上 下
257 / 263
鍛冶師と調教師ときどき勇者

声と言葉

しおりを挟む
 白精石アルバナオスラピスの壁は制圧出来たのか⋯⋯。
 馬車に火を放ち、ドルチェナが顔を上げた。
 オットとリベルの所も時間の問題だろ。
 後方の敵は目処が付いたな。
 目を凝らし、遠方へ目を向ける。東方にはミルバ、西方にリグ、そして主謀者がいると見られる最後方にはフィン。そこにウォルコットのパーティーも参戦している。
 一進一退を繰り返しているようだが、やつらもそこまでヤワじゃあるまい。
 こちらからも押して圧力を掛けてやる。

「ウルス! いつまでかかっている! サッサと終わらせろ!」
「簡単に言うな!」

 悪態を返すドワーフを一瞥する。
 返事をする余裕があるなら問題あるまい。
 剣を構え直し目の前に広がる軍勢を睨む、アントワーヌのパーティーに比べたら分けはない。
 頭はまだ残っているのか? ファミラとカダの獣人コンビが見当たらない。
 ちと厄介だな。

「ウルス! まだか!」
「やいやい言う前に手伝え!」
「チッ、しょうがねえなぁ」

 ウルスとトアン、むさい男どもの斬り合いに飛び込んで行く。
 ドルチェナがトアンに向けて刃を振り抜いた。




 ミルバの瞳がみるみる険しくなっていく、ファミラと対峙し傷を増やしている。

「フフフ、的がデカイからやりやすいな」

 その言葉は本心なのだろう、ファミラが逆手に握る短い曲刀が血で濡れていた。
 余裕の笑みを浮かべるファミラに対し、ミルバの心に余裕はない。
 大剣の起こす圧は虚しく空を斬り、懐に飛び込むファミラの曲刀がミルバの体に傷を作っていった。
 再び大剣を振り下ろす。簡単に躱され、ファミラは頭低くまたも迫る。
 ミルバがそこに膝を当てに跳ねれば、ファミラはギュンと体を捻り眼前に迫る膝を躱し、逆手に握る刃で膝を斬り刻んだ。
 またひとつ傷を増やす。ミルバは苛立ちを怒りの炎へと転化する。
 もどかしさは積もって行き、ミルバの苛立ちは止まらない。
 
「ミルバ! 熱くなり過ぎるな!」

 遠くで叫ぶヤクラスの声が耳朶を掠めた。
 その声に一度、肩の力を抜く。
 息を吐き出し冷静さを取り戻すと、ゆったり大きく構えて見せた。
 ファミラから笑顔が消え、瞳を凝らす。
 曲刀を構え直し、瞬足を見せた。
 斬り上げ、振り下ろし、突きと高速の連撃がミルバに襲い掛かる。
 大剣が派手な金属音を鳴らし、高速の連撃を弾く。連撃は止まらない。
 ミルバ頬にまた傷を作り、血が流れ落ちる。
 それでも冷静にファミラを睨む。傷ついてなお、落ち着きを見せるミルバにファミラの表情は曇っていく。
 
 そうか、速いだけだ。
 
 盲目になっていたのは己自身か。
 ミルバの巨躯が放つ前蹴りが、ファミラのみぞおちを捉えた。
 くの字に曲がった体に、体重を乗せた肘を背中へ落としていく。
 地面へ勢い良く倒れ込んだファミラを、ミルバはさらに踏みつけた。

「ごはっ!」

 呻くファミラの首元にドンっと大剣を添えた。
 横目で大剣を睨み、悔しさを露わにしながらも武器を放り投げ、頭の後ろで手を組んだ。

「ひっ捕らえろ!」
 
 ロープで縛られるファミラを睨み、大剣を戻していった。




 猫人キャットピープルのスピードに翻弄される。
 リグは頭から流れ落ちる血を拭う事も出来ず、カダの速さに手をこまねいていた。
 分かっていても止められない、カダの突き。
 盾で受け、体を捻り致命傷から逃れる。
 体に次々に作られる切れた傷から、ダラダラと血を流した。
 自慢の戦斧を振る隙さえ与えてもらえない。
 如何ともし難いこの状況の突破口を探る。
 しかし、人が目で追えない程の速さで動けるのか?
 いくらなんでも速すぎねえか?
 リグはカダを睨む。
 カダは変わらず、忙しない目の動きを見せている。
 カダが動く。

「おい! リグ! 何やっているんだ!」

 遠目からの呼び掛けに、リグは反射的に少しだけ視線が泳ぐ。
 その視線の先にカダの姿が掠める。
 盾を構えカダの切っ先を弾いた。
 
 視線の泳いだ先にいたカダ。
 なんであんな所におったんじゃ?
 
 リグが睨みながら逡巡する。
 あの猫、真っ直ぐ突っ込んで来てねえのか?
 消える⋯⋯。
 人が消える分けがない。
 そうか! 視線から消えるんか。
 目の前に一瞬で現れたかに見えるのは、視界の外から急に現れるからそう感じるだけだ。
 種明かしは出来たが動きの予想はつかんし、尋常ではない速さには違いない。
 ふぅ、厄介じゃのう。
 リグは盾を構え直し、真っ直ぐ前を睨んだ。
 カダに動く素振りは見えない、ジッと見つめる。
 ヤツが動いた瞬間、視線を振ればいい。
 振った先にいなければ、逆をつかれているという事だ。
 額からポタポタと流れ落ちる血が鬱陶しい、集中しきれん。
 カダが動く。
 チッ。
 リグは盾を持つ左手に視線を振る。
 いない。
 盾を振る時間はない、リグは右腕を顔の位置へと咄嗟に上げた。
 激しい痛みと共にカダの剣が突き刺さった。
 フンっと左手で剣を握るカダの腕を取る。
 身動きの取れないカダが剣を抜こうともがいた瞬間。

「コクー!」

 リグの叫びに反射といえる速さで、ショートボウを放った。
 コクーの矢は、カダの眉間を見事に捉える。
 カダは、リグに目を剥いたまま崩れ落ちて行く。
 剣を握っていたカダの手がズルっと力なく垂れると、リグは突き刺さった剣を引き抜き地面へ投げた。

「リグ! 何遊んでたんだ? えらい時間掛かったな」
「ちゃちゃっと片付けろよな」
「おまえら少しはいたわれ! 腕に穴開けたんじゃぞ! どいつもこいつも、まったく」

 リグは、血がダラダラと流れ落ちる腕を押さえ、顔をしかめていった。
 軽口叩けるくらいの余裕があるなら、ここはもう時間の問題か。
 存外、きつかったのう。
 リグは辺りを見渡し、ドサっと腰を下ろした。

「おい! おまえら! 頭は片付いた! サッサと終わらせえ!」
『へーい』

 いつものやる気のない返事が返ってくる。
 リグは大きく嘆息し、痛む腕を睨んだ。
 しかし、痛ってえのう。
 リグは痛む腕に嘆息しながら、しかめっつらを見せていった。




「こいつはどこまで運ぶんだ?」

 奪った白精石アルバナオスラピスの壁を一度西に大きく振り、大回りで南を目指す。壁の馬車を操る【ブルンタウロスレギオ(鉛の雄牛)】の面々が顔を突き合わせ、首を傾げ合った。
 壁のバランスを崩さぬよう、細心の注意を払いながらの歩みは自然とゆったりとしたペースとなる。
 手綱を握るジュウサは前線から離れた場所をのんびりと進む様に緊張感が欠けていく。
 いつ敵が襲ってくるかもしれないと自身に言い聞かせても、このなんとも間延びする歩みに、緊張は否応なしに薄れていった。

「しかし、なんだってこんな軽い石を嫌がるんだろうな?」

 隣に座るドワーフのガラに声を掛ける。

「ドワーフが知る分けあるめえよ」
「確かに。聞いたオレが悪かった」

 あれ? 今なんか思いついた。
 ジュウサは振り返り、無数の白精石アルバナオスラピスの杭がびっしりと埋まる壁を見つめる。

「おい! 危ねえぞ! 手綱持ってんだ、ちゃんと前見ろや!」

 ジュウサは前を向くが、じっと逡巡する素振りを見せる。
 その姿にドワーフのガラが再び声を荒げた。

「だから、しっかり前見ろって!」
「なぁ、ガラ⋯⋯。オレ、もしかしたら凄い事思いついたかも⋯⋯」
「はぁ? 何寝ぼけた事言っているんじゃ。しっかり、手綱持てや」
「いやいや⋯⋯⋯⋯⋯⋯、ガラ! 手伝え!」
「はぁ?」

 ジュウサの瞳が爛々と輝きを見せる。
 その表情にガラは苦い顔を見せ、首を傾げるだけだった。




 黒い嵐が吹き荒れる。
 金色に近い長髪の栗毛をたなびかせながら、アントワーヌはゆっくりと近づく。
 絶望に染めて心を折るはずだった。
 いとも簡単に跳ね返され、粟立つ事を知らなかったアントワーヌの心に起きた小さなさざ波が、自身をかき乱す。
 アントワーヌは足を止め、冷静に努めよと自身に言い聞かせた。
 その行為、思考自体がすでに冷静さを欠いていると気が付く。
 心の波は徐々に大きさを増して行く。
 自身の平穏を乱す者に対する苛立ちというものなのか。
 アントワーヌがキルロ達を見渡す。
 刺すような視線を向けると、ひとりずつゆっくりと見つめていった。
 値踏みするかのような勇者らしからぬ粘着質な視線。
 アントワーヌが動く。前触れもなく振られる美しい剣の切っ先は、キノに向いた。
 キルロは、素早い反応を見せ、アントワーヌの切っ先を弾き返す。
 ハルヲが間髪入れずに矢を放った。
 剛弓から放つ、瞬速の矢がアントワーヌの眉間に目掛け一直線に向かって行く。
 アントワーヌは少しだけ頭を振ると、ハルヲの矢は空へ消えていった。
 アントワーヌは後ろへ跳ねて距離を置く。
 余裕の笑みを湛え、口を開く。

「光の種を失えば、絶望に沈むよね⋯⋯。もっとあっさり沈むと思ったのに⋯⋯意外。まぁ、目の前にあるし幸運といえるのかな⋯⋯」

 キノ狙い。
 独り言のように紡ぐ言葉。
 もう、壊れてしまっている。
 人々に希望をもたらす存在が、狂信的な妄想と言動で、他人を躍らせ、絶望を振り撒く。
 なぜだか、寂しさを感じた。
 残念だよ。
 キルロは剣を握り直し、アントワーヌと対峙する。

しおりを挟む

処理中です...