乳酸飲料なダンディ

鈴木りん

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Episode2 ミス・ミリア電子の蘭

Section2-0(プロローグ)

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 11月の木枯らしは街を丸裸にし、景観を一変させたが、そのBARみせはいつも通り常連客ばかりの景色だった。

 ショットバーのエントランスから微かに漏れる、風の音。
 夜も更け、一人、また一人と家路につく客たち。
 優しく流れるJazzの音色の中、物静かな五十歳目前のバーテンダーが見目麗しき女性の目前にマティーニをすっと差し出した。彼女の身を包むのは、白のスカートスーツだ。

「一人になっちゃいましたね」
「ええ……」

 カウンターの中央で佇む美女が、ため息交じりに頷いた。
 ほんのりと頬の赤らんだ彼女が、マティーニ・グラスの細い柄に負けないくらいほっそりとした手を伸ばした、その瞬間。
 ガラリと音がして、エントランスのドアが開いたのだ。

「……いらっしゃいませ」

 屋外から吹き込んだ寒風。
 中年バーテンダーのブロウのかかった茶髪が、さらりと揺れた。
 ゆったりとした身のこなしには似ても似つかないほど鋭い視線が、新たな客へと注がれる。それはバーテンダーというよりは寧ろ、店主マスターとしてのものだった。

「ジントニック」

 店に入るなり、歩きながら注文する男。全身、黒ずくめだった。
 美女の座る席からひとつ分だけあいだを空け、音もなく座る。黒のサングラスに黒の皮ジャケット、そして黒い皮手袋を両手にはめたまま――。
 店主は「かしこまりました」とだけ答えると、紙製のコースターを男の前に置いた。だが、その視線が男から離れることはない。

「お客さん、この店は初めてで?」
「ああ……」

 曖昧な返事で、店主の質問に答える。
 声はまるで、布きれを被せたマイクロホンを通したようにくぐもっていた。
 店主の視線を掻い潜るように、男の視線は照明でキラキラと輝くグラスの詰まったカウンター越しの食器棚に注がれている。

「お待たせしました――ジントニックです」
「ああ」

 手袋に包まれた右手指が、細長いショットグラスを掴み取る。
 男の視線が、食器棚からグラスに移った瞬間だった。
 グラスをコースターごと女性のいる方向にスライドし、自分も同じようなスピードで女性の隣の席に移動したのだ。
 まさに、陰と陽――。
 見た目も雰囲気も互いに相いれない雰囲気などお構いなしに、男は女に向かってこの店に入ってから最も長いであろう、台詞セリフを吐いた。

「お嬢さん。このあと、私とお付き合いいただけませんか」

 ひどく低い声だった。
 言葉の丁寧さと裏腹な、強引な口調だ。店主の手には、チャームとして男に差し出す予定だったナッツ皿があったが、微かに震えていた。

「すみません……私、もう帰りますので」

 彼女が、席を立ちかける。
 しかし男は女の肩を掴んで離さない。そして、彼女の右耳に自分の口を近づけると、魔法の呪文を唱えるようにこう云ったのである。

「仕方ありませんな。私の流儀ではないが、力づくであなたを奪いますよ」
「!?」

 刹那、彼女は夢見るような表情でがっくりと倒れた。男の腕の中だった。
 それを見た店主が皿の上のナッツを男の目に向けて発射した。しかしそれは、男の体を掠めもしなかった。代わりに、店主の体が床に崩れ落ちる。

「お前……誰だ……」

 呻き声と口から噴き出した鮮血が、冷たいフローリングの床に浸み込んだ。
 見た目的には、右腕を店主に翳すように突き出しただけ――。
 やられた当の本人も何をされたかわからないほどの、素早い攻撃である。

「すみませんが店主マスター、彼女をいただいていきますね」

 黒ずくめの男が、まるで狩猟で得た獲物のように、気を失った美女をひょいと肩に載せた。そして、音もなくBARみせから立ち去った。
 床に倒れた中年男と、カトレアの花の微かな香りを残して――。
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