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第二章
第四十五話 ピアノとの会合 前編
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手早く朝食を済ませたフォルティシモは装備と使用するスキルやアイテムを確認し、自称ピアノとの待ち合わせ場所へ向かった。
自称ピアノと待ち合わせ場所に選んだのは、いかにも恋人たちが待ち合わせに使いそうな噴水広場で、そこの中央にある水時計の前だった。色とりどりの花に囲まれた噴水の中で、大きな時計がゆっくり針を動かしている。フォルティシモの感覚で言えば、噴水の中に時計を入れるなど見づらいだけで何も良いことがない。
朝早いこともありそれほど人の姿は見かけないが、昼間ともなれば観光客などで混雑するのだろう。そのお陰もあり、自称ピアノはすぐに見つかった。
胸元くらいまでの黒髪を降ろし、主張しすぎないフリルの付いた上着に黒いロングスカート、ライトグレーのカーディガンを羽織り、真っ赤なハンドバッグを持っていた。少し緊張した面持ちで噴水の中の時計を眺めている。
やはり偽物に違いない、と思う。何せフォルティシモは自分の記憶にあるピアノと、有りすぎるギャップを消化するのに苦労が必要だったからだ。ピアノは待ち合わせに遅れたりすっぽかしたりしない男だった上、いつでも狩りへ行ける準備万端の装備で待ち構え、待っている間にスキルレベル上げをしているような奴だった。
決してデートの待ち合わせをする少女のような様子を見せたりせず、周囲の男たちからチラチラと視線を送られたりもしない。
「フォルティシモ! こっちだ」
自称ピアノはフォルティシモに気付いて手を振る。
「って、お前、いつも通りかよ。せっかく人が気合い入れた格好してきたのに」
「それM級なのか?」
「なんでそうなる。男女で出掛けるんだぞ。私は元の世界も含めて初デートなんだ。少しは緊張してるんだぞ」
自称ピアノは自然に言ったつもりだろうが、視線が明後日の方に泳いでいて不自然このうえ無い話し方だ。
「なんでだよ。お前は自称だがピアノなんじゃないのか?」
ファーアースオンラインでピアノと二人の時間はいくらでもあった。買い物からダンジョン攻略に、期間限定イベントがあれば一緒に行ったりもした。
「あの時はアバターだったしなぁ」
「俺は今もだけどな」
自称ピアノの顔から浮ついたものが消え、真剣なものへ変わる。フォルティシモもそれに合わせて顔を引き締めた。
「やっぱ、そこだな」
「ああ、それをハッキリさせないと、今から何を話しても無駄だ」
彼女がピアノなのか、自称ピアノなのか。それをハッキリさせない限りは、フォルティシモとしてはピアノに自分の状況をすべて話すつもりはない。必要があれば偽りの情報も流す。
逆の立場に立ってみれば、自称ピアノにとってフォルティシモが何故アバターのままなのか気になっているだろう。それではすべてを話すのは難しいはずだ。
互いに重要な部分を隠し情報を偽るのであれば、情報交換をしたところで無駄だ。ちょっと話しただけで見抜いてしまう探偵のような頭脳は、残念ながら二人共持っていない。
それはお互いに理解している。自分たちがファーアースオンラインというゲームで最上級プレイヤーであったのは、システムを読み解き有効活用する頭脳でも、人間関係を円滑にすすめるコミュニケーション能力でも、大勢を率いるカリスマでも、神懸かったプレイヤースキルでもない。お互い最大の強みは、膨大な金か時間に任せたトライアンドエラーだ。
「とは言っても、証明なんかできないだろ?」
「無理だな。俺たちには」
己が本物であることを証明する方法などない。それこそ哲学の領域だ。
そう思っているとピアノから提案があった。
「だからこうしよう。まずは、このファーアースへやって来た経緯を包み隠さず話す。それを信じられたら次の話題に移る。隠さず話しても良い話題だ。それを繰り返して、お互いが本物だと確信できたらすべてを話して協力しよう」
「時間が掛かりそうだな」
「そうか? 一、二時間もあれば終わるだろ?」
フォルティシモは自称ピアノの提案について考えてみる。ピアノらしい提案ではあり、フォルティシモも代案があるわけではない。
「そ、そうだ。ちょっと、意味ない質問なんだけど、いいか?」
「なんだ?」
ピアノが言いにくそうに質問をしたので、思わず身構える。
「リアルのフォルティシモって男だよな?」
「………そうだ。あとお前が女だったことは気にしていない。ゲーマーで相手の性別なんか気にする奴いないだろ」
「けっこう、いやぁ、かなり、居ると思うぞ」
本当に気にしていなかったのでフォローしたのに、何故か否定された。フォルティシモはピアノが本物でありさえすれば男でも女でも問題ない。美人であることには驚いたが、友人をハーレム要員として見るつもりはないので残念という気持ちはあっても友人として意識するつもりだ。
「ネナベだったからリアルの姿になった可能性はあるな。俺が女アバターで異世界に来て、女の排泄やら生理やらやれって言われても無理だしな」
「例えが酷くて同意したくない話だが、その可能性もあるな」
自分の中でそこそこ納得がいく推論を見つけたので、自称ピアノはピアノである可能性が高くなった。自称を取ってもいいだろう。
「じゃあピアノ、どっちから話す?」
「その前に移動しよう。お前の奢りって約束だったよな? 行ってみたかったカフェがある」
ピアノに案内されてやって来たのは、海の中にあるカフェだった。海の上にぽつんと浮いているという意味ではなく文字通りの海中。四方を硝子のような透明な板で囲まれた海中の建造物の中にあるカフェで、あまり深くなると暗くなってしまうためか浅い場所ではあるが、魚が建造物の周囲をぐるぐると泳いでおり水族館のような雰囲気だった。
「こんなとこあったか?」
海中をイメージしているのか、床は白い砂のような模様、テーブルは岩のような色、椅子は珊瑚のようなイラストが入っている。店内は広いので閉塞感はないが、忙しなく動く魚たちのせいで、落ち着いた雰囲気はまるでない。
「ゲームのトーラスブルスでのことなら、かなり前からあった。たまに一人で来てたんだ」
どうもピアノのお気に入りの場所らしいので、酷評するのは避ける。友人の好きなものを否定しない程度のコミュニケーション能力は、さすがのフォルティシモにもある。ある、はずである。
「あのゲーム、すげぇリアルにできてるって話だったけど、やっぱ本物のが凄いな」
「当たり前だろ」
フォルティシモは自分が最初に異世界へやって来た瞬間のことを思い出す。
「俺は最初に地面を踏んだ時の反動が凄くて驚いた」
「ログアウト、すればいつものことだろ?」
「お前だって同じだろ」
「………そこから話す必要があるな」
少し奥まった場所にある席に座り、ピアノはカフェラテをフォルティシモはコーヒーを注文した。
「大したことじゃないから、まずは俺から話す」
「分かった」
ピアノは特に異論を挟まずに首肯した。考えてみれば異世界に来た経緯について、フォルティシモは隠すようなことは何もない。レイドボスを倒した後に運営からのメールがあって、それに「はい」をタップしたらこの異世界のブルスラの森に立っていたのだ。
「世界を焼き尽くす巨神が実装されただろ?」
「ああ、私が戦えなかった奴か」
言われて見ると、本当に珍しいことだがあの日ピアノは居なかった。少し寂しそうにしているので、実装された時には異世界に居たのかも知れない。それではさすがのピアノでもレイドボスへの参加どころか、ログインすらできないだろう。
「どうだった? 強かったか?」
いきなり話がズレ出した。
しかしフォルティシモも饒舌になる。誰かに話したかったのだ。
「ああ、実装された中じゃ一番だな。HP一兆とかあったし、装甲も耐性もないが純粋にステータスが高い。けどデバフ入れたらバンバンダメ入るからすぐ終わった」
「なんだそりゃ、ボスなのにデバフ耐性なしかよ。代わりに攻撃力がメチャクチャ高いのか?」
「ああ、攻撃力はあったな。<お散歩>の会☆長居ただろ? あいつ範囲魔法喰らって飛んでた」
「会☆長ってピュアタンクだよな? あいつで一発なら範囲喰らったらほとんどのパーティは終わりだな」
「俺には大したことなかったけどな」
「私も耐えられるけどな」
「あと、何故か風属性だった」
「なんでだよっ!? 世界を焼き尽くすとか言ってるんだから炎使えよ!」
ピアノがはっと何かに気付いたように咳払いをした。
「悪い。話がズレた。あれとは私も戦いたかったんだ」
報酬も大したものではなかったので、ピアノが戦いたかった理由はゲーマー特有のものだろうが、参加できなかったことを悔やむ友人の気持ちは察することができる。
元気付けるために巫山戯た言葉でも掛けてやろうと思ったものの、美人の女性であることを思い出してやめておいた。
「続けてくれ」
「ああ。まあ、あのボス戦が終わった後に運営からメールが届いてたんだ」
大会やランキングの後に運営からメールが届くことはよくある。
「メールの内容が問題だったのか?」
フォルティシモは自分の情報ウィンドウを表示し、メールの内容をピアノに見せた。
ーーーーー
フォルティシモ様。
あなたには新クラス【魔王神】と、新しい世界への挑戦権が与えられます。
新しい世界では、すべての制限が取り払われますが、
クリアするまで元の世界へ戻ることはできません。
また、新しい世界で死亡した場合、すべてをロストします。
新しい世界へ挑戦しますか?
はい いいえ
ーーーーー
「おまっ、これ!?」
ピアノはさすがに驚いて声を上げた。
「これの「はい」をタップしたら、この異世界に居た」
ピアノはフォルティシモが提示した情報ウィンドウを呆然とした表情で凝視していた。
しばらくしてから、顔を上げてフォルティシモを真っ直ぐ見据える。
「色々言いたいことはあるが、お前、これだけで異世界に来たのか?」
「普通に考えて、天界や魔界と同じような場所が実装されたんだと思うだろ」
「いや、思わないだろ。あれ? そうか? 思うかな? どうだろ?」
フォルティシモは最初に異世界へ来た時には、ここを現実だと考えていなかった。今はここをゲームの中だとか、空想だとかは一切考えていない。
「じゃあ、お前、騙されて異世界に来たのか?」
ピアノの言葉や表情は、驚きや同情ではなく安堵があった。ピアノが神様たちのゲームについて知っていて自分から積極的に参加しているのだとすれば、フォルティシモが全力参戦しないと知ったピアノの安堵の理由も分かる気がするが、そんな簡単な奴じゃなかったと思う。
「まあそうとも言える。けど、俺は騙されたとは思ってない。応募したことを忘れた懸賞が当たったみたいな感覚だな」
「元の世界に戻りたいとか考えないのか?」
「方法を探してみるか、くらいは考えていた。だが、その理由の一つがお前に会いたいってのだったしな」
あえて口にしないが、フォルティシモの従者たちがこの異世界に居るかも知れないと知れば余計に帰る気がなくなる。
「………お前、すごい肝座ってるんだな」
そこそこ恥ずかしい発言をしたつもりだったが、スルーされたので悲しい。
ピアノはなんだか沈んでいるようだった。今の言葉も無理してフォルティシモに合わせたような感じだ。
ピアノとは気が合い、楽しいと思うことや苛立つことが似通っており、感じていることはお互いに分かっているつもりだった。しかし、今はその感情が読み取れない。
「なんか気になることでもあるか? 経緯については包み隠さずって約束だから、なんでも答えるぞ」
「いや、なんて言うか」
「なんて言うか?」
「私が先に話せば良かった」
「なんでだよ」
ピアノはすっかり意気消沈したようで、先ほどまでの最新レイドボスモンスターを語っていた様子は微塵もない。
単なる異世界へ来た経緯であって、二人の常識からすれば異常なことであるからこそ、話すのに困るようなことはないはずだった。
「お前と私が違うってことは、分かってたんだけどな。ファーアースに来てたから、もしかしたらって希望があった。お前は私と同じで、同じ気持ちを共有できる唯一無二の友人だったんじゃないかって」
「お前、めちゃくちゃ酷いことを言ってる自覚あるか?」
「あ、悪い。私も、ダメだな。お前に会って、あの頃を思い出して、なんか調子が出ないんだ。いや本当の私が出てるだけかも知れないんだが」
「引きこもりのニートだったとかいう話だったら、俺も同じようなもんだから心配するな」
「ははは、これでもけっこう容姿に自信があるんだ。ニートになるなら金持ちの男引っかけて主婦を目指したよ」
冗談を言って笑ったが、彼女の容姿は“けっこう”なんてレベルではない。今のピアノの姿が本当のピアノの姿であるのなら、アイドルか女優でも通用しそうな容姿をしている。異常なログイン時間を誇っていたVRMMOゲームプレイヤーとは思えない。
「お前が美人だって知ってたら、俺が交際を申し込みに行ったけどな」
「私の見た目、お前の好みか? そうだったら失敗したな。頼めば良かった」
ピアノは寂しそうに息を吐いた。
「私な」
ピアノはそこで一度言葉を切って告白する。
「死んだんだ」
「は?」
「ちょうどアップデートの日だ。あの日、私は死んだ」
自称ピアノと待ち合わせ場所に選んだのは、いかにも恋人たちが待ち合わせに使いそうな噴水広場で、そこの中央にある水時計の前だった。色とりどりの花に囲まれた噴水の中で、大きな時計がゆっくり針を動かしている。フォルティシモの感覚で言えば、噴水の中に時計を入れるなど見づらいだけで何も良いことがない。
朝早いこともありそれほど人の姿は見かけないが、昼間ともなれば観光客などで混雑するのだろう。そのお陰もあり、自称ピアノはすぐに見つかった。
胸元くらいまでの黒髪を降ろし、主張しすぎないフリルの付いた上着に黒いロングスカート、ライトグレーのカーディガンを羽織り、真っ赤なハンドバッグを持っていた。少し緊張した面持ちで噴水の中の時計を眺めている。
やはり偽物に違いない、と思う。何せフォルティシモは自分の記憶にあるピアノと、有りすぎるギャップを消化するのに苦労が必要だったからだ。ピアノは待ち合わせに遅れたりすっぽかしたりしない男だった上、いつでも狩りへ行ける準備万端の装備で待ち構え、待っている間にスキルレベル上げをしているような奴だった。
決してデートの待ち合わせをする少女のような様子を見せたりせず、周囲の男たちからチラチラと視線を送られたりもしない。
「フォルティシモ! こっちだ」
自称ピアノはフォルティシモに気付いて手を振る。
「って、お前、いつも通りかよ。せっかく人が気合い入れた格好してきたのに」
「それM級なのか?」
「なんでそうなる。男女で出掛けるんだぞ。私は元の世界も含めて初デートなんだ。少しは緊張してるんだぞ」
自称ピアノは自然に言ったつもりだろうが、視線が明後日の方に泳いでいて不自然このうえ無い話し方だ。
「なんでだよ。お前は自称だがピアノなんじゃないのか?」
ファーアースオンラインでピアノと二人の時間はいくらでもあった。買い物からダンジョン攻略に、期間限定イベントがあれば一緒に行ったりもした。
「あの時はアバターだったしなぁ」
「俺は今もだけどな」
自称ピアノの顔から浮ついたものが消え、真剣なものへ変わる。フォルティシモもそれに合わせて顔を引き締めた。
「やっぱ、そこだな」
「ああ、それをハッキリさせないと、今から何を話しても無駄だ」
彼女がピアノなのか、自称ピアノなのか。それをハッキリさせない限りは、フォルティシモとしてはピアノに自分の状況をすべて話すつもりはない。必要があれば偽りの情報も流す。
逆の立場に立ってみれば、自称ピアノにとってフォルティシモが何故アバターのままなのか気になっているだろう。それではすべてを話すのは難しいはずだ。
互いに重要な部分を隠し情報を偽るのであれば、情報交換をしたところで無駄だ。ちょっと話しただけで見抜いてしまう探偵のような頭脳は、残念ながら二人共持っていない。
それはお互いに理解している。自分たちがファーアースオンラインというゲームで最上級プレイヤーであったのは、システムを読み解き有効活用する頭脳でも、人間関係を円滑にすすめるコミュニケーション能力でも、大勢を率いるカリスマでも、神懸かったプレイヤースキルでもない。お互い最大の強みは、膨大な金か時間に任せたトライアンドエラーだ。
「とは言っても、証明なんかできないだろ?」
「無理だな。俺たちには」
己が本物であることを証明する方法などない。それこそ哲学の領域だ。
そう思っているとピアノから提案があった。
「だからこうしよう。まずは、このファーアースへやって来た経緯を包み隠さず話す。それを信じられたら次の話題に移る。隠さず話しても良い話題だ。それを繰り返して、お互いが本物だと確信できたらすべてを話して協力しよう」
「時間が掛かりそうだな」
「そうか? 一、二時間もあれば終わるだろ?」
フォルティシモは自称ピアノの提案について考えてみる。ピアノらしい提案ではあり、フォルティシモも代案があるわけではない。
「そ、そうだ。ちょっと、意味ない質問なんだけど、いいか?」
「なんだ?」
ピアノが言いにくそうに質問をしたので、思わず身構える。
「リアルのフォルティシモって男だよな?」
「………そうだ。あとお前が女だったことは気にしていない。ゲーマーで相手の性別なんか気にする奴いないだろ」
「けっこう、いやぁ、かなり、居ると思うぞ」
本当に気にしていなかったのでフォローしたのに、何故か否定された。フォルティシモはピアノが本物でありさえすれば男でも女でも問題ない。美人であることには驚いたが、友人をハーレム要員として見るつもりはないので残念という気持ちはあっても友人として意識するつもりだ。
「ネナベだったからリアルの姿になった可能性はあるな。俺が女アバターで異世界に来て、女の排泄やら生理やらやれって言われても無理だしな」
「例えが酷くて同意したくない話だが、その可能性もあるな」
自分の中でそこそこ納得がいく推論を見つけたので、自称ピアノはピアノである可能性が高くなった。自称を取ってもいいだろう。
「じゃあピアノ、どっちから話す?」
「その前に移動しよう。お前の奢りって約束だったよな? 行ってみたかったカフェがある」
ピアノに案内されてやって来たのは、海の中にあるカフェだった。海の上にぽつんと浮いているという意味ではなく文字通りの海中。四方を硝子のような透明な板で囲まれた海中の建造物の中にあるカフェで、あまり深くなると暗くなってしまうためか浅い場所ではあるが、魚が建造物の周囲をぐるぐると泳いでおり水族館のような雰囲気だった。
「こんなとこあったか?」
海中をイメージしているのか、床は白い砂のような模様、テーブルは岩のような色、椅子は珊瑚のようなイラストが入っている。店内は広いので閉塞感はないが、忙しなく動く魚たちのせいで、落ち着いた雰囲気はまるでない。
「ゲームのトーラスブルスでのことなら、かなり前からあった。たまに一人で来てたんだ」
どうもピアノのお気に入りの場所らしいので、酷評するのは避ける。友人の好きなものを否定しない程度のコミュニケーション能力は、さすがのフォルティシモにもある。ある、はずである。
「あのゲーム、すげぇリアルにできてるって話だったけど、やっぱ本物のが凄いな」
「当たり前だろ」
フォルティシモは自分が最初に異世界へやって来た瞬間のことを思い出す。
「俺は最初に地面を踏んだ時の反動が凄くて驚いた」
「ログアウト、すればいつものことだろ?」
「お前だって同じだろ」
「………そこから話す必要があるな」
少し奥まった場所にある席に座り、ピアノはカフェラテをフォルティシモはコーヒーを注文した。
「大したことじゃないから、まずは俺から話す」
「分かった」
ピアノは特に異論を挟まずに首肯した。考えてみれば異世界に来た経緯について、フォルティシモは隠すようなことは何もない。レイドボスを倒した後に運営からのメールがあって、それに「はい」をタップしたらこの異世界のブルスラの森に立っていたのだ。
「世界を焼き尽くす巨神が実装されただろ?」
「ああ、私が戦えなかった奴か」
言われて見ると、本当に珍しいことだがあの日ピアノは居なかった。少し寂しそうにしているので、実装された時には異世界に居たのかも知れない。それではさすがのピアノでもレイドボスへの参加どころか、ログインすらできないだろう。
「どうだった? 強かったか?」
いきなり話がズレ出した。
しかしフォルティシモも饒舌になる。誰かに話したかったのだ。
「ああ、実装された中じゃ一番だな。HP一兆とかあったし、装甲も耐性もないが純粋にステータスが高い。けどデバフ入れたらバンバンダメ入るからすぐ終わった」
「なんだそりゃ、ボスなのにデバフ耐性なしかよ。代わりに攻撃力がメチャクチャ高いのか?」
「ああ、攻撃力はあったな。<お散歩>の会☆長居ただろ? あいつ範囲魔法喰らって飛んでた」
「会☆長ってピュアタンクだよな? あいつで一発なら範囲喰らったらほとんどのパーティは終わりだな」
「俺には大したことなかったけどな」
「私も耐えられるけどな」
「あと、何故か風属性だった」
「なんでだよっ!? 世界を焼き尽くすとか言ってるんだから炎使えよ!」
ピアノがはっと何かに気付いたように咳払いをした。
「悪い。話がズレた。あれとは私も戦いたかったんだ」
報酬も大したものではなかったので、ピアノが戦いたかった理由はゲーマー特有のものだろうが、参加できなかったことを悔やむ友人の気持ちは察することができる。
元気付けるために巫山戯た言葉でも掛けてやろうと思ったものの、美人の女性であることを思い出してやめておいた。
「続けてくれ」
「ああ。まあ、あのボス戦が終わった後に運営からメールが届いてたんだ」
大会やランキングの後に運営からメールが届くことはよくある。
「メールの内容が問題だったのか?」
フォルティシモは自分の情報ウィンドウを表示し、メールの内容をピアノに見せた。
ーーーーー
フォルティシモ様。
あなたには新クラス【魔王神】と、新しい世界への挑戦権が与えられます。
新しい世界では、すべての制限が取り払われますが、
クリアするまで元の世界へ戻ることはできません。
また、新しい世界で死亡した場合、すべてをロストします。
新しい世界へ挑戦しますか?
はい いいえ
ーーーーー
「おまっ、これ!?」
ピアノはさすがに驚いて声を上げた。
「これの「はい」をタップしたら、この異世界に居た」
ピアノはフォルティシモが提示した情報ウィンドウを呆然とした表情で凝視していた。
しばらくしてから、顔を上げてフォルティシモを真っ直ぐ見据える。
「色々言いたいことはあるが、お前、これだけで異世界に来たのか?」
「普通に考えて、天界や魔界と同じような場所が実装されたんだと思うだろ」
「いや、思わないだろ。あれ? そうか? 思うかな? どうだろ?」
フォルティシモは最初に異世界へ来た時には、ここを現実だと考えていなかった。今はここをゲームの中だとか、空想だとかは一切考えていない。
「じゃあ、お前、騙されて異世界に来たのか?」
ピアノの言葉や表情は、驚きや同情ではなく安堵があった。ピアノが神様たちのゲームについて知っていて自分から積極的に参加しているのだとすれば、フォルティシモが全力参戦しないと知ったピアノの安堵の理由も分かる気がするが、そんな簡単な奴じゃなかったと思う。
「まあそうとも言える。けど、俺は騙されたとは思ってない。応募したことを忘れた懸賞が当たったみたいな感覚だな」
「元の世界に戻りたいとか考えないのか?」
「方法を探してみるか、くらいは考えていた。だが、その理由の一つがお前に会いたいってのだったしな」
あえて口にしないが、フォルティシモの従者たちがこの異世界に居るかも知れないと知れば余計に帰る気がなくなる。
「………お前、すごい肝座ってるんだな」
そこそこ恥ずかしい発言をしたつもりだったが、スルーされたので悲しい。
ピアノはなんだか沈んでいるようだった。今の言葉も無理してフォルティシモに合わせたような感じだ。
ピアノとは気が合い、楽しいと思うことや苛立つことが似通っており、感じていることはお互いに分かっているつもりだった。しかし、今はその感情が読み取れない。
「なんか気になることでもあるか? 経緯については包み隠さずって約束だから、なんでも答えるぞ」
「いや、なんて言うか」
「なんて言うか?」
「私が先に話せば良かった」
「なんでだよ」
ピアノはすっかり意気消沈したようで、先ほどまでの最新レイドボスモンスターを語っていた様子は微塵もない。
単なる異世界へ来た経緯であって、二人の常識からすれば異常なことであるからこそ、話すのに困るようなことはないはずだった。
「お前と私が違うってことは、分かってたんだけどな。ファーアースに来てたから、もしかしたらって希望があった。お前は私と同じで、同じ気持ちを共有できる唯一無二の友人だったんじゃないかって」
「お前、めちゃくちゃ酷いことを言ってる自覚あるか?」
「あ、悪い。私も、ダメだな。お前に会って、あの頃を思い出して、なんか調子が出ないんだ。いや本当の私が出てるだけかも知れないんだが」
「引きこもりのニートだったとかいう話だったら、俺も同じようなもんだから心配するな」
「ははは、これでもけっこう容姿に自信があるんだ。ニートになるなら金持ちの男引っかけて主婦を目指したよ」
冗談を言って笑ったが、彼女の容姿は“けっこう”なんてレベルではない。今のピアノの姿が本当のピアノの姿であるのなら、アイドルか女優でも通用しそうな容姿をしている。異常なログイン時間を誇っていたVRMMOゲームプレイヤーとは思えない。
「お前が美人だって知ってたら、俺が交際を申し込みに行ったけどな」
「私の見た目、お前の好みか? そうだったら失敗したな。頼めば良かった」
ピアノは寂しそうに息を吐いた。
「私な」
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「死んだんだ」
「は?」
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