1 / 2
番外編(先生と扇子)
しおりを挟む
今年の梅雨入りは早かった。まだ5月なのに連日雨が降っていて、髪はまとまらないし蒸し暑いしで最悪だ。今日も例に漏れず雨が降っている。お稽古の日なのに残業が発生してしまって遅刻しそうだ。足元が悪い中、転ばないように気をつけながら小走りで教室へ駆け込んだ。
「そない慌てんでも大丈夫ですよ」
髪はボサボサ、腕からは暑くて脱いだカーディガンが垂れ下がるように床へと伸びていて、みっともない姿をしているのは自分が一番よくわかっている。そんな中、いつものように涼しげな様子の先生に声をかけられ、他の生徒さんも私の方に目を向けてきて、益々恥ずかしくなった。
そそくさといつも座っている席へ行くと、隣の席の同期がホッとしたような顔で私を見た。
「よく間に合ったね。もう無理かと思ってたよ」
「仲のいい後輩が仕事引き取ってくれてさぁ……ほんといい子だよ……」
肩からバッグをおろして、カーディガンを畳む。私が最後だったみたいで、私の準備ができたらすぐにお稽古が始まった。
駆け込んできたときは暑いと感じていたこの教室も、少しすると丁度いいと感じるようになった。冷房はついているようだけど、きっと弱くしているのだろう。夏場の強い冷房が苦手な私にはありがたい。
各自目の前の課題に取り掛かる中、先生が一人一人の様子を見て回っている。黒い扇子を手にゆっくりと歩く姿には気品を感じた。あんな綺麗な人に汗だくで髪も乱れている姿を見られるのが恥ずかしくて縮こまるようにしながら手櫛で髪を整えていると、不意に先生と目が合う。先生は口元に扇子を当てて、ふっと笑っていた。
*
最早恒例となっている居残り稽古の時間は、他の生徒さんがいないせいか先生もリラックスしているようだ。パタパタと扇子で扇ぎながら、少し暑そうに着物の襟元に指を入れていた。
「先生、暑いんですか?」
私がそう言うと、先生は少し面食らった顔をした後、嬉しそうに笑った。
「僕のことよぉ見てくれてるんやなぁ。確かに、少し暑いわ。でもうちの教室、生徒さんみんな女性やろ?せやから冷房は弱くしてるんよ」
そう言って少し困ったように笑いながら扇子で涼む様子を見ていると、いつも別世界の人のように感じていた先生も私たちと変わらないように思えた。
「先生も暑さとか感じるんですね」
「え?当たり前やん?どういうこと?」
いつも静かで優雅な姿しか見たことがなかったからそう思っただけなのだが、それをぽろっと口にしてしまうのが私の悪いところだ。
先生に今の発言はどういう意味なのか追求されて、その日の居残り稽古はいつもよりも長引いた。
「そない慌てんでも大丈夫ですよ」
髪はボサボサ、腕からは暑くて脱いだカーディガンが垂れ下がるように床へと伸びていて、みっともない姿をしているのは自分が一番よくわかっている。そんな中、いつものように涼しげな様子の先生に声をかけられ、他の生徒さんも私の方に目を向けてきて、益々恥ずかしくなった。
そそくさといつも座っている席へ行くと、隣の席の同期がホッとしたような顔で私を見た。
「よく間に合ったね。もう無理かと思ってたよ」
「仲のいい後輩が仕事引き取ってくれてさぁ……ほんといい子だよ……」
肩からバッグをおろして、カーディガンを畳む。私が最後だったみたいで、私の準備ができたらすぐにお稽古が始まった。
駆け込んできたときは暑いと感じていたこの教室も、少しすると丁度いいと感じるようになった。冷房はついているようだけど、きっと弱くしているのだろう。夏場の強い冷房が苦手な私にはありがたい。
各自目の前の課題に取り掛かる中、先生が一人一人の様子を見て回っている。黒い扇子を手にゆっくりと歩く姿には気品を感じた。あんな綺麗な人に汗だくで髪も乱れている姿を見られるのが恥ずかしくて縮こまるようにしながら手櫛で髪を整えていると、不意に先生と目が合う。先生は口元に扇子を当てて、ふっと笑っていた。
*
最早恒例となっている居残り稽古の時間は、他の生徒さんがいないせいか先生もリラックスしているようだ。パタパタと扇子で扇ぎながら、少し暑そうに着物の襟元に指を入れていた。
「先生、暑いんですか?」
私がそう言うと、先生は少し面食らった顔をした後、嬉しそうに笑った。
「僕のことよぉ見てくれてるんやなぁ。確かに、少し暑いわ。でもうちの教室、生徒さんみんな女性やろ?せやから冷房は弱くしてるんよ」
そう言って少し困ったように笑いながら扇子で涼む様子を見ていると、いつも別世界の人のように感じていた先生も私たちと変わらないように思えた。
「先生も暑さとか感じるんですね」
「え?当たり前やん?どういうこと?」
いつも静かで優雅な姿しか見たことがなかったからそう思っただけなのだが、それをぽろっと口にしてしまうのが私の悪いところだ。
先生に今の発言はどういう意味なのか追求されて、その日の居残り稽古はいつもよりも長引いた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。
春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。
それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。
にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる