上 下
105 / 509
第三章

第百五話 ヒヌマイトトンボの焦燥

しおりを挟む
 ベッヘム公爵軍の陣地では、件のベッヘム公爵が周囲の者たちに当たり散らしていた。この陣地は【転移】というゲームにはありふれたスキルによって、短時間で設営されたものである。それで気を良くしたベッヘムは当初兵たちを称賛し、達磨のように笑い転げていた。

 それからヒヌマイトトンボたちと共に王城へ侵入し、王を目の前に宣戦布告を行った。必要であれば、その場でヒヌマイトトンボたちの誰かがアクロシア王の首を取る予定だったのだ。

 だがその目論見は失敗する。王女の護衛として付いていた女性が想像以上に強く、ヒヌマイトトンボたちが複数人で掛かっても打倒が難しい相手だったからだ。苦戦している内に信じられないものを見ることになり、ヒヌマイトトンボたちは急ぎの撤退を余儀なくされた。

 ベッヘム公爵は将兵を臆病者と断じ、軍師を無能だと罵り、参謀などは目の前で切って捨ててしまった。

 とにかく値段の高い煌びやかな衣装に身を包み、戦えもしないのにAランク冒険者でも持っていないような剣を腰に付けている。暗殺対策なのか、ネックレスや指輪型の魔法道具をいくつも付けていて見目が良く無い。

 今は肩で息をして血走った目で、アクロシア王国の使者から手渡された親書を破り捨てていた。

 でっぷりとした腹を上下させる様子を一言で表わせば、醜い。

「どうなっている!? 次の大氾濫の前に、アクロシアが私のものになるのではなかったのか!?」
「お気を沈め下さい」
「ヒヌマ! 貴様の話では、貴様がラナリアを手に入れてくる予定ではなかったのか!? ラナリアを私の妻にして、デイヴィッドとウイリアムは処刑するという話ではなかったか!?」
「………王女の護衛は想像以上の実力者でした」

 ヒヌマイトトンボは一応は己の主家となるベッヘム公爵の言葉を受けて、事実をそのまま説明した。

 しかしヒヌマイトトンボが気にしているのは彼女ではない。気にしているのは、フォルティシモだ。これまで見て来た、この異世界へ来てしまったプレイヤーたちとは根本的に違うのではないかと思える、別次元の強さを持つプレイヤー。

 こういう“異常な強さを持つプレイヤー”を警戒して、マウロのような尖兵を使っていたのに、ヒヌマイトトンボの元に来たのはカイルという弱小プレイヤーの情報と、ピアノという【解析】はできなかったがそれほど強い装備は着けていないプレイヤーの情報だった。

 そしてヒヌマイトトンボを本当に驚愕させたのは、アクロシア上空に現れた空中に浮かぶ大陸だ。異世界の住人たちも驚いただろうが、ゲームの仕様を知るヒヌマイトトンボからすれば常識がひっくり返ったような驚愕だった。

 潜り込ませた間者の報告だと、あれはフォルティシモが操っているのだと言う。あんなものはシステムに存在しない。存在したら、バランスブレイカーどころの騒ぎではない。ファーアースオンラインは比較的バランスブレイカーの実装を躊躇わない上、やればやるだけ課金すればするだけ強くなる仕様だったとは言え、あんな大陸一つを動かせるようなシステムはない。

 恨み言の一つも言いたい気持ちだ。あんなことができるプレイヤーならば、最初から一切の敵対をせずに、こちらの情報を開示して協力関係を築く方針にしたかった。

 ベッヘム公爵の兵の士気は最低で、逃亡者も少なくない。いつも何かとヒヌマイトトンボに媚を売ろうとしていた貴族の姿もなかった。

「とにかく、返答が必要でしょう」

 ベッヘム公爵が破り捨てた手紙の内容は見なくても想像がつく。進むにしても退くにしても、ベッヘム公爵は終わりだ。

「失礼」

 ヒヌマイトトンボが立ち上がるとベッヘム公爵が叫ぶ。

「ヒヌマ、貴様逃げる気か!」
「閣下、しばし休憩といたしましょう。私も配下と良い案がないか相談をして参ります」
「ふざけるなっ! あれが落ちて来たら、私のアクロシアが終わりではないか!」

 ベッヘム公爵にとって、そんなことは喫緊の問題ではない。彼も公爵として権謀術数渦巻く貴族社会を生きて来たので、その程度のことは理解しているはずだ。そこまで頭が回らないのは目の前の状況に焦っているのか、老いには勝てないのか、その両方か。



 ヒヌマイトトンボは議場を後にしたその足で、仲間たちが詰めているテントへ入る。テントは元の世界でレジャーに使ったり、冒険者が使うような簡素なものではない。子爵が使うテントということで十六メートル四方の広さがあり、内部には明かりやテーブル、椅子が設置されていて五十人以上を収容できる。

 テント内に居るのは、ヒヌマイトトンボを含めて八人。

「お疲れ」

 親友であるミヤマシジミが労いの言葉を掛けると、他の仲間たちも口々にヒヌマイトトンボに声を掛けた。
 仲間たちの雰囲気はよくない。入り口近くに座っている革ジャンの男の頬には痣があり、奥に座っている背広の男はヒヌマイトトンボを見ようともしない。二人は元々仲が悪かったので、喧嘩でもしたのだろう。

 何年も掛けた計画が水泡に帰そうという状況なので、それもやむなしだと思う。

「マウロは?」

 ヒヌマイトトンボは紅一点の女性に問い掛ける。彼女はヒヌマ子爵の夫人という立場で動いて貰っていたが、実際は結婚は疎か恋人でさえないし、ヒヌマイトトンボもそう扱ったことはない。

「助け出して今は寝かせてあるわ」
「そのまま死ねば良かったのによ」
「そんな言い方はないだろう!」

 革ジャンの男の発言に背広の男が反論した。仲の悪い二人が再びぶつかり合う。

「オイオイ、こりゃマウロの失態だぜ? それも大失態ってやつだ。トッププレイヤーが現れた際にゃ、敵対行動を取らず必ず話し合いをするって約束だったはずだろ?」
「あの子はまだ十三歳だぞ! 失敗くらいするだろう!」
「VRゲーで実年齢なんて関係あんのかね? ま、そうだとしても、俺はあんな餓鬼の命よりも、元の世界に帰ることのが優先だけどな」
「仲間だぞ!」
「協力者、だ。足引っ張りやがった今となっちゃ切り捨てるべきだ」
「二人共やめてくれ」

 ヒヌマイトトンボは形だけ制止して、全員を見回す。
 すべてはこの異世界を生き抜き、元の世界へ戻るためのチーム。

「あれ、なんなんですか? 皆さんは知っているんですか?」

 異世界ではまず見かけることのない種族、サイボーグの少年が窓の外を見ながら問い掛けると、二人の男も喧嘩を止めた。

 窓の外では、空中に浮遊する大陸がアクロシアの上空に滞在している。当初、一般市民は大混乱に陥っていたものの、現在の騒ぎは小さくなっている。あれから救国の神鳥が降りて来たことに加えて、時間が経っても何も起こらないこと、そして王城から“同盟国からの援軍”であることが発表されたからだ。

「さぁね。あんなマップが実装されたなんて聞いたことないな」
「あれって自動?」
「このタイミングで現れて自動ってことはないだろ」
「一応言っておくけど、あれに乗ってきたフォルティシモってプレイヤーは強い」
「それを言うなら、従者のはずのアルティマ・ワンの強さも従者とは思えなかった。あの一派は俺たちよりも一歩も二歩も進んでると考えたほうがいい」

 仲間たちの視線がヒヌマイトトンボとミヤマシジミに集まる。

「とにかく、このまま逃げてもベッヘムにすべての責任を押し付けられるだけだ。俺の考えは、フォルティシモと話をした俺自身が、もう一度直接会う。それで今回の落としどころを決めたいと思う。何を要求されるかは分からないが、全面的に受け入れていく。そして、もし元の世界への手掛かりがあれば聞き出す。他に良い案があるなら言ってくれ」

 ヒヌマイトトンボがフォルティシモと会った際、彼は「帰りたければ勝手に帰れ」と言っていた。つまり彼は帰るつもりがなく、帰ろうとするプレイヤーの邪魔もしない。そこに交渉の余地があるはずだ。

「あいつの下に付くなら、俺の領地内には口出し無用、代わりに鉄砲玉以外ならどんな汚ぇ仕事でもやるって売り込んでくれや」

 革ジャンの男の言葉に背広の男が顔を顰める。

「危険じゃないの?」
「ヴォーダンって人を殺した人なんですよね?」

 女性もサイボーグの少年も心配そうだ。

「プレイヤーと明かして会っても、いきなり戦闘にならなかった。だから―――」

 ヒヌマイトトンボが安心させるために言葉を続けようとしたところ、すぐ近くから喊声が響き渡った。続いて騎乗系の魔物の鳴き声と足音がする。ヒヌマイトトンボの全身を嫌な予感が駆け巡る。

 急いでテントを出て、アクロシア王城の方角を見つめると、三重で展開していた兵たちの中で、最も先頭に居た第一陣が突撃を掛けたのだ。

「馬鹿な」

 ベッヘム公爵がアクロシア王国の王侯貴族からの降伏勧告を無視して強攻策に出た。

 今からベッヘム公爵の所へ行って、説得して退かせるのは遅すぎる。

 たしかにヒヌマイトトンボの仲間たちも協力して、テイムモンスターを集め、装備も充実させたベッヘム公爵の軍は強い。アクロシアの精鋭部隊を越える力を持ち、数の不利を覆せるだけの戦力だ。

 しかしあの上空に浮かぶ大陸の下で、それを操る化け物へ向かっていく兵士たちの士気は、いったい如何程だろうか。今から大量の土砂に押し潰される現場に向かえと命令されて、誰がやる気になれるだろう。

 いや、それよりも。あれの裏に隠された意味は、フォルティシモからヒヌマイトトンボへの降伏勧告のはずだ。ヒヌマイトトンボが仲間たちと一緒に考えようとした、それに対する答えを、ベッヘム公爵が勝手に出してしまった。

 ヒヌマイトトンボの元に伝令兵がやってくる。

「ベッヘム公爵閣下より伝令。ヒヌマ子爵は第二陣に参加し、アクロシア王国を狙う侵略者フォルティシモを討伐せよ。繰り返します。ヒヌマ子爵は第二陣に参加し、アクロシア王国を狙う侵略者フォルティシモを討伐せよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

修行マニアの高校生 異世界で最強になったのでスローライフを志す

佐原
ファンタジー
毎日修行を勤しむ高校生西郷努は柔道、ボクシング、レスリング、剣道、など日本の武術以外にも海外の武術を極め、世界王者を陰ながらぶっ倒した。その後、しばらくの間目標がなくなるが、努は「次は神でも倒すか」と志すが、どうやって神に会うか考えた末に死ねば良いと考え、自殺し見事転生するこができた。その世界ではステータスや魔法などが存在するゲームのような世界で、努は次に魔法を極めた末に最高神をぶっ倒し、やることがなくなったので「だらだらしながら定住先を見つけよう」ついでに伴侶も見つかるといいなとか思いながらスローライフを目指す。 誤字脱字や話のおかしな点について何か有れば教えて下さい。また感想待ってます。返信できるかわかりませんが、極力返します。 また今まで感想を却下してしまった皆さんすいません。 僕は豆腐メンタルなのでマイナスのことの感想は控えて頂きたいです。 不定期投稿になります、週に一回は投稿したいと思います。お待たせして申し訳ございません。 他作品はストックもかなり有りますので、そちらで回したいと思います

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...