上 下
204 / 509
第五章

第二百三話 ルナーリスの決意

しおりを挟む
 ルナーリスは初めて天空の国フォルテピアノの王たちと出会った後、信じられないことにそのまま解放された。彼らにとって今のルナーリスは単なる虎人族ディアナなのだから、王后キュウの偽者に関する情報を伝えたら用はない。

 ルナーリスは夢だったのではと思いながら従業員寮の自室へ戻り、ベッドへ入ったものの眠れなかった。ベッドで何度も寝返りをうち、どうしてもいてもたってもいられなくて鍵盤商会の従業員寮の廊下を歩いていた。

 ルナーリスはその正体がバレることもなく、お礼は後でするとか、会長からは賞与に反映すると言われて、天空の国の重鎮やアーサーの居る客間を去った。このままルナーリスは、すっかり慣れてきた虎人族ディアナの日常へ戻れる。

 今頃は偽王后キュウと偽第二皇女ルナーリスの偽者だらけの取引が行われている。時間的にはもう終わった頃かも知れない。

 取引相手の内部に【隷従】を掛けた奴隷を紛れ込ませ、取引される相手は互いに偽者。完全に天空の王フォルティシモの手中にある茶番劇が繰り広げられていることだろう。

 天空の王フォルティシモの第一印象は恐怖で、先ほどはちょっと変な人だとは思ったけれど、やはり恐ろしい。

 ここ、鍵盤商会も天空の国フォルテピアノの息の掛かった場所だった。エルフや亜人族たちは女神よりも彼を信仰し、ドワーフたちは彼のために必死になり、冒険者から貴族まで鍵盤商会の顧客である。

 その気になれば、アクロシア王国を始めとした各国に命令して商品を無理矢理買わせることさえできるだろうに、鍵盤商会にはその気配さえない。圧倒的な権力を後ろ盾にしながら、圧倒的な商品力で勝負している。

 平等、自由、安全、カリオンドル皇国初代皇帝の目指した何もかもを体現しているような気さえしてくる。

 真夜中なので鍵盤商会の従業員寮と言えど静かなものだった。大きくて綺麗な窓から月が廊下とルナーリスを照らしている。

 ルナーリスは懐からキャロルに貰った魔法道具を取り出した。

 これを使えば、ルナーリスは虎人族ディアナから第二皇女ルナーリスへ戻れる。戻った後は、己の立場を天空の国フォルテピアノへ明かして全力で謝罪する。

 ルナーリスの全身は恐怖で硬直した。天空の国フォルテピアノの怒りを買うのが恐ろしい。恐ろしいけれど、ディアナがルナーリスだと伝えなければ始まらない。

 でも先にキャロルへ相談しようと思う。キャロルが優しい人なのは、鍵盤商会の従業員たちの評判を聞けば疑う余地がない。彼女は元奴隷や迫害された従業員からとても慕われている。

 いつものキャロルの態度を思い出すと、意外とあっさりルナーリスの立場を理解してくれるかも知れない。彼だって想像していた人物とはまったく違っていた。あのキャロルや鍵盤商会の従業員たちが慕う天空の王フォルティシモならば。

 ルナーリスを初代皇帝の力が使えないというだけで落ちこぼれと断じ、他国に売り飛ばす者たちとは違う。天空の王フォルティシモなんて、意外と初代皇帝の力に興味ないかも知れない。

「よし。このまま鍵盤商会で働きたいって言おう。キャロルさんの雰囲気だと許して貰えそうだし、会長さんは、とにかくお金って感じだからたぶん了承する。フォルティシモ陛下と、あのセフェールって人をどう説得するか。………あとはラナにも伝わるだろうけど、ラナは陛下から説得して貰えば何とかなるかな」

 これからのことを考えていたルナーリスは、近付いて来る人影にようやく気が付いた。

 羊の角を持つ悪魔の女性が、ルナーリスを見つめている。そしてルナーリスの手元にある魔法道具を見て、言葉を紡いだ。

「やはり、そういうことか。伝聞を信じるべきではなかった。フォルティシモがここまでの策略家だとはな」

 ルナーリスはその女性に見覚えがあった。カリオンドル皇国の大使館が襲撃された日、ルナーリスの護衛を皆殺しにした女性だ。

「おかしいと思っていた。いくら捜しても見つからなければ、天空の国で見たと言う証言もない。この状況で、側近にさえ知らせずに、第二皇女ルナーリスをアクロシア王国内で匿っていたとはな。『浮遊大陸』という己の領域に攻め込ませるための罠だったのだろうが、偶然がこちらに味方したぞ」

 ルナーリスは己へ落ち着くように言い聞かせる。目の前の相手に見えているのは、虎人族ディアナであり、天空の国の方々が【解析】を使ってもディアナのはずだ。

「わ、たしは、虎人族のディアナです。ここは、天空の国フォルテピアノの鍵盤商会の敷地内であり、不法侵入は大変なことになります」
それがしは既に事情を察している。無駄に誤魔化す必要はない」
「誤魔化すとは、何を仰っているのか」
「その魔法道具、アバター変更を使ってみろ。竜人族の第二皇女ルナーリスへ戻るのだろう?」

 ルナーリスが箱型の魔法道具を投げ捨てるのと、悪魔の女性が接近しルナーリスの意識を奪うのはほぼ同時のタイミングだった。



 ◇



「うっ、痛っ」

 ルナーリスが目を覚ますと、そこは走る馬車の中だった。馬車はきちんと屋根のあるもので、中には良質のクッションが敷かれた椅子もある。揺れもほとんどないことから、高級な魔法道具なのだろうと思われた。

 馬車の中にはルナーリスともう一人、羊の角を持つ女性、デーモンの女性が座っている。

 気を失う前に何があったのかを思い出して、すぐに馬車から逃げ出そうと思った。しかしデーモンの女性は、殺そうと思えばルナーリスを殺せたはず。今すぐに殺されることはないと気持ちを落ち着けて、現状を理解するのに努める。

「目が覚めたか。第二皇女ルナーリス」

 馬車の窓に映るルナーリスは、虎人族ディアナではなかった。竜人族の立派な角、色素の抜けた髪、死人のような瞳が映っている。ルナーリスの座っている座席の横には、魔力を失った四角い箱が転がっていた。

「何が目的ですか?」
「目的があるのは貴殿だ」

 ルナーリスを拉致した側の言葉ではないため、首を傾げてしまう。彼女は目的があったからルナーリスをこうして連れているのではないのか。

 もしルナーリスの目的を叶えてくれるというのなら。

 叶えてくれるというのなら―――。

 何、だ。

 カリオンドル皇国へ帰る。あんな奴らの元へ。鍵盤商会へ戻る。あそこは天空の国だ。誰かに助けを。誰に何を。どこか誰も知らない場所へ逃げる。逃げて生きていけるのか。

 ルナーリスは震えそうになった心へ活を入れる。決心したのだ。キャロルに事情を話して味方になって貰おうと。

「古来より悪魔と契約した者は、代償により願いを叶える」
「契約? 願い? 何を言っているんですか?」
「ディアナから代償は受け取った。しかし彼女は、その存在を消してしまった。だから貴殿には、彼女が欲した願いを受け取る資格がある」
「意味、が、分かりません」

 デーモンの女性は顎に手を当てて考え込み、少しずつ噛み砕くように説明する。

「カリオンドル皇国の初代皇妃ディアナは、某と取引をした。しかし、支払いだけして対価を受け取っていない。第二皇女ルナーリス、初代皇妃ディアナのすべてを受け継いだ貴殿は、それを受け取るべきだ」

 彼女は分かり易く説明したつもりなのだろうが、内容が余計に抽象的になってしまっていて、理解が追いつかない。

 ただしルナーリスは、彼女の話の中で注目してしまう内容があった。

「初代皇妃陛下の、すべてを、受け継いだ? 私、が?」

 ルナーリスは初代皇帝の力を何も発現できなかった落ちこぼれだ。

 だけど、そうではなかったら? 実は、初代皇妃のすべてを持っていたら? 初代皇帝の力の一部を使える他の皇族なんて、問題にならないのではないだろうか。

 初代皇帝と初代皇妃の絵画に描かれるアルビノの女性、初代皇妃ディアナ。

 ルナーリスの母親は、かつて第二皇女ルナーリスを産んだことを誇りにしていた。

 初代皇帝の力ばかりが評価される皇族の中で、何の力を受け継いでいるかも分からない、二番目の皇女を産んだだけで誇りとしていたのは何故か。

 それは初代皇妃ディアナと、第二皇女ルナーリスの容姿が似通っていたからである。カリオンドル皇国の歴史の中でも、初めて産まれた初代皇妃ディアナと同じ容姿を持つ竜人族、それが第二皇女ルナーリスだ。

「アバター情報は完全に引き継いでいるようだな。ディアナが使っていたものと、一寸の違いもない」
「そんなに、似ているのですか?」
「アバター情報の引き継ぎだ。似ているのではなく、同一だ」
「他にも、私は、初代皇妃陛下のものを、受け継いでいるのですか?」
「すべてを持っている。使い方を知らないだけだ。プレイヤーの子孫の情報は残っていても、神の子孫の情報は残っていないだろうから仕方がない」
「なら、私は、私の目的はっ!」

 ルナーリスやルナーリスの母親を貶めたカリオンドル皇国を―――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

修行マニアの高校生 異世界で最強になったのでスローライフを志す

佐原
ファンタジー
毎日修行を勤しむ高校生西郷努は柔道、ボクシング、レスリング、剣道、など日本の武術以外にも海外の武術を極め、世界王者を陰ながらぶっ倒した。その後、しばらくの間目標がなくなるが、努は「次は神でも倒すか」と志すが、どうやって神に会うか考えた末に死ねば良いと考え、自殺し見事転生するこができた。その世界ではステータスや魔法などが存在するゲームのような世界で、努は次に魔法を極めた末に最高神をぶっ倒し、やることがなくなったので「だらだらしながら定住先を見つけよう」ついでに伴侶も見つかるといいなとか思いながらスローライフを目指す。 誤字脱字や話のおかしな点について何か有れば教えて下さい。また感想待ってます。返信できるかわかりませんが、極力返します。 また今まで感想を却下してしまった皆さんすいません。 僕は豆腐メンタルなのでマイナスのことの感想は控えて頂きたいです。 不定期投稿になります、週に一回は投稿したいと思います。お待たせして申し訳ございません。 他作品はストックもかなり有りますので、そちらで回したいと思います

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...