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知らなくていい事もある ① side龍彦
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田杉正親(27才)大手企業の一社員。
アパートから会社に歩いて行くその人の姿を、車の後部座席の窓を少し開けて盗み見る。
正親さん……今日も綺麗です。
ああ……あの髪に触れてみたい。
切れ長の目元と、通った鼻筋に色白の肌は、美人と言うに相応しい。
キスしたらどんな顔をするんですか?
その肌に優しく触れたらどんな反応を見せてくれますか?
こんな風に正親さんを見つめるだけなのが、僕の毎朝の日課だった。
正親さんと初めて会ったのは正親さんの会社でだ。
僕の父は、とある会社を経営している。
その縁で、正親さんの会社の社長である安達社長を幼い頃から知っている。
その日は、父の秘書は手一杯で、安達社長に書類を渡してきて欲しいと頼まれた。
僕は大学生で予定もなくて、ちょっとしたおつかい気分で快く引き受けた。
社長室で安達社長に書類を渡して、帰ろうとエレベーターに乗っている時に正親さんに会った。
一緒に乗っていた人がエレベーターを降りて、一人になった瞬間に声を掛けられた。
『そのエレベーター待って!』
慌ててエレベーターの開くボタンを押した。
エレベーターに乗り込んできたその人は、ホッと息を吐いた。
『止めててくれてありがとう』
ニコッと笑った顔が胸にグサリときた。
急いでいるのか少し汗をかいていて艶かしい。
サラサラの黒髪が揺れて、ふわりとシャンプーのいい香りがした。
一眼見ただけで恋に落ちる……そんな事信じていなかった。
けれど、この人に俺の全てを捧げたくなるような衝動に襲われた。
周りの風景がチカチカとしているように見える。
一目惚れという感覚が初めてで戸惑う。
この人がどんな人か知りたい。
あまりに見すぎていたのか、僕と目が合うと話しかけてくれた。
『君、大学生? どうして会社に?』
『あ……えっと……ち、父の忘れ物を届けに……』
社長に会っていたなんて言ったら距離を置かれると思い、思わず嘘をついてしまった。
『それで帰る所ってわけね』
『はい……』
二人きりのエレベーターの中は妙にドキドキして、それ以上の会話が続かなかった。
『これ、あげる』
『え?』
出されたのは、ただのガム。
思わず受け取ってしまった。
『さっきもらったんだけどさ、俺噛むやつって苦手でさ。ガムより飴派なんだ』
『そ、そうなんですか……』
『知らないやつからもらいたくない? それなら、俺は田杉正親って言うんだ。君の父親と同じ会社だし、名乗ったから知らない間柄じゃないだろ? せっかくもらったのに捨てるのも悪いからさ。食べてやって』
『は、はい……』
ニコッと笑う顔が可愛くて抱きしめたくなる。
なんだこの人……こんなに無防備すぎて大丈夫なんだろうか?
『じゃ、俺この階だから。気をつけて帰れよ』
『はい……』
時間にしたらほんの数秒でも、僕の人生にとって大きな縁だった。
正親さんがいなくなったエレベーターは、無性に寂しくて……。
ずっと正親さんのニコッと笑った顔や横顔が頭にチラついて離れなかった。
もらったガムは食べるのが勿体無くて取っておいたら、兄貴に食べられて兄弟喧嘩した。今でも許していない。
そのうちに、居ても立っても居られず正親さんの事を調べてしまった。
ショックだったのは、彼氏と同棲中という事だった……。
だから、朝出社する姿を見るだけで満足しようと思っていた。
「龍彦様。出発してもよろしいですか?」
家の運転手の辻は、僕のわがままを聞いて、大学に行く前に正親さんのアパートの近くに車を止めてくれていた。
「ああ……よろしく」
こんなストーカーみたいな事、やめようかな……。
そう思い始めていた。
◆◇◆
大学を卒業した。
就職先は自分の家の会社ではなく、見れるだけでいいなんて未練がましく、正親さんの会社に決めた。
家の会社には兄貴がいるし、父も他社で学ぶのは勉強になると反対もされなかった。
大学時代の友人達と軽く飲んだ帰り道、正親さんに会いたくなった。
友人達と別れた後に、正親さんが良く行くという居酒屋に寄った。
何度来ているかわからない……お酒をちびちび飲んでは会えない人を待っていた。
今日もきっといない……そう思いながら居酒屋に入った瞬間に正親さんを見つけて胸がドキリとした。
期待はしていた。でも、居るとは思っていなかった。
周りの音が聞こえなくなるような緊張感とこんなに間近にいるという感動が胸に渦巻く。
それは、本当に偶然だった。
いや、違う……もしかしたらいるかもしれないと思いながらその居酒屋に行ったのだから必然か?
正親さんは、カウンターで一人で酒を飲んでいた。
その姿を横目に見ながら、椅子一個分を開けて正親さんの右隣に座った。
足元には大きなスーツケース。
スーツのままで、仕事の帰りなのかと思わせた。
自分の体の左側がやけに緊張する。
しばらく横目で見ていたけれど──飲み過ぎじゃないか……?
酒をグッと飲み干す。
「同じのもう一杯ください……」
店の店主は、お酒を出しながら心配そうに見ていた。
どうしたのか気になる。
頼んだ酒をまた飲もうとしたのを見て、椅子を一個詰めてその手首をガシッと掴んでしまった。
「あの、少し飲み過ぎじゃないですか? こっちの僕が頼んだ物と交換しましょう? 口は付けてませんから」
正親さんは、ボーッとした目で僕の事を見つめてくる。
酔ってる……可愛い……。
「俺……そんなに飲んでた……?」
コテンッと首を傾げたのを見て、理性が飛んでしまいそうだった。
なんて可愛いんだ!
「な、何かあったんですか? 話なら聞きますよ」
「え? 聞いてくれるの?」
「はい。少しは楽になりますよ」
そして、青木健太が浮気男だったのだと知る。
しかも正親さんは、別れたのだと言った。
行くところもないのだと。
これは、僕に与えられたチャンスだ。このチャンスを絶対に逃したくなかった。
こんなに必死に相手を口説いたのは初めてだった。
僕は、正親さんをどうしても手に入れたかった。
アパートから会社に歩いて行くその人の姿を、車の後部座席の窓を少し開けて盗み見る。
正親さん……今日も綺麗です。
ああ……あの髪に触れてみたい。
切れ長の目元と、通った鼻筋に色白の肌は、美人と言うに相応しい。
キスしたらどんな顔をするんですか?
その肌に優しく触れたらどんな反応を見せてくれますか?
こんな風に正親さんを見つめるだけなのが、僕の毎朝の日課だった。
正親さんと初めて会ったのは正親さんの会社でだ。
僕の父は、とある会社を経営している。
その縁で、正親さんの会社の社長である安達社長を幼い頃から知っている。
その日は、父の秘書は手一杯で、安達社長に書類を渡してきて欲しいと頼まれた。
僕は大学生で予定もなくて、ちょっとしたおつかい気分で快く引き受けた。
社長室で安達社長に書類を渡して、帰ろうとエレベーターに乗っている時に正親さんに会った。
一緒に乗っていた人がエレベーターを降りて、一人になった瞬間に声を掛けられた。
『そのエレベーター待って!』
慌ててエレベーターの開くボタンを押した。
エレベーターに乗り込んできたその人は、ホッと息を吐いた。
『止めててくれてありがとう』
ニコッと笑った顔が胸にグサリときた。
急いでいるのか少し汗をかいていて艶かしい。
サラサラの黒髪が揺れて、ふわりとシャンプーのいい香りがした。
一眼見ただけで恋に落ちる……そんな事信じていなかった。
けれど、この人に俺の全てを捧げたくなるような衝動に襲われた。
周りの風景がチカチカとしているように見える。
一目惚れという感覚が初めてで戸惑う。
この人がどんな人か知りたい。
あまりに見すぎていたのか、僕と目が合うと話しかけてくれた。
『君、大学生? どうして会社に?』
『あ……えっと……ち、父の忘れ物を届けに……』
社長に会っていたなんて言ったら距離を置かれると思い、思わず嘘をついてしまった。
『それで帰る所ってわけね』
『はい……』
二人きりのエレベーターの中は妙にドキドキして、それ以上の会話が続かなかった。
『これ、あげる』
『え?』
出されたのは、ただのガム。
思わず受け取ってしまった。
『さっきもらったんだけどさ、俺噛むやつって苦手でさ。ガムより飴派なんだ』
『そ、そうなんですか……』
『知らないやつからもらいたくない? それなら、俺は田杉正親って言うんだ。君の父親と同じ会社だし、名乗ったから知らない間柄じゃないだろ? せっかくもらったのに捨てるのも悪いからさ。食べてやって』
『は、はい……』
ニコッと笑う顔が可愛くて抱きしめたくなる。
なんだこの人……こんなに無防備すぎて大丈夫なんだろうか?
『じゃ、俺この階だから。気をつけて帰れよ』
『はい……』
時間にしたらほんの数秒でも、僕の人生にとって大きな縁だった。
正親さんがいなくなったエレベーターは、無性に寂しくて……。
ずっと正親さんのニコッと笑った顔や横顔が頭にチラついて離れなかった。
もらったガムは食べるのが勿体無くて取っておいたら、兄貴に食べられて兄弟喧嘩した。今でも許していない。
そのうちに、居ても立っても居られず正親さんの事を調べてしまった。
ショックだったのは、彼氏と同棲中という事だった……。
だから、朝出社する姿を見るだけで満足しようと思っていた。
「龍彦様。出発してもよろしいですか?」
家の運転手の辻は、僕のわがままを聞いて、大学に行く前に正親さんのアパートの近くに車を止めてくれていた。
「ああ……よろしく」
こんなストーカーみたいな事、やめようかな……。
そう思い始めていた。
◆◇◆
大学を卒業した。
就職先は自分の家の会社ではなく、見れるだけでいいなんて未練がましく、正親さんの会社に決めた。
家の会社には兄貴がいるし、父も他社で学ぶのは勉強になると反対もされなかった。
大学時代の友人達と軽く飲んだ帰り道、正親さんに会いたくなった。
友人達と別れた後に、正親さんが良く行くという居酒屋に寄った。
何度来ているかわからない……お酒をちびちび飲んでは会えない人を待っていた。
今日もきっといない……そう思いながら居酒屋に入った瞬間に正親さんを見つけて胸がドキリとした。
期待はしていた。でも、居るとは思っていなかった。
周りの音が聞こえなくなるような緊張感とこんなに間近にいるという感動が胸に渦巻く。
それは、本当に偶然だった。
いや、違う……もしかしたらいるかもしれないと思いながらその居酒屋に行ったのだから必然か?
正親さんは、カウンターで一人で酒を飲んでいた。
その姿を横目に見ながら、椅子一個分を開けて正親さんの右隣に座った。
足元には大きなスーツケース。
スーツのままで、仕事の帰りなのかと思わせた。
自分の体の左側がやけに緊張する。
しばらく横目で見ていたけれど──飲み過ぎじゃないか……?
酒をグッと飲み干す。
「同じのもう一杯ください……」
店の店主は、お酒を出しながら心配そうに見ていた。
どうしたのか気になる。
頼んだ酒をまた飲もうとしたのを見て、椅子を一個詰めてその手首をガシッと掴んでしまった。
「あの、少し飲み過ぎじゃないですか? こっちの僕が頼んだ物と交換しましょう? 口は付けてませんから」
正親さんは、ボーッとした目で僕の事を見つめてくる。
酔ってる……可愛い……。
「俺……そんなに飲んでた……?」
コテンッと首を傾げたのを見て、理性が飛んでしまいそうだった。
なんて可愛いんだ!
「な、何かあったんですか? 話なら聞きますよ」
「え? 聞いてくれるの?」
「はい。少しは楽になりますよ」
そして、青木健太が浮気男だったのだと知る。
しかも正親さんは、別れたのだと言った。
行くところもないのだと。
これは、僕に与えられたチャンスだ。このチャンスを絶対に逃したくなかった。
こんなに必死に相手を口説いたのは初めてだった。
僕は、正親さんをどうしても手に入れたかった。
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