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第六章
第二百四十七話 黄金狐の逢瀬
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主人が他の従者たちに今日の予定をキャンセルすることを伝える。セフェールは何だか疲れた表情を見せた。
「はぁ、デートですかぁ」
「いえ、デートではなく、ご主人様が気分転換をしたいというので私がお付き合いを」
「そうですねぇ。デート楽しんで来てくださいぃ。私も久々の休みを満喫しますのでぇ」
いつもキュウの言葉をしっかりと聞いてくれるセフェールに話が通じないのは初めてかも知れない。
「キュウ、服は大丈夫かの? 妾の服を貸すか?」
「はい、ご主人様に買って頂いたものがありますので」
「しかしデートなのじゃ。より良い格好をしたいじゃろ?」
アルティマはキュウを気に掛けてくれていて、本物の姉以上に姉のようだ。ただ、デートではないと言ってるはずなのに誰もデートを否定しないので困る。段々とデートなのかも知れないと思って緊張してしまうので止めて欲しい。
「代われ、キュウ」
「り、リースさん!?」
「私がフォルとデートする」
リースロッテがキュウに掴みかかろうとすると、セフェールとアルティマに羽交い締めにされた。目と全身から迸る魔力が、致死量で怖い。
「フォルはキュウだけ贔屓してる!」
リースロッテの言葉にキュウは否定の言葉を叫ぶ準備をした。それは逆だ。主人はキュウ以外の従者、それはラナリアを含めてみんなを信頼している。だからキュウ以外のみんなはそれぞれ役割が与えられ、それの遂行に務めているのだ。キュウだけは何もできないから、未だに役割が与えられていない。
「俺は好きな奴を全力で贔屓するタイプだ。だからキュウを全力で贔屓する」
あれ、と予想外の方向から予想外の言葉が聞こえて来て、キュウはどうしたら良いのか分からなくなってしまう。
「リースは家族として全力で贔屓する。それじゃ嫌ってことか?」
「今度私ともデートして」
「俺とデートしても面白くないと思うが」
「そんなことない。それにキュウとはする」
「期待しないならいいぞ。今度行きたいところを教えてくれ」
リースロッテは満足そうに口元を緩めていたけれど、キュウの心情はリースロッテのことを考えられるほど冷静ではなかった。
どこへ行きたいか尋ねられて、いつものように「ご主人様の行きたい場所が私の行きたい場所です」と答えたら主人が困っていた。だからキュウは頭を全力で回転させて考えて、以前約束した食べ歩きをしたいと希望を口にした。そうしたら主人が嬉しそうに笑ったので、それだけでキュウも嬉しくなった。
別の国へ行ってみることも考えられたものの、約束したのがアクロシアだったので、アクロシア王都の美味しそうな料理を探し回ることになる。
今まで主人と一緒に歩く時は、色々な意味で主人に付いて行くために必死だったけれど、今日は主人の手を握って少しばかり胸を躍らせながらきょろきょろと周囲のお店を探す。美味しそうな食べ物を探すというのは、危険もないし必死になる必要もないので、いつもよりも心が軽い。
「ゲテモノは無しで頼む」
「ゲテモノですか?」
「虫とか、動物の脳みそとかの料理だ」
里ではイナゴや蜂も捕って食べていたけれども、それらが駄目であることを心に刻む。主人が嫌いなものを出すことだけは絶対に避けるのだ。
「キュウが好きだと言うなら、我慢………我慢してみよう」
「い、いえ、好きではないです」
食べていたのは食料事情が原因であり、お金も食料も有り余っている主人の下で好んで食べたいとは思わない。今朝の話のこともあり、今の家族は何を食べているのだろうかと思ってしまうが、その考えをすぐに頭から追い出した。
「お、八つ橋か。こんなもんまであるんだな」
主人が足を止めたので、手を繋いでいるキュウも一緒に足を止めお店を覗き込む。何かの皮に餡子を挟んだ三角形の物体が置かれている。ほのかに甘い匂いが漂っているので、甘いお菓子のようだった。
「最初はここにしよう」
「はい」
店内は狭いので、赤い布が掛けられた外の椅子に座る。どうやって食べたら良いのか分からなかったので、主人が食べるのを見ていることにした。主人は三角形のお菓子を摘まんで、そのまま口へ入れる。皮ごと食べられるもののようだ。皮を剥いて中の餡子を食べるところだったので安堵する。
主人がキュウの視線に気付いた。
「ほら、あーん」
「あのっ」
「やられるほうもだが、やるほうもやってみたかった。ほら、あーん」
視線を周囲に彷徨わせ、耳に魔力を集中させて周囲に知り合いが居ないか確認。居ない。
ぱくり、と主人の手の三角形のお菓子にかぶりつく。
もっちりとして甘い。
「キュウもやってくれ」
「は、はい」
お菓子を一つ手に取る。
「あーんしてください、ご主人様」
「意外と照れるな、これ」
「そ、そうですね」
苦みの利いた緑茶が美味しかった。
主人が足を止めたのはコーヒーを専門に扱うお店だ。主人は毎朝と夕食後にコーヒーを飲むし、飲み物と言えばコーヒーと水以外を飲んでいる姿が思い浮かばないくらい好きらしい。キュウはコーヒーを美味しく淹れるために練習中だ。
「買っていきますか?」
「いやいい。ちょっと、こういうタイアップした店ってどういう扱いになってるか気になったんだ」
「タイアップですか?」
「この店は、リアルワールドの店が出店したんだ」
「ご主人様の生まれた世界………」
木製の板に独特な文字で書かれた看板に、店先に立つだけで香るコーヒー豆の匂い。キュウは普段コーヒーは飲まないけれども、主人の生まれた世界の味であるなら一度は飲んでみたい。
「興味あるのか?」
「あの、その、少しだけ」
「そうだな。俺も久々だから飲んでみるか」
「はい」
全体的に薄暗い店内で、どこか落ち着く雰囲気がある。一つ一つの座席の幅も広くゆったりとしていて、高級感を感じさせた。メニューを見るとコーヒーと書かれた商品がなく驚いてしまう。
「あの、こ、コーヒーってどれでしょうか?」
「ああ、はははっ」
主人は戸惑ったキュウに笑みを零していた。主人が嬉しそうなのでキュウも嬉しいけれど、なんで笑われたのか分からない。
「ここの飲み物は全部コーヒーだ。ここは豆の種類で注文するんだ。希望がなければ、おまかせかブレンドにすると良いぞ」
「それでは、おまかせにします」
苦みがなく酸味の強いコーヒーだったが、おまかせにしてしまったので何だったのか分からず、同じ味をだそうとすると困難であることに店を出た後に気が付いた。
「この岩、まだあるんだな」
主人が三メートルはある大きな岩を見上げたので、キュウも釣られて岩を見上げた。アクロシア王都にある聖マリア教神殿の広場に置かれている岩で、色は正しく岩という灰色、縦長の直方体の形をしている。
「こことそっくりな世界ファーアースオンラインのアクロシアに初めて来た時が、この広場でな」
「ここに………」
この世界とは別の世界でも、主人が降り立った場所。そう思うと、近くに神殿もあるせいかとても神聖な場所な気がしてくるから不思議である。
「そうそう、ピアノがこいつのことをモアイって呼んでてな」
「モアイ? 人の名前ですか?」
「ああ、こんな感じのでっかい顔の石像があってな。こっちだと『タースイー島』ってダンジョンにある」
「顔の形をしているんですか?」
「そうだ。顔の石像が何百体も並んでるんだ。『タースイー島』は………開発者がふざけたのか、シュールなのが多いな」
目の前の大きな岩を見ながら想像してみる。大量の顔の石像が並ぶ様子。
変だった。
「あ、ここ」
見知った通りを歩いていると、主人と初めて会った日に食事をしたお店までやって来る。
「ここに入りたいとは、キュウは俺の気持ちを分かってるな」
「い、いえ、そんなことは」
この店には何度も入っているので、今更目新しさはない。目新しさがないと感じるほど、ほんの数ヶ月でこういう食事に慣れた自分に驚く。
あの日は、主人と同じ席に着くことさえ怖かった。今日は、主人の席を引いてから自然に主人の前の席に腰掛けて、メニューを開く。反射的にあの日と同じハンバーグを注文したい衝動に駆られるが、主人とはこの後も食べ歩きを続けるのでお腹に溜まらないものが何かないか探す。
「パンケーキ辺りがいいか」
「はい」
注文の時。
「蜂蜜大盛りにしてくれ」
主人が料理をもう一つ頼めそうなほど多めのチップを渡して蜂蜜を頼んでいた。
「あの、ご主人様」
「蜂蜜を好きなだけ使えるだろ」
「ありがとうございますっ」
以前に蜂蜜が好きだと言ったのを覚えていてくれたことが嬉しい。その際の会話を思い出して、キュウも主人に尋ねる。
「ご主人様は、ラーメンが好きなんですか?」
「好きだが、まあ俺の舌は肥えてないから、慣れ親しんだものなら大抵美味いと感じるんだ」
「慣れ親しんだって、つうさんの」
つうの料理は美味しい。主人と出会ってから食べたお店の料理や、ラナリアにご馳走してもらった宮廷料理よりも美味しかった。
「つうの料理か。俺も初めて食べたけど、美味いな」
「え? 初めてなんですか?」
「俺はファーアースオンラインじゃ食事をしなかったからな。つうの料理を味わったのは、キュウと一緒に食べたのが初めてだ」
配膳された小さなパンケーキを二人で切り分けながら話す。
「食事よりも最強になることが大事だ」
「あ、そ、そうですよね」
「食事している間に誰かに追い越されたらって思うと、ゆっくり食事する気持ちになれなかったんだよな」
自他共に最強である主人も、その力まで登り詰めるのに多くの苦難があったに違いない。
それから色々とお店を回った。お腹がいっぱいにならないように、注文するのは少しだけ摘まめる量。最初は恐縮していたけれど、二人だと色々な味を食べることができて楽しかった。
だんだんとお腹も膨れてきたため、主人と一緒に大きな図書館へやって来た。アクロシア王都では書物を誰もが自由に読める図書館を国が経営している。本を読む環境はキュウが文字を学んだ里の集会所や喫茶店など個人程度の小さな単位であればどこにでもあるが、これだけ大規模で専門書まで扱っている場所は大陸でも珍しいのだと言う。
館内で読む分には無料で読み放題だが、外へ持ち出す場合には書物の重要度やページ数によって決められた保証金と賃貸料を支払うことになる。
「そういえば異世界に来て初めて来たな。キュウは何度か来てるのか?」
最近主人が漏らす“異世界”という単語は、三番目の世界―――キュウが生まれ育った世界を指している。
「はい、歴史の本とかは普通の本屋にはあまり置いていないので」
「歴史って、アクロシアの歴史だよな。俺の知らない本ばかりだ」
「他の世界にも同じ図書館があったんですか?」
「あった。ファーアースオンラインのは著作権が切れた本ばかり置いてあった人気の無い図書館だったけどな」
「著作権、ですか?」
「著作権ってのは、印刷したり販売したりすんのを独占する権利、でいいのか? 詳しく知りたかったら帰ってからセフェに聞いてみてくれ」
商売をやったことのないキュウにはぴんっと来ない話だったため、思わず首を傾げてしまうと主人が笑った。
「俺も詳しくなくて感覚で言ってるだけだからな。それにここじゃ人権すら怪しいから、書物の権利なんて言われて不思議に思うかもな」
せっかく来たので、キュウは本を借りていこうと思う。歴史、それもカリオンドル皇国の歴史書を。エンシェントやラナリアはとっくにすべての歴史書へ目を通しているだろうが、キュウも自分の目で確認してみたい。
主人が本棚の前で頻繁に足を止めるので、珍しくキュウが先行している。主人は本棚へ目を向けていて前を見ていないので、キュウが先を歩いて人や物にぶつからないよう注意しているのだ。
自然に役に立てている実感を覚えて嬉しくなる。
図書館を出て、顔を綻ばせながら主人と一緒に通りを歩いていく。
幸せな時間。
しかしふと、ある考えが浮かんで来た。もし主人が元の世界に帰ることになったら。
キュウは主人に付いていけるのだろうか。
「はぁ、デートですかぁ」
「いえ、デートではなく、ご主人様が気分転換をしたいというので私がお付き合いを」
「そうですねぇ。デート楽しんで来てくださいぃ。私も久々の休みを満喫しますのでぇ」
いつもキュウの言葉をしっかりと聞いてくれるセフェールに話が通じないのは初めてかも知れない。
「キュウ、服は大丈夫かの? 妾の服を貸すか?」
「はい、ご主人様に買って頂いたものがありますので」
「しかしデートなのじゃ。より良い格好をしたいじゃろ?」
アルティマはキュウを気に掛けてくれていて、本物の姉以上に姉のようだ。ただ、デートではないと言ってるはずなのに誰もデートを否定しないので困る。段々とデートなのかも知れないと思って緊張してしまうので止めて欲しい。
「代われ、キュウ」
「り、リースさん!?」
「私がフォルとデートする」
リースロッテがキュウに掴みかかろうとすると、セフェールとアルティマに羽交い締めにされた。目と全身から迸る魔力が、致死量で怖い。
「フォルはキュウだけ贔屓してる!」
リースロッテの言葉にキュウは否定の言葉を叫ぶ準備をした。それは逆だ。主人はキュウ以外の従者、それはラナリアを含めてみんなを信頼している。だからキュウ以外のみんなはそれぞれ役割が与えられ、それの遂行に務めているのだ。キュウだけは何もできないから、未だに役割が与えられていない。
「俺は好きな奴を全力で贔屓するタイプだ。だからキュウを全力で贔屓する」
あれ、と予想外の方向から予想外の言葉が聞こえて来て、キュウはどうしたら良いのか分からなくなってしまう。
「リースは家族として全力で贔屓する。それじゃ嫌ってことか?」
「今度私ともデートして」
「俺とデートしても面白くないと思うが」
「そんなことない。それにキュウとはする」
「期待しないならいいぞ。今度行きたいところを教えてくれ」
リースロッテは満足そうに口元を緩めていたけれど、キュウの心情はリースロッテのことを考えられるほど冷静ではなかった。
どこへ行きたいか尋ねられて、いつものように「ご主人様の行きたい場所が私の行きたい場所です」と答えたら主人が困っていた。だからキュウは頭を全力で回転させて考えて、以前約束した食べ歩きをしたいと希望を口にした。そうしたら主人が嬉しそうに笑ったので、それだけでキュウも嬉しくなった。
別の国へ行ってみることも考えられたものの、約束したのがアクロシアだったので、アクロシア王都の美味しそうな料理を探し回ることになる。
今まで主人と一緒に歩く時は、色々な意味で主人に付いて行くために必死だったけれど、今日は主人の手を握って少しばかり胸を躍らせながらきょろきょろと周囲のお店を探す。美味しそうな食べ物を探すというのは、危険もないし必死になる必要もないので、いつもよりも心が軽い。
「ゲテモノは無しで頼む」
「ゲテモノですか?」
「虫とか、動物の脳みそとかの料理だ」
里ではイナゴや蜂も捕って食べていたけれども、それらが駄目であることを心に刻む。主人が嫌いなものを出すことだけは絶対に避けるのだ。
「キュウが好きだと言うなら、我慢………我慢してみよう」
「い、いえ、好きではないです」
食べていたのは食料事情が原因であり、お金も食料も有り余っている主人の下で好んで食べたいとは思わない。今朝の話のこともあり、今の家族は何を食べているのだろうかと思ってしまうが、その考えをすぐに頭から追い出した。
「お、八つ橋か。こんなもんまであるんだな」
主人が足を止めたので、手を繋いでいるキュウも一緒に足を止めお店を覗き込む。何かの皮に餡子を挟んだ三角形の物体が置かれている。ほのかに甘い匂いが漂っているので、甘いお菓子のようだった。
「最初はここにしよう」
「はい」
店内は狭いので、赤い布が掛けられた外の椅子に座る。どうやって食べたら良いのか分からなかったので、主人が食べるのを見ていることにした。主人は三角形のお菓子を摘まんで、そのまま口へ入れる。皮ごと食べられるもののようだ。皮を剥いて中の餡子を食べるところだったので安堵する。
主人がキュウの視線に気付いた。
「ほら、あーん」
「あのっ」
「やられるほうもだが、やるほうもやってみたかった。ほら、あーん」
視線を周囲に彷徨わせ、耳に魔力を集中させて周囲に知り合いが居ないか確認。居ない。
ぱくり、と主人の手の三角形のお菓子にかぶりつく。
もっちりとして甘い。
「キュウもやってくれ」
「は、はい」
お菓子を一つ手に取る。
「あーんしてください、ご主人様」
「意外と照れるな、これ」
「そ、そうですね」
苦みの利いた緑茶が美味しかった。
主人が足を止めたのはコーヒーを専門に扱うお店だ。主人は毎朝と夕食後にコーヒーを飲むし、飲み物と言えばコーヒーと水以外を飲んでいる姿が思い浮かばないくらい好きらしい。キュウはコーヒーを美味しく淹れるために練習中だ。
「買っていきますか?」
「いやいい。ちょっと、こういうタイアップした店ってどういう扱いになってるか気になったんだ」
「タイアップですか?」
「この店は、リアルワールドの店が出店したんだ」
「ご主人様の生まれた世界………」
木製の板に独特な文字で書かれた看板に、店先に立つだけで香るコーヒー豆の匂い。キュウは普段コーヒーは飲まないけれども、主人の生まれた世界の味であるなら一度は飲んでみたい。
「興味あるのか?」
「あの、その、少しだけ」
「そうだな。俺も久々だから飲んでみるか」
「はい」
全体的に薄暗い店内で、どこか落ち着く雰囲気がある。一つ一つの座席の幅も広くゆったりとしていて、高級感を感じさせた。メニューを見るとコーヒーと書かれた商品がなく驚いてしまう。
「あの、こ、コーヒーってどれでしょうか?」
「ああ、はははっ」
主人は戸惑ったキュウに笑みを零していた。主人が嬉しそうなのでキュウも嬉しいけれど、なんで笑われたのか分からない。
「ここの飲み物は全部コーヒーだ。ここは豆の種類で注文するんだ。希望がなければ、おまかせかブレンドにすると良いぞ」
「それでは、おまかせにします」
苦みがなく酸味の強いコーヒーだったが、おまかせにしてしまったので何だったのか分からず、同じ味をだそうとすると困難であることに店を出た後に気が付いた。
「この岩、まだあるんだな」
主人が三メートルはある大きな岩を見上げたので、キュウも釣られて岩を見上げた。アクロシア王都にある聖マリア教神殿の広場に置かれている岩で、色は正しく岩という灰色、縦長の直方体の形をしている。
「こことそっくりな世界ファーアースオンラインのアクロシアに初めて来た時が、この広場でな」
「ここに………」
この世界とは別の世界でも、主人が降り立った場所。そう思うと、近くに神殿もあるせいかとても神聖な場所な気がしてくるから不思議である。
「そうそう、ピアノがこいつのことをモアイって呼んでてな」
「モアイ? 人の名前ですか?」
「ああ、こんな感じのでっかい顔の石像があってな。こっちだと『タースイー島』ってダンジョンにある」
「顔の形をしているんですか?」
「そうだ。顔の石像が何百体も並んでるんだ。『タースイー島』は………開発者がふざけたのか、シュールなのが多いな」
目の前の大きな岩を見ながら想像してみる。大量の顔の石像が並ぶ様子。
変だった。
「あ、ここ」
見知った通りを歩いていると、主人と初めて会った日に食事をしたお店までやって来る。
「ここに入りたいとは、キュウは俺の気持ちを分かってるな」
「い、いえ、そんなことは」
この店には何度も入っているので、今更目新しさはない。目新しさがないと感じるほど、ほんの数ヶ月でこういう食事に慣れた自分に驚く。
あの日は、主人と同じ席に着くことさえ怖かった。今日は、主人の席を引いてから自然に主人の前の席に腰掛けて、メニューを開く。反射的にあの日と同じハンバーグを注文したい衝動に駆られるが、主人とはこの後も食べ歩きを続けるのでお腹に溜まらないものが何かないか探す。
「パンケーキ辺りがいいか」
「はい」
注文の時。
「蜂蜜大盛りにしてくれ」
主人が料理をもう一つ頼めそうなほど多めのチップを渡して蜂蜜を頼んでいた。
「あの、ご主人様」
「蜂蜜を好きなだけ使えるだろ」
「ありがとうございますっ」
以前に蜂蜜が好きだと言ったのを覚えていてくれたことが嬉しい。その際の会話を思い出して、キュウも主人に尋ねる。
「ご主人様は、ラーメンが好きなんですか?」
「好きだが、まあ俺の舌は肥えてないから、慣れ親しんだものなら大抵美味いと感じるんだ」
「慣れ親しんだって、つうさんの」
つうの料理は美味しい。主人と出会ってから食べたお店の料理や、ラナリアにご馳走してもらった宮廷料理よりも美味しかった。
「つうの料理か。俺も初めて食べたけど、美味いな」
「え? 初めてなんですか?」
「俺はファーアースオンラインじゃ食事をしなかったからな。つうの料理を味わったのは、キュウと一緒に食べたのが初めてだ」
配膳された小さなパンケーキを二人で切り分けながら話す。
「食事よりも最強になることが大事だ」
「あ、そ、そうですよね」
「食事している間に誰かに追い越されたらって思うと、ゆっくり食事する気持ちになれなかったんだよな」
自他共に最強である主人も、その力まで登り詰めるのに多くの苦難があったに違いない。
それから色々とお店を回った。お腹がいっぱいにならないように、注文するのは少しだけ摘まめる量。最初は恐縮していたけれど、二人だと色々な味を食べることができて楽しかった。
だんだんとお腹も膨れてきたため、主人と一緒に大きな図書館へやって来た。アクロシア王都では書物を誰もが自由に読める図書館を国が経営している。本を読む環境はキュウが文字を学んだ里の集会所や喫茶店など個人程度の小さな単位であればどこにでもあるが、これだけ大規模で専門書まで扱っている場所は大陸でも珍しいのだと言う。
館内で読む分には無料で読み放題だが、外へ持ち出す場合には書物の重要度やページ数によって決められた保証金と賃貸料を支払うことになる。
「そういえば異世界に来て初めて来たな。キュウは何度か来てるのか?」
最近主人が漏らす“異世界”という単語は、三番目の世界―――キュウが生まれ育った世界を指している。
「はい、歴史の本とかは普通の本屋にはあまり置いていないので」
「歴史って、アクロシアの歴史だよな。俺の知らない本ばかりだ」
「他の世界にも同じ図書館があったんですか?」
「あった。ファーアースオンラインのは著作権が切れた本ばかり置いてあった人気の無い図書館だったけどな」
「著作権、ですか?」
「著作権ってのは、印刷したり販売したりすんのを独占する権利、でいいのか? 詳しく知りたかったら帰ってからセフェに聞いてみてくれ」
商売をやったことのないキュウにはぴんっと来ない話だったため、思わず首を傾げてしまうと主人が笑った。
「俺も詳しくなくて感覚で言ってるだけだからな。それにここじゃ人権すら怪しいから、書物の権利なんて言われて不思議に思うかもな」
せっかく来たので、キュウは本を借りていこうと思う。歴史、それもカリオンドル皇国の歴史書を。エンシェントやラナリアはとっくにすべての歴史書へ目を通しているだろうが、キュウも自分の目で確認してみたい。
主人が本棚の前で頻繁に足を止めるので、珍しくキュウが先行している。主人は本棚へ目を向けていて前を見ていないので、キュウが先を歩いて人や物にぶつからないよう注意しているのだ。
自然に役に立てている実感を覚えて嬉しくなる。
図書館を出て、顔を綻ばせながら主人と一緒に通りを歩いていく。
幸せな時間。
しかしふと、ある考えが浮かんで来た。もし主人が元の世界に帰ることになったら。
キュウは主人に付いていけるのだろうか。
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