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エピローグ
第四百五十八話 秘めたる慕情
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アクロシア大陸北部にあるサンタ・エズレル神殿には、大勢の人の姿があった。それはテロリストに襲われて無人と化す前のサンタ・エズレル神殿と比べても、比較にならないほどの人手である。
少し考えてみれば当然の話で、かつては魔物の脅威によってサンタ・エズレル神殿に来るのも難しかったが、今では高速な魔導駆動車バスが毎日出ているので、誰でも少しの金銭で往復できるようになった。
サンタ・エズレル神殿は聖マリア教の総本山であり、少なくない信徒たちが生活している。そこに礼拝に来る者が毎日訪れるのだ。人が集まれば需要が生まれ、商人が目を付け、更に人が増えていく。
サンタ・エズレル神殿は事件によって失われた活気を、今ではすっかり取り戻していた。
「サリス! ノーラ!」
そんなサンタ・エズレル神殿で暮らしているフィーナは、幼馴染みであるサリスとノーラの訪問を喜んだ。その日は表向きすっかり自由がなくなってしまったフィーナにとって、久々の幼馴染みとの再会だった。
「ごめんね、裏口からなんて」
「それは仕方ないでしょ。フィーナが正門へ出て行ったら、大騒ぎになっちゃうし」
「その内、私たちでも【転移】を自由に使えるようにするから」
<青翼の弓とオモダカ>の解散と共に、フィーナたちが結成した冒険者パーティ<オモダカ>も解散した。
<オモダカ>はフィーナ、サリス、ノーラが作った冒険者パーティである。結成当時の彼女たちは、どうにもならない世界の現状をどうにかしたくて、冒険者になって強くなればどうにかできると思っていた。
聖マリア教の僧侶として修行していても禄に戦闘経験のないフィーナ。本物の剣も握ったことのない一般市民のサリス。両親の影響で冒険者の知識だけは一人前のノーラ。上手くいくはずがなかった。今思えば<オモダカ>は、夢見がちな少女たちの幻想でしかなかった。
だが<オモダカ>は、誰よりも最初に最強と出会ったのだ。その奇跡によって、それぞれの夢を現実に変えられるほどの力を得ていった。
剣士サリスは今も冒険者を続けている。冒険者の役割は大きく変わってしまったのに辞めなかったのは、自分には知性も教養もないからだと笑っていた。実際は各国の騎士や有名商会の勧誘、貴族の召し抱えや結婚話までを断っているので、彼女なりの想いがあるに違いない。
魔法使いノーラはアクロシアの王立魔法研究所の立ち上げメンバーに加わった。最強が創造した新しい世界では、人々はこれまでとはまったく違った次元の魔術や魔技を扱うことができる。それらを研究するための国家機関への就職を選んだ。両親からは反対されたらしいけれど、それでノーラが止まるはずがない。
神官フィーナは―――。
「でも久しぶりに会った気がしないよね。いつも音声チャットとかメッセージで話してるし」
「それはサリスが毎日何回も送って来るからでしょ。今日晴れたとか、お昼美味しかったとか、言わなくても良いから」
「えー! もっと話そうよ!」
「そう言えば、サリスが昨日あげたラーメンのお店ってどこ? キュウさんと行ってみようって話をしてるんだけど」
「フィーナとキュウが一緒に訪問するの!? 有名になって混雑しちゃうよ!」
「さすがに街を歩く時は変装してるよ。私とキュウさんの二人で怪しまれるなら、サリスとノーラも一緒に行かない?」
サンタ・エズレル神殿で高位聖職者たちが特別なお客を迎える時だけに使っていた一室。そこは姦しい雰囲気に包まれていた。
時間を忘れて幼馴染み三人が話をしていると、部屋の扉がノックされる。
「フィーナ教皇聖下、お時間です」
「分かりました。すぐに行きます」
フィーナ教皇聖下、扉をノックした信徒はそう呼んだ。
聖マリア教の最高位、教皇。
その位に就いているのが、まだ歳若いフィーナだった。
周囲の反発は驚くほど少なかった。この新しい世界を創世した最強神フォルティシモと誰よりも関わり、元の世界を維持していた女神マリアステラから任されたのだ。
それに加えてあの大氾濫を経験した者たちから見て、フィーナ以上の適格者は居ない。
まあ、もしフィーナ以外が聖マリア教のトップに立つようならば、最強の神が聖マリア教を徹底的に解体しただろう。
「大変そうだね?」
「権力を握るのはそれだけ苦労もある」
「まあ、その、ラナリアさんとかエンシェントさんが、色々楽させてくれてるから、それほどでもない、かな」
フィーナは幼馴染みたちを前に曖昧な笑みを浮かべていた。
その理由は、世界最後の大氾濫の直後にある。
◇
アクロシア大陸史上最大の大氾濫は、終わった。
フィーナとフィーナの知り合いは無事だった。それどころか大氾濫へ挑んだ誰一人として犠牲にならなかった。世界が滅亡するほどの危機だったにも関わらず、終わってみれば一人の犠牲者もいない、これ以上のない結末である。
人類の完全なる勝利。
誰のお陰かなんて聞くまでもない。
フィーナは自分の情報ウィンドウで、そこに連絡先として登録されているフォルティシモやキュウの名前を見た。
ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモという新しい世界を創造する際、フィーナを特別扱いしてくれたのだろう。フィーナにはフォルティシモやキュウ、エンシェントにセフェールなどへ連絡できる初期設定がされていた。
だから彼らの名前がフィーナの情報ウィンドウに表示されている。
「ありがとう、ございますっ!」
フィーナは情報ウィンドウのフォルティシモとキュウの名前へ向けて、頭を下げた。
それからパーティーメンバーや知り合いと勝利の喜びを分かち合う。
同じく冒険者になった神官も、フィーナを連れ戻そうとしていたお堅い神官も、フィーナに憧れているという後輩冒険者も、気難しい先輩冒険者も、以前は上手く行っていなかった母親も等しく喜びに満ちあふれていた。
アクロシア大陸の歴史上、大氾濫の後は大き過ぎる被害を思う時間となる。大勢の死者を弔う時間が必要だし、破壊された街や田畑の復興を思うと沈鬱になるのも仕方がない。
しかし今回は、それらが一切ないのだ。
ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモでは魔物に殺されてもセーブポイントへ戻るだけ。もう二度と魔物や大氾濫の脅威に怯える必要がなくなり、街や田畑は広がって、これからどう使っていこうか話し合う必要があるくらいである。
単なる勝利を超えた未来永劫の完全勝利を手にした者たちの狂乱はすごかった。
世界各地で祝宴が開かれた。
各地で酒やご馳走が振る舞われ、人々は歓喜に包まれた。
鍵盤商会が裏で糸を引いていたのか、【転移】のポータルが各地に開かれて、誰もが自由に大氾濫から取り戻した大陸を闊歩できるようになっていた。各地に祝杯を販売する露店が出ていたのは、もう疑う余地はないだろう。
フィーナも珍しく神の血を許容量以上に飲んでしまい、かなりハメを外してしまったのも仕方ない。そのせいで翌日は頭痛と気持ち悪さに苦しむことになった。
そんな時に、情報ウィンドウへメッセージが届いた。
> マスターフィーナ、フォルティシモからメッセージが届いています。確認しますか?
大氾濫勝利の祝宴が終わった後、フィーナはアクロシア王都からすぐ側にある森に来ていた。
温暖で過ごしやすいアクロシア王国にありながら、その森はまるで別世界の光景で、樹木や地面が解けない氷で覆われている。天気は雲一つ無い快晴なので、太陽の光で氷がキラキラと輝いていた。
フィーナはいきなり寒い場所に足を踏み入れたことで、口から白い息を吐き、ぶるりと身体を震わせる。
インベントリから毛皮のコートを取り出そうとして、手を止めた。このくらいの冷たさがあったほうが、頭が冷えるだろうと思ったからだ。
フィーナは森の中を一人で歩いて、ある場所までやって来る。
そこは事情の知らない者から見れば、何の変哲もない森の一角だった。しかしフィーナと、そこでフィーナを待っている者にとっては意味のある場所だ。
「フォルティシモさん」
フィーナが声を掛けると、銀髪の美青年が振り向く。
『ブルスラの森』と呼ばれるこの場所で、フィーナはフォルティシモと出会った。あの時は、こんな氷の世界ではなく、ごく普通の緑の森だったけれど、そこは確かにフォルティシモが現れた場所だった。
「お待たせして申し訳ありません」
「少し確認したいことがあったから、早く来てただけだ」
フィーナはフォルティシモからこの場所へ呼び出された。てっきりキュウも一緒だろうと思っていたけれど、フィーナを待っていたのはフォルティシモだけである。
「何かご用事でしょうか?」
呼び出された理由は分からない。仕事の依頼ならばギルドへ呼ぶだろうし、聖マリア教への話ならば神殿がある。キュウが居るのだから期待はしていないけれど、色恋的な話なら宿なり別の場所だろう。
「一つだけ、どうしても分からないことがある。キュウステラに聞こうか迷ったが、止めておいた。そんな場合でもなかったし、知ったところで何か変わる訳でもない」
キュウステラって誰だろうと思いながら、フォルティシモの話を聞く。
「フィーナは、お前、人間、だよな?」
「え? はあ、もちろん、そうですけれど」
フォルティシモに突拍子も無いことを依頼されるのは慣れているけれど、この質問はさすがに困ってしまった。相手が何を聞きたいのか把握しなければ、欲しがっている答えを返せない。
「俺は『ブルスラの森』に、特に何も感慨はない。爺さんは当然だし、トッキーやマリアステラもそうだろう」
フォルティシモが周囲を見回す。ここを氷の世界に変えたのは他ならないフォルティシモ自身らしい。もしこの森に特別な想いがあったのであれば、こんな風に氷の世界へ変えたりはしない。
「だが俺は、最初に『ブルスラの森』に現れた。その理由は何か考えてみた。あの日、この場所へ、お前が俺を呼んだとかは、ないか?」
「私はキュウさんと違って、召喚術の心得はありません」
フィーナはフォルティシモが何を言いたいのか、それが分かった。
フィーナがフォルティシモを異世界召喚したのではないか。
それを問いかけたかったのだ。
「そうか。そうだな。変なことを聞いた」
「ですが」
フィーナは両手を組み、祈りを捧げる。
「神へ願いが届くのであれば、答えて頂けるのでしょう」
フォルティシモという神へ。
「きっと、あの日、私の救いを願う祈りが、フォルティシモさんへ届いたのです。それが星の女神や時の男神の計略を超え、フォルティシモさん自身の力で、ここへ来たのではないでしょうか」
「………やっぱりお前は凄いな」
フィーナはフォルティシモからの褒め言葉を受け取って、笑顔を浮かべた。少しでも力になれたのであれば嬉しい。
「よし。やっぱりフィーナにしよう。お前を教皇にして、色々と変えていく」
「い、いえ、私はまだ未熟です」
「エンやラナリアにも手伝わせるし、セフェに影武者をやって貰っても良い。【偽装】と【アバター変更】を使えば良いしな。ちゃんと休日や長期休暇も保証する。ある程度軌道に乗ったら、入れ替わって辞めても良い」
「ええと、その」
「頼むぞ」
「………はい」
それからのフィーナの人生が、劇的に変わったのは言うまでもない。
少し考えてみれば当然の話で、かつては魔物の脅威によってサンタ・エズレル神殿に来るのも難しかったが、今では高速な魔導駆動車バスが毎日出ているので、誰でも少しの金銭で往復できるようになった。
サンタ・エズレル神殿は聖マリア教の総本山であり、少なくない信徒たちが生活している。そこに礼拝に来る者が毎日訪れるのだ。人が集まれば需要が生まれ、商人が目を付け、更に人が増えていく。
サンタ・エズレル神殿は事件によって失われた活気を、今ではすっかり取り戻していた。
「サリス! ノーラ!」
そんなサンタ・エズレル神殿で暮らしているフィーナは、幼馴染みであるサリスとノーラの訪問を喜んだ。その日は表向きすっかり自由がなくなってしまったフィーナにとって、久々の幼馴染みとの再会だった。
「ごめんね、裏口からなんて」
「それは仕方ないでしょ。フィーナが正門へ出て行ったら、大騒ぎになっちゃうし」
「その内、私たちでも【転移】を自由に使えるようにするから」
<青翼の弓とオモダカ>の解散と共に、フィーナたちが結成した冒険者パーティ<オモダカ>も解散した。
<オモダカ>はフィーナ、サリス、ノーラが作った冒険者パーティである。結成当時の彼女たちは、どうにもならない世界の現状をどうにかしたくて、冒険者になって強くなればどうにかできると思っていた。
聖マリア教の僧侶として修行していても禄に戦闘経験のないフィーナ。本物の剣も握ったことのない一般市民のサリス。両親の影響で冒険者の知識だけは一人前のノーラ。上手くいくはずがなかった。今思えば<オモダカ>は、夢見がちな少女たちの幻想でしかなかった。
だが<オモダカ>は、誰よりも最初に最強と出会ったのだ。その奇跡によって、それぞれの夢を現実に変えられるほどの力を得ていった。
剣士サリスは今も冒険者を続けている。冒険者の役割は大きく変わってしまったのに辞めなかったのは、自分には知性も教養もないからだと笑っていた。実際は各国の騎士や有名商会の勧誘、貴族の召し抱えや結婚話までを断っているので、彼女なりの想いがあるに違いない。
魔法使いノーラはアクロシアの王立魔法研究所の立ち上げメンバーに加わった。最強が創造した新しい世界では、人々はこれまでとはまったく違った次元の魔術や魔技を扱うことができる。それらを研究するための国家機関への就職を選んだ。両親からは反対されたらしいけれど、それでノーラが止まるはずがない。
神官フィーナは―――。
「でも久しぶりに会った気がしないよね。いつも音声チャットとかメッセージで話してるし」
「それはサリスが毎日何回も送って来るからでしょ。今日晴れたとか、お昼美味しかったとか、言わなくても良いから」
「えー! もっと話そうよ!」
「そう言えば、サリスが昨日あげたラーメンのお店ってどこ? キュウさんと行ってみようって話をしてるんだけど」
「フィーナとキュウが一緒に訪問するの!? 有名になって混雑しちゃうよ!」
「さすがに街を歩く時は変装してるよ。私とキュウさんの二人で怪しまれるなら、サリスとノーラも一緒に行かない?」
サンタ・エズレル神殿で高位聖職者たちが特別なお客を迎える時だけに使っていた一室。そこは姦しい雰囲気に包まれていた。
時間を忘れて幼馴染み三人が話をしていると、部屋の扉がノックされる。
「フィーナ教皇聖下、お時間です」
「分かりました。すぐに行きます」
フィーナ教皇聖下、扉をノックした信徒はそう呼んだ。
聖マリア教の最高位、教皇。
その位に就いているのが、まだ歳若いフィーナだった。
周囲の反発は驚くほど少なかった。この新しい世界を創世した最強神フォルティシモと誰よりも関わり、元の世界を維持していた女神マリアステラから任されたのだ。
それに加えてあの大氾濫を経験した者たちから見て、フィーナ以上の適格者は居ない。
まあ、もしフィーナ以外が聖マリア教のトップに立つようならば、最強の神が聖マリア教を徹底的に解体しただろう。
「大変そうだね?」
「権力を握るのはそれだけ苦労もある」
「まあ、その、ラナリアさんとかエンシェントさんが、色々楽させてくれてるから、それほどでもない、かな」
フィーナは幼馴染みたちを前に曖昧な笑みを浮かべていた。
その理由は、世界最後の大氾濫の直後にある。
◇
アクロシア大陸史上最大の大氾濫は、終わった。
フィーナとフィーナの知り合いは無事だった。それどころか大氾濫へ挑んだ誰一人として犠牲にならなかった。世界が滅亡するほどの危機だったにも関わらず、終わってみれば一人の犠牲者もいない、これ以上のない結末である。
人類の完全なる勝利。
誰のお陰かなんて聞くまでもない。
フィーナは自分の情報ウィンドウで、そこに連絡先として登録されているフォルティシモやキュウの名前を見た。
ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモという新しい世界を創造する際、フィーナを特別扱いしてくれたのだろう。フィーナにはフォルティシモやキュウ、エンシェントにセフェールなどへ連絡できる初期設定がされていた。
だから彼らの名前がフィーナの情報ウィンドウに表示されている。
「ありがとう、ございますっ!」
フィーナは情報ウィンドウのフォルティシモとキュウの名前へ向けて、頭を下げた。
それからパーティーメンバーや知り合いと勝利の喜びを分かち合う。
同じく冒険者になった神官も、フィーナを連れ戻そうとしていたお堅い神官も、フィーナに憧れているという後輩冒険者も、気難しい先輩冒険者も、以前は上手く行っていなかった母親も等しく喜びに満ちあふれていた。
アクロシア大陸の歴史上、大氾濫の後は大き過ぎる被害を思う時間となる。大勢の死者を弔う時間が必要だし、破壊された街や田畑の復興を思うと沈鬱になるのも仕方がない。
しかし今回は、それらが一切ないのだ。
ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモでは魔物に殺されてもセーブポイントへ戻るだけ。もう二度と魔物や大氾濫の脅威に怯える必要がなくなり、街や田畑は広がって、これからどう使っていこうか話し合う必要があるくらいである。
単なる勝利を超えた未来永劫の完全勝利を手にした者たちの狂乱はすごかった。
世界各地で祝宴が開かれた。
各地で酒やご馳走が振る舞われ、人々は歓喜に包まれた。
鍵盤商会が裏で糸を引いていたのか、【転移】のポータルが各地に開かれて、誰もが自由に大氾濫から取り戻した大陸を闊歩できるようになっていた。各地に祝杯を販売する露店が出ていたのは、もう疑う余地はないだろう。
フィーナも珍しく神の血を許容量以上に飲んでしまい、かなりハメを外してしまったのも仕方ない。そのせいで翌日は頭痛と気持ち悪さに苦しむことになった。
そんな時に、情報ウィンドウへメッセージが届いた。
> マスターフィーナ、フォルティシモからメッセージが届いています。確認しますか?
大氾濫勝利の祝宴が終わった後、フィーナはアクロシア王都からすぐ側にある森に来ていた。
温暖で過ごしやすいアクロシア王国にありながら、その森はまるで別世界の光景で、樹木や地面が解けない氷で覆われている。天気は雲一つ無い快晴なので、太陽の光で氷がキラキラと輝いていた。
フィーナはいきなり寒い場所に足を踏み入れたことで、口から白い息を吐き、ぶるりと身体を震わせる。
インベントリから毛皮のコートを取り出そうとして、手を止めた。このくらいの冷たさがあったほうが、頭が冷えるだろうと思ったからだ。
フィーナは森の中を一人で歩いて、ある場所までやって来る。
そこは事情の知らない者から見れば、何の変哲もない森の一角だった。しかしフィーナと、そこでフィーナを待っている者にとっては意味のある場所だ。
「フォルティシモさん」
フィーナが声を掛けると、銀髪の美青年が振り向く。
『ブルスラの森』と呼ばれるこの場所で、フィーナはフォルティシモと出会った。あの時は、こんな氷の世界ではなく、ごく普通の緑の森だったけれど、そこは確かにフォルティシモが現れた場所だった。
「お待たせして申し訳ありません」
「少し確認したいことがあったから、早く来てただけだ」
フィーナはフォルティシモからこの場所へ呼び出された。てっきりキュウも一緒だろうと思っていたけれど、フィーナを待っていたのはフォルティシモだけである。
「何かご用事でしょうか?」
呼び出された理由は分からない。仕事の依頼ならばギルドへ呼ぶだろうし、聖マリア教への話ならば神殿がある。キュウが居るのだから期待はしていないけれど、色恋的な話なら宿なり別の場所だろう。
「一つだけ、どうしても分からないことがある。キュウステラに聞こうか迷ったが、止めておいた。そんな場合でもなかったし、知ったところで何か変わる訳でもない」
キュウステラって誰だろうと思いながら、フォルティシモの話を聞く。
「フィーナは、お前、人間、だよな?」
「え? はあ、もちろん、そうですけれど」
フォルティシモに突拍子も無いことを依頼されるのは慣れているけれど、この質問はさすがに困ってしまった。相手が何を聞きたいのか把握しなければ、欲しがっている答えを返せない。
「俺は『ブルスラの森』に、特に何も感慨はない。爺さんは当然だし、トッキーやマリアステラもそうだろう」
フォルティシモが周囲を見回す。ここを氷の世界に変えたのは他ならないフォルティシモ自身らしい。もしこの森に特別な想いがあったのであれば、こんな風に氷の世界へ変えたりはしない。
「だが俺は、最初に『ブルスラの森』に現れた。その理由は何か考えてみた。あの日、この場所へ、お前が俺を呼んだとかは、ないか?」
「私はキュウさんと違って、召喚術の心得はありません」
フィーナはフォルティシモが何を言いたいのか、それが分かった。
フィーナがフォルティシモを異世界召喚したのではないか。
それを問いかけたかったのだ。
「そうか。そうだな。変なことを聞いた」
「ですが」
フィーナは両手を組み、祈りを捧げる。
「神へ願いが届くのであれば、答えて頂けるのでしょう」
フォルティシモという神へ。
「きっと、あの日、私の救いを願う祈りが、フォルティシモさんへ届いたのです。それが星の女神や時の男神の計略を超え、フォルティシモさん自身の力で、ここへ来たのではないでしょうか」
「………やっぱりお前は凄いな」
フィーナはフォルティシモからの褒め言葉を受け取って、笑顔を浮かべた。少しでも力になれたのであれば嬉しい。
「よし。やっぱりフィーナにしよう。お前を教皇にして、色々と変えていく」
「い、いえ、私はまだ未熟です」
「エンやラナリアにも手伝わせるし、セフェに影武者をやって貰っても良い。【偽装】と【アバター変更】を使えば良いしな。ちゃんと休日や長期休暇も保証する。ある程度軌道に乗ったら、入れ替わって辞めても良い」
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