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第一章

第二話 異世界という現実

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 VRMMOファーアースオンラインに実装された新しい世界は、一言で感想を言い表すとすれば圧巻が適当だった。

 森の木々は葉っぱの一枚一枚にいたるまで精緻に再現され、青空に流れる雲はまるで本物のように形を変えていく、地面を触れば土の感触が伝わってくるし、蟻のような虫が餌を運んでいるのも見て取れる。音と共に頬を凪いでいく風は心地良く、日差しの温かさを感じさせてくれた。

 現代における世界最大の企業ヘルメス・トリスメギストス社の重役で、VR世界の造物主などと呼ばれているウィザード級プログラマーでさえ、ここまで精緻な世界を創成できるのか疑問なほどだ。
 世界で最も売れたゲームミュージック部門で堂々の第一位を獲得しているファーアースオンラインにとってBGMのないフィールドなのが少しばかり残念だったが、それを補って余りあるグラフィックにしばしの間、フォルティシモは心を奪われる。

「おっと、索敵しとかないとな」

 空中に浮かび上がる情報ウィンドウのデザインは変わっていなかった。少しガッカリするが、慣れているほうが操作しやすいのでインターフェースが変わらないことはそこまで悪くない。
 情報ウィンドウの一つにマップレーダーを表示させる。マップレーダーには青色のマーカーがいくつも点滅していて、マーカーはフォルティシモが索敵できる範囲に居るモンスター、色はフォルティシモのレベルに比べてモンスターのレベルが低いことを示している。

「雑魚ばっかりか」

 デスペナが重大なシステムで出発地点が危険モンスターだらけだったらクレームものだから、当然と言えば当然だ。とは言えフォルティシモのレベルはカンストであり全プレイヤー最高であるため、モンスターが弱いことは想定の範囲内である。

 レーダーに映っているモンスターは雑魚でも、新アイテムをドロップするかも知れないと思い、出現モンスターを目視するために近づく。
 森の中を木々に隠れながら進むなど久々すぎて、昔に戻ったようにわくわくした。木の表面もざらざらしていて再現が難しい触覚が完璧なことも驚いた。どうせ少し経ったら「樹木オブジェクトうぜぇ。狩りの邪魔、効率下がるんだよ。こんなもんプログラムしてる暇あったら新要素追加しろ」と言い出すため、自分でも今の内だけの感想だと思っている。

 見えてきたのは、ブルスラというスライム系初期モンスター。青いゲル状をした一メートル程度の物体がうねうねと動いている。後期に実装されたモンスターにはない、リアルな気持ち悪さがある。
 こいつはゲーム開始地点のアクロシア王国の王都近郊にあるブルスラの森に出現するモンスターだ。チュートリアルクエストがブルスラの討伐になるため全プレイヤーが必ず戦うモンスター。目の前まで近づいても襲ってこない、ノンアクティブと言われるモンスタータイプなので、VRゲームに慣れていない初心者でも安全に倒すことができる。

 フォルティシモはブルスラにデコピンする。ブルスラは悲鳴もあげることなく消滅した。ドロップ品も見知ったスライムの破片だった。経験値を見る。入っていない。いくらレベル補正があっても経験値一ポイントは入るはずだ。

「上限解放クエが必要なわけね」

 上限解放とはアップデートによって今までの限界以上にレベルを上げられることを言い、こういったゲームの中にはアップデート後に即レベルを上げられるようにはならず、一定の条件をクリアした後に経験値が入るようになるシステムも存在する。
 そのクエ、誰よりも先に見つけてやる。心の中で誓って走り出す。

 カンストしたAGIに物を言わせた速度で、風のように走ってマップを埋めていく。課金アイテム自動マッピングの力により、その場を通っただけでフォルティシモの情報ウィンドウのマップが埋められていく。


 しばらくして、ある程度マッピングされた情報ウィンドウ上のマップレーダーを眺める。

「ここ、ブルスラの森じゃね?」

 チュートリアルクエストのフィールドでの活動なんて、もう何年も前だったので記憶が薄れていたが、出現モンスターがブルスラのみ、地形もこんな感じだったような気がする。

 ただのバグの可能性が高くなり、感動したはずの映像や音がバグを無くすことに力を注げよという気持ちの八つ当たり対象となった。ひとまずWIKIのマップと見比べてみるかと考え、情報ウィンドウを操作して、ゲーム内でも使用できる専用のブラウザを起動する。

 しかし接続エラーが表示された。

 WIKIが落ちたか。今日はレイドイベントの実装日なので、WIKIのサーバーが接続の負荷に耐えかねてダウンしてしまうこともある。ファーアースオンラインではある最新技術を採用しており、それによってWIKIのような同時編集ができる攻略サイトは高速の編集合戦が行われるのだ。フレンドが運営している攻略サイトにもマップがあったはずなのでブックマークから開く。やはり接続エラーだった。

 思わず舌打ちして、検索バーからFEO、ブルスラの森、マップと入力して検索をした。
 接続エラーだ。
 さすがにおかしい。

 どこかに繋がらないかと、検索サイト、通販サイト、掲示板など乱暴に開こうとするが、どれも同じだった。どうも、このフィールドではゲーム内からのインターネット接続を制限しているらしい。ネタばれ防止のためかなのかどうかは知らないが、余計なことをしてくれるものだ。

 どうするか考えていると、マップにプレイヤーマーカーが映った。システム上マーカーの表示設定はデフォルトが【全員】に表示となっており、情報ウィンドウの設定項目から直さない限り、すべてのプレイヤーから自分の居場所を把握されてしまう。初心者でもない限り自分のマーカーを不特定多数に公表することはない。やっているとすれば余程自分の腕に自信のあるプレイヤーであり、そんなことをしているのはフォルティシモの知り合いだろう。

 ならば、情報交換を含めてクエスト捜索で協力した後、最後に出し抜いても怒りはしないはず。むしろデスペナ回避のため、先に戦うフォルティシモを利用できると考える強かな奴のが多い。

 近づいて人数を数えると十一人居た。どうも設定を変更していない者以外にもそれなりに人数が居たようだ
 モロ初心者装備の女の子三人を、初心者に毛の生えた装備の男八人が取り囲んでいた。

 これはバグだろうと判断する。新しい世界にワープするはずが、初心者フィールドの『ブルスラの森』にワープしてしまったのだろう。グラフィックやサウンドの突然の改善は、今回のアップデートで入っていてようやくキャッシュが更新されたためだろうと当たりを付ける。

 すぐに【拠点】に帰って運営へ不具合報告しなければならない。これがプレイヤー全員に発生しているなら我慢できるが、もしフォルティシモだけに発生している不具合で、他のプレイヤーは上限解放した新しい世界でレベリングをしているとすれば、クレーマーになることも辞さない。

 目の前の女の子は涙目になりながら剣を握り、その様子を男たちが嫌らしい笑みで眺めている。
 ファーアースオンラインではプレイヤーキル、すなわちプレイヤー同士での攻撃が可能な設定だった。レイドやパーティ間でのフレンドリーファイヤは不可能だが、フォルティシモはソロでもあり多方面から嫉妬を買っていたので、攻撃されたことは数知れない。悉く返り討ちにしてやったものだ。

 だが、こういう初心者プレイヤーを狩って喜ぶ気持ちは理解できない。初心者を倒せるなんて当たり前のことだ。そんなことをしても、誰も称賛しないし、強さの証明にならない。やるなら巨大ボスソロ、ソロで相手チーム壊滅だろう。

 女の子たちの容姿はなかなか可愛い。モデリングを頑張ったのだと思われる。初心者狩りの気持ちはわからないが、女の子の初心者プレイヤーを助けてチヤホヤされたい気持ちは分かる。たとえ中身が男性だろうが主婦だろうが関係なくだ。


「おい、お前ら、そんなことしてないでレイドに参加してこいよ。初心者でもできることあるぞ」

 たぶんな、と心の中で付け加えることを忘れない。
 フォルティシモが声を掛けると、一斉に視線が集まった。

「なんだてめぇは!?」

 フォルティシモは生意気なんだと威嚇されたり、装備を寄越せと恫喝されることには慣れているため、まったく怖いと感じない。

「あ? お前ら俺の動画くらい見たことないの?」

 動画サイトにアップロードしているのは翔ではないが、フォルティシモの戦闘動画を動画サイトにアップしているプレイヤーが居るし、再生数はなかなかだ。
 もちろん、それで全プレイヤーが知っているはずもないが、動画がアップされているようなベテランプレイヤーを前にして、初心者プレイヤーが強く出れられるはずがないと思い、そんなことを言ってみた。

「なに言ってんだてめぇ?」
「よく見ると、珍しい装備してんじゃねぇか、けったいな格好の兄ちゃんよ」

 効果がなかったようだ。

「はぁ。お前らベースいくつだ? 覚醒はしてるのか? こんな場所でPKしてんだから、それなりにやってんだろ? グラクエクリアくらいならやめとけ。ダメ入らないから」

「ラリってんじゃねぇぞてめぇ!」

 男の一人が剣を振るいフォルティシモに当たると剣の腹が折れてしまい、剣はダークグリーンの光となって消えていった。
 男は信じられないような顔をしている。なんで驚いてるのか、PKしてるくせに仕様を理解してないのか。

「アンコでミソ殴ったんだから、耐久ゼロになるに決まってるだろ」

 このゲームのアイテムの等級は下から順番にC(コモン)、UC(アンコモン)、R(レア)、SR(スーパーレア)、SSR(ダブルスーパーレア)、L(レジェンド)、M(ミソロジー)となる。

 男の剣はUCで、フォルティシモの防具はMだ。M等級は神の力が宿っているという設定で、打ち合えばレア以下の装備の耐久値をゼロにするという凶悪な仕様がある。M級は複数のレイドボスのレアドロップ素材を大量に集めなければならず、持っているプレイヤーは上位の一握りだ。フォルティシモは全身M級に加えて、従者やダンジョンやボスによって使い分けられるように複数持っている。

 このゲームでは耐久値がゼロになった武器は故障とならず、光の粒子になって消えてしまう。その時の色によってレア度は見分けられるので、男の剣はアンコモンだと分かった。

「お、俺の剣が………!」
「何しやがった!?」
「PKしてんのにWIKIも読んでねぇのかよ」

 同じゲームをやっているプレイヤーではあるが、懇切丁寧に説明してやる義理はない。

「さっきから訳わかんねぇことばかり」

 今度は殴りかかってきた。さらりとかわすと男は体勢を崩して転んだ。

「て、てめぇ」

 地面に転がった男の顔は憤怒で赤く染まる。無様を見せれば諦めるかと思ったが、男の殺意は膨らんだようだった。

「やっちまえ!」

 五、六人の男がフォルティシモに斬りかかってくる。全員が武器をロストするのは可哀相なので、バックステップで大きく後方に跳躍した。

「消えた!? ど、どこ行きやがった!?」
「あっちだ!」
「逃げ足だけは速いらしいな!」
「とっ捕まえて女共と一緒に奴隷商に売り飛ばせ!」

 口々に叫ぶ内容から、かなり質の悪いプレイヤーらしいことが分かる。フォルティシモだってロールプレイに熱を入れるタイプであるし、それが悪役でも楽しめる。しかし、こいつらは度が過ぎている。

「待ってくれ! リーダー、なんか音がする!」
「ああん!?」

 フォルティシモも一緒に耳を澄ます。確かに、振動と共に何かを壊すような音がする。グラフィックがよくなっただけでなく、SE音も信じられないくらい向上していて何の音か分からない。

「なんだろうな」

 男たちはフォルティシモを無視して周囲を警戒しているし、女の子たちは固まったまま動こうとしなかった。フォルティシモは女の子たちに近づいて、できるだけ優しい口調で話す。

「ここは俺が話付けとくから戻りな。お前らも、もうPKって気分じゃないだろ? つーか、やるなら俺が女の子の味方するから返り討ちだぞ」

 男たちから反応はない。無視だ。

「誰か、なんか言えよ」

 誹謗中傷は何度も受けてきたが、無視はなかった。わざとフォルティシモを居ないように扱う奴は居たが、最強のプレイヤーを無視できるはずもなく、気にしているのが丸わかりだった。

 こいつらは、本気でフォルティシモを蚊帳の外にしている。良い気分ではないが、マナーの悪い初心者プレイヤーなんてこんなものだろう。むかつくからフォルティシモが自らPKしてやると決めた。元々色んなプレイヤーから狙われているフォルティシモは報復など怖くない。

「恨むなら、この最強の―――」
「来やがった!」

 男たちの一人が叫ぶと同時に、体長三メートルはあるだろう巨大な蜘蛛が木々の間から現れた。真っ黒な体毛に赤い線の入った背甲、頭には鋭い触角、八本の長い足はそれぞれが木を掴んでおり、掴まれた幹が抉れていた。
 デモンスパイダー、三つ先のエリアに出現するフィールドボスだったはずだ。フィールドボスという単語を初心者に言うとフィールドなのにボスとは、と聞かれることが多く、時間固定沸きのモンスターで、該当エリアで狩りをしている適正レベルパーティが集まって倒せるような強めのモンスターと説明しなければならない。ついでに言えば、ボス属性モンスターはマップレーダーに映らない特性も持っている。

 随分先のエリアの敵がここに居るのは、誰かが連れてきた、トレインしたのだろう。わざと初心者エリアに強いモンスターを引っ張ってきて、初心者が右往左往する様子を眺めるのが好きという偏屈なプレイヤーも居るらしい。質の悪さはこの男たちと同じだ。

「な、なんだよ、あれはぁ!?」
「逃げろ、馬鹿!」

 真っ赤な複眼に睨まれた男たちは、一目散に逃げようとする。

「おい、お前ら、あいつってパーティ相手の時は罠張るから………」
「ぎゃあぁ!」
「このネバネバしたのなんなんだよぉ!」
「斬れねぇ! 焼き払え!」
「言わんこっちゃないな」

 男たちは周囲に張り巡らされた蜘蛛の糸に、文字通り絡め取られていた。
 まあ初心者をPKするようなプレイヤーは、一度くらいモンスターに殺されたほうがいいだろう。デモンスパイダーが男たちに近づき、口を広げて頭からかぶりつく。デモンスパイダーはプレイヤーを捕食するとHPMPが回復する仕様で、プレイヤーが捕まると捕食されないようにタゲを取ったり、仲間を守ったりしなければならない。フォルティシモは捕まったことがないが、動けない状況で巨大な蜘蛛が近づいてくる様子はなかなかの恐怖という話だ。

「だず、げで」

 巨大蜘蛛に貪り喰われる人間の光景を見て、フォルティシモは思わず絶叫しそうになった。何とか我慢できたのは、助けようとした少女たちが美少女で格好悪いところは見せられないという気持ちが働いたためである。

 先ほどグラフィックの美麗さに感動したが、これはやりすぎだ。誰もスプラッタなど望んでいない。ダメージエフェクトが入って、光になって消えるくらいで十分だ。フォルティシモはグロ系のゲームは好きではない。デモンスパイダーの口からぐちゃぐちゃばりばりと言う音がするたびに吹き出す血、男の身体がびくんびくんと痙攣する様子、リアルすぎて直視できない。

 リアル、すぎて? そんな疑問がふわりと浮かんだ。
 女の子たちは、座り込んで泣いていた。死に戻り当たり前の序盤で、泣くような恐怖など無いはずだ。男たちの叫びは、本気の悲痛にしか聞こえない。ロールプレイだとしても、あんなに叫ぶはずがない。
 リアルすぎる?
 リアルだ。

「は? これ、まさか、うそだろ」

 VRMMOプレイヤーであれば、二つの空想を描いたことがある。一つは、デスゲームだ。VRMMOからログアウトできなくなり、その中で死ねば終わりのゲームをやらされる。もう一つは、自分の育てたキャラクターで、異世界やゲームの中へ入ってしまうこと。後者なのかも知れない。
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