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第五章

第二百二十話 母なる女神の訪問

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 キュウはカリオンドル皇国を代表とした大陸東部同盟との戦争が始まった時から、主人の【拠点】で安全に過ごしていた。主人の【拠点】はいつも暮らしている屋敷だけでなく、大きな庭がいくつもあるし、アクロシア王国の図書館よりも広い書斎、マグナが使う鉄火場を始めとした様々な施設もある。それだけでもちょっとした村よりも広いのに、“異界”が広がっている場所まであるため、【拠点】で待っていろと言われても何も不自由はない。

 キュウは海淵の蒼麒麟という魔物との戦いで、主人と共に戦場に立つことを望まれたが、あの戦いは主人が巨大な魔物との意思疎通を図りたかったからであり、今回のカリオンドル皇国を中心とした大陸東部同盟との戦争にキュウの出る幕などなかった。

 今までのキュウであれば何かできることはないかと探して、何もできないことに落ち込んだだろう。しかし今は、主人の従者たちはそれぞれの得意分野があると充分に理解しているし、キュウは主人に仕えてから一年も経っていない。何年も仕えている彼女たちと同じ仕事ができるなんておこがましいと考えられる。

 今は帰って来た主人が少しでも快適に自室で休めるよう、布団をお日様に干し、部屋を綺麗に掃除するのがキュウがやるべきことで、それで御礼を言って貰えれば幸せだ。

 汚れても良い動きやすい服に着替え、バケツと雑巾を持って腕まくりをした。

> こんにちは、キュウ!

 そんなキュウに、まずは声だけが聞こえた。心の底から幻聴であることを願い、自分の心音がうるさくなった辺りで、主人とキュウの部屋の扉が開かれる。

「ほらほら、こんにちはって言ったんだから、返事をしてよ。こんにちは、キュウ!」

 幻聴ではなかった。虹色に輝く瞳にキュウを映す少女が何の遠慮もなく、ずかずかと主人とキュウの部屋に足を踏み入れてくる。今すぐ止めてくれと言いたいけれど、彼女の行動を押し止める勇気はない。

「マリアステラ様っ、こ、こんにちは」

 キュウはポケットに入った板状の魔法道具に手を掛けた。次にもしもがあったら、何を置いてもすぐに主人へ連絡するように言われたからだ。

 キュウだって大陸でずっと信仰されている聖マリア教の御神体女神マリアステラと、好んで会話したいとは思わない。

「ああ、そのガラフォンってかスマホは、今圏外になってるから連絡できないよ」

 キュウはポケットに入れた手を取り出す。

 マリアステラは軽い足取りでキュウに近付いて、板状の魔法道具を奪い取り、操作する。そして画面をキュウに見せた。

「ほら、ここ、圏外ってなってるでしょ? こうなると通信ができないんだよ。まあイベントエリアや特殊なインスタンス空間くらいでしか、こうはならないんだけどね」
「で、でも、ここ、は、ご主人様の、お部屋で」
「魔王様とキュウの愛の巣だよね。特殊な空間だね。うーん、うーん、うーん、ふつー。キュウはもっと魔王様に要望を言ったほうが良いんじゃない?」

 一回の発言で聞き返したい内容は、せめて一つに留めて欲しい。マリアステラの言葉は行動と矛盾しているし、論理が飛躍していて何を言われたのか分からないことが多かった。

「その、何かご用事でしょうか? ご主人様は、今は、出掛けていて」

 マリアステラは部屋にある肌触りの良いクッションの感触を確かめていた。キュウが使っているクッションで、主人と会話するときはそれに身を預けている。気に入ったから持って帰ると言われたらどうしようと心配になった。

「そうそう。見たんだけど、キュウは聞いた?」
「何をでしょうか?」
「なんか私たちのゲームで勝手に暴れる奴がいるんだよ」
「それは、その………大変ですね?」
「だよね!」

 マリアステラの顔がいきなりアップになる。目と鼻の先に迫ったそれは、何を考えているのか分からない。

 キュウは相手の感情を図るのに、表情よりも口調や心音などに頼っているので、まるで人形のようなマリアステラの感情を読み取ることができないのだ。

 そして何故かクッションが飛んで来た。クッションはキュウの顔面に当たって床に落ちる。クッションは柔らかいものなので、決して痛くないけれど、胸の内の混乱は暴風雨のようになってしまった。

「だから行こう!」
「………………どこへでしょうか?」

 床に落ちたクッションを眺めながら、何とか質問を口にする。

「神罰を下しに!」

 マリアステラがそう口にしたのを狙ったように、大きなハンマーがマリアステラがいた場所目掛けて振り下ろされた。廊下から部屋へ入ってきたマグナが、何の躊躇もなくマリアステラを攻撃したのだ。

 マリアステラはマグナの攻撃を予め分かっていたかのように、ほんの少し身体を移動するだけで回避した。

「キュウ! なんだコイツ!?」
「マグさん! この方はっ」
「マリアステラだよ。魔王様の五番目の従者マグナ。私もお世話になったよ。良い物作るね。四番目の従者ダアトだったら、復讐してやろうかと思ったけど、お前なら許そう」

 マグナは驚きつつ、虚空に片手を入れていた。インベントリを使っているらしい。

「【錬金術師】クラスでボーナスが入る攻撃アイテムを使うつもりなんだろうけど、止めておきなよ。魔王様とキュウの愛の巣が壊れたら可哀想でしょ」

 生産職と呼ばれるクラスの中では、マグナの戦闘能力がずば抜けて高いのは主人から聞いている。本気の一対一で戦ったらピアノの従者であるフレアに勝ってしまうほどに強いらしい。あの紅い角の鬼を勝ってしまえる鍛冶師は、もう鍛冶師と呼んで良いのか分からなかった。

 あと、この部屋は自室であって愛の巣ではない。

「女神様が何か用か? まさか友人のキュウとお茶を飲みに来た訳じゃないだろ?」
「お茶か。たしかに、そういう機会を設けるのも良いかもね。でも今日の用事は違うよ。お前たちには理解し難いだろうけど、私とキュウのゲームの邪魔者が目障りでね。一緒にカリオンドルへ潰しに行こうってキュウと話してただけ」

 マリアステラの言動は、キュウにも理解し難いと訂正したい。

「だからまあ、魔王様にはよろしく伝えておいてよ」

 マリアステラはキュウの肩に手を置いた。次の瞬間、キュウの視界が光に包まれた。マグナが手を伸ばすのが視界の端に見える。

「マグさん! ご主人様に伝えてください!」

 ここでマグナがキュウとマリアステラに無理矢理付いて来たら、マリアステラの機嫌を損ねるのは確実だ。その時、マグナの命がどうなるのか分からない。だったらマグナにはマリアステラが言ったように、主人への伝達を行って貰うべきだろう。

 少なくともキュウは、マリアステラにいきなり殺されることはないのだから、せめて他の従者の盾になりたい。
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