告白

鈴木りん

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5 カボチャの馬車でアイラブユー(2億年前)

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 秋も深まり始めた、10月下旬の昼下がり。
 豊かな香りを湛えた淹れたて珈琲の入ったカップをソーサー付きで私が差し出すと、彼女――日向ひゅうが眞子まこ――は、そのお人形さんみたいに整った顔をぴくりとも動かさずに、そして背中を丸めた榊原先輩の顔から視線を外さずに、軽く頷いた。

「だからね、榊原さん。先程から申し上げておりますでしょう? 本当に飲みこみが悪いですわ……。そこは、あなたがカボチャに成りきって……」
「いや、だからですね、日向さん。何度も云いますが、僕は今仕事中で……」
「あら、そんな言い訳、通用しませんことよ。そんなことだからあなた、真奈美お嬢様のお心が掴めないのですわ」
「ぐっ……」

 厳しい指摘にタジタジとなった榊原先輩に、彼女の考えたという告白シナリオを再びマシンガンの如く話し出す、眞子さん。
 まごつく先輩の前でカップに手を延ばし、一口すすった。

「あらまあ、近藤さん。このコーヒー、なかなかの御手前ですわ。榊原さんと違って、あなたは仕事ができそうですわね」
「あ、いえ、そんなことは……。それより、眞子さん。先輩は別に眞子さんに告白シナリオを作ってほしいなどと頼んだ憶えはないそうですけれど……」
「そんな細かいことを気にしてどうしますの? 私は、ただ榊原さんと真奈美さまがとっととくっついていただきたいだけですわ。そうすれば、謙さまが私に振り向いてくれるはずですし……。とにかく、榊原さんにもう一度教えますわ。ちゃんと覚えてくださいね!」
「はあ……」

 榊原先輩の溜め息にも似た返事とともに、私は、思わず肩をすくめた。
 彼女は全然わかっていないのだ――先輩の、真の実力を。


 ――ここで今の我々が置かれた状況について、若干の説明をする。
 今日は、れっきとした平日。
 当然のことながら我々サラリーマンは、精一杯、働く日だ。
 そんな普通の日に突然、我々の前に姿を現した彼女。
 朝の缶コーヒーで今日の活力をチャージしていた榊原先輩の腕を掴み軽く拉致した後、我社の一番大きな会議室を瞬く間に占領して、先輩を監禁状態へと持ち込んだのだ。
 こうして、朝から「告白」のための作戦会議を会社で開いている訳である。


「もう、いい加減お分かりになりましたよね、榊原さん?」
「はあ、まあ……。でもこんなことで、本当に彼女の気持ちを掴めるんですか?」
「何です、その疑いの目は……。女の子ってのはね、お祭り騒ぎと少しの恐怖、そして甘いものが好きですのよ!」
「……。そんなもんですかね」
「当たり前ですわ。この、お嬢様の中のお嬢様、日向眞子が云うのですから間違いはないのです!」

 とそのとき、会議室のドアを激しく叩く音がした。
 ドアが開いたその場所に現れたのは、先輩と私が所属する部署の後輩女子社員だった。

「大変です、榊原主任! 客先から、先月収めた商品に関してクレームが!」
「何だって? 課長はどうした?!」
「課長、外回りで不在なんです……。今、頼れるのは榊原さんしかいなくて……」
「よし、わかった。すぐ行く!」

 榊原先輩は「ちょっとすみません、そういうことなんで」と眞子さんに断ると、会議室から飛び出して行った。
 その背中を追いかけ、良い匂いを振り撒きながら廊下を歩く眞子さん。
 私もその香りに惹かれるようにして、彼女の後を追う。

 私と眞子さんが部署の執務室に着くと、既に先輩は客先へと電話をかけていた。
 横でおろおろする制服姿の後輩をその目線で落ち着かせ、受話器を耳と肩の間で抱え込みながら次々と周りの若手社員たちに指示を与えていく、先輩。普段はのんびり構えたように見える先輩だが、こういった危機ピンチの時には、鬼神の如く仕事をこなす。
 まさにそれこそが、先輩の真骨頂なのだ。

 それから約10分。
 先輩の奮闘の甲斐あってクレームは解決する。
 ほっと一息ついた先輩に、先程SOSを上げた女子社員が何回もお辞儀をし、礼を云っている。社内オフィスに、柔らかい安堵感が広がった。

「……あら。意外と榊原さん、やりますのね」
「当たり前ですよ、眞子さん。榊原先輩は、この会社で私が認めた唯一の先輩ですから」
「ふうん……なるほどね」

 可愛らしい花柄のワンピースの胸の部分で細くしなやかな腕を組みながら感心する眞子さんに向かって、私は何度も力強く頷いたのだった。


  ☆


 数日後。
 巷では「ハロウィーン」と呼ばれる日になった。その夜である。

 マイクを握ったDJポリスも出動中の、大規模交差点。
 騒然とした雰囲気の中、何故か真っ黒な蝙蝠こうもりみたいな格好をした私が、巨大な張りぼて――カボチャの馬車――の御者として、一人、ぽつんと席に座っている。

 ――カボチャの馬車って、シンデレラと間違ってない?

 私の素朴な疑問。
 先日の打ち合わせでも眞子さんにそう主張してみたものの、聞き入れられなかったのだ。
 まあ、それはいいとしよう。
 けれど一番の疑問は、このお祭りをやる意味だった。私には解らない。
 要するに、社会を巻きこんだ壮大な仮装パーティなのか? 日本人なら、もっと他にやるべきことが……。いやいや、そんなことを云っても何も始まらないことだけは分かっている。
 とにかく、眞子さんが考えたこの告白企画、何とか成功せねば……。

 交差点のど真ん中に、でんと居座る馬車。
 眞子さんのお宅もかなりのお金持ちなのだろう。でなければ、こんな人が乗れるような巨大な張りぼてを数日で用意できるわけがない。
 しかし奇妙なことに、そんな目立つ張りぼてをの傍を人々は何事もないかのように、ただ通り過ぎていく。
 ってことは、この人達ってもしかして――

 なんて思っているところに、薄茶色の高級ブランドスーツを身に纏った真奈美お嬢様が横断歩道の向こう側から颯爽と登場。
 思い思いの仮装を施す人々も、その威厳に平伏ひれふすがごとき態度で彼女に視線を集中する。彼女がとんでもない仮装しているとか、とてつもなく奇抜な恰好をしているとか、そんなことはないのに、だ。
 要するに、彼女全体から発するオーラ――その圧力がすごいのだ。

 ――改めて思う。
 榊原先輩は、とんでもないひとに恋をしてしまったものだと。

 そのとき、カボチャの馬車の内側から聞き慣れた声がした。

「おい、近藤君。そろそろ約束の時間だけど、真奈美さんは、まだ?」
「ああ、すみません先輩。真奈美お嬢様が、今、やって来ましたよ」
「そうか……。よし、わかった」

 都会のLEDライトに照らされたお嬢様がまるでスポットライトを浴びた主演女優のような威厳を纏い、不機嫌そうな顔つきで馬車の前に立つ。
 すると、それを待ち侘びたかのようなそんな勢いで、カボチャのお化け「ジャック・オー・ランタン」に扮した榊原先輩が馬車のドアを開けた。
 真奈美さんの顔が豆鉄砲を食らった鳩のようになる。

「な、何よ! もしかして……この穴の開いたカボチャみたいのが榊原祐樹なの?」
「…………」

 たじろいだ彼女に、先輩は何も答えない。
 ここは、女の子の好きな「少しの恐怖」を与える場面なのだ。

 答える代わりに、先輩――いやカボチャのお化けジャック・オー・ランタン――が、黒マントの上着に隠れて見えない右手でパチンと指を鳴らした。
 すると、今まで他人のように見えた道行くすべての人々が立ちどまり、真奈美さんのいる方向に体を向けて右手を差し出して、叫んだ。

「トリック、オア、トリート。……セイ!」
「へ?」

 何百人という仮装した人々の揃いも揃った声に、百戦錬磨のお嬢様も呆然となる。警察関係者もあまりの出来事に息を飲んでいるらしく、マイクからの声が聞こえない。
 と、間髪を入れず、先輩が再び指を鳴らした。
 再び、人々が声を揃える。

「トリック、オア、トリート。ユー、セイ!」

 まるで、何かのミュージカルを見ているかのようだ。
 一般道の巨大交差点が眞子さんの息のかかった人々の貸し切り状態に……。まさかここまでとは、想像していなかった。
 未だ黙り込む、警察関係。
 警備車両の上に乗る、珍しく年配ベテランのDJポリスらしき人までが、にやついた表情を浮かべながらこちらを注視している。

 ――眞子お嬢様、恐るべし。

 私が彼女の実力におののいたその瞬間、群衆に急かされた真奈美お嬢様がついにその麗しの唇を動かした。

「……ト、トリック、オア、トリート?」
「イエーイ!」

 隣県まで届くのではないのかと思うほどの歓喜が、真奈美さんを包みこむ。
 と同時に、リュックに手提げ袋にエコバッグ――様々なところから、これでもかというほどのお菓子を取り出して、それぞれが真奈美さんに向かって投げつけた。

「きゃあっ!」

 小袋に入ったクッキー、キャンディ、チョコにせんべい――まさに雨あられのように降り注ぐお菓子の雨。
 お嬢さまの美しいフォルムが、うず高く積まれていくお菓子の山にあっという間にうずもれていき、そしてついにその姿が完全に隠れてしまったときだった。

「ハッピー、ハローウィーン!!!」

 群衆の歓喜が大きな渦となり、最高潮に達した。
 さすが真奈美さんである。こんな状態になっても、微動だにしないその精神力は真のお嬢様の証といえよう。
 渦の中心――お菓子の山――に向かって、ジャック・オー・ランタン姿の榊原先輩が恭しく一礼をする。
 すると場が一転、静寂に包まれた。
 カボチャお化けの被り物の切れ目から漏れる先輩の声が、静かな街中に響き渡る。

「真奈美さん。これからはこのジャック・オー・ランタン――いや、榊原祐樹が、お化けや悪霊に魔女、悪い虫でさえもあなたに寄せ付けさせません。だから、この僕と――」
「……くだらないこと云う暇あったら、すぐに助け出しなさい」
「え? あ、はいっ!」

 眞子さんにより予め用意された先輩の決めゼリフを途中で遮り、真奈美さんが冷ややかに命令を下す。

「今ので真奈美さんが感動して大団円――て、はずだったのにな」

 積み上がったお菓子の山を両手で払い除けながら、榊原先輩がぼやく。

 再び姿を現したお嬢様の表情は、怒りで凍りついていた。
 その雰囲気を察知したのかDJポリスも気を取り直し、「交差点では立ち止まらないように」「その張りぼてをすぐ撤去するように」と、柔らかい物腰でスピーチを再開した。

 そのときだった。
 都会の夜空に赤い人影のようなものが浮き上がった。それは、ホウキに跨る魔女のように見えた。
 いかにもという感じの、とんがった帽子とビロードののマントが風になびく。

「今すぐここから立ち去れ! さもないと、わらわが呪い殺してくれるわ」

 低いトーンのしわがれ声で、がなり立てる。
 迫真の演技だった。
 こんな演出があるなんて全然聞いてなかったが、きっと眞子さんのことだ。沈滞ムードを吹き飛ばすが如く、自分が魔女となって登場するなどという隠し玉を出したのだろう。

 警察の存在を忘れ、盛り上がる街角。
 気のせいか警官たちも楽しんでいるかのように見える。

 どんなトリックなのかまでは解らない。箒に跨った魔女が我が物顔で空を飛び回る。赤黒のマントが、躍動する。
 真奈美さんもこの演出は気に入ってくれたようだ。凍りついていた表情が一変した。
 ファンタジー映画を見るかのように普通の若い女性が見せる笑顔を振りまきながら、楽し気に上空を見上げている。

「ほら、アンタ。私から魔女を遠ざけてくれるんじゃなかったの?」
「あ、そういえばそうでした……。こら、そこの魔女! どっか行け!」

 と、ジャック・オー・ランタンが頼りない声をあげた瞬間だった。
 不意に魔女の姿が消えた。
 一瞬静まり返った群衆が、やんややんやと拍手喝采をする。現れたとき以上の盛り上がり。
 真奈美さんも今まで見たことのないような、とびきりの笑顔を見せた。

「すごいわね。あれ、どうやったの?」
「あ、いや、その……だから、僕のあなたへの思いがさせた技ですよ」

 興奮気味のお嬢様に、しどろもどろの先輩。
 当然だ。聞いていないのだから、真面まともに答えられるわけがない。

 と、ここでついにDJポリスが本気モードになる。ベテランの警官が物腰を荒げ、がなり立てるようにして人々に解散を促した。
 交差点の人々があちらこちらへと散って行った。警備関係者によって、馬車とお菓子の山がその場から片付けられた。


「今日は楽しかったわ、祐樹君。魔女を出したり、飛ばしたり、消したり、お見事ね。ただ……今日のはあまり『ひねり』がなかったわ。まあ、私に告白するなんて2億年は早いって感じよね」

 そう云い残した真奈美お嬢様があでやかなオーラを発する後ろ姿を見せながら、交差点から去って行く。
 さすがの、お嬢さま同志である。
 私には理解できないが、フィーリング的に何か通じたものがあったのだろう。告白までの時間は、確かに縮まった。まだ2億年あるけど……。
 しかし、常に逆転満塁ホームラン狙いの先輩は全然喜んでいない。
 がっくりと肩を落とし、項垂うなだれている。

 と、そのときどこからともなく現れた、眞子さん。その表情は今までの盛り上がりに反して、やや不満げに見えた。

「ああ、眞子さん……残念ですが、今回の告白は失敗に終わりました。けど、あんな魔女の隠し玉を持っていたなんて! おかげさまで若干――3千万年ほど――時間を縮めることができましたよ。ねえ、先輩」
「ああ……」

 と、眞子さんがその細い顎に力をこめ、ぎりりと歯ぎしりした。

「たった三千万年ですって? く、悔しいですわ。真奈美さまもかなりしつこい性格のお方ですわね……。
 あ、でも魔女の演出って私がやったんじゃありませんことよ。榊原さんか近藤さんが用意したものではなくて?」
「ええ!?」

 驚きの声を揃え発した、先輩と私。
 カボチャのお化けが、まるで幽霊を見たかのように慌てている。
 蒼ざめていく、眞子さん。

「じゃあ、本物の魔女が現れたってこと?」

 意外とこの二人の波長は合っているのかもしれない。今度は、その二人が声を合わせた。
 けれど、このとき私は理解したのだ。
 そう――魔女の正体を。

 ――ってことは魔女はあの人で、今頃は恐らく……。

 増々DJポリスがうるさくなり、解散となる。
 先輩や眞子さんと別れた私は、魔女が潜んでいるであろうビルの谷間に、一人、歩いて行ってみることにした。

「やっぱり……。魔女は雛地鶏さんでしたか」
「やあ、その声は近藤君か。痛たたた……。いいから、手を貸してくれよ。吊っていたピアノ線が突然切れて、落ちてしまってな、体中がバラバラな感じで動けないんだ……」

 人影の少ない、ビル影の裏路地。
 そこに鉤鼻のマスクが外れてしまった魔女――雛地鶏さん――が、呻きながら倒れていたのだ。

「仕方ないな。武士の情けで肩を貸しましょう。歩けますか?」
「す、すまん。まさか宿敵の仲間に助けられるとは……」

 私の肩の助けを借り、足を引き摺り引き摺り、歩き出す。

「でも、雛地鶏さんのお陰で場は盛り上がりましたよ。告白までの時間も、三千万年、縮まりましたし」
「くっそー。俺が妨害するとどうして裏目に出る……」
「ま、いつかはいいことありますよ、きっと」
「近藤君……君は意外といい奴だな」

 変な格好をした、妙な組み合わせの男が二人。
 増々冷たくなっていく風を受けながら、肩を寄せ合って夜の街を静かに歩いて行った。



 キミに届けたい、永久とわの愛を。カボチャの馬車に込めたラブレター 


 ―続く―
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