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果樹の森

獣人とお伽噺

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「キノ、サンキューな」

 マッシュは足元の不安定な木の上。
 対峙する男を見据えると、背にしたキノに感謝を告げた。
 ナイフと思っていたものは、手の甲に取り付けている短い刃物。
 良く見ると足の先にも極短い刃先が見て取れた、なんかしらの体術使いか。
 しかし、見た事のない風貌している。
 目元まである少しごわついていそうな栗色の巻き毛に、獣人で間違いのだが見た事のない長い耳を持ち、獣人のマッシュから見ても手足が長い。
 体つきからしても成人に間違いないのだが、綺麗というか幼い顔立ちに感じる。
 少し猫背気味の姿勢から時折鼻を“スン”と鳴らし二人に鋭い視線を投げていた。
 さて、どうしたものか。
 未知なるものに闇雲に突っ込むのは愚行だよな、とは言え指を加えている訳にもいかない。
 二人とも果樹の森に気を取られていたとは言え、接近に気付けなかった。この状況では向こうに利があると考えよう。
 出方を見たい所だが、それはあちらさんも同じか。
 男の視線から、こちらの動きを注視しているのが感じ取れる。
 マッシュは自分自身が、落ち着いている事に気がついた。
 強敵、難敵を前にすれば誰だって心拍は高鳴るはずなのに。
 襲われたってのに、なんでこうも落ちつている?
 
 視線は外さず逡巡し、相手を見定めろ。
 相手の行動を思い出し、答えを模索する。

 そうか。

 敵意はあるが、殺意は薄い。いや、無いのかも知れない。
 マッシュは目を細める。
 やはり鍵は果樹の森か。

「前のヤツから目を放さないでくれ」

 マッシュは相手から口元を隠し、キノに囁いた。

「なあ、あんたはここで何しているんだ? オレ達は果樹の森をまた利用出来るように、下のヤツラを排除したいだけなんだがね。邪魔しないで貰えると助かるんだけどな」
 
 マッシュは、ナイフは握ったまま構えを外す。
 視線がマッシュに向くように、少しオーバーな動作で男に話しかけた。
 男は頬を歪ませ険しい表情をする。見るからに呼吸が浅くなっていた。
 男は黙って構え直し、刃先をマッシュに向ける。
 琴線に触れた。 
 果樹の森か下のモンスターか、ここは普通に考えていい。
 下のモンスターなら、すでに相当数屠っている。殺意の対象となってもおかしくないはずだ。
 マッシュはナイフを握ったままダラリと腕を下ろす。

「殺意のないヤツとり合う気はないんだ、引いてくんないかな?」

 浅い呼吸を繰り返す男は二人を睨みつけ、目を見開く。

「立ち去レ」

 高めの声、少しだけ変わったイントネーションで短い言葉を発する。

「イヤイヤ、アンタ達が果樹の森から手を引きなよ、それで丸く治まる」

 マッシュの言葉が終わるのを待たず、男はマッシュの顔目掛けて斬り掛かって来た。
 待機していたキノがマッシュの後ろから飛び出すと、男の刃先を白銀のナイフで弾く。
 マッシュはそのまま後ろに跳ね、腰の小さなポーチから筒に入った火山石ウルカニスラピスを取り出すと、即座に火をつけ男の後方へと投げた。
 爆音と共に大きな火柱が立ち、爆発で千切れたゴブリンやコボルトの頭や手足が爆炎と共に宙へと舞い上がる。
 男は爆発に目を見張ると脱兎のごとく、素早い動きで離脱し、立ち上がる炎を気にも止めず果樹の森の方へと消えて行った。
 


 
「果樹の森に関わっているヤツと接触した」

 マッシュとキノは、男がいなくなるとすぐに撤退する。
 案の定、予定外の爆発に下にいたメンバーは何事が起きたのか理解出来ず、困惑、混乱していた。マッシュはメンバー達とすぐに合流を果たし、男との遭遇について報告をする。
 大きな進展とはいえないが、果樹の森が鍵になっている確証は得る事が出来た。
 単純なお掃除クエと思ったのに思ったより根深い話になっている。

「ねぇ、男ってどんな感じのヤツだったの?」

 一通り話しを聞き終わるとハルヲがマッシュに問いた。
 マッシュは特徴を思い出すかのように宙を見つめハルヲに視線を返す。

「見たこと無い獣人だった。耳が長くて、背丈はオレと同じくらいだ。手足が長くてちょっと猫背ぎみ、栗色の巻き毛で、多分体術使いだが手と足に短い刃を装備していた」
 
 “見た事ない”という言葉に皆が一斉にマッシュを見やった。
 一斉に視線を受けたマッシュは少しばかり顔を後ろに引き、苦笑いを浮かべる。

「マッシュが見た事ないって!?」
「ですです」
「いやいや、そんなもんいくらでもあるぞ」

 ハルヲが驚愕の表情を浮かべるとフェインも一緒に驚く。
 他のメンバーも概ねそんな反応だ。ユラとキノを除いて。
 マッシュは苦く笑い、視線を反らして困り果てていた。
 ユラが唐突にポンと手を打つと、マッシュにニヤリと笑みを向ける。

「あのよ、あのよ、そいつ兎人ヒュームレプスじゃないか。耳の長い猫背の獣人だろ」
「え?! お伽話に出てくるあれか? 作り話しじゃないのか?」

 キルロはユラの言葉に眉をひそめる。
 
「お伽話って何?」

 ハルヲがキルロの言葉に小首を傾げた。
 皆が少し驚きを持ってハルヲを見る。そんなに有名な話とは思っていなかったので、ハルヲは少し照れた表情を見せると、恥ずかしさから目を逸らしていく。

「え? 学校で習わなかったか? まっいいか。森で迷っているとどこからともなく兎人ヒュームレプスが現れて、もてなしてくれるんだ。ごちそうを食べると眠くなって、迷い人は寝ちまう。目が覚めると周りにいたはずの兎人ヒュームレプスはいなくなっていて、森の出口に倒れていた。村に戻って皆に話すんだけど、夢だって誰も信じてくれなかった……こんな感じの話じゃなかったかな」
「です、です。ごちそうの所がとても美味しそうなのですよね」
「だよな。マッシュよ、兎人ヒュームレプスにあったら、あのごちそう喰わしてくれるようお願いしてくれよ」
「そんな雰囲気じゃなかったぞ。ごちそう所か刃食わせられる所だったんだからな」
 
 フェインとユラが宙を見つめながらごちそうに心奪われている中、マッシュは顔をしかめ二人を睨んだ。
 兎人ヒュームレプスって考えるとマッシュが見た事ないって事に合点はいくが、ホントにいるのか?
 キルロもハルヲも同じ所で、思考の袋小路にはまっていた。
 可能性は潰さない方がいいが、お伽話となるとどうのだ?
 
兎人ヒュームレプスはいると思いますよ。私の場合は噂のレベルですが。人里離れた所で見かけたとか、心ない金持ちが人知れず狩って、自宅で囲っている。なんて気分の悪い噂を耳にした事あります」
「その噂は聞いた事あるが、噂だろう?」
「火のない所に煙は立たずと言いますからね。存在はしているって考えてもいいのではないかと思います」
兎人ヒュームレプスねえ⋯⋯」

 マッシュの口から零れ落ちる。にわかに信じられないが、出会ったのは自分だ。
 姿形を丁寧に思い出しながらネインの言葉を聞き、どう捉えるべきか逡巡していった。
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