら、あの子も小柄でキュートな女の子だよね。
彼女に対する印象が、急激に変化した瞬間だ。
何も女性は、真奈美さんだけじゃない――。
今まで猛吹雪で全く見えなかった視界が忽然と晴れたかのような、そんな不思議な感覚を覚えた時だった。
突然に沸き起こった、同僚たちのどよめき。
怯えた表情の女性社員と顔を引きつらせた男性社員の間を掻き分けるようにして、黒服サングラスのいかにもBGという感じの屈強な三人の男が、僕のいる食堂の隅の席へと進んで来たのだ。
どうやら、また僕のお客さんらしい。
「あーゆー、ゆーき・さかきばら?」
――なぜ、英語?
僕の目の前に山脈のように立ち並んだ外人らしき男が口を開く。
慌ててペンダントを首にかけた僕は、三原さんからもらった箱をスーツの胸ポケットへとしまった。
「い、いえす! ばっと……」
しかし、僕が話せたのはそこまでだった。
僕の言葉を途中で遮った三人のリーダー格らしき男が、残りの二人に僕の両肩をがっしりと掴ませ、こう云った。
「榊原祐樹 殿、これより黄川田会長の命により、貴殿を『黄川田ドーム』へとお連れする」
――何だよ、日本語しゃべれるじゃん……。
それにしても“黄川田会長”って誰なんだろうと、そんな疑問を彼らにぶつける暇もない。まるで神輿のように彼らに担ぎ上げられた僕は、食べかけのハンバーグが載ったランチプレートを置き去りに、食堂から連れ去られようとしている。
「おい、榊原主任! 午後の仕事はどうする気だ」
「すみませーん。こういうことになっちゃったんで、あとは課長の方で処理をお願いしまーす」
「ば、馬鹿野郎! あの取引先は大事な顧客なんだ。榊原君がいないと――」
「とにかく、よろしくでーす! あ、あと僕のパソコンの電源、落としておいてくださーい」
その後、言葉にならない喚き声が食堂に響いた気がしたのは、夢か幻か。
担ぎ上げられた格好の僕には、もういかんともしがたい状態なのだ。あとは課長の活躍を期待するしかない。
とにもかくにも、僕は会社を強制的に退去させられ、ビルの入口前に大きな顔して停まった黒塗りのリムジンカーの後部座席に載せられた。どう見ても僕のアパートより広い大きさで、足元にはとてつもなくふわふわな絨毯が敷き詰められている。
小学生男子なら間違いなくそこで飛び跳ね、はしゃぎ始めるだろう。
そんな舞い上がりたくなる気持ちを抑えつけるかのように、キンと冷えた野太い声が僕の後頭部で響く。
「失礼」
それは、先程のリーダー格の男の言葉だった。
と同時に、後頭部に鈍器で殴られたような衝撃が走り、口もとに当てられた小汚いハンカチから酷いクロロホルム臭が発せられたのが分かった。
――何も、両方やらなくてもいいのにな。どっちかで充分、気を失えるって。
それが、会社での最期の記憶。
僕の意識は、足元に敷かれたふかふか絨毯の長い毛並の奥底へと沈んで行ったのだった。
☆
目が覚めると、そこは薄暗く狭い部屋だった。
決して雪国でも美しい景色でもない。現実は、小説の世界ほど甘くはないものだ。
鼻の穴の中は、気持ち悪いほどのねっとり感を持った粘液で満たされていた。高濃度のクロロホルムにやられたせいだろう。しかしそれよりキツかったのは、後頭部の酷いズキズキした痛みだった。
後頭部を擦ろうと手を伸ばそうとするも、動かない。
それもそのはず。
大きめの肘掛け椅子に座らされた僕の手足が、そこに固定されていたのだから。
「ううん……ここはどこだ」
すぐ横で、聞き憶えのある、そして聞きたくもない感じの、男のうなされ声がした。
間違いない、雛地鶏 謙だ。
どうやら、彼も僕と同じ境遇で、ここに連れて来られたらしい。
「おい、そこにいるのは榊原祐樹か! これは一体どういうことなんだ」
「雛地鶏君、それは僕が訊きたいくらいだよ。まったく、わからない」
と、地響きのような大きな音がしたかと思うと天井が真ん中から真っ二つに割れ、開き出した。
男二人が閉じ込められた暗い部屋に降り注ぐ、黄色い陽射し。
それは一瞬、僕の視界を再びの暗闇に戻したが、すぐに視界良好な状態へと導いていく。
それと同時に耳に飛びこんで来た、大歓声。
僕ら二人を縛りつけた椅子がじりじりとせり上がり、先程までは天井だったものが床となる。
「うわっ、これはどうしたことだ」
慌てふためく、雛地鶏。
そんな彼の後頭部には、ぷっくりと膨らんだ酷いたんこぶが見える。きっと、それと同じものが僕の後頭部にもあるのだと思うとうすら寒いが、とにかく今はそれを想像するのをやめることにする。
「レディース&ジェントルマン! 黄川田コンツェルンぷれぜんつ、真奈美お嬢様への告白タイム争奪、大クイズ大会の開始であります――まずは選手入場!」
鼓膜をつんざくほどの音量で耳に入って来たのは、3階建てのビルほどの大きさもある巨大なスピーカーで拡声された、中年男のアナウンスだった。
(後編に続く)
言葉にしたら、たったの0.5秒。
だが、そんな瞬きするほどの短い時間で言い表せる言葉は、実際にはこの世に生きる誰も経験したことのない、とてつもなく長い年月である。
――5億年あれば、何ができるだろう。
僕は、一人佇む社員食堂のランチプレートを前にしばし手を休め、この前真奈美さんに云い渡された5億年の重みについて想像していた。
人生なら500万回は経験できて、ハレーすい星なら657万8947回見られて、プロ野球なら大体40億回も試合ができて、カップラーメンなら、うーん……、計算できないけど一生かかっても食べきれないだけの数をお湯で戻せるな。
そんな妄想の世界を打ち破ったのは、いつだったか、クレーム客からの電話で代わりに応対をしてあげた、部署の後輩女子社員から投げられた言葉だった。
「あの……榊原先輩、これどうぞ。いつかのお礼です!」
身長は、160センチに少し満たないほど。
会社の制服に身を包み、髪を後ろにポニーテールでまとめた彼女は、記憶では確か4つ程後輩の、三原(みはら)麻子(あさこ)という名の女性だ。
その白く華奢な両手に包まれていたのは、リボン付きのペンケースみたいな箱だった。
「え、これを僕に? ありがとう。でも……どうして?」
「いえ……大したものではありませんから。では、失礼しますッ!」
僕の胸に押し付けるようにしてそれを手渡した、彼女。
他の社員たちの視線を猛烈に浴びながら、食堂へと続々と詰めかける社員たちをなぎ倒すように突き進んで、外へと出て行った。やがて、そのたくさんの視線は、僕の下に集中する。
――ん? どういうこと?
何が起こったのか俄かに理解できなかった僕は、そんな社内の“ふやけた”視線など気にも留めず、リボンを解き包装紙を丁寧に剥がして箱を開けてみた。
中に入っていたのは、煌びやかな包み紙に巻かれた片手の指の数程のチョコレートと、涙の滴のような形をした銀のペンダント。そして、箱の蓋のクッション部分に挟まるようにして添えられていた、ピンク色の便箋がひとつ。
「……」
赤いハートマークのシールで封印されたその便箋は、呪いの手紙などではないことが容易に想像できた。所謂、『恋文』という代物だろう。
――忘れてた。もしかして今日って、バレンタインデー?
スマホで今日の日付を確かめると、確かに2月14日だった。
この前のトンネルでの『告白』の時に受けたショックが長引き、今日の日付すら良く解らなくなっている自分に愕然とする。
――よく考えたら、あの子も小柄でキュートな女の子だよね。
彼女に対する印象が、急激に変化した瞬間だ。
何も女性は、真奈美さんだけじゃない――。
今まで猛吹雪で全く見えなかった視界が忽然と晴れたかのような、そんな不思議な感覚を覚えた時だった。
突然に沸き起こった、同僚たちのどよめき。
怯えた表情の女性社員と顔を引きつらせた男性社員の間を掻き分けるようにして、黒服サングラスのいかにもBGという感じの屈強な三人の男が、僕のいる食堂の隅の席へと進んで来たのだ。
どうやら、また僕のお客さんらしい。
「あーゆー、ゆーき・さかきばら?」
――なぜ、英語?
僕の目の前に山脈のように立ち並んだ外人らしき男が口を開く。
慌ててペンダントを首にかけた僕は、三原さんからもらった箱をスーツの胸ポケットへとしまった。
「い、いえす! ばっと……」
しかし、僕が話せたのはそこまでだった。
僕の言葉を途中で遮った三人のリーダー格らしき男が、残りの二人に僕の両肩をがっしりと掴ませ、こう云った。
「榊原祐樹 殿、これより黄川田会長の命により、貴殿を『黄川田ドーム』へとお連れする」
――何だよ、日本語しゃべれるじゃん……。
それにしても“黄川田会長”って誰なんだろうと、そんな疑問を彼らにぶつける暇もない。まるで神輿のように彼らに担ぎ上げられた僕は、食べかけのハンバーグが載ったランチプレートを置き去りに、食堂から連れ去られようとしている。
「おい、榊原主任! 午後の仕事はどうする気だ」
「すみませーん。こういうことになっちゃったんで、あとは課長の方で処理をお願いしまーす」
「ば、馬鹿野郎! あの取引先は大事な顧客なんだ。榊原君がいないと――」
「とにかく、よろしくでーす! あ、あと僕のパソコンの電源、落としておいてくださーい」
その後、言葉にならない喚き声が食堂に響いた気がしたのは、夢か幻か。
担ぎ上げられた格好の僕には、もういかんともしがたい状態なのだ。あとは課長の活躍を期待するしかない。
とにもかくにも、僕は会社を強制的に退去させられ、ビルの入口前に大きな顔して停まった黒塗りのリムジンカーの後部座席に載せられた。どう見ても僕のアパートより広い大きさで、足元にはとてつもなくふわふわな絨毯が敷き詰められている。
小学生男子なら間違いなくそこで飛び跳ね、はしゃぎ始めるだろう。
そんな舞い上がりたくなる気持ちを抑えつけるかのように、キンと冷えた野太い声が僕の後頭部で響く。
「失礼」
それは、先程のリーダー格の男の言葉だった。
と同時に、後頭部に鈍器で殴られたような衝撃が走り、口もとに当てられた小汚いハンカチから酷いクロロホルム臭が発せられたのが分かった。
――何も、両方やらなくてもいいのにな。どっちかで充分、気を失えるって。
それが、会社での最期の記憶。
僕の意識は、足元に敷かれたふかふか絨毯の長い毛並の奥底へと沈んで行ったのだった。
☆
目が覚めると、そこは薄暗く狭い部屋だった。
決して雪国でも美しい景色でもない。現実は、小説の世界ほど甘くはないものだ。
鼻の穴の中は、気持ち悪いほどのねっとり感を持った粘液で満たされていた。高濃度のクロロホルムにやられたせいだろう。しかしそれよりキツかったのは、後頭部の酷いズキズキした痛みだった。
後頭部を擦ろうと手を伸ばそうとするも、動かない。
それもそのはず。
大きめの肘掛け椅子に座らされた僕の手足が、そこに固定されていたのだから。
「ううん……ここはどこだ」
すぐ横で、聞き憶えのある、そして聞きたくもない感じの、男のうなされ声がした。
間違いない、雛地鶏 謙だ。
どうやら、彼も僕と同じ境遇で、ここに連れて来られたらしい。
「おい、そこにいるのは榊原祐樹か! これは一体どういうことなんだ」
「雛地鶏君、それは僕が訊きたいくらいだよ。まったく、わからない」
と、地響きのような大きな音がしたかと思うと天井が真ん中から真っ二つに割れ、開き出した。
男二人が閉じ込められた暗い部屋に降り注ぐ、黄色い陽射し。
それは一瞬、僕の視界を再びの暗闇に戻したが、すぐに視界良好な状態へと導いていく。
それと同時に耳に飛びこんで来た、大歓声。
僕ら二人を縛りつけた椅子がじりじりとせり上がり、先程までは天井だったものが床となる。
「うわっ、これはどうしたことだ」
慌てふためく、雛地鶏。
そんな彼の後頭部には、ぷっくりと膨らんだ酷いたんこぶが見える。きっと、それと同じものが僕の後頭部にもあるのだと思うとうすら寒いが、とにかく今はそれを想像するのをやめることにする。
「レディース&ジェントルマン! 黄川田コンツェルンぷれぜんつ、真奈美お嬢様への告白タイム争奪、大クイズ大会の開始であります――まずは選手入場!」
鼓膜をつんざくほどの音量で耳に入って来たのは、3階建てのビルほどの大きさもある巨大なスピーカーで拡声された、中年男のアナウンスだった。
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