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第六章

第二百五十話 女皇へ向けて ラナリア編

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 ラナリアはルナーリスを横に座らせて良かったと、心の底から安堵した。会議が終わった次の瞬間、すぐに退出しようとしたルナーリスの腕を掴めたからだ。

「ら、ラナ?」
「ルナ、お茶をしましょう?」
「い、いや、ほら、フォルティシモ陛下が、女皇になるのを急ぐようにって」

 ラナリアはルナーリスの腕を掴んだまま、真横にいるフォルティシモへ話し掛ける。

「フォルティシモ様、少しルナとお茶をしてきてもよろしいでしょうか?」
「好きにしろ。アルを同席させるか?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、できましたらルナと二人きりで」

 フォルティシモの気遣いは本当に嬉しいけれど、誰かが同席してしまうとルナーリスが本音を語らなくなってしまう。

 ルナーリスへフォルティシモやアルティマの言葉は届かない。言い方が少し悪くなってしまうが、強大無比な力を持ち信頼できる優秀な仲間たちに囲まれた者からの言葉は、力も無く家族からさえ出来損ないと蔑まれ続けた少女の心を動かせない。

 それにフォルティシモたちはあまりにも凄すぎて、ルナーリスに諦観と依存を与えてしまう。

 ここで話すべきなのは、同じく天空の国フォルテピアノへ行くことになった王女であり、幼い頃から顔を合わせていた知り合いであり、将来義理の姉妹になるはずだったラナリアだ。



 アクロシア王城のバラ園は、数百本のバラが見頃を迎えていた。王城で雇っている庭師の腕が良いため、このバラ園は十年以上前から毎年綺麗な花を咲かせている。

 バラ園はかつてルナーリスがアクロシア王国へやって来る度に、ラナリアとルナーリスがチェスをした光景そのままだった。

「この椅子………」

 バラ園へやって来たルナーリスは、白いテーブルと椅子を優しい手つきで撫でた。これまで緊張していたルナーリスの表情が緩む。

「懐かしいでしょう?」
「こんなに小さかったっけ」

 ルナーリスは白いテーブルの上に置かれたチェス盤へ視線を移す。記憶力が非常に良い彼女のことだから、ラナリアと戦った盤面を思い出しているのかも知れない。

「勝負する?」
「ラナには勝てないからいい」
「そう。残念ね。このところ、エンさんと戦って連戦連敗だから、ルナを倒して自信を取り戻そうと思ったのだけれど」

 ラナリアの子供のような八つ当たり発言に、ルナーリスが小さく声を出して笑う。

「ラナでも勝てないんだ?」
「まったく勝てないの。二人零和有限確定完全情報ゲームでエンさんに勝つのは不可能、って言われたわ。悔しいから何度か挑んでみたけれど、本当に不可能なのかも知れないわね」
「何それ?」
「さあ?」

 今度は二人で笑った。

 ラナリアとルナーリスはバラ園の白い椅子に座り、白いテーブルを挟んで向かい合った。二人の王女と皇女は、十年前を思い出すかのように昔話に興じていく。初めて出会った謁見の間、その後のバラ園でのチェス、兄との出会いに、ルナーリスが初めてお土産を持ってきた話。

 その間だけ、二人はたしかに友人だった。

 そして話は十年前の大氾濫の後に繋がり、近況、現在へ。話が進むにつれてルナーリスの表情は暗くなっていった。

「ラナ、あなたなら分かるでしょう? 私に皇帝なんて、いえ、皇帝になって良い訳がない」

 ルナーリスは言う。現皇帝を殺害し、皇族たちも皆殺しにしようとした。街も壊そうとした。カリオンドル皇国そのものを滅ぼそうとしたのに、国民を騙して皇帝になるのか、と。

「国の頂点なんて、そんなものよ。血に塗れていない王族なんていないでしょう」
「ら、ラナがそれ言っちゃう?」
「そうね。でも私なら、まったく悩まずにお父様たちや国民を売り払う。先のカリオンドル皇帝もそうだったから、己だけのためにフォルティシモ様へ挑み、破れた。大陸東部同盟なんて大勢を巻き込んで。だからそう思えるだけ、ルナには人の心が残ってる」

 ルナーリスが何かを噛み締めるように口を閉じたのを見計らって、本題を切り出した。

「さて、私がルナに言ったことを覚えてる?」
「え? 覚えてると、思うけど、いつのこと?」
「ついこの間、何が馬鹿なのかは、今度会う時まで考えて来なさいって言ったこと」

 ラナリアが巨大な白竜と化したルナーリスの前に立ち塞がった時、最初に伝えた言葉だ。

 ルナーリスはラナリアから目を逸らした。忘れていた訳ではないだろうが、考えていなかったという態度が目に見えて分かる。

「私が馬鹿だって言った理由は、何だと思う?」
「それは、復讐に囚われて、自分を育ててくれた国を壊そうとしたこと?」
「大勢の人から見ればそうかも知れない。でも今言ったように、私にはそれを馬鹿にする資格がないわ」

 ラナリアがルナーリスと同じ立場になれば、やる。それもルナーリス以上のことを完璧な計画を練り上げて成し遂げる。だからラナリアは、ルナーリスの行動が単なる馬鹿な考えから出たものだとは思わない。彼女にはそれを実行するだけの、積年の思いがあったのだ。

 ルナーリスの目の泳ぎが早くなった。

「ねぇルナ」

 ラナリアは今までよりも柔らかい声音を使う。

「あなたの“生きる目的”だった復讐を達成して、どうだった?」
「え?」
「だって達成できたでしょう? 暴帝となった父を打ち倒し、今や皆があなたに傅く、本当に高い地位までやって来た」

 先ほどのカリオンドル皇国の大使のように、今や亜人族たちはルナーリスに平伏すのだ。フォルティシモたちが積極的に動いたお陰で、ルナーリスの目的は女皇にならなくても達成された。

 ルナーリスを出来損ない、不義理の子だと蔑んでいた者たちは、今や初代皇帝の能力をほぼすべて発現し、初代皇妃ディアナの容姿を持つ、歴代で誰よりも皇帝に相応しい存在だと触れ回っている。

「ルナ、私が馬鹿だと言ったのはそこ。あなたは、未来のことを何も考えていない。復讐以外の目的はないの?」
「………目的。私の。未来」

 ルナーリスは自分の人生を、その記憶力を以て振り返っているだろう。しかし何も思い浮かばないのか、どんどん顔を青くしていく。

「ら、ラナだって」
「ええ、その点において、昔の私はルナと同じだった。自覚無自覚の差はあるけどね。でも今は違うわ。好きなことも、やりたいことも、楽しいこともたくさんある。愛する人だってできた」


 ルナーリスはラナリアの顔を見て唇を噛み、また目を逸らして、更にもう一度ラナリアの顔を直視した。

「怒らない?」
「ある人の影響を受けてこう答えることにするわ。私と愛する人を巡って競い合うこと以外なら、何を言っても怒らない」
「私は強くなりたい。陛下、王后、そしてラナみたいに」
「ええ」
「偉大なる初代皇帝は、本当はカリオンドル皇国を今のような一部の特権階級が支配する国にするつもりはなかったらしいの。王侯貴族に頼らない政治制度で、国を統治するつもりだった」

 この大陸の国々はほぼ君主制で成り立っている。あのエルフでさえ、一部のハイエルフが方針を決めているのだ。

「ラナ、私、カリオンドル皇国の皇族制度を廃止して、民主制にする。そして退位して、堂々と鍵盤商会で働いて、今度こそ自分の力でみんなに認めて貰う」
「壮大な夢ね」

 彼女は初代皇帝を敬っていて、本気で初代皇帝が目指した国を作ろうと考えている。それを達成した時、本当の意味で自信が持てるから。

 ルナーリスは気が付いていないだろう。それは、初代皇帝の血脈こそが正しいとする価値観、血を受け継ぐ歴代皇族と未来の皇族、そのすべてに対する究極的な復讐だった。

「その前にフォルティシモ様のお役に立ってね?」
「そう、だね。私は何の後ろ盾もないから、陛下の機嫌を損ねたら終わりだし」

 ラナリアは人が簡単に変われるとは思っていない。ルナーリスはこれからも辛いことがあれば逃げ出すだろう。けれど、諦観でも復讐でもない目的が、彼女を少しでも変えてくれるキッカケになればと思う。

 それにルナーリスにはまだ用事があった。

「そういえばルナ、もう一つ聞いておきたいのだけど」
「何?」
「ルナはラムテイルお兄様に色々と案内されたでしょ? その時のことを教えてくれない? できるだけ細部漏らさずに」

 ラナリアはルナーリスから聞く兄の話に耳を傾ける。その内容に内心で顔を顰めていたのだけれど、幸運にもラナリアの分厚い仮面は笑顔のまま動かなかった。
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