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三章
43.慰撫
しおりを挟むあの後三人で魔術を使いながら戦う方法を模索した。
皇子と実践を重ねながら少しずつ動きを調整したからそれなりに使えるようになった……と思う。
やるべき事を全て終わらせ、ゆっくりと息を吐く。
あとは目の前のベッドで眠り疲れを癒すだけだ。
けれど眠りにつく前にどうしてもこのもやもやとした感情を吐き出したかった。
ガウンを羽織りバルコニーから部屋を抜け出す。
これまでも何度かこうやって抜け出すことがあったから迷いはなかった。
今日は満月だ。
月明かりの中目的地へ向け歩を進める。
王宮の警備も私の管理下にあるから誰にも見つからずにそこへ辿り着くことは難しくない。
もちろん護身用のナイフは持ってきている。けれど今までこれを使ったことは一度もないしこれからもきっとそうだろう。
しばらく歩くと小さな庭園が見えてきた。
そこはアシルと初めてあった場所だ。
あの庭園のガゼボでアシルと会い、私は叶えるべき夢と約束を手に入れた。
けれどその道は思っていたよりずっと険しくて何度も挫けそうになった。そんな時に私は一人でここを訪れていた。
ここに来る目的は一人で泣くためだ。
昔は訓練の合間に隠れて泣いていた。すぐにイヴォンやモーリスに見つかり騎士団のみんなの前で泣くようになってしまったのだけど、王女たるものそれでは情けないと思ったのが10歳の秋頃。
それからは人に見られないように夜中にこっそり抜け出してあの場所で一人で泣くようにしたのだ。
辛くても悲しくてもひとしきり泣くとすっきりする。
もちろん泣いても問題は何一つ解決しないのだけど、それでも気持ちを切り替えるきっかけにはなった。
まあ耐えきれずにイヴォンの前で泣くこともたまにある。それでも昔より人前で泣く回数は減ったはず。
今日ここへ来たのは皇子に負けたからだ。
これまでは王女であることと剣の祝福を授かったことが私の支えだったのに、その柱の一つが折れてしまった。
皇子の前で泣くわけにはいかないから必死に我慢したけれど、でも辛くて悲しくて苦しかった。
こんな気持ちをずっと引き摺る訳にはいかないから泣いてすっきりしたい。
庭園の中に入り中央にあるガゼボを見る。
そこには人が居た。
逆賊かと驚いたが、よく見るとその人物は宮廷魔術師のローブを身に付けた黒髪の男性だった。
私はそこにいる彼が誰なのかを知っている。
初めて会った時と同じように背中を向けて立っているその姿に懐かしさを覚えた。
「ねぇ、こんなところで何をしているの?」
あの日と同じように背後から声を掛ける。
アシルは記憶の中の彼と同じようにゆっくりと振り向いた。
「こんばんは。俺は今人を待っていたんです」
記憶の中の彼よりも低くなった声。
姿も立場も状況も、全てが変わっているのにあの日と同じように応えてくれた彼の優しさに嬉しさが込み上げる。
「こんなところで会うとは思わなかったわ。眠れないの?」
「いえ……ここで昔を思い出していました」
その思い出していた過去は私のことだろうか。
そんな考えがよぎったけれど、それは聞かないことにした。全てをはっきりさせる必要はない。
「そう。……今日は月が綺麗ね。満月だから明るくて灯りを持ってきていなかったの。貴方がいてくれて助かったわ」
ガゼボの柱に掛けられているランタンに視線を向ける。
この灯りがなければ彼を逆賊だと勘違いして捕らえていたかもしれない。
そうなったらこんな和やかな雰囲気にはならなかっただろう。
「お役に立てて幸いです」
「…………そんな言葉遣いしなくていいわ。ここには貴方を咎める人はいないのだから」
今ならわかる。
アシルが敬語を使うのは私との距離を保ちたいからだ。
彼は平民で私は王女なのだ。その差はどうやっても覆らない。例え私がアシルのことを好きだったとしても。
私が告白すればきっとアシルは私の意に沿う答えをくれるだろう。
私はこの国の王女なのだから。
けれど私は皇子のように彼に全てを打ち明ける勇気はなかった。
「私ね、今日すごくショックだったの。今まで剣の祝福を授かった王女だから誰にも負けないように頑張ってきたつもりだったのに……あんなに簡単に負けて……」
これが狡いことだとはわかっていた。
私は今、王女という立場を利用して彼に慰めてもらおうとしている。
「それは……アンナのせいじゃない。アルも言っていたじゃないか。学習型は習う人によって成果が大きく変わるって」
「そうね……。でもそれは言い訳なのよ。私が弱いことには変わりないの。…………もしものときに私はきっと大切な人を守れない」
私は王女だから国を守る義務がある。
けれどこのままじゃ何も守れない。
強くならなくてはいけない。誰にも負けないようにならなくてはいけない。
それはこの場所でアシルに誓ったことだ。
よりによってそんな彼の目の前で無様に負けてしまった。
「貴方と約束したのに。誰よりも強くなるって……。なのに全然駄目だった」
皇子に訓練に付き合ってもらえるようお願いしたけれど、それでは誰よりも強くなることなんてできない。
それに私より才能のある人がノルウィークにいる。
私の人生の目標がひとつ消えてしまった。
アシルとの約束も永遠に果たせない。
涙が零れ落ちる。
私とは反対にアシルは皇子に認められていた。彼はずっとアシルのことを褒めていた。
その差が悲しい。
私はアシルと対等でいたかった。釣り合う人間になりたかった。
涙とともに様々な感情が溢れ出す。
悲しくて辛くて寂しくて誰かに一緒にいてほしい。
助けてほしかった。
誰かにこの苦しさを消し去ってほしかった。
でも私には寄り添ってくれる人はいない。
王女は孤独だ。
「大丈夫だよ。アンナは弱くない」
いつものようにアシルが私の手を握って慰めてくれる。
けれど、それは私が王女だからだ。
王女が望むからアシルは応えてくれるのだ。
それでもアシルの手は温かくて、縋りたくなってしまう。好きだと言いたい。ずっと一緒に居てほしいのだと言いたい。
彼の気持ちなどお構い無しにこの温もりを手に入れたい。
そんなことを考えてしまう私にはこの手を握り返す資格なんてないのだろう。
じっとアシルが手を離すのを待つ。
私からこの手を振りほどくことはできなかったから。
けれど彼の手が離れていくことはなく、逆に引っ張られて抱き寄せられた。
一瞬何が起こったのかわからなくて混乱する。
私は今アシルの腕の中にいるの??
夢、じゃないよね?
夢なら早く醒めないと。こんな幸せな夢見たら起きた時にきっと泣いてしまう。
「アンナに足りない部分は俺が補うから。無理しなくていい。辛い時は……人を頼っていいんだよ」
アシルは慰めるように私の背中をトントンと優しく叩いてくれる。
嬉しさのあまり涙が引っ込んでしまった。
どうしよう。
さっきまであんなに辛くて苦しかったのに、もう何ともなくなってしまった。
それよりアシルの身体に密着していることの方が大変だ。
鼓動が早い。
これ、アシルに伝わってないよね!?
どうしよう。どうしよう!!
う、腕は、手は背中に回していいのかな。
駄目だよね。
抱き締め返したらびっくりされちゃうかも。
さっきまで泣いてたのにすぐに機嫌が治るんだって引かれるかも。
幸せすぎてなんだか怖くなってきちゃった……!
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